自分の地図をかきなおせ

第3回

《移住を生活する》東京2020編 その1

2020.04.08更新

200408-4.jpg

(2020年3月13日四ツ谷にて。撮影:内田涼)

 この文章を書いている330日現在、東京都内では新型コロナウイルスの感染予防のために「外出自粛要請」(この単語自体訳がわからないが)が行政から出されていて、僕の友人の作家や自営業者たちは仕事が飛んで収入が減った上に、家にいることを半ば強いられている(もしくは自分で強いている)状態である。お金は支払われなくなったからといって消滅するわけではないが、流通しないと価値を発揮しないものなので、みんな頭を悩ませている。この騒動の中で、「住むこと」に関する根本的なことを考える機会が増えた。家にいるだけでもお金はかかる。仕事がなくなっても家賃は払わないといけない。仕事がないのになぜ家賃を払わなくてはいけないのか。家賃だけではなく、食品代金も光熱費も払わなければいけない。外出自粛を要請されてもスーパーにいって食べ物を買わなくてはいけない。家にいようがいまいが、人と協働しないと住むことはできない。

 僕は札幌で、暖房を使わずにいわば「独立した環境」に住むことを試みた。落ち葉を集めて発酵させ、その熱で暖が取れるテントを作った。電気も水もガスもないところで、それなりに暖かい住空間を作ることができた。ただし、ご飯は近所の食堂を頼ったし、お風呂は銭湯を頼った。もっと言えば、温床に使った米ぬかやテントのビニールを作ったのは僕ではないので、僕は暖房を作った人の代わりに、米ぬかやビニールを作った人を頼って住んだだけだった。

 前回の連載で「看板の家」というプロジェクトについてこれから説明するような締め方をした。「看板の家」とは、街に看板を作り、看板の広告収入を使って看板の中で生活するというアイデアだが、これは「住むために家賃を払う」を「住むだけで家賃がもらえる」に反転させたいと思って考えたものだった。つまり住むこと自体を仕事にするということだ。

 「住む」とは一体なんなんだろう。ちょうど9年前にも同じように考えていた時期がある。僕は大学を卒業したばかりで、これから作家活動を本格的にやろうと思っていた矢先に東日本大震災があった。それをきっかけにして「移住を生活する」というプロジェクトを始めた。あれから9年の節目なので、「看板の家」の前に、ちょうど先月東京都内でおこなった「移住を生活する」の話をしようと思う。

 「移住を生活する」とは、発泡スチロールで自作した小さな家を肩に背負って持ち歩き、移動生活を行いながら、各地の家の絵を描いていくというプロジェクト。夜には家を置く敷地を借りて、この家の中で眠る。敷地はお寺や神社などを探して境内を貸してくださいと交渉したり、行く先々の知人から借りたりする。

 僕はこのプロジェクトを2014年の4月に始めて、現在まで断続的に続けている。最初の1年間はほとんどこの家に住んでいて、借りた敷地の数は182箇所。1年で182回の引越しをしたことになる。これは世界記録ではないかと思っている。2015年は56箇所に減った。1つの敷地にいる期間が長くなり、「移住生活」ではないほうの家(つまり僕が住所を置いて、家賃を払っている借家)にいるのと半々くらいの生活スタイルになったからだ。2016年には住所のある家のほうも引越しをしたり(ややこしい)、他の仕事が忙しくなり、借りた敷地の数は39箇所まで落ちた。2017年は29箇所、2018年には28箇所、2019年は7箇所と、数が減ってきてはいるものの、今でも続けている。このプロジェクトをやると、普段定住生活者として眺めている街とは違う景色が見える。同じ場所にいるのに、全く違う世界に来たような気持ちになれる。もうやり始めて7年目になるけれど、今でも新しい発見は多い。

 今回は東京都内で、生活の模様を撮影しながら一週間程度やることにした。これからその移住生活中に書いた日記を報告しようと思う。ちなみに日記の中で「間取り図」という単語が出てくるが、これはこのプロジェクトの用語である。冒頭に「家」を持ち歩いていると書いたけれど、正確には「家」ではなくて「寝室」である。住むためには寝室だけでは足りない。トイレやお風呂が必要である。そこで僕は公園のトイレや銭湯などを街の中で探して、それを自分の家として見立てる。これを「間取り図」と呼んでいる。

