第13回
まちがいの能楽
2026.10.08更新
自分の「きれいな」文章のためには、こういったことは書かないほうが身のためなのだが、これもまた書かずにはいられない内燃が厄介して、書き出してしまった。
何かといえば、舞台での失敗談を書こうというのである。
玄人である以上、舞台で絶対に間違いを犯してはいけない。江戸時代なら直ちに切腹して不始末を詫び、一家一党は離散である。そういう鬼気迫る緊張感が式楽となった能の背骨であり、それによって芸の密度を高めてきたし、命のやりとりを旨とする武家もそこに価値を認めてきた。
そういう芸能であるからして、失敗は存在してはいけないもの、日々の稽古を怠るな、常に備えを怠るなと、いまの現代でも能楽師の徒弟たちはその精神を厳しく指導されている。
しかし、今さら言うまでもないように、人間は不完全であり、初めから一つも失敗のない真白の役者というのはいない。どうにかこうにか折り合いをつけ、舞台に齧り付いて暮らしている。
お堅い能楽師の先生は、失敗一つせず、威風堂々として、世間には見られているだろうか。私のような体たらくは、失敗ばかりを積み重ねている。
風の行方をしるべにて、風の行方をしるべにて、
松山にいざや急がん。
能《松山天狗》
《松山天狗》という、少し遠い曲である。西行法師が、崇徳上皇の慰霊のため、御廟所のある讃岐松山を訪れる物語だ。金剛流だけが現行曲としている。
切能らしく、すっきりと、しかし西行という人物の風格もひそかに肚に落としながら、橋掛を歩む。特設舞台の薪能で、幕が上がるとまず鴨居が低かった。通るときに少し屈まなければ、角帽子の先が触れて折れてしまう。本舞台までの距離を計りつつ、次第の囃子に乗ってちょうどいい按配に出囃子が収まるよう足を進める。なるほど、今日の舞台板はこういう滑り具合か。本舞台とは違う類いの木材だから、長時間座ると足は痛いだろうか。薪能の篝火だけではなく補助のライトも入り、常座で正面を向いたときに強くこちらへ照射を浴びた。シテは面の中に強い光が入ると目が眩むというが、今夜は大丈夫だろうか。ヨーイの掛け声で右足をかけ舞台裏を向く。斜め後ろの背中を正面へ見せながら次第を謡う。今回は申合もない。この舞台寸法とこの作物位置であれば、この呼吸くらいでよかっただろうか。小鼓のホ、ホの掛け声を受け、いよいよ謡い出す。
「風の行方を」。家で少し声出しをしてきたが、まずまず息が出た。西行らしく、西行らしく。切能なので居着きもしないように。囃子の力を得て、一曲はうまく前へ進み出している。
「風のしるべを」。返しを謡った。
次第の謡は、立役の後に地謡が同じ文句をことさら低く謡い返すことになっている。地取という。ワキ方の流儀によって詞章が異なることもあるので、ワキがどう謡うのか、地謡の方々は注意を払ってくれている。地頭が事前に確認してくれることもある。
「風のしるべを」。しまった。その後、どのように謡い繋いだかは覚えていない。「風のしるべをしるべにて」とそれらしく謡ったかもしれない。「風のしるべを行方にて」と誤魔化せば、「風のしるべをしるべにて」と謡った場合に比べて二箇所まちがえたことになるし、そもそも一回目に正しく謡った文句と違う詞章を自ら謡い返したことになってしまう。どちらが罪深いのだろうか。ただ、「風のしるべをしるべにて」と謡う役者も相当まぬけである。
こんな詮ない天秤を、一秒間のうちに何十回も振れさせながら、赤い泥道を、汚水にまみれて歩まねばならなかった。
次第といえば、思い出す古傷がある。
山より山の奥までも、山より山の奥までも、
道あるや時代なるらん。
能《枕慈童》
手ごろな演目で、少年の愛らしさ、菊の花やかさ、一抹の寂しさ、中国山水の幽趣など、いろいろに楽しい人気曲《枕慈童(菊慈童)》の次第だが、まだワキを勤めて浅い時分、学生能に呼んでいただいて、やはり間違えた。ミスのたちが悪かった。一度目は「山より山の」と謡っておきながら、二度目を「山また山の」と返してしまい、地取の地謡たちを困らせた。玄人なら誤謬など正しく突き放すが、地謡前列の若い学生さんたちは、さぞ狼狽しただろう。いま思い返しても申し訳ない気持ちになる。
