第2回
Perfect Day
2021.10.18更新
昨年、法子さんの家に呼ばれ、数人の友人と一緒にお茶を飲んでいた時のことだ。法子さんはこの数年来一緒に「島のむらマルシェ」を企画、運営してきたメンバーで、いつもここでお茶や酒を飲み交わしながら話し合いをしてきた。
法子さんは突然こう言った。
「選挙に出ようと思う」
決意のこもった力強い目というのは人の記憶に残るものだ。この瞬間をたぶん僕は一生忘れない。
いろんな物事に対してきちんと自分の意見を物怖じせずに言う彼女の性格は、確かに政治の場にも向いているかもしれない。その場にいた友人全員がそう思ったと思う。
地方の町議の給料は安いことで知られている。どのくらい安いかといったら、それだけで暮らしている人がまずいないということだ。周防大島では、みんな何か他に仕事をしながら、いわゆる兼業でやっているのが普通だ。彼女の場合は、台湾人のご主人・ショウさんと一緒に宿屋を切り盛りしている。もちろんそれは続けていきながら議員もやるとのこと。ショウさんも「台湾には女性の政治家は多い。とても普通のこと。のりちゃんを応援したい」と静かに言った。
そこから数日。「のりこ丸」という、漁船かよ、という名の後援会が発足し選挙活動が始まった。
もちろん僕も友人として応援した。選挙期間中は車の運転など、微力ながら参加させてもらった。
「若い人がやらにゃあいけん。がんばりんさいよー!」
窓の外から当たり前のように温かい声をかけてくれた大勢のおじいちゃんおばあちゃん。その姿を見ながら、政治って本当はこんなにも身近なものなんだなあと思った。都会で暮らしていた頃は友達が選挙に出るなんて夢にも思わなかった。それはどっか遠い世界の話。政治に参加していると感じたことなんてただの一度もなかった。いつも投票に行くだけ。そしてその度にがっかりしていたことを思い出す。
そして彼女は見事に当選した。今や周防大島でたった一人の女性議員となり、議会で奮闘している。
そんな彼女から久しぶりの連絡が入った。なんでも近所で映画の上映会をやるから来てほしいとのことだった。
言うまでもなく、現在の周防大島には映画館はない。かつてはいくつかあったというが今となってはとても信じられない。周防大島の人口は最盛期70,000人を超えていたというが、現在は15,000を少し切ったところ。僕らが移住してきた10年前(2011)は20,000人以上いたのだから、毎年500人ずつ減っている計算になる。一体どこまで減ってしまうのかはわからないが、新たな移住者がもっと必要だということは間違いなさそうだ。
上映会の会場は家から車で5分の温泉施設。その日は強い雨が降っていたが、何しろ久しぶりのスクリーンで映画を観れるんだ、僕は浮いた気持ちで出かけて行った。
そしてそのウキウキした気持ちは映画が始まったその直後にへし折られることになる。
浜辺で死んでしまった海鳥が横たわっている。その海鳥を手で拾い上げる女性の研究者。研究室へと連れて帰り、お腹をメスで切り開いていく。胃袋がパンパンに膨れ上がっている。見るからに硬そうな尖った黒い異物が、薄い胃袋の表皮から透けて見えている。ゆっくりと慎重に胃袋にメスを入れていく。中から出てきたのはプラスチックだ。女性は丁寧にその一つ一つを取り出していく。信じられないほど沢山の何百ものプラスチックの破片。一羽の鳥のお腹から出てきたプラスチックの重さは一人の人間の体重に換算すると、6〜8キロのプラスチックが胃袋に入っていたことになると女性は語った。それがもしもピザだとしたら12枚分になるという。
これはドキュメンタリー映画「プラスチックの海」のワンシーンだ。
僕は養蜂家という仕事柄、普段から自然環境に気を配っているつもりだ。花の蜜を集めて暮らすミツバチは自然の変化にとても過敏だ。だから僕もミツバチの声を聞き取れるように、敏感でありたい。いつもそう思っている。
だけどどうだ、この映画の中で映し出された地球上で起こっている事実のほとんどは知らないことばかりだった。
クラゲを食べるアカウミガメが間違えてビニールを大量に食べてしまうこと。プランクトンを追い求めるクジラが、プランクトンと一緒に大量のマイクロプラスチックを食べてしまっていること。プラスチックが原因で子供のクジラが今この瞬間も世界のどこかで息絶えている。