3月11日

 代官山蔦屋のスターバックスにいる。電源付きのカウンターテーブルに座っていて、左にはずっとiPhoneをいじっている人、右には集中して誰かに手紙を書いている人。どちらも若い女性。正面にはパソコンを睨んで何か作業をしている若い男性。他にもパソコンを開いている人が多い。なんというか、みんなスマートだ。荷物が少なくて、机の上にはリップクリームとパソコンだけ置いているような人たち。そんな中でKARRIMOR製の大きなバックパックを机の下に置いて、机の上にはGoPro2台と、マイクロSDカードをパソコンに読み込むためのコネクタと、iPhone用の携帯リチウムバッテリーと、バッテリー充電器と、このMacBookを全て電源につなげた状態でこれを書いている。電源がなければこんなところは使わないんだけど、取り急ぎ近くで電源のあるカフェはここしか知らなかった。ここを利用するためには何か飲み物を注文する必要があるので、一番小さいサイズのラテを頼んだのだけれど、机の上に広げている荷物の体積に対して飲み物の大きさがあまりにも小さいので、なんだか申し訳ない。もう一つ大きなサイズを頼めばよかった。

 今日はおよそ一年ぶりに「移住を生活する」をスタートさせた。偶然にも今日は東日本大震災から10年目に入る3月11日。つつじヶ丘から駒沢公園を経て、代官山まで15キロくらい。5時間くらいは歩いた。毎年この時期に移住生活をやるのは良い。定期的に自分に突きつける必要がある。自分を通して、周りの人にも突きつける必要もあるかもしれない。今世界は新型コロナウイルスで半ばパニックになっていて、ニュースばかり見ていると世界にどんどん余裕がなくなっているように見えるけれど、家を背負って歩いた感じはいつもと変わらなかった。街では人が歩いていて、iPhoneを見たり、買い物や、立ち話をしている。松陰神社前近くの鰻屋は満席だったし、いつも行列ができている店は、今日も行列ができていた。マスクをしている人の割合は多い。

 駒沢公園ですこし休もうと家を地面に置いたら、ものの5分くらいで「巡回中」と書かれた自転車にのった公園管理のおじさんが通りかかり、「なにか言われるだろうな」と思っていたら案の定「これはなんですか?」と言うので、「ちょっと撮影を」と答えた。瞬間「しまった」と思った。こういうときは「すぐどかしますんで」とだけ言えば良いのだ。久々に家を動かしているのでナマっている。おじさんは「撮影の許可を取ってますか? 撮影には許可がいります」とたたみかけてきた。

 それはどうにかごまかしたのだけど、おじさんはさらに家を指して「こういうものを設置するのは、ダメです」と言う。他にはどういうものがあるんだ? と思いつつ、「設置しているわけではないのですが」と言ったら、言い終わる前に「設置しているかどうかは、こちらが決めます」という。いまこうしてパソコンで「設置」と書いてるけど、そのときの僕は「接地」という漢字を思い浮かべていた。

 「こちらが決めます」という言葉の強さにびっくりしてしまったけど、こういうときは引き下がったほうがいいので「とにかくすぐどかしますので」とだけ言った。そしたらおじさんは去っていった。結論として、駒沢公園はとても窮屈な公園だった。ツーリングやランニングのコースがあるので、そこはしょうがないのだけど、せっかく芝生の気持ち良さそうなところがあるのに、この様子だと家をおいて休憩なんかとてもできない。2度と行きたくない。この小さな家がどういうもので、なぜここに置いてあり、いつ移動させるのかを普通に聞いてから対応すればいいのに。なんのために「人間」が公園の管理人をやっているのか。とにかく、「こういう物」を設置するのはだめだ、すぐにどかしなさいと言われるので、休憩もできない。ロボットにやらせているのと変わらない。あるいはあのおじさんはロボットだったのか?

