一晩でなんとかなりすぎる

第9回

お湯を見る

2024.12.25更新

 気付けば年の瀬が迫ってきている。時の流れは早すぎる。
 一年の中でも、この年末年始の時期が一番楽しい。なにしろやることがたくさんある。クリスマスを楽しみ、大掃除にいそしみ、年越しをして、初詣をし、田舎の祖母に会いに行き、(26歳にもなって)お年玉をもらって大はしゃぎし、調子に乗って福袋を購入、つかの間のセレブ気分にうっとりと耽る、などなど。
 また、食べるものもたくさんある。結局はこれが最たる悦びなわけだが、クリスマスのオードブル、ケーキに始まり、大晦日は寿司、年越しそば、年が明けたらおせち、お雑煮など、ありとあらゆるごちそうが連日待ち構えている。我が家は24歳の弟をのぞいて全員が太っており、食事へのモチベーションがやたらと高い一家なので、ハレの日の食卓とくれば、それはもう大充実するのが恒例である。
 それなのに、歯が痛くなってしまった。
 私は異様に歯が強く、これまで虫歯になったことがない。ところがある日の仕事終わりに、フライドチキンをむさぼっていたら、右下の糸切り歯あたりがずきんと強く痛むのである。
 あまりのショックで、途端に目の前が真っ暗になった。大切な酒池肉林のシーズンを目前に控え、このようなコンディション不良に陥ることになろうとは。ありえない。歯痛のまま年末年始を迎えるなんて絶対に嫌だ。そんな悲劇は、なにがなんでも回避しなくてはならない。
 という次第で、しぶしぶ歯医者へ行った。基本的に病院という機関、および医者という存在をおそれているので、よっぽどのことがないかぎり受診しないのだが、今回はどうしても仕方がない。
 記入した問診票を見た歯科衛生士は「歯医者に来るのは3年以上ぶり...ですか。だいぶあきましたね(笑)」と鼻で笑っていた。本当は5年以上ぶりだったが、だらしない奴だと思われたくないので黙っていた。
 虫歯になっていたらどうしよう、ごちそうの山を楽しめなければ、生まれてきた意味を見失い、私は......と、悲しい妄想が膨らんで止まらず、ほとんど絶望しかけていたのだが、結論、まったく虫歯ではないらしかった(かわりに「歯が捻挫していますね」というわけのわからないことを告げられ、子供だましのようなマッサージ法を伝授されるにとどまった)。
 そして、「今回の症状とは関係ないのですが」という前置きの上で、医者はこう言ったのだった。「右上の親知らずあたり、そろそろ危ないですね。なるべく早く抜いた方がいいですよ」と。
 そこで、ようやく思い出したのである。そういえば約一年前、2024年の正月に、私が掲げた今年の目標は「親知らずを抜く」というものであったということを。
 無類の行事ごと好きとして、年始の目標設定は絶対に欠かさない。
 しかし、三が日のめでたい気分に浮かれてしまってか、毎年ついつい欲張って「10㎏痩せる」とか「100万円貯める」とか、「一日一善を実行して毎日2000字以上の日記に書き留める」とか「禁酒して、焼酎を飲みたくなったらすかさず白湯を飲む」とか、絶対にできもしないような壮大な目標を立てては、結局、一ミリたりとも達成できずに終わってしまう。これでは意味がない。
 そこで、2024年こそは、無茶な野望を抱くのを辞めたのである。
 もともと今年は、年初の『ビボう六』出版イベントに始まり、春から新しい仕事に就いて、それに伴い上京、エッセイの連載も始まるなどなどで、波乱に満ちた慌ただしい年になることが目に見えていた。だからこそ、身の丈に合わない無理をして、あっけなく挫けるのが怖かった。それであえて「親知らずを抜く」という、その気になりさえすれば、確実にクリアできるであろう目標を決めたのであった。
 ところが結局、それも達成しないどころか、すっかり忘れていた始末。とにかく忙しかったのだ。慣れない歯医者の仰々しい診察椅子の上で、しみじみと今年を振り返る。

