第26回
コメダでムフン
2025.08.13更新
近所に、とても巨大なコメダ珈琲があります。いったい何の居抜きなのか城の要塞みたいな力強い建物で、中に入ると無事逃げおおせたような気持ちになれるので、たまに行きます。この日も仕事の挿絵の構図が全然思いつかず、コメダにいったらどうにかなるかもしれないし、と思ってやってきたのでした。あまりの暑さにたどり着くだけで疲弊して、冷たいミルクコーヒーと卵サンドを頼みました。
依頼されたのは、ぎゅっとした短いエッセイに添える挿絵です。具体的になにを描く、というよりは、初めて読んだときの味のようなものをそのまま絵にするほうがおもしろそうな仕事でした。ただ、もらった原稿の文章がうますぎて思わず何回も読んでしまい、初読の新鮮さをバネとして、アイデアをムンッと出すときの感覚をあっさり失ってしまいました。もう一回、このエッセイとの関係をコメダ珈琲でやり直したい、と思ったのです。
原稿の中にはすでに世界ができていますが、読むときは、そこに自分の身をまるごといれるのではなく、半身をこちら側に浸しながら、半身をうんとのばして向こうにつっこむ、ダックスフントのような姿勢を持つようにしています。そういうふうにするほうが、文章の読み手でも書き手でもない挿絵の立ち位置としてバランスがとれ、原稿の世界は固定されているけど、私がいる場所は変更がきくので、家かコメダかの平穏な選択でも私側の空気は変わり、文章と向かい合うときの気持ちも刷新されるような気がします。
けれども、卵サンドをへて改めて向き合ったエッセイとは、やはり、理想のムンッというわけにはいきませんでした。一度関係をもってしまった以上、あの、初めてのときのような新鮮さは取り戻せず、挿絵のアイデア出しは難航しました。家を逃げ出してコメダに来ても、数分前の自分をさっさか脱皮することはできませんでした。薄目で原稿を眺めることで、初めて向き合うふりをしながら、でも、どこにどんなかたちの挿絵をおいたら文章と読み手との距離感がはかれるかわからず、弱りました。考える時間がたつほどなんだか焦ってきて、ゆっくり時間を進ませようと、ドリンクについてきた豆菓子をひとつひとつ噛みしめながら食べました。違う席に座る客たちの会話に意味なく耳を澄ませたりしました。
豆菓子を食べ尽くし、原稿が印刷された紙の余白が苦し紛れの鉛筆の線でうまったころです。ムンッとくらべるとやや歯切れの悪い、ムフン......くらいのものをやっと出すことができました。私はホッとして、思ったのとは違うけれど今後高めてゆくことができるだろう、と判断し、ムフン......をかかえながらそそくさと席を立ちました。会計をすませ、外を歩きながら、ムフン......の形をもう一度全体的に眺めます。足りないところを少しひっぱって調整したりしてみます。そのうち、ここをこうしたほうがいいのかも、と思いつき、大胆にムフン......を組み替え、そうなるとムフン......はもともとの理想のムンッ、を超えたムフンッ!!くらいのものへと急に姿を変え、私は、やっぱりいつもと違う場所で考えることは大事だなあ、という充実感とともに家へ戻り、慎重に持ち帰ったムフンッ!!を机の上に広げて絵の具で描き起こしました。