犬のうんちとわかりあう

第5回

楽しみぞろぞろ

2023.11.21更新

 映画やライブや演劇を見るときに、やや心が重くなります。別に好きなものを見るだけなのだから、恐れることは何もないのですが、催しが始まる直前に、会場にいる人たちみんなが「楽しみだなあ」となっている全体的な気配が、なんだかとても怖いんです。

 その気配を最高潮に感じるのは、催しがさあはじまるぞという、会場内の明かりがすべて消えて静まり返る瞬間で、その場にいる大勢の人たちが、これから起こることを待ち侘びている雰囲気に、どうしてもむずむずしてしまいます。それぞれが発する「楽しみだなあ」が集まってくっつき会場内に満ちてきて、空気が徐々にのしかかってくる感じです。違う場所、違う日に生まれて、それぞれの環境で育ってきた人たちなのに、今この瞬間は、同じ場所で、たぶんみんな「楽しみだなあ」と思っている、という状況にどうしても居心地が悪くなってしまい、その場から逃げ出したくなります。私も一緒に「楽しみだなあ」と思おうとしても、この状況に強制された「楽しみだなあ」かもしれないし、と躊躇してしまい、何を思えば良いかわからなくなって、前の人のうなじを見つめて無心になったり、自分をつねって「痛いなあ」と思考をそらしたりしています。

 そんな感覚に陥るのは始めのほうだけで、実際のところは特に逃げ出したりせず最後まで催しを堪能するので、はた目には何も起こっていなくて、だから、何も起こらないことはわかっているのだ、という気持ちでのぞんでも、ちっとも慣れることができません。この感覚に対して客観的になれば大丈夫か、と思って一度エッセイにかいてみたりもしたのですが、克服はできませんでした。どうにかしようと必死になって、amazonで検索したら出てきた「リラックスの素」というとてもわかりやすい名前のサプリを飲んでみたりもしたのですが、名前ほどの効果は感じられませんでした。
 
 そもそも、あの一瞬の暗闇の中でみんながみんな「楽しみだなあ」と思っている状況、というのもざっくりとしたわたしの幻想で、もっと全然、違うことを思っている人もいるかもしれないのです。暗闇に対する見方を変えようと、機会があれば映画なりライブなり演劇なりが始まる直前のあの瞬間、いったい何を考えているか、というのを周囲の人にそれとなく聞いてみるようになりました。たいていの答えは、「楽しみだなあ」なのですが、実際に聞いてみると「楽しみ」以外の感情を持っている人も結構いるようで、やはり、実態調査は大事だと感じました。美容師の人に髪を切ってもらっているときに質問したら、最初は、「えー、楽しみだなあ、ですかね」でしたが、「他には?」と食い下がってみたところ「あー、これ終わったら何食べよっかなー、とかっすね」という回答で、私は、あの暗闇の中で夕飯のことを考えている人がいたんだ、とかなり目からうろこが落ちました。みんなお揃いの「楽しみだなあ」に押しつぶされて、この世の終わりみたいに思っていましたが、夕飯のこと、考えてる人いたんだ、と思いました。別に「楽しみだなあ」じゃなくたって、いいんだ。いつだって、何を思うかは、自由なんだ......

 私の心の扉を、美容師の人が開け放してくれたおかげで、後日意気揚々とライブに出かけることができたのですが、始まる直前、ふたたび暗闇へ放り込まれると、「楽しみだなあ」の群れは容赦なくぞろぞろと襲ってきて、開いたはずの扉はいとも簡単に閉じられてしまい、やっぱりちょっと、だめでした。

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三好 愛

三好 愛
(みよし・あい)

1986年東京都生まれ。 イラストレーター。ことばから着想を得る不思議な世界観のイラストが人気を集め、装画や挿画を数多く担当するほか、クリープハイプや関取花のツアーグッズなども手がける。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)、『怪談未満』(柏書房)がある。ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台』8号、9号、10号に「絵と言葉」を寄稿。

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