第13回
ウキンボ(1)
2022.11.14更新
「それそれ。それがワカメよ。鎌で切りんさい」
山本さんはそう言った。
一度もワカメを採ったことがない僕に、採り方を教えてくれるというので、潮がよく引いた夕方に僕らは長靴を履いて一緒に浜へ来ていた。
山本さんは85歳になる小柄なおばあちゃんで、最近になって運転免許を返上した。以来、シニアカーに跨る山本さんに近所のあちこちで遭遇するが、彼女は別に足腰が弱いわけではない。むしろ畑にも浜にも行くほどに元気で、いつもにこやかなおばあちゃんだ。彼女が笑うと、顔の皺はいっそう深く刻まれるが、それはどこか陽射しを思い出させてくれる。
これがワカメ? ワカメってもっときれいな緑じゃない?
「湯がくと、ぱあっときれいに色が変わるんよ。それこそ魔法みたいに」
山本さんがワカメと言った海藻は、灰が染み込んだようなぼやけた緑色で、僕の頭の中のワカメとはだいぶかけ離れていた。
新鮮なワカメを湯がいたものは、まるで葉物野菜のようにシャキシャキとしていて、何杯でも食べられるほどに美味しい。
島に移住してからというものすっかりそれが好物になっていた僕は喜んで山本さんについてきたが、目の前の不味そうな海藻がワカメだということに今ひとつ半信半疑だった。
だがもしもこれが本当にワカメだというなら、そこら中に生えている。たいへんだ。採り放題だ。これが本当のサラダバーか。
「カナコギには気いつけんさいよ。今日はあんた長靴履いとるけえ世話ないがね、子供らがこういう石のあるとこ泳ぎよったら、すぐに刺されるんじゃけえ」
カナコギとはこの辺りにいるオコゼの一種で、強い毒を持った魚だ。幸いにも僕も家族もまだ一度も刺されたことはないが、話に聞くとスズメバチ並みに痛いらしい。
「もしも刺されたら、すぐその辺りにヨモギやツユクサが生えちょる。あれの汁をつけるとええよ」
まただ、と僕は思った。
山本さんからこういう薬草の話を聞くのはこれで何度目かになる。どうしてこの人はこんなに薬草に詳しいのか。そのわけを尋ねると、
「赤本にみな書いてあるんよ。あんたにもひとつあげたいんじゃがねえ。今頃は手に入らんのよ。子供育てるんには一冊持っとくとええんじゃが」
「赤本」という名前を聞いたのはこの時が初めてだった。
もしかしたらその本にこそ、山本さんの薬草への深い知識の秘密があるのかもしれない。
家に帰ってからインターネットで調べてみると、それは大正時代に出版された一冊の本のことだった。
「実際的看護の秘訣」。これが本の正式名称で著者は築田多吉。
大正14年初版以来、数百版も重ねてきた民間療法の古典であるという。
数百版とはとんでもない数だ。
そこに一体どんなことが記されているのか、一体どんなふうに使われてきたものなのか。
大いに興味をそそられた僕は、この赤本について山本さんにじっくり話を聞いてみることにした。
***
子供を産んで赤ちゃんがおっぱいを飲むじゃ?
子供が飲み切ることができたら、どうもないんやけどね。だけど子供が飲みきらんかったり、子供にオッパイやるのをやめよう思う頃にね、乳腺炎になるんよ。オッパイがたまって、高熱が出て乳房が腫れる。そのときに、ウキンボを飲むんよ。
――ウキンボ?
言うたらメダカよ。メダカをね、取ってきて、ほんでちょっと綺麗な水に泳がせて、それを盃とかに入れて、泳がした生きたまんまを飲む。
――生きたまま?
うん。
5、6匹ね。
――そんなにたくさん?
うん。そりゃもう、ちっちゃいんじゃけえ世話ないんよ。メダカちっちゃいじゃ?
そうしたら、すぐ熱が下がる。それがこの赤本に書いてある。
――すごいな。それって実際にあったことなんですよね?
