犬のうんちとわかりあう

第15回

ありがとうどん

2024.09.16更新

 その日は、夫の体調が微妙に悪くて、お昼はあっさりしたものでも食べようと、家の隣の隣のうどん屋さんへ行きました。強面だけれど人の良さそうな店主が1人でやっているお店で、机は直径3メートルくらいの大きな丸テーブルのみ、ちょうど時計の数字のように席がテーブルを囲んでいます。他にお客さんはおらず、私たちは3時と4時の位置にそれぞれ座りました。店主は、12時の位置でトッピングを刻んでいました。

 レモンとパクチーのうどんを注文した夫が、運ばれてきたうどんを一口すすったとたん、「うっ。」とうめきました。私と店主は同時にびっくりして、夫を見ました。「からかったっすか。」と、店主が低い声で尋ねます。確かにそのうどんには、パクチーと一緒に透き通ったオレンジ色のラー油がたゆたゆと浮かんでいました。夫は、即座に「いや。」と否定し、大丈夫です、ともごもご答えたあと、すぐ次の一口へとうつってしまい、いまいち真意がわかりません。店主も12時の位置に引き下がりましたが、こころなしかすっきりしない顔つきです。「大丈夫?」また体調が悪くなったのかなと思い、小声で聞いてみると、夫は「ちがうんだ、今の体調にひどくぴったりなおいしさで。」と、今度は妙に大きな声で、はっきりと答えました。私は、うめいたのはおいしすぎたからだったのか、ということに納得して、良かったね、と返しました。だけど、なんでそんな大きな声で言うの、と聞こうとしたとき、ハッとしました。

 夫は、レモンとパクチーのうどんがきちんとおいしかったことを、私に伝えたいのではないのでした。12時の位置にいる、強面の店主に伝えたいのでした。夫は、私に話しかけるふりをしながら、自分の言葉を私に反射させ、店主へ懸命に届けていました。今しがた、恥じらいからか、反射神経の鈍さからかわからないけれど、おいしいからうめいてしまった、という事実を店主に伝えられなかった夫は、私を反射板にしていました。私も、そんな夫の気持ちを汲み取り、3時から12時の角度に的確に言葉を跳ね返せるよう、役目を真っ当しなければなりませんでした。おいしくてよかったねえ!とずいぶん大きな声で答え、店主の姿を目の端っこでそっと見ました。店主は、引き続きうつむきながらパクチーを黙々と刻んでいました。

 お金を払って、お店のドアを開ける直前に、夫がもう一回「は〜染み入ったうどんだった。」と念押しでひとりごとを言っていて、私も「よかったねえ。」と念押しであいづちをうちました。もう一度確認すると、今度は店主は床にかがんでなにかしていて、相変わらず顔つきはわからず、(あのお客さんはからくてうめいたわけじゃなかったんだ、よかったなあ。)と思っていればいいなと思ったけれど、ひょっとしたら(からくてうめいたわけじゃないことを、伝えようと必死だなあ。)とすべてを見抜いている可能性も、あるいは、うめいたことなど全然気にしていなくって(よくわからないけれど、やたらおいしがっているなあ。)と思っている可能性だってありました。

 私に反射した夫の言葉は、どんな角度で店主に入ったかわからず、そもそも入ったかどうかすら、わかりませんでした。「うっ。」なんて、うめかなければ二人で小芝居をうつこともなかったわけで、「おいしかった」ひとつ伝えるだけでどうしてこんなに複雑なことになってしまうんだろう、というむなしさが少し頭をもたげましたが、伝わったか伝わらなかったかのあいだで揺れる私たちを、夫があのとき確かに感じたうどんのおいしさが、しっかりと支えてくれました。

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三好 愛

三好 愛
(みよし・あい)

1986年東京都生まれ。 イラストレーター。ことばから着想を得る不思議な世界観のイラストが人気を集め、装画や挿画を数多く担当するほか、クリープハイプや関取花のツアーグッズなども手がける。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)、『怪談未満』(柏書房)がある。ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台』8号、9号、10号に「絵と言葉」を寄稿。

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