第14回
プロフェッショナル論
2026.10.29更新
プロフェッショナルとは何だろうか。
これについて、自分の中では比較的まとまった答えが出ていて、それは、一定の成果を出し続けられる人、これがプロだと思う。
打順が回ってきたら、バッターボックスに立ち、バットを振ることのできる人。それをプロと私は称してみたい。
肝心なのは、バットを振る、ということである。意外だろうか。一般にプロとは、ホームランを打てる人、ヒットを高確率に打てる人をイメージするのだと思う。もちろん語義からしてそれは合っている。辞書にも、アマチュアの対義語として「本職。専門家」とあるし、職業的な専門の知識と技術を持ち合わせる人をプロという。
舞台であれば、常人の及ばぬ、素晴らしいパフォーマンスを観客に披露し、魅了できるのが、真のプロフェッショナルといえるだろう。
しかし舞台人も人間なので、日々の生活があり、心身の浮き沈みがあり、環境の変化がある。やる気がみなぎっているときはいい。準備期間が備えられているときはいい。闘志たっぷりの演技で、思い切り汗をかける。ただプロはプロであるがゆえに、依頼を頂いた舞台にはつつしんで出勤しないといけないが、それがいつも健康万全というわけにはいかない。体調がすぐれない、忙しすぎる、家族や周りで不測がある、案件に諸事情がからむなど、言い出せば数え切れない要因を調整してバッターボックスに立つというのは、実はなかなか簡単なことではない。体調や予定の管理もプロの仕事のうちだと言い立てる人もいるが、原理的に完璧な調整を施そうとするなら、それはその依頼を断ることである。
体調を維持する難しさを、年齢とともに思わされる。
昔の型付で脇能の心得などを眺めていると、楽屋でふらふらするなとか、食事で変なものを食べるなとか、落ち着いて着替えなさいとか、我が子に申し渡すような注意書きが並んでいて最初は驚いたが、むしろこういう教えは、年を取れば取るほど身に染みてくる。
家で子どもの出汁巻きを作っていて、空の卵パックをごみ箱に押し入れた際、人差し指に小さな傷ができた。いや傷口も見えない、皮膚の痛点のようなものだった。ごみ袋に満杯に詰める貧乏性が災いした恰好だが、それ以上に、この痛点がしばらく指に潜んで難儀した。着物を畳んだり、扇を持とうとするとひょっとこの痛みが顔を出す。厄介だ。小さな痛覚の分際でそれに気を払うのも邪魔くさい。ただでさえ何が起こるかわからない舞台の上で、集中のいくぶんかを奪われてしまうのは御免だ。今後は型付に、「有料ごみ袋、惜しむべからず」と付け加えなくてはならない。
春、宮島の桃花祭御神能でのことだ。この奉納では、三日間、式楽の五番立の形式で催行される。つまり神事たる《翁》の後、五曲の能、合間に四曲の狂言が、海に浮かぶ厳島神社の能舞台で上演される。連日泊まり込みで、年間でも風物詩となった大きな催しである。
その日は朝からお腹の調子が怪しく、装束をまとい幕に掛かった時点で、すでに十分便座に座れる状態だった。「大丈夫、自分は大丈夫」とひたすらに念じ、幕が上がれば次第の出囃子に橋掛を歩んでいったが、こうなるともはや奉納よろしく、神様仏様の世界である。顔色はもちろん白かったろう。さらりとした小品《花月》だから助かったものの、幕に帰ってきて飛んで装束を脱ぎ、海から程遠いトイレに走った。
風邪でも花粉症でもないのに、咳が止まりにくいという時期もあった。自分が動いているときや謡っているときは、そちらに気をまとめるのかあまり障らないが、脇座に座ってじっとしているとき、時間ができると、気管が震え出して咳が身体の中から躍り出ようとする。客席に一番近く陣取るワキが咳をしたら、衆目を集めてしかたがない。押さえ込まねばならぬ。無理矢理咳を飲み込む。喉を突いて暴発しようとする。唾を飲み下す。お腹が小刻みに揺れる。我流でこういうときは肚で深くコミを取って息を止めると、咳はようやく諦めてうずくまる。その反動で目から雫が落ちる。謦咳よりも目立たないからこれは代償としてやむを得ない。しかし能の一曲は長い、これをあと何分保つのだろうか。
その待機から再びワキの謡があるとき、これがまた大変だ。
春秋の「能」繁期にも、謡を覚え、連日の舞台に立たなくてはならない。
たとえば最近の生活なら、土曜日は東京で舞台。日曜日は京都で舞台。月曜日はお弟子さんの稽古。火曜日はそれと大学講義とオンライン講座「有文舎」。水曜日は京都で舞台。木曜日は奈良で舞台。金曜日は岡山で申合、そのまま土曜日は二曲の素謡と、日曜日は二曲の本番。翌月曜日は京都の舞台。火曜日は大学と有文舎。水曜日が折り返しで、木曜日は京都で舞台。金曜日は申合二件と夜に本番。土曜日は丹後で舞台。日曜日は京都で舞台。月曜日は再び岡山で申合、火曜日は二曲の本番。すべて現場の異なる公演、異なる演目の本番に出勤している。
こんな調子なので、舞台から逃げ出さず現場へ行くことの、その当然の難しさを感じざるを得ない。そしてお客さんは良い舞台を見たいと思って劇場に足を運び、そういう無言の期待に、生の舞台では接することになる。右の数珠繋ぎの日々には、ワキ方の重習を披く舞台もあった。京都観世流で一番大きな公演での初役もあった。その人にとって唯一の観能経験となるかもしれない学生鑑賞会もあった。遠い曲で夜中唸りながら覚えた舞台もあった。その修羅へ、役者は刻限が来れば飛び込まねばならない。武士も戦の陣触れにはどうにも出立せねばならない。舞台は一発勝負、撮り直しがない点で、命のやりとりに二度目はない武士が能を重んじた意味も、なんとなくわかる気がする。
バッターボックスに立つ大事さばかり強調しているが、当たり前ながらプロである以上、成果を上げなければ次回のバッターボックスは用意されない。誰が三振ばかりの打者をバッティングオーダーに入れるだろう。来年の契約更新もない。そうやって影を潜めた能楽師もいる。
粒揃いの演者を集めた地方公演に参加させてもらったとき、移動のタクシーの中で、ある演者がぽろりとこぼした。「みんなニコニコしてるけど、こういうのが一番緊張するんだよね」。その通りだと思った。信頼する仲間が集った密度の高い舞台だけに、失敗は許されないし、周囲の期待に応えないとそれこそ次のバッターボックスに立つことができない。でもみんなそれをわかっていて、一つのチャンスのかけがさのなさを熟知しているから、火花が散り、結果としてそれがお客さんに届いていく。一期一会の切なさと充実は、どうしてこんなに残酷で美しいのだろう。
地謡 木綿付の鳥の音、
シテ 鐘もしきりに、
地謡 告げ渡る東雲の、あさまにもなりぬべし。
能《半蔀》
原稿を前に、庭の虫の音が涼やかに響いていたかと思えば、声色が浮かび、弾むように軽くなった。不思議に感じて目を遣ると、漆黒はうっすらと光を帯びて、藍色の草葉が風に揺れていた。朝だ。この朝を後朝といい、王朝時代には男女の共寝の翌朝、離れがたくとも、顔が差すその前に男は旅立たなくてはならなかった。
私は、今日も舞台へ行かねばならない。書き終えぬ原稿はそのままに。




