第17回
ソリアネーゼ
2023.08.11更新
ローマ空港に降りたち、税関を通過したとき、すでに東京を出てからおよそ22時間が経過していた。
税関の自動扉が開いたその先で待っていてくれたのはスジーとステファノ夫妻だ。
母の友人であり、日本語をとても上手に話す二人はイタリアでガイドの仕事を営んでいる。
僕は会うのは初めてだったが、話にもよく聞いていたし、日本語も通じるからなのか、なんだか初めて会ったとは思えなかった。二人の優しい笑顔にすっかり安心してしまった。
ローマから1時間かけて、彼らが暮らすヴィテルボ県ソリアーノまで車で向かう。
道中の車内ではさまざまなイタリア語が行き交っていたが僕には到底わかるはずもなかった。
なにしろ僕の知っているイタリア語といえば、
ボンジョールノ(こんにちは)。
ブオーノ(おいしい)。
チャオ(またね)。
この三つの言葉だけだった。
だがそれでも車窓から見える初めてのイタリアの景色に全く退屈することはなかった。
首都であるローマは大都会なのだろうが、空港からフィレンツェ方面へと北上していくその道からは大きな建物は何も見えなかった。
見えていたのは平原だ。広大な平原に時折、馬や羊が草を食んでいるのが見えた。ポツリポツリと建っている小さな家。オレンジの瓦に、石の壁。見慣れない住居が遥か遠い異国まで来たのだなあと実感させてくれた。
道中、植物も見慣れないものが多かった。広大な敷地に一定の間隔で綺麗に植わっているから何かの果樹園だろう。聞いてみると、それはヘーゼルナッツの木だった。
イタリアにある三大産地の一つなのだという。このヘーゼルナッツのほとんどがヌテッラというチョコスプレッドの原料になるそうだ。それはまさしく僕の好物で、今まで随分と食べて生きてきた。思わず、お世話になっていますと頭を下げた。
遠くに美しい山並みが見えていた。
あの山はなんていう名前なの? 指差して聞くと、ステファノはごく真面目な顔で、
「あれはフジサンです」
と教えてくれた。え、富士山?
「そうあれが有名なフジサンです」
へ?
こちらが間の抜けた声で聞き返すと、一瞬の沈黙を経て、ステファノの真顔はほどけてハッハッハーと大きな声で笑いだした。どうやらこの人は完全に面白おじさんのようだ。
この人は嘘つきだから気にしないでと、スジーが呆れ顔でフォローする。
イタリアではミラノに暮らす人のことをミラネーゼというそうだ。ソリアーノに暮らすスジーやステファノはソリアネーゼということになるらしい。
日本でいうところの大阪人のようなことだろうかなどと、僕が考えていると、ステファノは俺たちはソリアネーゼだと言ってニヤニヤして、僕の顔を覗き込んでくる。何かこちらの反応を待っているようだ。
え? どういうこと? 僕がわからないでいると、これは日本語だろうとステファノは言う。
ソリアネーゼ? そりあねーぜ? ああ! そりゃねえぜ!
やはりステファノは大笑いだ。めちゃくちゃ明るくて楽しいこのおじさんを僕は一発で好きになってしまった。
1時間と少しかかって、スジーとステファノの家に到着した。
標高1000メートルを越すチミーノ山の中腹にある家だ。隣の家までどれくらい離れているだろう、というかそもそも隣に家がない。家々は離れたところに点在している。所狭しと住宅がひしめく東京はもちろん、周防大島からしても信じられない家の距離感だ。
扉を開けて一番に出迎えてくれたのは犬のモモだ。一才の大きな犬でとても人懐っこい。ボーダーコリーと何かの雑種だそうで、昔実家で飼っていたダックスフンドに顔がそっくりだったからすぐに仲良くなってしまった。
子供たちも学校から帰ってきた。ルーカ(13)とサラ(12)だ。
家族四人に加えて、僕と母が混じっての食事。
スジーは料理を教えるほどの腕前だと聞いていたが、それはまさしく本当だった。
作ってくれた料理のおいしいこと!
