人生に効く!医学古典の知恵

第13回

五行の五音って何なのよ?

2026.03.04更新

 私が習っているカポエイラとブラジリアン柔術は同じくブラジル起源の格闘技なのですが、カポエイラは音楽が必修なのですよ。ビリンバウ・パンデイロ・アタバキ・アゴゴ・ヘコヘコという名前だけ聞くとなんだかわからない楽器を一通り叩けて、ポルトガル語で歌えて、サンバとマクレレが踊れなければなりません。何言われてるかわかんないですよね、そうですよね。ブラジリアン柔術の仲間が一度カポエイラをやってみようと私がいるところと別の団体に入会したことがあったのですが、「音楽やらないとならないのがキツい」と言って辞めてしまいましたもの。格闘技と音楽の関係、意味わかんないですもんね。

 とはいえ、プロレスラーや総合格闘技の選手がリングに上がるときはテーマ曲が流れますし、オリンピック選手は試合前にイヤホンで音楽を聴いて集中力を高めていたり。スポーツや格闘技にまったく音楽が関係ないかというと、そういうモノでもないですね。

 ですが、音楽で長さや重さの規定である度量衡を決めたりしていたとしたら、それこそ意味わかんないですよね。古代中国、そうだったんですよね・・・なんなら、世界の秩序が乱れた時も音楽を鳴らすことでそれを正していたのです。ここに、五行の色体表があります。

13_1.png

13_2.png

 あらゆる事柄を五行に分類して表にしたのが色体表なのですが、その中に「五音」があります。突然、音ですよ。音階です。鍼灸学校で初めて色体表を教科書で見た際に「音階!?」となったことを覚えています。しかも、鍼灸学校の先生は「それは臨床では使わないので無視していいです」と言われましてね・・・。じゃあなんで載ってんのよ、と思った覚えがあります。

 それから何年も経って、某音楽家さんの治療を担当していた際に「音楽が宇宙を表す」という思想の話になったことがあります。東洋医学には、無理に五行に合わせているところがあるので、ところどころこじつけとつじつま合わせが発生している・・・という文脈の中でのことでした。キリスト教的世界観には、「天球の音楽/Musica Universalis」という、宇宙の運行や惑星の配列が神の創造した完璧な秩序に基づいており、それ自体が聴こえない音楽(調和。これがハーモニーの語源)を奏でている」という思想があったのですが、これについて「音楽を理論に合わせようとしてるのでちょっとね......。」という話で盛り上がったのですよ。この時に、「中国なんて笛の長さで度量衡決めてたしねえ」と患者さんがおっしゃって、私は「はい!?」となったのです。天球の音楽は知ってたけど、なにそれ初耳なんだけど。

 ・・・帰宅後に調べると、「五音」の謎が解けたのでした。古代中国では、音楽は世界の不均衡を正すための力を持ったものだったのです。

<原文>

呂氏春秋「古楽」

五曰、

樂之所由來者尚也,必不可廢。有節有侈,有正有淫矣。賢者以昌,不肖者以亡。

昔古朱襄氏之治天下也,多風而陽氣畜積,萬物散解,果實不成,故士達作為五弦瑟,以來陰氣,以定群生。

昔葛天氏之樂,三人操牛尾投足以歌八闋:一曰載民,二曰玄鳥,三曰遂草木,四曰奮五穀,五曰敬天常,六曰達帝功,七曰依地德,八曰總萬物之極。

昔陶唐氏之始,陰多滯伏而湛積,水道壅塞,不行其原,民氣鬱閼而滯者,筋骨瑟縮不達,故作為舞以宣導之。

昔黃帝令伶倫作為律。伶倫自大夏之西,乃之阮隃之陰,取竹於嶰溪之谷,以生空竅厚鈞者,斷兩節間,其長三寸九分而吹之,以為黃鐘之宮,吹曰「舍少」。次制十二筩,以之阮隃之下,聽鳳皇之鳴,以別十二律。其雄鳴為六,雌鳴亦六,以比黃鐘之宮,適合。黃鐘之宮,皆可以生之,故曰黃鐘之宮,律呂之本。黃帝又命伶倫與榮將鑄十二鐘,以和五音,以施英韶。以仲春之月,乙卯之日,日在奎,始奏之,命之曰咸池。