少しく申し訳をすると、山越えは、旅人のワキにとって茶飯の道のりである。例えば能《定家》の道行なら、「山また山を越え過ぎて」とあり、こういうワキの謡はいくつもある。
しかし、それを熱心に説いたところで舞台に何の関係もないのは、万人の知るところだ。山々の事情を飲み込み、ただ平伏するばかりだった。
私が勝手に思う概念に、「幻の一句」というものがある。道行を謡っていて、二句後の謡は浮かんでいるのだが、一句後の句が出てこない。出ろ、出ろ、と念じるが全く出ない。出てこないので絶句する。しかし、その「出ろ!」と思っていた句は、実は、そもそも存在していなかった句だった。勘違いである。この世に有りもしない一句を、勝手に自分だけが必死に探していた、しかも衆目の前で。そういう、悪夢のような現実の出来事である。
小鹿臥すなる春日山、小鹿臥すなる春日山、
三笠ぞまさる春雨の、音はいづくぞ吉野川、
よしや暫しこそ、花曇りなれ春の夜の、
月は雲居に帰るべき、頼みをかけよ玉の輿、
頼みをかけよ玉の輿
能《国栖》
これは申合だったのでまだ救いがあるエピソードだ。《国栖》の最初、帝の子方を載いて登場するシーンを、念のため申合でも一通りやってほしいという所望があった。《国栖》のような曲は、とにかく何度も謡ってきた近い曲なのでお安い御用だったが、一セイを謡い、サシコエを謡い、この道行に行き掛かって、はたと、「小鹿臥すなる春日山」の次は何だった、と脂汗が出た。普段詰まったことがないところで詰まると、手掛かりが何もなくどうすることもできない。「三笠ぞまさる春雨の」は既に分かっている。しかしその前の一句がどうしても出てこない。慣れた動作というのは、例えば人間の歩行と同じで、自然に身を任せれば自然と身体が動いてくれる。左足を出せば次に右足が付いてくるものだ。謡も同じ、謡っていれば口を衝いて次句が出てくる。春日山、春日山、カスガヤマ。出てこい! 出てこない。「三笠」はもう頭にあるのに。コイ合三ツ地の平板な一句がまだあったように思うが、「三笠」でなくて何だったか!
滑稽であるが、舞台の上では必死だ。
結局、「春日山」のあと、絶句して、囃子だけが空しく鳴り響いた。
これも申し開けば少しあって、ワキツレが勤めるはずの輿舁を自分で代理・兼任しながらワキを謡っていたこと、子方によってはワキ一行の場面は申合が省略されることも多いこと、普段ほとんど配役されない東京での舞台だったこと、「春日山」の後にある打切は段落を区切る囃子で意外と真っ白になりやすいこと、などあったのだが、せっかく晴れの東京まで招来され自分より若い役者たちに囲まれて、大いに恥をかいた。
蛇足ながら、本番はワキツレと協力してうまく勤めた。
舞台はつくづく恐ろしいところである。完璧ということがない。元より正解がない世界に、どれだけ準備を尽くし臨んでも、予期せぬことが複数起こり、蟻の穴で済むこともあれば、堤が決壊することもある。ふとした隙間。観客席で咳が起こる。誰かが身動ぐ。囃子に耳が奪われる。装束の居ずまいが気になる。痰が絡みそうになる。空調の風が触れる。照明が目に障る。虫の羽音が横切る。楽屋で口にした弁当やお茶の何かが急に頭を出す。言い募りだしたら切りがない。
そのすべてに警戒を敷く慎重な演技をすれば問題は起きないかもしれないが、いったい何をやっているのかわからなくなる。なにより、演者は皆、最上のパフォーマンス、高みを目指して舞台に立っている。身を賭して自身を超えるものを作ろうとしている。だからこそ舞台は面白いのであって、失敗やミスを取り除くためだけの舞台なら、冷めたピザを食らっているほうがまだましだ。
完全という神の領域と、そうはなり得ない人間の途方もない苦闘こそが、スリリングで心揺さぶられ、生動の熱を底から帯びる。絶対的な矛盾がなければ舞台は面白くならないのではないか。
現代では切腹はないが、下手を打てば次回からオファーされなくなる。そういう大人が集って、今日の舞台を作っている。
書けば書くほど調子が悪くなってきた。ひとまず筆を擱いてよいだろうか。