トマトソースのペンネにはストラッチャテッラという真っ白なソースのようなチーズ、その上にバジルの爽やかな緑色のペースト。イタリアの国旗と同じ色であるその料理は記念日に食べるものなのだそうだ。
スライスしたオレンジの上にフェンネル(ウイキョウ)の根を刻み、バルサミコをかけたサラダも絶品だった。さらにパンの上にかけた香り高い自家製オリーブオイル。80本ものオリーブの木が敷地内にあるそうで、全て自分達で世話をしている。自分の家の分だけでなく、親戚や友人にもオリーブオイルをあげるほど収穫できるらしい。
すぐ近所でできたという白ワインに、食後に飲ませてもらったコーヒーのリキュール。
どれもがはっきりと記憶に残る。
日本から持ってきたお土産を渡す。
色々と持ってきたが一番喜ばれたのは、なんとどら焼きだった。母がテーブルに置くやいなや、4人から歓声が上がった。
「ドラヤ〜キ〜!」
母が日本で準備しているのを見た時には、「そんなもん持ってってどうすんねん、イタリア人てドラえもんなん?」と心の中で関西弁でツッコんでいたが、ここでは奪い合いになるほど、どら焼きは人気者だった。
マグカップの戸棚にはなんとドラミちゃんのカップまで置いてあるじゃないか。こんなことならメロンパンも持ってくるべきだった。
晩御飯の後にみんなでテレビに釘付けになる。
放映されていたのはいたのはサンレモ音楽祭という、日本でいうところの紅白歌合戦のような番組だ。五日間も開催されるという歌の祭典。
昨日の視聴率は67%だったらしい。耳を疑うような数字だ。イタリア人はよほど歌が好きなのだろう。面白いのは全国民が投票権を持っていること。誰もが10票持っていて、出演者の誰に投票してもいい。10票全てを一人のアーティストに投票してもいいそうだ。
誰に投票するの?
子供達に聞いてみると、それぞれ推しのアーティストを教えてくれた。ステファノがそれを揶揄うと、ルーカもサラも睨み返して、そのアーティストの凄さを話す。みんないたって真剣だ。
そしてアーティストの誰もがそのステージで新曲を初披露するという。
驚いたのは高齢の歌手も続々と出てきて歌っていたことだ。こういう番組は人気のある若い歌手に偏りそうなものだが、そうではなかった。若手の歌手だけでなく、年配の歌手が一位になることも珍しくないそうだ。
年齢に関わらず、共通しているのはどの歌い手もとてもエモーショナルだということだ。情感たっぷりに歌い上げるその姿に思わず目を奪われた。
中でも一番僕の目を引いたのは日本で言えば北島三郎的な存在だろう、80歳だという一人のベテラン歌手だ。途轍もない声量で歌い上げるその顔には照明が照らされ、汗がギラギラと光る。そして歌の合間でなぜか激しく腕立て伏せを始めるという珍プレー。50年以上も前からその歌手のファンである母も大笑いだ。
こういったイタリアの熱い歌こそが、10代の母の心を掴んだものだった。
その情熱的な歌に惹き込まれるようにして、イタリア語の勉強を始めたそうだ。インターネットも何もない時代、唯一の頼りは一冊の辞書だったという。歌詞を見ながら、一つ一つの言葉の意味を調べていったそうだ。
似たような話をこのスジーの家でも聞くことができた。
本棚にはたくさんの日本語の本がぎっしりと並んでいた。日本人の僕からしても読むのが難しそうな小説や哲学書まで置いてある。一番思い入れのある作品はどれなのか聞いてみると、一冊の本を手渡してくれた。
「伊勢物語」
学生時代に勉強していたというその本は、幾度となくページが開かれてきたのだろう、色褪せ、擦り切れていた。ページを開くと、中には無数の書き込みがある。
日本人であるにも関わらず、この古典作品を読んだことがない僕は少し恥じらいを感じながらも、どんなところに魅力を感じるのか尋ねてみた。
「美しいと思いました。好きな人に恋の詩を送るということや、季節を大事にすること。それから色や香りまでを大切にする。まるで知らない世界でした。その世界がとても美しいと思いました」
どこか遠くの景色を思い出すように、スジーはゆっくりとそう話してくれた。
翌朝、目を覚ますと雨戸の隙間からオレンジ色の朝日が差し込んでいた。どうやら天気はとても良さそうだ。
外へ出てみると、山の中腹にいるだけあって、とても眺めがいい。空気は肌を刺すように冷たかったが、とてもいい気分だ。朝日に照らされる向かいの山の木々が光っている。聞いたことのない鳥の声に耳を澄ます。エンジン音も何も聞こえない静かな世界。二日酔い気味の自分が吐き出す白い息さえも自然の一部になったようで、少しだけ美しいものに思える。
モモが元気よく足元まで走ってきた。遊んでくれと言いたげなその顔には幼さがあってとても可愛い。一緒に庭を歩いていると、モモは屋根の上に向かって吠え始めた。
屋根には猫が尻尾を垂らして座っている。モモは飛び上がって吠えるが、決してそこには届かない。モモをからかっているのか、眠たそうな猫は尻尾をぶらつかせている。
その猫の態度が拍車をかけて、より一層興奮するモモ。庭をすごい速さで駆け出し、僕の体にも飛びかかってくる。
大きな犬を飼うのが長年の夢である僕も、嬉しくなって一緒にモモと駆け出した。
次の瞬間、事態は一変した。足の下に嫌な感触が走った。糞である。庭の真ん中に糞である。やはりこれも間違いなく自然の一部ではあるのだが、どこも美しくはなかった。ただ臭かった。
なになに? どうしたの? 早く一緒に遊ぼうよ。
そんな嬉しそうな顔で近寄ってくるモモ。屋根の上の猫は大きな欠伸をしている。
そりゃねえぜ。