第27回
ちょっとだけ食い込む
2025.09.11更新
私はそのとき、ひどく憤慨していました。電話ごしの、会ったことのない男性の口調がため口だったからです。タクシーの中や取引先、対面しているときのため口は、ぎりぎり怒らないで対応できましたが、電話でのため口には強い拒否感がありました。直接会っている場であれば、性別や年齢だけでなく私個人の見た目、雰囲気など複数の要素からため口を使ってもいいと思われているのかと、あきらめる方向に感情を逃すことができました。けれど、電話ごしにため口で話しかけられたときは、敬語にするかしないかの判断要素が女の声っていうことだけじゃん、と、その安易さに無性に腹が立ちました。
というわけで、私はそのとき、「いや〜三好さん、ちがう家のポストにいれちゃったみたいで、ごめんね〜。」とあやまってくる配送会社のドライバーさんに「なんでため口であやまってるんですか?」と抑揚を殺した声で質問しているところで、ドライバーさんはおののき、しかし本題は、そこではありませんでした。今すぐ解決しなければならないのはドライバーさんの人間との関わり方ではなく、誤配送された荷物でした。その日は、出版社の編集者から、イラストを担当した装画の色校正が送られてくることになっていました。しかしインターホンが鳴らず、置き配もされていないのに、スマホに配達完了通知が来ていたので変に思い、ドライバーさんと連絡をとったところ、違う住所のポストに荷物をいれてしまっていたことが判明したのでした。
私は、まだ見ぬ色校正を紛失してしまうことや、知らない人に開封されることをとても恐れていました。だから、「すごく大事な仕事の荷物なんです」と伝えると、敬語を取り戻したドライバーさんは「そうですよね、色校正ですもんね。すぐ回収してきます!」とたのもしく答えてくれました。
「色校正」は本印刷に先立つサンプルみたいなもので、そこまで一般的な用語では無いと思います。おそらく、伝票に品名として色校正という記載があったとは思いますが、配送会社のドライバーさんが色校正を大事なものだと同意してくれるのには少し違和感が残りました。とは言え、間違えた先からすぐ回収して配達してもらえるのはありがたく、何事もないまま荷物が戻って来ればいいんだけど、と私は固く祈りました。
待ちわびていたインターホンがなったのは、それから本当にすぐのことで、ドアをあけると柔和な笑顔の中年男性が立っていました。手には未開封の書類のような小包みを持っていたので、私は安堵につつまれ、お礼を言うと同時に電話口で怒ってしまったことを謝りました。ドライバーさんはおおらかに受け入れてくれて、解決してよかったとふたりで盛り上がりました。けれど気になるのは、どうして住所を間違えたのかという点で、そこは確認しておいたほうが今後の配達のためにも良いだろうと思い、聞いてみると、私の家の反対側に建築事務所やデザイン事務所などが入っているクリエイティブ系っぽいマンションがあって、品名が色校正だったのでそっちに持っていってしまった、とのことでした。そんなフィーリングみたいな配達の仕方あるんだ......という感慨と、なんでこの人はそんなに色校正に重点をおくんだ......という不可解さから、へ〜そうだったんですね、と様子見の相槌を打ちました。すると、ドライバーさんは、「僕、元編集なんですよ、実は!」と、溌剌とした面持ちで答えたのです。三好さんは、ひょっとしてイラストレーターですか? デジタル?
その瞬間、一気にそのドライバーの人が生々しく見えてしまい、私はお茶をにごしました。なんかその、ドライバーは職種だから前職があって当たり前なんだけど、今うちの玄関先に立っている男性の背後には、この人の今までの人生がぶわーっと広がっているんだ、ということをもろに感じてしまいました。事情はわからないけれどやめてしまった編集の仕事を誇らしく思っているような様子とか、妙にひとなつっこいその性格とか、電話越しに女性の声が聞こえたら反射的にため口をきくような感じとか、そういうのがぜんぶ、私が目にした部分よりもっと根深く、この人が積み重ねてきた人生に息づいているんだ、と思いました。そして、万が一タイミングが違ったらこの人が編集者で私に色校正を送る現実だってあり得たかもしれないのだ、と思うとその人との距離感が急にぐいんとゆがみました。
ふだんは配達する人とされる人という、役割でしかない関係の中で、ドライバーの人と私とでお互いの人生にちょっとだけ食い込んでしまい、よく言えば広がりのある、ふつうに言うとけっこう気まずいな~と思うできごとでした。