 この家は、背負って歩いているときはみんなけっこう「なにあれ~」「歩く家だ~」「面白いね~」などとキャイキャイ盛り上がるが、地面に置かれたまさにその瞬間から、「不審なもの」になる。ひさびさに家を動かして思い知った。「え・・こんなのあったっけ・・」という感じになる。反応が全て予想できる。こっちが思った通りのことを言う。「こういうものは設置できません」とか。相手に予想されていることを口にして、よく恥ずかしくないなと素直に思う。駒沢公園を出て、代官山に着く前にデニーズで休憩した。駐輪場に家を置いて店に入り、席を案内してくれた店員さんに写真を見せながら「こういうものを下の駐輪場に置かせてもらってるんですが、ちょっと店にいるあいだだけ、置かせてもらっても大丈夫ですかね?」みたいに説明をしたら「ペットか何かですか?」と言われた。ちょっと予想外だったので、「いや違います。ちょっと背負って動かしてて、発泡スチロールでできた家なんですけど・・」と、普通に説明してしまった。そしたら「お持ち帰りになるのであれば大丈夫です」と言ってくれた。僕の家は「お持ち帰り」になるので大丈夫だった。

 それから代官山ヒルサイドテラスのアートフロントギャラリーの前まで家を動かし、今夜の敷地はヒルサイドテラスになった。もともとは「奥能登国際芸術祭」の打ち合わせで来る予定だったのだけど、数日前に、ちょうど移住生活中なので打ち合わせついでに敷地を貸してくれませんかと相談したら「良いですよ」と言ってくれた。オーナーの朝倉さんも了承してくれた。このあたりに住んでいるらしい。アートフロントギャラリーの北川フラムさんは「やっぱりオーナーがその土地に住んでるから良いんですよ。自分の街だから良くしたいと思えるから。チェーン店で入ってくるばっかりだと街がダメになっちゃう」と言っていた。

 風呂は光明泉にいってきた。とても良い銭湯で、中目黒駅から徒歩5分もかからない好立地ながら、空が見える露天風呂がある。サウナもある。そしてものすごく混んでいる。サウナは人が密集しすぎて家畜小屋(他に良い言葉が見当たらない)みたいになっていた。ウイルス騒動で人の密集はよくないこととされているこのご時世の中、サウナは唯一の例外地帯なのかもしれない。僕は家畜小屋には入らなかった。何より驚いたのは年齢層の低さで、こんなに若い人ばかりの銭湯は初めてかもしれない。18~20代くらいの大学生と思しき人が多かった。世界一の少子高齢化国にいるとは思えない。露天風呂では、就職活動中と思しき男子二人組が「クリエイティブ」とか「コピーライター」とか「ファーム」などの単語を交えながら話をしている。「コンサルタントって結局何やる仕事なの?」や「お前クリエイティブ向いてると思うわ~」など。そういえばさっきオフィス(蔦屋)で見かけた男の子は大学生くらいで、パソコンの画面にスティーブ・ジョブズの言葉を大映しにしながらハッカーについての本を読んでいた。彼は次々と友達らしき人から「おす、偶然だね~」と話しかけられていた。不思議な街だ。

今日の間取り図は
・寝室=ヒルサイドテラス
・トイレ=ヒルサイドテラス
・電源=代官山蔦屋のスターバックス
・バスルーム=光明泉(ギャラリーの人が教えてくれた近くの銭湯。「かなり良いですよ」とのこと。サウナもあるとのこと。)

200408-1.jpg

 ここでは蔦屋が電源インフラとして大活躍だった。いつもは外出先である街が帰る街に変わると、街の見え方がガラリと変わる。本当は「風呂上がりに代官山蔦屋のスタバに行く」という、ここに住んでないとできない芸当をキメようかと思ったが、夕方に行ったときよりも混んでいて席は空いておらず、レジには行列ができていた。もう23時をすぎていたのに。