 もちろんいろいろなことがあったが、全体的に思い返せば、やたらと風呂に入っていた一年だった気がする。
 東京へ引っ越してきて、せわしなく大変な日常の中、見つけた一番の癒しは、大浴場へ行くこと。都会には多種多様な温浴施設があるのが嬉しく、休みのたびにいろいろな風呂をめぐった。あがったら冷たい酒を飲む。おおむねジジイのような趣味に癒されつつ、なんとか生き延びた2024年であった。
 先週末も、八王子のスーパー銭湯へ出かけて、今年の大浴場納めをしてきた。
 自分なりのコツのようなものだが、湯に浸かっているあいだ、ひたすら数を数えることにしている。
 とろとろと揺れ動いてやまない流体の中に身を置いていると、途端に心もとなさに貫かれ、とにかく不安になってしまうのだ。思考はお湯に溶け、えんえん広がっていくようで、そのはてしなさが空恐ろしく、なにを考えていいのかわからずに、迷子のように心細くなる。
 だから、まずはひたすら数をカウントする。そうして脳内に一つの軸を築けば、おのずと頭が働いて、ようやくものごとを考えやすくなる。
 1、2、3、4、5......、だいたい160くらいまで、脈絡のないさまざまな記憶、イメージ、思い付きを適当に数珠つなぎにしながら。
 たっぷり数えて満足したころ、とりとめなく連なり流れた考えごとの行きついた先は、なぜか多摩川。毎朝、通勤電車から見ている、雄大な川の風景であった。
 列車が多摩川の上を渡るとき、その水流を、なるべく真剣にじっと眺めることにしている。
 春、今の職場で働き始めたばかりのころ、勝手に作った謎のおまじないだが、多摩川を見てから出勤すれば、その日はきっと、いい一日になる。そういうことにしている。
 来る日も来る日も、川を見ていた。試練だらけの日々に揉まれつつも、とりあえず朝はかならず、「いい日になりますように」と、信じることから始めるようにした。
 水を見ることは、心を見ることに似ている。
 いい日になりますように。いいことが起こりますように、そのために、いい人でいられますように。
 川の様子は毎日違う。晴れの日は、水面に光の網が浮かぶようにきらきらと輝くが、雨の日はどんよりと暗く濁って、どうどうと怒気をはらんだように流れる。そのときどきの環境に応じて、自分の気持ちもさまざまだけれど、どんな日も、できるだけいいことがあるように。
 車窓から見える多摩川の水が、少しでも穏やかに、温かくなることを祈っていた。ひいては自分自身の心も。お湯になる川をイメージしながら、優しくなりたいな、と毎朝願う。
 電車はあっという間に走り抜けるので、川を見られる時間はほんの数秒。その制約の中で自分の心を見る。この短さがいい。
 はてなく膨らむ小宇宙には、あえて制限を設けることで、はじめて見えてくる本質がある。風呂で数を数えるのも、年始に小さな目標を定めるのも同じことかもしれない。
 あの多摩川は、いつかお湯になるのだろうか。2024年、日常に振り落とされないことだけで精一杯で、作品づくりの時間が足りず、とても歯がゆい一年だったが、毎朝の、川を見ていたあの時間は、たしかに小説を書くことに似ていた。実際には何も形にできなくても、「作る」ということは、日々、実はきちんと続いていたのではないかと考える。ゆっくり書く隙がないほど大わらわでも、その生活の中にいてこそ、生まれるものがきっとある。
 来年の目標はどうしよう。いっそとびきり大きいものにして、無理してみるのもいいかもしれない。どっちみち、叶っても叶わなくても別に大丈夫な気がする。ついぞ親知らずを抜かずに今年が終わってしまったが、それでも2024年は、うまくできないなりに頑張ったとてもいい年だったので。

佐藤ゆき乃

佐藤ゆき乃
(さとう・ゆきの)

1998年岩手県生まれ。立命館大学文学部卒業。第3回京都文学賞一般部門最優秀賞を受賞し、2023年にデビュー作となる小説『ビボう六』(ちいさいミシマ社)を上梓。小説「ながれる」で岩手・宮城・福島MIRAI文学賞2022を受賞。

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