第24回
そのとき道にはいったいなにが落ちていたでしょうか?
2025.06.17更新
道を歩いている人が、なにかを地面に落として、落ちたものをちらりと見て、また前を向いて歩いていきました。その人の五十秒くらいうしろを歩いていた私は、あの人はいまなにかを落としたな、と思いました。なにかを落としたあと、落としたものを確認して、それを良しとしてそのまま歩いて行ったから、落としたというより捨てた、と言っても差し支えないかもしれない、と考えました。
落とした人は私より速い速度で歩いていたので、距離は開いてゆくばかりでしたが、落ちているものは地面に落ちたままなので、どんどん私に近づいてきました。
いったいなにを捨てたんだろう、と前方に目を凝らしてみると、透明でたよりないものが光っていて、お菓子を包んであるビニールのやつみたいな感じがしました。歩きながらお菓子を食べたくなって、お菓子の包装をやぶったらビニールが風でふわっと落ちてしまったのかもしれない、と思いました。この春みたいな陽気の、両脇に緑がたくさん茂っている散歩道では、歩きながらお菓子を食べたくなるのもわかる気がします。私から遠ざかる後ろ姿も、ビニールくらい捨ててしまいそうな気配のする背中でした。
そんなことを思いながら透明ななにかと距離がつまってくると、やっぱり、ビニールなんかじゃなさそうでした。思ったより分厚いんです。透明なことには変わりないのですが、きらりとして、なんだかずいぶん存在感があるのでした。メガネのレンズかもしれない、と私は考えました。珍しいことでしたが、メガネのレンズを落として、落としたことには気づきながらも、あの人は行ってしまったんだ、と思いました。もうとっくに壊れて、いらないメガネだったのかもしれません。お菓子のゴミを気安く捨てるような軽率だった背中が、メガネのレンズを落としたことにも動じない、豪胆な背中に見えてきました。その人自体について知っていることが少ないと、そばに落ちているものなんかのせいで、その人の印象がすぐに変化してしまうことに、他者を捉える難しさを感じました。こんな難しさは散歩道の途中だけでなく、生活の中でもよくあることで、まわりにあるものや状況に惑わされないで、その人の本当のところを知るにはどうしたらいいんだろう、と思ったりしているうちに、私は落ちているもののそばまでたどり着きました。
氷でした。氷が、春の日差しを透かしながら、まわりの緑を反射して、きれいでした。溶けたぶんの水が地面に染みて、黒く広がっている面積に、あの人が氷を落としてから私がこの氷にたどり着くまでの時間の経過を思いました。氷が落ちたということなら、ちらっと見て、拾わないのも納得でした。散歩をしながらアイスコーヒーかなにかを飲もうとして、たぶん蓋をはずしたはずみに氷が落ちただけなんだ、と知りました。そこには、私が勝手に想像したような軽率さも豪胆さもありませんでした。足の早い背中は、今ではもう見えなくなっていて、あの人がどういう人なのかはやっぱりわかりませんでした。ただ、あの人も、落ちた氷をちらりと見たとき、きれいだな、と思ったかな、思っていたらなんか良いな、と、過ぎたできごとにひそかな期待を寄せながら、私は、私の速度で散歩道をゆっくりと歩きました。