3月12日

 信濃町駅から四ツ谷駅に向かって坂を上がったところにある、とある浄土宗のお寺の境内にいる。静かだ。いま外で住職さんが入り口の門を閉めている音がする。今日の敷地には門限がある。「移住を生活する」史上最も早い20時。ここに家を置く許可をもらったのは17時半で、お寺の門が20時で閉まることを伝えられた(ちなみに明日の朝も6時には敷地を出るように言われた)ので、急いで行動する必要がある、ということで、まずはiPhoneでBooking.comを開き、近くに風呂場がないかグーグルマップで探し、塩湯という銭湯が歩いて10分弱のところにあるのを見つけ、17時48分にはそこに入り(470円。昨日の光明泉も同額だった)、体を洗って湯船に浸かって(壁には雪をかぶった山のペンキ絵が描かれていた)、20円3分のドライヤーで髪を乾かし、脱衣所でiPhoneを出して「四ツ谷 電源 カフェ」と調べて電源とWiFiのある「Burg Holic」というハンバーグ屋を近くに見つけ、18時30分には塩湯を出て、道に置かれた小さな箱みたいな物に座りながらタバコを吸って独りごちているおじさんのそばを通って18時40分に店に入り、店員に「電源がある席はどこですか?」と聞いたら

「電源席はあるんですが、17時以降はパソコンを開くのはご遠慮いただいてます」
「え! そうなんですか。充電はしてもいいですか?」
「大丈夫です。英会話とか・・作業でなければ」
「そういうのはないですけど、カメラのデータをパソコンに移すくらいはしてもいいですか?」
「大丈夫ですよ」

 というやりとりをして席についてiPhone用のリチウムバッテリーとパソコンを電源に繋いで今日撮影したカメラのデータをパソコンに移し、1パイントのビールとハンバーグとライスを食べてから店のトイレで歯を磨き、19時45分には店を出て、19時56分(門限4分前)に家に帰ってきた。

 今日はこのお寺に至るまで4つのお寺を交渉してきたがすべて断られた。5軒目で住職さんが出てきてくれて、ちょっと不審そうな表情をしながらもこちらの話をちゃんと聞いてくれ、「朝6時くらいまでだったら」「騒がなければ」ということで了承してもらい、

「夜も20時ごろに門がしまるので」
「はい。わかりました」
「ご飯は?」
「食べて、ここに帰ってきます20時までに」
「トイレは?」
「一応携帯トイレを持ってるんですが、20時から6時だったら大丈夫だと思います。外でしたりはしません」
「トイレは、あそこにあります」

 と住職さんが境内のトイレを指してくれたので

「使っていいんですか? ありがとうございます」
「はい。では、変なことは無しでお願いします」

 というやりとりをし、上述した怒涛の2時間半でお風呂とご飯と歯磨きとトイレを済ませて今に至る。

 先月仕事で珠洲市に行ったときにお寺の人から「敷地貸してくれるお寺も、宗派によって違うんじゃない? 浄土真宗とかは敷地借りやすいかも」と聞いていたけど、これは当たっているかもしれない。1軒目のお寺は曹洞宗で、「申し訳ないんですが、檀家寺なので。檀家さんの許可もないと」ということで断られ(でも去り際に「頑張ってください」と言ってくれた)、2軒目も曹洞宗で、とても愛想よく「今住職がいないもので」と断られ、3軒目のお寺は真宗大谷派で、ここは住職らしき男性が出てきて、彼は本当に申し訳なさそうに「申し訳ないんですが、そういうものはお断りしてまして」と断られ、4軒目の日蓮宗のお寺はインターホン越しの交渉で、男性がでたのだけど、ここはなぜかインターホンを押して出た最初の「ハイ」からものすごく怪訝そうな、とても低い声でこちらの話を「ハイ」「ハイ」「ハイ」と聞いてから「ちょっといま住職がいないので」と断られた。「住職がいないので」は紋切り型の断り文句だけど、本当に住職がいないのかどうかはわからない。だがそう言われたら諦めて次に行った方が良い。敷地の交渉は今でも緊張するし、断られ続けると、なんでこんなことやってるんだという気持ちになるけど、敷地が得られると、こんなに良いものはない。