マイクロプラスチックとは直径5ミリ以下の小さなプラスチックのことで、自然分解されることなくいつまでも海の中を漂っている。魚たちも日常的にマイクロプラスチックを食べてしまっているという。しかもそこには海の中を漂う化学汚染物質が付着する。僕たちが普段好んで食べている魚の部位にはその毒素が留まるらしい。
ということは、僕ら人間は自分たちが垂れ流した毒素を、自分たちのゴミであるプラスチックを通して、自分たちの体にも取り込んでいるということだ。
なんてこった。全くひどい話じゃないか。これじゃ人間は害虫みたいなもんだ。僕は最悪の気分で映画を見終わった。殴られたみたいにくらっていた。家で家族とジュマンジを見て笑っていればよかったと後悔すらしていた。
上映が終わると、法子さんは言った。
「じゃあみんなで話し合いましょう。これから先どうしていくべきか」
なんと。早くお家に帰りたい。完全にそう思ってしまっていた僕の心ではとても考えられないことを彼女は言った。
「何かこの島でもできると思うんです。何から始めていくのか、どんな可能性があるのか、具体的に言うのが難しかったらイメージでも構いません。みなさんなんでもいいので、どんどん言ってみましょう」
彼女の横には大きなホワイトボードが設置されている。傍にはアシスタントの女性がペンを握って立ち、やる気に満ちている。
正直言って、僕は何も思いついていなかったし、もうこれ以上考えたくなくなっていた。そーっと静かに気配を殺して帰ってしまおう。こんなこともあろうかと、出口のすぐ近くの席に座っておいてよかった。はは処世術。「あ。そうだ。今日はあれがあるんじゃーん、やばいやばい忘れてた、うっかりー」と言う表情を浮かべて立ち上がろう。そう思ったその時に、すぐ横に座っていた少年と目が合った。小学校高学年くらいか。じーっとこちらを見ている。もしここで帰ったらこの子はどう思うだろうか。大人のくせして無責任な玉なし野郎。そう思われるんじゃないだろうか。それだけはなんとしても避けたい。股の間についているものを確認し、もう一度座り直した。
僕が帰るべきか残るべきか悶々と自問自答している間に、会場の人たちは次々と意見を出した。
「海岸でゴミを拾っても拾っても増えていく。漁業で使える素材を変えないと」
「トレーを減らすため、肉などは計り売りに変えてはどうか?」
「リサイクルに取り組む姿を子供や孫に見せていこう」
「リサイクルがきちんと利益になるという仕組みを企業と一緒に作らなければ」
「釣り客がゴミを海に捨てて行きすぎる。メーカーや店がパッケージについて考えていないのでは? 波止場に回収ボックスを置くのはどうか?」
などなど。どんどんホワイトボードが埋め尽くされていった。みんなから出てくる意見ひとつひとつに感心した。みんな普段はしゃべらないだけで本当はこんなにも色んな意見を持っているんだ。
何よりもこの場に集まっている人たちから意見を引き出し、少しでも町のあり方を変えていこうとしている法子さんの姿は友人としてとても誇らしかった。オリンピックの開催やコロナ禍での対応策など。毎日同じような発言を繰り返す国会議員の姿が頭にチラつく。ああいう大きいところから変わるということはないんじゃないか。たとえ日本の端っこの田舎町だとしても、こういう小さな場を積み上げていけば何か変えていけるんじゃないか、そんな風に思えた。
耳を傾けながらも、僕の関心は少しずつ、徐々にではあったが、胃袋の方へと移っていった。さっきからどうにも腹が鳴っていて集中力が下がってきた。そうだ、今日来たのには映画以外にも目的があった。この日はケータリングがあったのだ。周南市で農業を営みながらケータリングもするbambooさん。自家製の青唐辛子や新鮮な野菜を使ったグリーンカレーは以前食べた時も最高だった。そして僕の座る席から見えてしまっている。カレーを準備をしているのが。少し匂っているじゃないか。スパイスの香りが。頭の中のマイクロプラスチックがカレーによって次々に破壊されていく。なんていい匂いなんだ。
「・・・はどう思う?」
はっと気がつくとみんながなぜかこちらを見ている。法子さんが何かを言ったようだ。
「内田くんはどう思う?」
はっきりした声で彼女は言った。
はい?
絶句。なんと言う間の悪さ。先ほどの子供もこちらを見ているじゃないか。
何か言わなくては。何を? カレーへの思い?
