一晩でなんとかなりすぎる

第17回

犬を克服する ~深夜のピザ編~

2025.08.22更新

 自宅はごく普通の安アパートだが、これがなぜか高級住宅街の中に建っている。
 周囲の住宅は、思わず見とれてしまうほどにゴージャスな建物ばかりである。きりりと白いウエディングケーキのような洋館や、美しく剪定された松林が見事な日本家屋、なにかの実験施設さながらにドドーンとそびえ立つ、コンクリート造りの豪邸などなど。通りすがりにぽかんと口をあけながら見物し、「こんなに立派な建築物を、無料で見せてもらえるなんてラッキーだな」とありがたがるみじめな日常を送っている。
 道行くお金持ちは、みな犬を連れ歩いている。この町には、ガリガリすぎる犬か、フワフワすぎる犬のどちらかしかいない。
 変な町である。
 市街地の喧騒からは離れており、暗くなると、飲食店はどこも閉店してしまう。遅い時間まで営業している店は、すき家と松屋の二つしかない。牛丼屋か、別の牛丼屋の二択。(いったいどういうわけなのか?)
 ある日、真夜中にどうしてもお腹がすいてしまったときのこと。「真剣に探せば、牛丼以外の飲食店も一つくらい見つかるのではないか」と思い立ち、Googleで調べたら、二十四時間営業の食品店が一店だけヒットした。
 その店には、ありとあらゆるごちそうが取り揃えられているらしい。ピザにステーキにハンバーガー、贅沢国産牛三種アソート、プラチナもち麦ピラフ三種アソートなんていうものもある。デザートも種類豊富で、アイスクリーム、ケーキ各種の写真がたくさん出てきた。
 素晴らしい。どれもこれもあまりにおいしそう。ぜひ行ってみたいと思った。しかし、そのためにはかなりの勇気が要る。
 販売されている食事はすべて、ドッグフードなのである。
 ここは、犬のための町なのだ。
 この町に住んでいる犬たちのことを、心底羨ましいと思った。デラックスなお金持ちの豪邸で暮らしている、ガリガリすぎ、もしくはフワフワすぎる犬たち。いったいどれほどラグジュアリーな生活を送っているのだろう。犬用のピザやアイスクリームは、もちろん犬用の食堂で召し上がるのだろうか。ともすれば、犬用の脱衣所に犬用の風呂場とか、犬用の書斎、犬用のカラオケ室とかもあるのかな。
 真夜中にお腹がすいても大丈夫。二十四時間営業の店で、(牛丼以外にも)素敵なごちそうがなんでも手に入る。
 おいしそうなメニューの写真は脳裏に張り付いて離れず、とうとう誘惑に負けて、その店に足を踏み入れることにした。
 しかし、犬のための店に、犬を伴わずに入っていいのだろうか? まあテイクアウト専門の無人販売所だから、「家で犬が待っています」という飼い主らしい顔で堂々と振る舞えば問題ないだろう。
 ところで「飼い主らしい顔」、とは?
 実のところ、私は人生で一度もペットを飼ったことがなく、動物全般が大の苦手である。
 これは長年抱えてきた大きなコンプレックスであった。なにしろ、あの可愛い動物圧倒的代表格の「犬」を可愛がることができないのだ。
 より正確に言えば、可愛いとは思う。触れてみたいとも思うし、仲良くなりたいとも心底思うが、なにしろ怖くてたまらない。犬と共通の言語を持っていないので、コミュニケーションがとりづらいし、残念なことに自分が犬だった過去もない。だから、犬たちが何を考えているのかがまったくわからず、接し方が未知。
 犬を愛せない、ということは、重大な精神的欠落に思われる。みんなと同じように彼らを愛してみたいのに、触れることさえできず、おびえて物陰から観察することしかできない。自分は頭の狂ったモンスターなのかもしれない。悲しいことである。
 そんな不届き者が、よもや犬を伴わずにドッグフード店に入るということは、ものすごくいけないことのような気がした。じっくり考えて、たぶんなんの決まりにも抵触していないはずだ、という結論に至ったものの、そこはかとなく非倫理的行為に手を染めているような負い目はどうしても拭い去ることができない。
 それでも、ともかくあのピザが食べたい。ほとばしる食欲が、すべての迷いを克己する。
 なんということはない、ただの買い物なのだから、と自分に言い聞かせ、かの店に入店した。慣れない空間が醸し出す排他的な圧に負けぬよう心を強く持って、店内を探索する。
 四方の壁は可愛らしい手書きの掲示物が溢れていて、お惣菜の人気ランキングや、新発売された商品のおすすめ情報を得られる。