<現代語訳>

五にいう、

音楽というものの起源はきわめて古く、その意義は尊い。ゆえに決して廃してはならない。音楽には節度あるものもあれば奢侈に流れるものもあり、正しいものもあれば淫らなものもある。賢者はそれによって栄え、不肖の者はそれによって滅びる。

むかし朱襄氏が天下を治めたとき、風が多く吹き、陽気がこもって滞り、万物は散じて実りを結ばなかった。そこで士達が五弦の瑟を作り、陰気を招き寄せて万物の生命を安定させた。

葛天氏の楽では、三人が牛の尾を手にし足踏みしながら八つの歌を歌った。民を養うこと、玄鳥、草木を育てること、五穀を奮い立たせること、天の常道を敬うこと、帝の功績をたたえること、地の徳に従うこと、万物の極まりを総べること、これがその内容であった。

陶唐氏の初めには、陰気が滞って水の流れが塞がれ、人々の気も鬱屈して筋骨が縮こまり伸びなかった。そこで舞を作り、身体を動かすことで滞りを解きほぐした。

黄帝は伶倫に命じて音律を作らせた。伶倫は西方に赴き、谷の竹を取り、その中空で質のよいものを切り取り、一定の長さに整えて吹き、黄鐘の音を定めた。さらに十二の管を作り、鳳凰の鳴き声を基準に十二律を定めた。黄鐘はすべての音を生み出す根本であり、音律の基礎である。黄帝はさらに十二の鐘を鋳造させ、五音を調和させ、英韶の楽を整えた。仲春にこれを初めて奏し、「咸池」と名づけた。

 この、伶倫が作った黄鐘の音を奏でる笛が、重さや長さの原器として使われたのです。黄鐘を原器として度量衡を定めた数値が書かれているのが漢書「律暦志」です。

<原文>

漢書「律暦志」

數者,一、十、百、千、萬也,所以算數事物,順性命之理也。《書》曰:「先其算命。」本起於黃鐘之數,始於一而三之,三三積之,歷十二辰之數,十有七萬七千一百四十七,而五數備矣。

<現代語訳>
数とは、一・十・百・千・万である。これは事物を計算し、万物の本性と天命の理に従うためのものである。『書経』には「まずその天命を数えよ」とある。

その根源は黄鐘の数に始まる。一から出発して三倍し、それをさらに三倍し、十二辰の数を経て、十七万七千百四十七に至り、五つの基本数(五数)が整う。

 ・・・まずここにはじまってですね。度量衡を、竹で作られた笛である黄鐘に全て起源を求めるのです。

<原文>

度者,分、寸、尺、丈、引也,所以度長短也。本起黃鐘之長。以子穀秬黍中者,一黍之廣,度之九十分,黃鐘之長。一為一分,十分為寸,十寸為尺,十尺為丈,十丈為引,而五度審矣。其法用銅,高一寸,廣二寸,長一丈,而分寸尺丈存焉。用竹為引,高一分,廣六分,長十丈,其方法矩,高廣之數,陰陽之象也。分者,自三微而成著,可分別也。寸者,忖也。尺者,卺也。丈者,張也。引者,信也。夫度者,別於分,忖於寸,卺於尺,張於丈,信於引。引者,信天下也。職在內官,廷尉掌之。

量者,龠、合、升、斗、斛也,所以量多少也。本起於黃鐘之龠,用度數審其容,以子穀秬黍中者千有二百實其龠,以井水準其概。合龠為合,十合為升,十升為斗,十斗為斛,而五量嘉矣。其法用銅,方尺而圜其外,旁有庣焉。其上為斛,其下為斗,左耳為升,右耳為合龠。其狀似爵,以縻爵祿。上三下二,參天兩地,圜而函方,左一右二,陰陽之象也。其圜象規,其重二鈞,備氣物之數,合萬有一千五百二十。聲中黃鐘,始於黃鐘而反覆焉,君制器之象也。龠者,黃鐘律之實也,躍微動氣而生物也。合者,合龠之量也。升者,登合之量也。斗者,聚升之量也。斛者,角斗平多少之量也。夫量者,躍於龠,合於合,登於升,聚於斗,角於斛也。職在太倉,大司農掌之。

衡權者,衡,平也;權,重也。衡所以任權而均物平輕重也。其道如底,以見準之正,繩之直,左旋見規,右折見矩。其在天也,佐助旋機,斟酌建指,以齊七政,故曰玉衡。《論語》云:「立則見其參於前也,在車則見其倚於衡也。」又曰:「齊之以禮。」此衡在前居南方之義也。