もちろんあったことよ。
昔、・・・あの戦後すぐの頃かね。朝鮮の人が来ちょったんよ、ここらにも。所々に家を借りて入っちょった。で、その人が痛い痛い言うて泣きよった。で、どうしたんかって聞いたらね、おっぱいが腫れあがって、痛くてどうにもならん言うて泣きよった。
うちの母は仕事しよったんやけど、すぐに赤本を読みに帰って、調べたら、ウキンボがええって書いてある。昔はウキンボもようけおりよったんよ。川も綺麗かったしね。それとか田んぼとか。いっぱい作りよったんで。それに私が小さい頃は、あんまり消毒(農薬)してなかったと思う。だからね、それを掬って、飲ましてやったら、すぐに治った。乳腺炎は一発で治るんよ。
――すごいですね! まさに民間療法。
それとかおたふくとかね。
――おたふく風邪?
そうそう。そん時はねドジョウ。
――ドジョウ?!
うん。ドジョウをね、背中開いて骨のけて。で、そのズルズルの方、皮の方をね、耳の下に貼るんよ。それを貼ったら、熱を取ってくれる。熱が高いとすぐカリカリになって皮膚に食いつくけえ、そうなる前に取り替える。そしたらすぐ治る。ドジョウはすごいんよ。あと、手の指病みとか言うんがあるじゃん?
――ユビヤミ?
今頃はあんま聞かんけど、指の先にバイ菌が入って、すっごい痛いんよ。膿持ってから腫れあがる。(※ひょう疽)
それにもやっぱりドジョウがええ。じゃけど、今はドジョウおらんじゃ?
――そうですね、ここらでドジョウ見たことないですね。
うん、おらんけえね。私の主人が指病みやったときは、ドジョウがおらんかったけえ、そうじゃ、店に行けばアナゴおるじゃ思うて。で、店行ったらおったんよ。で、アナゴ、開いてもらって、ほいで、皮を剥いでもろうて、アナゴは大きいけえね。身をのけて、皮だけ取って、そのズルズルの方、鱗をついた方をね、指先に貼ってやったら、すぐに治った。
――すごい!
それから足に水が溜まったりした時。
――ああ、よく聞きますよね、みんな病院で抜いてもらうって。
やっぱり、私は芋湿布。ジャガイモと、それからメリケン粉。
――ジャガイモ!?
ジャガイモは古いほうがいいっていうことで、それを洗って皮ごと擦りおろして。ジャガイモと同じ量のメリケン粉入れて。水でドロドロにする。それをタオルとか、ネルの布にこう伸ばしてね、それを痛いところに貼る。したら水が取れる。
――すごいですね。
それとか腹膜炎。
腹膜の場合は、曼珠沙華。
――マンジュシャゲ?
彼岸花よ。あれの球根の部分。それを擦りおろして、やっぱメリケン粉と彼岸花と同じ量ぐらいで、あんまりカチカチじゃなくて、あまりベチャベチャでもいけん。適当な柔らかさにして、それを布につけて足の裏に貼る。
――足の裏に? え? 待ってください、腹膜炎のときにですか? 腹膜炎ってどんな病気でしたっけ?
シッコが出んようになる。お腹が蛙みたいにパンパンに膨れ上がるんよ。じゃけえそれを貼れば、シッコが出るようになる。彼岸花の球根とメリケン粉を合わせて。
――彼岸花の球根は取って置いとくんですか?
球根とっちょいても、水仙と同じで中がなくなろうじゃ。
――だけど、いつもあるとは限らないですよね?
そうじゃけど、ここには彼岸花があるっていうところが大体わかるじゃ。
――ああ、そうか。日頃、見てるから覚えてるんだ?
そうそう。そこのところを掘るんよ。
――掘りに行くんだ、家にあるんじゃなくて、山にあるんだ?
そういうことよ。腹膜になった人は昔はたくさんおりよったんよ。
前に、親戚の旦那が入院したときあったんよ。親戚の子が、私が赤本持っちょるって言うのを知っちょったから、おばちゃん赤本で調べてくれ調べてくれって言うたから教えたんよ。そんで、病院に入院しながらずっとそれをやったんよ。
本当は病院でそがなことはできんのんじゃけど、看護師さんは知っちょって、またやりよるんかとか言うてたみたい。
じゃけどそれで水がみな出て、それで普通の体になって、帰ってからは、畑を鍬で打ちよったくらいに良うなった。
――この村に道路が通ったのは昭和37年でしたよね? その頃っていうと、みんな民間療法やってたわけですか?