 ふむふむと見ていて、一番印象に残ったのは「こちらのシリーズは、愛犬も飼い主さんも召し上がれる商品です!」という文句であった。
 なんだ、人間が食べてもいいのか。途端に安堵した。まあ自分の場合は、愛犬抜きではあるけれど、そんなことは些末な問題だろう。
 セルフレジで、ピザを一つ購入して退店。価格は千円ほどだった。
 帰宅して、さっそく実食。
 ピザは手のひらサイズの小箱に入っており、これがおなじみピザーラの箱とそっくり同じデザインなので、まるでおままごとの世界に迷い込んだかのようで、大変愛らしい。
 箱を開け、指示通りに解凍。
 もしもこれがおいしかったら。想像してみると嬉しかった。これからは、二十四時間、いつでもピザを買いに行ける。とても小さいから、ダイエットにもいいだろう。そうだ、人間用の食事がなければ、ドッグフードを食べればいいじゃない。これはほとんど天才的なひらめきに思われた。
 電子レンジから取り出したピザの見た目は、あまりにもピザすぎて感動した。
 大判のせんべいくらいの小ぶりなサイズではあるが、しっかりと具だくさんである。ピーマンと肉のいい匂いがして、ものすごくおいしそう。口の中で唾液が湧く。食欲がそそられて、たまらない。
 そして、いざかぶりついてみたその瞬間。時が止まった。
 大げさに聞こえるかもしれないが、本当に脳みそが宇宙に迷い込んだみたいだった。宇宙というか、無重力空間。体験したことのない異世界。
 味が、ないのだ。
 ピザの生地は厚みがあって、しっとりふわふわとしている。蒸しパンに近い食感だった。だから、体積というか、食べ物としての存在感はたしかにあるのに、いっさい味がしない。生まれてはじめての体験に目を剥いた。
 好奇心で食べ進める。チャーシューのような厚切りの肉は、なんとなくおいしい、ような気がした。もちろんこれも味付けはされていないのだが、脂本来の甘みのようなものがほんのり感じられる。うっすらのっているケチャップなのか、トマトペーストなのか、ともかくこれは一応酸味を感じるけれど、ごく少量なので、見た目から想起するようなパンチはゼロだった。チーズもちゃんと伸びるのだが、やっぱり味がない。ただ、おいしさというより、香ばしさのようなものだけが伝わってくる。
 さしずめ「食事の喜びがすべて奪われたあとのピザ」といったところだった。もちろん、あくまで人間にとってはの話だが。
 結局、半分も食べないうちに耐えかねて、全体に塩こしょうを振った。途端にぐんと食べやすくはなったが、それも表面的な塩味でしかなく、やはり味の奥行きというものはいっさいない。無味のパンがとても強く、湿ったスポンジのようなその生地が、波のように味をさらって、またしても口内を無の世界にしてしまう。
 だんだん咀嚼し続けるのが辛くなり、味のないものを食べるというのは、こんなにも辛いものなのか......と実感した。小さなピザだったが、なんとか一枚食べきったという感じだった。
 これが犬の世界か......。口直しに人間用のラーメンを茹でながら(ダイエットの決意はいつも儚い)、しみじみと考えた。
 人間とは全然違う。それこそ、宇宙くらいかけ離れた存在なのかもしれない。
 それでも、犬を愛し、犬と同じ世界を楽しむために、あのピザは作られたのである。見た目はそっくり人間が食べるものと同じ、たまらなくおいしそうなピザ。
 人間と犬が寄り添って、同じ食事をとるときに、それぞれがどんな気持ちになるのか想像する。きっとそこには、かけがえのない親密さと、喜びと、切ないくらいの愛おしさ、互いを慈しむ気持ちがある。
 いつか自分も、そのくらい、動物を愛してみたいと思う。自分が知らない感情としても、これから会得することができたら、素晴らしいだろうなという予感がする。
 やがてきっと犬と親しむために、一つずつトライしていこう......!という決意のもと、先日、サモエドカフェを訪ねた。その話はまた別の機会に。

佐藤ゆき乃

佐藤ゆき乃
(さとう・ゆきの)

1998年岩手県生まれ。立命館大学文学部卒業。第3回京都文学賞一般部門最優秀賞を受賞し、2023年にデビュー作となる小説『ビボう六』(ちいさいミシマ社)を上梓。小説「ながれる」で岩手・宮城・福島MIRAI文学賞2022を受賞。

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