何か特別なアイデアが天から降ってくるのを待ってみたが、そんなものがやってくることはついになかった。
次の日。前日の大雨とうって変わって雲ひとつない晴天。
タイミングがいいのか、悪いのか、この日は年に一度の海浜清掃の日だった。僕は娘(10歳)と息子(7歳)を連れて参加した。うだるような暑さだったから清掃が終わったら海に飛び込もうと、僕たちはあらかじめ水着を服の下に着込んで、浜へと歩いた。
僕は昨日の上映会を引きずっていた。プラスチック問題があまりに深刻だというその事実を家族にすらうまく話せずにいた。
「とと、もう始まっとるやん」
息子は僕のことを「とと」と呼ぶ。娘の方は最近「お父さん」に変わってきた。
息子の言った通り、僕らが着いた時、広い浜辺の何ヵ所かでは早くも煙が立ち昇りはじめていた。気の早い村の人たちは、いつも定刻より早くに動き出す。僕たちは少し遅れてしまったが、あらかじめ決められていた自分たちの持ち場で掃除を開始した。
まず、燃えるゴミを集めて燃やしていく。燃えないゴミは防波堤に集めておいて、後で処分するという流れだった。いつもの通り若者は僕らくらいで、参加しているほとんどがみなさんお年寄り。こういう行事のたびに思ってしてしまうというか、ついつい再確認してしまうのはやっぱりここは紛れもなく限界集落だということ。だからだろうか。子供は宝と思ってくれているようで、移住者である僕ら家族にみんなはとても優しくしてくれる。
「お父さんお父さん、これ落ちとった! 燃やしていいん?」
と、娘が興奮気味に聞いてきた。振り返ると手に持っていたのは、片っぽしかない大きなバスケットシューズ。いや、それは燃えないやつだよ、と言いかける僕の背後から、
「おう燃やせ燃やせ! 投げんさい」
と火の番をしていた村のおじいちゃんの大声。娘は遠慮なく靴を火の中へ放り投げた。
「わあ! 燃える燃える。燃えたよ、お父さん」
と嬉しそうに娘は言った。
そらそうだ。そんなん言ったら燃えないのは金属か骨くらいのもんやろ! と心の中でつっこんだ。
・・・うーん。燃えないゴミっていう言い方がそもそもいけないのか。子供にきちんと教えねば。燃えないゴミは燃やしちゃいけないゴミ、あるいは燃やすと毒ガス発生ゴミに改名した方がいいんじゃなかろうか、などと頭の中を考えが巡ったが、周りを見ればあちこちの炎から昇る煙には黒い煙が混じっていることに気がついた。やっぱりプラスチックか。浜辺を歩いて拾った中で一番多いゴミは、牡蠣の養殖に使う小さなパイプ。これは島のどこの浜辺を歩いても必ず落ちている。ロープを使って養殖される牡蠣と牡蠣の間隔を保つためのものらしいが、大量に海に流れている。何年も前から環境問題になっていて、原因は広島の牡蠣産業。
その次に多いのが発泡スチロール。漁業で浮き(フロート)として使用されている大きなものだ。これまたどこの浜辺にも必ず落ちている。最初は巨大だが、だんだんと波に削られ小さくなっていく。その残骸が浜辺のあちらこちらに打ち上がっているのだ。
二人の子どもたちは思っていたよりもずっとちゃんと仕事をこなした。走り回っては次々とゴミを拾い集めてくる。家の中でダラダラしてはゴミをそこら中にまきちらしていくくせに。なんだ、やればできるんじゃん。
発泡スチロールのトレー、空き缶、ペットボトル、スプレー缶、何かの容器。
今までも見ていたし、ゴミが落ちているのは分かっていたけど、映画を見たことによって昨日までとは見え方が違ってしまった。僕はガンザキ(熊手)で流木を集めながら火にくべ、映画に出てきたフィリピンのマニラに暮らす子供達のことを思い出していた。大量のゴミの山に暮らす家族たち。ゴミの上にまたゴミが重なり巨大化していく。ゴミの中で作物を育てている。そしてゴミの中からリサイクルできるプラスチックや金属を探しだし、家計の足しにする子供達。学校にも行けず、裸足で走り回りゴミを漁る姿は、世界の終末を思わせた。
今、僕の頭の中には大きな疑問がこびりついてしまった。今まで一度も思ったこのなかった疑問。
「人間は滅ぶのか? 自分たちの出したゴミで滅ぶのか?」
ゴミを集めていた子どもと僕が汗だくになっているのを見かねたのか、一緒に作業をしていた村のおじいちゃんが
「おう、お前らもうええぞ、あとはやっちょくけえ、海入ってきんさい」
と、声をかけてくれた。
待ってましたー! とばかりに海へと駆けていく子供たち。僕も後を追った。
僕らが暮らす島の南側の海はいつも水温が冷たい。いつもだったら冷たさに慣れて入れるようになるまで時間がかかるが、この日は思いっきり頭から飛び込んだ。
いつ入っても海は最高だ。瀬戸内海は波がほとんど無いが、それでもやはり揺れている。そのわずかな揺れに体を預けて、海にぷかぷか浮かんでいるだけで強張っていた気持ちや体がほどけていく気がする。僕が一番好きなのは海の中へ潜って、仰向けになって空を見上げること。海の中から見る太陽は絵画のように煌めいていて、ずーっと見ていたくなってしまう。
「今日、完璧な一日だねー」
海に浮かびながら、楽しそうな声で娘が言った。
・・・え?