權者,銖、兩、斤、鈞、石也,所以稱物平施,知輕重也。本起於黃鐘之重。一龠容千二百黍,重十二銖,兩之為兩。二十四銖為兩,十六兩為斤,三十斤為鈞,四鈞為石。忖為十八,《易》十有八變之象也。五權之制,以義立之,以物鈞之,其餘小大之差,以輕重為宜。圜而環之,令之肉倍好者,周旋無端,終而復始,無窮已也。

銖者,物繇忽微始,至於成著,可殊異也。兩者,兩黃鐘律之重也。二十四銖而成兩者,二十四氣之象也。斤者,明也,三百八十四銖,《易》二篇之爻,陰陽變動之象也。十六兩成斤者,四時乘四方之象也。鈞者,均也,陽施其氣,陰化其物,皆得其成就平均也。權與物均,重萬一千五百二十銖,當萬物之象也。四百八十兩者,六旬行八節之象也。三十斤成鈞者,一月之象也。石者,大也,權之大者也。始於銖,兩於兩,明於斤,均於鈞,終於石。四鈞為石者,四時之象也。重百二十斤者,十二月之象也。終於十二辰而復於子,黃鐘之象也。千九百二十兩者,陰陽之數也。三百八十四爻,五行之象也。四萬六千八十銖者,萬一千五百二十物歷四時之象也,而歲功成就,五權謹矣。

<現代語訳>

度とは、分・寸・尺・丈・引のことであり、長短を測る基準である。その起源は黄鐘の長さにある。黒黍(秬黍)の中央の粒を基準とし、一粒の幅を九十分したものが黄鐘の長さとなる。
一分を基本とし、十分で一寸、十寸で一尺、十尺で一丈、十丈で一引となり、五つの長さの体系が整う。
銅製の標準器(高さ一寸、幅二寸、長さ一丈)によって基準を保存し、竹製の引(長さ十丈)も定める。縦横の数は陰陽の象徴である。
分は微細から顕著へ区別すること、寸は忖度(はかること)、尺は規範、丈は張ること、引は信(確かさ)を意味する。引とは天下に通じる信頼の基準である。これを司るのは廷尉(役人の役職名)であった。
量とは、龠・合・升・斗・斛であり、容量を測る基準である。その起源は黄鐘の龠にある。千二百粒の黒黍を満たす容量を龠とし、井戸水で水平を定めた。
二龠で一合、十合で一升、十升で一斗、十斗で一斛となる。
器は銅製で、内は方形、外は円形とし、陰陽天地の象徴を備える。重さは二鈞で、総数一万一千五百二十に対応する。
龠は律(音律)の実体であり、微細な気が動いて万物を生じる象徴である。
これを司るのは太倉・大司農(役人の役職名)であった。
衡權とは、衡は「平らか」であり、權は「重さ」である。衡は、權を任せて物を均し、軽重を平らかにするものである。
その道は基底(底)に似ており、これによって準(水平器)の正しさ、縄の直さが現れ、左に回せば規(円規)が現れ、右に折れば矩(曲尺)が現れる。
それが天においては、回転する機構を助け、指標を斟酌して立て、七政(七つの天体)を整える。ゆえに「玉衡」という。
權とは、銖・兩・斤・鈞・石である。物を称(はか)り、平らかに施し、軽重を知るためのものである。
その起源は黄鐘の重さにある。
一龠は千二百の黍を容れ、その重さは十二銖である。両を以て両とする。
二十四銖で一両。十六両で一斤。三十斤で一鈞。四鈞で一石。
忖(はかる数)は十八であり、これは『易』の十八変の象である。
五つの重さの制度は、義によって立て、物によって均(ひと)しくし、そのほか大小の差は軽重によって適宜とする。
円くしてこれを環らせ、肉(実体部分)を倍して好(均整)とすれば、巡りに端なく、終わってまた始まり、窮まりがない。
銖とは、物がきわめて微細なところから始まり、成りて顕れるに至り、区別できるものである。
両とは、黄鐘律の重さを二つ合わせたものである。
二十四銖で一両となるのは、二十四気の象である。
斤とは「明らか」である。三百八十四銖であり、『易』上下二篇の三百八十四爻、陰陽変動の象である。
十六両で一斤となるのは、四時が四方に乗ずる象である。
鈞とは「均(ひと)しい」である。陽がその気を施し、陰がその物を化し、みなその成就を得て平均する。
權と物とが均しくなり、重さは一万一千五百二十銖となり、万物の象に当たる。
四百八十両とは、六旬が八節を行く象である。
三十斤で一鈞となるのは、一月の象である。
石とは大であり、重さのうち最大のものである。
銖に始まり、両に進み、斤において明らかとなり、鈞において均しくなり、石に終わる。物は石に至って大となる。
四鈞で一石となるのは、四時の象である。
百二十斤の重さとは、十二月の象である。
十二辰に終わって再び子に復するのは、黄鐘の象である。
千九百二十両は、陰陽の数である。
三百八十四爻は、五行の象である。
四万六千八十銖は、一万一千五百二十の物が四時を経る象である。
かくして歳の功が成就し、五つの重さの制度は慎重に整えられる。