じゃけえお医者がおらん時は調べるしかないよね。赤本を開いて、鼻血なら「は」のところ調べるしかない。うちは私ら兄弟が多かったから、もう毎日のように病気をしたんよ。みんなが交代に。じゃから母はこの赤本を読んですごく助けられた。
――山本さんはいつからこの本を?
これは母が、私が嫁ぐときに、これを私に持たせてくれた。言うたら嫁入り道具よね。
私はこういう民間療法やりよったから見よう見まねしよったから。他のもの(兄弟)はもらってないみたいだがね、私はもらった。
私も子供に(嫁入り道具として)持たせた。だけど子供は見てないみたい(笑)。
――山本さんが小さいときから、お母さんはこれを読んでいたわけですよね?
ずっと前から。母が嫁に来る時に。
母の兄が広島で校長先生しよったんじゃけど廿日市で、戦争で亡くなったんよ、原爆で。
それから母は、昔はね、親がよう学校行かさんから、兄がね、収入があったんじゃろうね、広島の女学校に行かしてくれた。
じゃけえ、その兄が母にこの本を持たせてくれた。嫁に嫁ぐ時にね。
母はずーっとこの本を使ってたから、私もそれを見て育った。母もなにか気になるごとに、これを開いて見るけえね。
そんなんでね、この本は本当によう見たもんですよ。
――この赤本の紙が挟まってるとこは、何か使ったってことなんですか?
使った使った。すごい使った。
私もこれの使い方を教えてもろうたんじゃないけど、母が言いよったけえ、そうそう何度もページ開くんじゃのう思いながら、開きよった。ああこれでもない、これじゃない、これとは様子が違うのう、なんじゃろうかとか言うてね、紙に書いちゃあしよった。
じゃからこう読みよって、大事なとこはみんなメモして抜き出しちゃあね、あれ、これはこれじゃないかなあっていうのを抜き出していって、だんだんだんだんやっていったんですよね。だから子供の病気もみなこの本に助けられた。
――山本さんのお母さんもそういうふうに民間療法の人として村で知られてたわけですね?
みんなが聞きにくるんよね。なんか、こんな具合なんじゃが、調べてくれん? とか言うてから。母んとこにね。
――その頃は病院までの道がなかったですもんね。お医者さん連れて来るいうたら大ごとですよね?
そうよ。お産も大ごとじゃった。お産婆さんを山を越えて連れに行きよった。
――お産婆さん?
昔はみんな家で産みよったけえ。じゃから、夜中じゃったら、お父さんが山越えて産婆さんを連れに行くんですよ。それで夜中に来るんです。山ん中恐ろしいよねえ? よう迷わだったもんじゃ。
――かなりの距離がありますよね? 越えるのに1時間ぐらいですかね?
そらあ、それぐらいよね。戻るのに、もう1時間。
山ん中は道っちゃあ道じゃが、こう谷のようになってるとこ、歩いていくんよね。
ずーっと、上がったり下がったりしてるのに・・・よう目的地に着くもんじゃと思う。
――怖そうですね。
今、あんた行ってこい言われたらとてもじゃないじゃろう?(笑)
――絶対無理ですね。産婆さんどころか捜索隊呼ぶことになっちゃう(笑)。懐中電灯ないですよね?
ないないない。提灯とかカンテラとか。あんなもん吊り下げていったよ。
どうやって行ったんじゃろうか、父は偉いもんじゃ、思いよったよ。
私らの兄弟はみな産婆さんじゃった。私らが嫁いでからぐらいだろうね。病院っていうのが当たり前んなったんは。大変よね。みんな産婆さんじゃった。
みんなが祈りよったんよ。子供なりにね。親が苦しむものねえ、恐ろしかったねえ。
――記憶にあるんですねえ。
そらあるよ。
産まれる頃になったら、産婆さんが「はい、湯沸かしんさーい!」とか言うてね。
それでみんなで釜戸で湯を沸かし始めるんよ。ガスじゃないけえね。薪をくべてね。そんなんしよった。
(後編につづく。11/15公開予定です)