完璧な一日?
それを聞いた僕の頭の中ではルー・リードが歌う「Perfect day」が再生され始めていた。映画「トレインスポッティング」ではユアン・マクレガー扮する主人公レントンがヘロインを打って酩酊していくシーンで挿入される。
Perfect Day by LOU REED
「なんて完璧な一日なんだろう
公園でサングリアを飲んで
そのあと暗くなってきたら僕たちは一緒に帰るんだ
なんて完璧な一日なんだろう
動物園で、動物たちにエサをあげて
それから映画でも観て一緒に帰るんだ
なんて完璧な一日なんだろう
こんな日を君と一緒に過ごせるなんて
君が僕をかろうじて生かしてくれている
なんて完璧な一日なんだろう
問題は全て置き去りにして
僕たちだけの週末を楽しむんだ
なんて完璧な一日なんだろう
君は僕が何者であるかを忘れさせてくれる
なんだか自分が、誰か別の善良な人間のように思えたんだ
ああ、なんて完璧な一日なんだろう
こんな日を君と一緒に過ごせるなんて
君は僕をかろうじて生かしてくれている
自分の蒔いた種は、全て自分で刈り取らなくちゃ
自分の蒔いた種は、全て自分で刈り取らなくちゃいけないんだ」
苦しさに耐えながら、なんとか健全な体になろうと長く絶っていたヘロインを再び打ってしまう。気持ちよさのあまりに気を失い、絨毯とともに深い海のような床の中に落ちていくレントン。ルー・リード本人もかつて麻薬中毒者であったというのは有名で、この曲もそれがテーマになっているというから、そういう意味でも完璧な挿入曲だったかもしれない。
待て待て。何を言っているんだ僕は。それは今は関係ない。娘はそんなこと知らない。
彼女は今この瞬間、心の底から、今日という日が完璧な一日だと思って言ったんだ。
その事実に、その言葉に僕はなぜだか撃たれてしまった。
そしてだんだん情けなくなってきた。数分前に「人類はもう滅ぶのかもしれない」と考えてしまった自分が恥ずかしかった。
トレインスポッティングの最後に、レントンは麻薬を絶って、未来に向かって歩き出す。決して褒められたやり方じゃないけど、期待と不安が入り混じった表情で、確かに前を向いて歩き出す。そこで映画の冒頭と同じナレーションが入ってくる。
「人生を選べ、未来を選べ」と。
何年も完全に忘れ去っていたことが、娘の一言で記憶の奥底から引き摺り出されてきた。
未来を選びたい。より良い未来を選び取りたい。
そうだった。そう思って移住をしようと決めたんだ。
ふと沖の方に目をやると、潜っていた大きな鵜が魚を咥えて海面に出てきた。大きな蛇のような魚を口に咥えている。多分、太刀魚だろう。そんな大きい魚を本当に食べれるのかな、と思ってじっと見入っていた。最初は暴れていた魚も徐々におとなしくなり、だんだんと姿が小さくなっていく。鵜は空を仰ぐように何度も何度も体を揺らし、魚を少しずつ飲み込んでいく。とても長い時間に感じたが、ほんの1分くらいだったのかもしれない。咥えられていた魚は完全に飲み込まれ、あたりは何事もなかったようにまた元通り静かになった。