 ・・・なんかもう、笛一つで世界の全てを支配できそうな勢じゃないですか? 黄鐘、ただの竹笛ですよ?竹笛。その竹笛がメートル原器の役割を果たしてしまうのです。

 ところで五音、どんな音なのかといえば。いわゆる西洋音階でのド・レ・ミ・ソ・ラが宮商角徴羽に相当します。五音階(ペンタトニック)と言われていて、俗にヨナ抜き音階と呼ばれます。世界の民族音楽によく見られる音階だそうです。 

 で、です。五行の色帯表に戻ると、五臓に角徴宮商羽の順番に割り振られていることが見て取れると思います。『黄帝内経』の中でも見られるのですが、それぞれの音が五臓に影響を与えると考えられるようになったのです。この当時、音を使って治療をしていたのか、それがどんな音楽だったのかはまったくわかりません。

 なにがすごいって、現代でもこの五音を使った五音療法を真面目に研究し、論文を発表している研究者さんたちがいるということですね。

 参考:パーキンソン病患者の睡眠障害に五音療法が有効性を示唆

 これは睡眠障害に五音療法が効いたという研究です。でもどんな音楽だったのかは論文自体がオープンではないので見ることができませんでした。Youtubeなどを見てみると五音療法と称して中華風癒し系音楽が山ほどあり、(いや多分これじゃないだろ・・・。)という気持ちになりました。

 最初にお見せした呂氏春秋の中の一節に、

昔陶唐氏之始,陰多滯伏而湛積,水道壅塞,不行其原,民氣鬱閼而滯者,筋骨瑟縮不達,故作為舞以宣導之。

陶唐氏の初めには、陰気が滞って水の流れが塞がれ、人々の気も鬱屈して筋骨が縮こまり伸びなかった。そこで舞を作り、身体を動かすことで滞りを解きほぐした。

 という部分があります。私としてはこれが音楽療法の一番の効果だろうと思います。踊って、体を動かして「筋骨瑟縮不達」を改善に導くというもの。

 私が考える音楽の効能は、体をなめらかに動かせるようになる・気の鬱滞が改善して沈んだ心がウキウキしてくる。これにつきます。五音が五臓や経絡に直接響き・・・とかよりも、絶対こっちです。角徴宮商羽の音を口から出しながら瞑想するような方法も現代的なセラピーには存在しており、少しやってみたことがあるのですがまあ、効果はわからなかったです。私としては、これは「五味が各臓腑に効く」というのと同じような話で、バランスよく配合されているものが体にいい!ってだけではないかなあと思います。1つの音階だけ多い音楽って尖った印象になるので、パンチの効いた感じにはなるけども、心休まるようなものではないですね。

 それよりもカポエイラやった時の体の伸びや心の軽さは格別でしてね。間違いなく気鬱気滞・・・この部分には音楽が効きます。なので、みんなでカポエイラやりましょう! ぜひ! 歌って踊って戦いましょう!

若林 理砂

若林 理砂
(わかばやし・りさ)

臨床家・鍼灸師。1976年生まれ。高校卒業後に鍼灸免許を取得。早稲田大学第二文学部卒(思想宗教系専修)。2004年にアシル治療室を開院。予約のとれない人気治療室となる。古武術を学び、現在の趣味はカポエイラとブラジリアン柔術。著書に『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』 『気のはなし』 『謎の症状』(ミシマ社)、『安心のペットボトル温灸』(夜間飛行)、『決定版 からだの教養12ヵ月――食とからだの養生訓』(晶文社)など多数。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

ページトップへ