犬のうんちとわかりあう

第9回

私の私を

2024.03.18更新

「のど、少し痛いです。」
「たしかにのど、荒れてますね。」
と、いうやりとりを医者とかわしたその瞬間、私はおおいに安心しました。それはささいな会話でしたが私はしっかりとした自己肯定感を獲得し、心からにょきっと生えた手はウシッと小さくガッツポーズをしていました。

 自分の不調を、他人に説明するのは苦手でした。あたたかな風が吹き荒れた翌日、花粉症とおぼしき症状があらわれ、薬をもらいに耳鼻科へきたのですが、鼻水は出るか、喉は痛いか、目はかゆいか、面と向かって確認されると、本当に私は鼻水が出て、喉が痛くて、目がかゆいのか、確信が持てなくなってしまいました。鼻水が出る、というのは液体が現実としてそこにあるので大丈夫ですが、喉が痛いことに関しては、なんかちょっと私の内側がイガイガする気がする...というところが正直な感覚で、もしかしたらそのイガイガは気分がのらなくて仕事に集中できない言い訳や、花粉のことを意識しすぎた前のめりな心配性からも発生しているかもしれなくて、そのはっきりとは言い切れないイガイガが、症状として「喉が痛い」に含まれるのかどうか、つまり医者から診察される私と、自分の感覚でキャッチしている私が、果たして合致するのかどうか、いまいち自信がありません。テストの答え合わせをするような不安が医者に行くたびいつもあり、今回のように外部の目から見ても体に確かな症状があらわれていると、私が私をとらえた感覚は合っていたんだ、と必要以上に嬉しくなります。

 また、私がとらえていた私より医者がとらえていた私のほうがすごかった、自分が思う自分を超えていた、という経験もあり、それは、いいかげん検診を受けたほうが良いと感じてめちゃくちゃ久しぶりに歯医者に行ったときのことでした。やはり、手入れがしっかりされていないと医者は言い、フロスの大切さをとくとくと説いてきて、実践編として自らの手でフロスを用い私の歯垢をこそげとり「ああ、この中には一万を超えるミュータンス菌が......」と、うっとりしながらつぶやいていました。私は、私の体に数秒前まで所属していた歯垢が、私から数十センチ離れたところでこんなにも人をうっとりさせているという事実に驚きました。医者は、先ほどまでの信頼できる医者然とした態度をどこかに置いてきたまま、フロスについた私の歯垢をじっと見つめていました。悪い気持ちは、しませんでした。歯垢も元は私ですから、思わぬ私が歯医者をうっとりさせた功績により、そのあと数日、元気に過ごすことができました。

 さらに振り返って小学生のころ、自分は自分をどう思うかを放棄して完全にその判断をお母さんにゆだねていたことがあります。小学校の、ひとつの教室でたくさんの人と同じ時間を過ごすという状況がどうにも性に合わず、クラスメイトの二十七人はみな違う人間で、だからなにに対しても二十七通りの考え方があるのはもちろんで、そうなると私という人間をどう思うかの考え方も二十七通りあるのだ、と気づいたときに、私という人間は、一人の人間として存在しているのではなくて、二十七人がそれぞれとらえた二十七の面がある多面体みたいなものなんじゃないか、と思ってしまい、二十七人のうちの一人にでも私のことを悪く思われたら、多面体はその形をたもっていられず中身がこぼれてしまいそうで、毎日、下校して家に帰るとすぐお母さんに、今日私は誰からも嫌われていなかったか、という確認をしていました。自分がその日どういう言動やふるまいをして他人にどんな影響をあたえたか、ということを、具体的に振り返るのは怖かったので、自分とは違う存在の手を借りて、今日も自分を守ったことにしたかったのです。お母さんは、小学校で私がどう過ごしていたか知るよしもなかったのですが、詳細は聞かず、毎日毎日、嫌われていないよ、ということを根気強く答え続けてくれました。おかげで私は、多面体のうちのひとつの面も損なうことなく、その時期を過ごすことができました。

 なんていうか、自分はこういう人間だ、と把握することってとても難しいんだな、というのがここまでの人生を生きてきた中の感想です。人からどう見られるかなんて気にしないほうがいいよ、と言われたこともたくさんあり、修正しようとも思ったのですが、あのころこぼれないようにと必死に守った二十七面体の中に、はたして自分というものがきちんと存在していたのかもあやしく、あの中は結局からっぽで、二十七面の皮だけが自分だったんじゃなかろうか、と疑っているのが現状です。もはや世界と自分との関わりの中のどこからが私でどこまでが私ではないのか、あいまいにしてしまったほうが楽なような気がしています。そうしてだれにも気づかれないまま、人間から歯垢みたいなものにぬるりと変化し、歯医者にうっとりされながら世界にとけていきたいです。

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三好 愛

三好 愛
(みよし・あい)

1986年東京都生まれ。 イラストレーター。ことばから着想を得る不思議な世界観のイラストが人気を集め、装画や挿画を数多く担当するほか、クリープハイプや関取花のツアーグッズなども手がける。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)、『怪談未満』(柏書房)がある。ミシマ社が刊行する雑誌『ちゃぶ台』8号、9号、10号に「絵と言葉」を寄稿。

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