一晩でなんとかなりすぎる

第21回

一晩でなんとかしていいのか?

2025.12.24更新

 眉毛を失った。
 友人と通話中に片手間でシートワックスを使い、眉毛の形を整えていたのだが、夢中になってなんらかに対する悪口を言っており、そちらに興が乗るあまり、うっかり手元が狂ってしまった。
 鏡に映る自分を見て愕然とした。左の眉頭付近が、どう見ても不自然な形でべっこりとへこんでいる。
 どうしよう。ありえないくらい人相が悪い。ただでさえ印象の薄い顔立ちなのに、そこへ突然、剃り込み(というか切れ込み)眉毛という邪悪なエッセンスが投下され、ふてぶてしいことこの上ない。EXILEのメンバーがやっていたらきっと似合ったのかもしれないが、あいにく私はEXILEではない。虚弱で矮小な非正規雇用の労働者である。
 すがるような気持ちでChatGPTに相談したが、「眉毛が元通り復活するのは、だいたい3か月後だね!」という残酷な事実を突きつけられただけだった。最悪である。3か月もこの珍奇な眉毛で生きていかねばならないという事実に絶望し、膝から崩れ落ちる思いだった。
 嗚呼、一晩で眉毛が生えてくれたらどんなにいいか。しかし、それはあまりに都合のよすぎるフィクション。
 誰に嘆いても皆「眉毛なんか描けばいいじゃん」と口を揃えてアドバイスしてくれたのだが、そういうわけにもいかないのである。理由は一つ。私が怠惰だからだ。
 眉毛を綺麗に描くためだけに、この寒い時節、起きる時間を5分も早めるなんて、やってられるか。それならこの変な眉毛を晒したまま生きていくことを選ぶ。決して納得はしていないが、しかしこうする以外にどうしようもない。
 ふと鏡を見るたびに「悪口を言いながら・誤って眉毛を失い・リカバリーもせず生きている人物」こと自分の醜貌と向き合う羽目になる。嫌な年の瀬。こうして今年も終わってゆくのだ。
 2025年も慌ただしかった。嫌なことももちろん起きたが、楽しいこともたくさんあった。
 しかし結局、なにをしていても「こんなことしている場合じゃないのにな」という罪悪感に苛まれ、ずっとうっすらなにかの罰を受け続けているようで、とにかく息苦しい一年でもあった。どこにいても、何をしていても「今この瞬間、小説を書いていない自分」を、どうしても許すことができない。
 かといって、「いつ何時も、小説のことばかり考える自分」にも、もう戻れなくなってしまった。
 自我の行き場がない。
 半年前、27歳になった。そのタイミングがなにかのスイッチとして作用したのどうかは定かでないが、日々確実に、「生活者としての自分」が肥大していく。
「書いてさえいれば」なんとかなった日々は終わった。大好きな小説だけにひた溺れて、創作によって自己肯定ができればそれでよかった時代は、残念ながら過ぎてしまったのだ。
 虚構の物語世界では、残念ながら現実に使える通貨は一銭も生まれず、空腹を満たす米の一粒も実らない。そこで生活することは、あたりまえだけれど不可能。頑強で揺るぎない真実を、けれどもいまは、受け入れている。
 日々働き、稼ぎ、食糧を買い、適当に食べて、眠る。現実とは、人生とはこれなのだとわかってしまった。この地味な生活の積み重ねこそが真実で、大切で、自己肯定の元となるのだ、そうやって生きた先にこそ、たしかな未来がありうるのだと、もう大人だから、すとんと腹の底に落ちるように、深く理解してしまった。
 では、不得手なりに現実社会でもなんとか生きられるようになってしまった20代後半の現在、それでもなお「小説を書く」ことに、はたして意味はあるのだろうか。
 もうわからない。正直ほぼ見失いつつあるのだが、それでも「書いていない自分を許せない」というただそれだけを理由に、しがみつくように続けている。
 毎朝5時に起きて、出勤前の2時間だけ机に向かう。しかし、たった2時間では、なにもできないことがほとんどである。考えて考えて、ようやく思考が巡りはじめて「あ、書けそうだな」と思ったところで時間切れ。いよいよエンジンがかかったところで中断、それを繰り返す虚しさ。やがてフルタイム労働を挟んだあとではもちろん、なにも残っておらず、細切れに行う朝活の成果はどうしても出にくい。
 けれどいまはもう、かつてのように、夜を徹して書くなどということも難しい。朝が来れば、出勤しなければならないからだ。一晩あればなんとかなるかもしれないが、その一晩が捻出できない。自分でも気づかぬうち、いつの間にか大人になっていた。
 切ないような、やるせないような気がする。
 社会人としてのささやかな自我を放り出してしまいさえすれば、またあのころの、時間を気にせず、生活をないがしろにして小説に耽溺した自分に、再び戻ることができるのだろうか。
 私は生活の連続につい甘えているのかもしれない。小説を書くための気合いが、覚悟が、目減りしてしまったのかもしれない、だったら初心に立ち返り、当時の苛烈な情熱を再興させるべく、極端な選択もいとわぬ自分を、呼び戻すべきなのかもしれない。
 これが、いったいどういうわけか、どうしてもできる気がしないのだ。
 気づいたときにはショックだった。けれど、もうかつての「小説のためなら、すべてを犠牲にできる」苛烈なマインドは、自分の中にもうないのだった。
 これはこれで、成長したのだと思いたい。
 生活が大事だ。社会との繋がりも、簡単に手放すことはできない。朝の2時間でなにかを生み出すことは難しい、それでも、2時間の積み重ねの先に、小説を書かなければならない。いまの自分は、それを成し遂げるべきだと思う。
 一晩でなんとかすることが、正解だとはもう思えない。百回の朝を根気強く繰り返し、その先になにかを作ってみたい。
「書く」ことはいまや、特別なイベントでも、たまの奇跡でもない、生活の一部として再受容するべきだろう。日常の中にうまく取り込み、実生活とすぐ隣り合わせに位置付けて、フラットに、なるべく簡単に、ナチュラルに行き来せねばならないフェーズに来たのかもしれない。
 いずれにしろ、眉毛も一晩では生えてこないのだ。
 幸い、眉頭の欠けたふてぶてしい顔面でもそのまま生きられる厚かましさは持っている。生え揃うまでどれほど時間がかかるかはまだ未知だけれど、きっといつかは完成するだろう。昨日と今日、今日と明日、なにも変化がないように見えて、実はほんの0.数ミリずつでも、成長は進んでいるはずなのだ。同じように、2時間の作業の積み重ねで、小説もやがて書き上がるはずだと信じる。
 それまでのあいだ、人相が悪くなったって仕方ない。慢性化した焦燥と罪悪感はもうどうしようもないけれど、2026年も、それなりに図太くやっていきたい。一晩でなんとかならずとも、生活は続いていくと知ったから。

佐藤ゆき乃

佐藤ゆき乃
(さとう・ゆきの)

1998年岩手県生まれ。立命館大学文学部卒業。第3回京都文学賞一般部門最優秀賞を受賞し、2023年にデビュー作となる小説『ビボう六』(ちいさいミシマ社)を上梓。小説「ながれる」で岩手・宮城・福島MIRAI文学賞2022を受賞。

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