 今日は代官山のアートフロントギャラリーからおよそ5キロ移動した。代官山から青山通りまで抜けて、表参道を通り、完成したばかりの新国立競技場のそばを通り、信濃町まで。新国立競技場は初めて見たのだけど、近くで見るととにかくデカイ。よくこんなものをこんな短期間で作ったもんだ。職人さんたちは本当に偉い。しかし、自慢の木のルーバーが、目から遠すぎるせいか木に見えなかった。全体に軽やかさとかはない。今の時代らしさもない。でもとにかくここまで作った。ネットではウイルスでオリンピックが中止になるだのならないだの、みんなまるで窓の開け閉めの話みたいに軽く言ってるけど、このデカさは半端じゃない。でもそれを考えるとこの競技場が空っぽの存在に思えてしまう。ザハ・ハディドの、完了済みの設計案を白紙撤回し(なぜ首相にそ んな権限があるのか全くわからないが)、3000億円だった予算は3兆円になり、そしていまウイルスで中止か開催かみたいになっている。いったいなにがどうなっているのか。最近ニュースを見ていると居心地が悪くなる。なぜか知らないけど首相の一言一言に謎の強さがあり、みんなそれに従っている。この国はいつ法治主義から人治主義に変わったのか。僕は家を動かすしかない。明日は5時50分起きだ。突然の健康生活。

200408-5.jpg

 移動中の家の窓から見た新国立競技場。とにかく大きさに驚いた。あとで建築家の友人から聞いたが、競技場の「木のルーバー」は木製ではなくて、鉄骨に木のテクスチャを貼り付けているらしい。

 この日はお寺で交渉して敷地を借りた。この作業は何度やっても慣れることはなく、インターホンを押すときには心臓が張り裂けそうになっている。それでも、寝る場所を確保するためにはどこかしらに夜通し家を置く場所を確保する必要があるので、どこかから借りられるまで続けるしかない。交渉が成功する確率は、土地によっても違うけれど平均したら30パーセントくらいだと思う。畳一畳分の土地を、一晩だけ貸してくれというお願いでも断られることの方が多い。特に都市部は地方よりも多い印象がある。前回の連載でもすこし書いたけれど、そもそも土地を所有しているという状態を僕たちが信じられるのはどういうことなのか。つまり、使っていないときもここは誰かの土地だというのを信じるメリットはどこにあるのか。これがよくわからない。使いたいときに使いたい人がその場所を使えば良いという発想をもっと取り入れてもいいのではないかと思っていて、それをひとつの形として体現している国がモンゴルなので、今年6月にモンゴルでもこのプロジェクトを行う予定である。ただこの新型ウイルス問題のために、この実現も怪しくなっている。もし実現したらここで報告する予定である。

3月13日

 秋葉原駅近くのRAKU SPA1010というスーパー銭湯の休憩場にいる。カウンター席に座っているのだけど、長時間座らせないためかやたら椅子が高くて、もう1時間半くらい座っているのだけど、左足が痛くなってきた。久々に歩いたので足にダメージがきているが、たいてい朝には治っている。

 受付で聞いた通り電源がある。銭湯も電源も使えて470円は安い。金曜夜だけど6つあるカウンター席には二人座ってるだけ。風呂場はシャワーの空きがないほど混んでいたけれど。僕は例によってバックパックの中からカメラやらパソコンやら機材をドカドカと取り出し、今回の移住生活ではもはや恒例になりつつある充電タイム中。五つのバッテリーを同時に充電している。「移住を生活する」プロジェクトはリチウムイオン電池にかなり支えられている。

 さっき脱衣所で「今日、口座見たら振り込みがあって、久々に自分の口座が10万超えてて、びっくりした」という話し声が聞こえてきて「みんな大変だよなあ」と思ったし、この国は意外と、というかやっぱり、かなり厳しい状況にあるんじゃないか?学校が閉鎖されて給食が食べられない子供達は大丈夫か?

 今日は5時50分に起きて、信濃町のお寺を朝6時過ぎごろに出発。お寺を出てしまったけど、まだ絵を描いてなかったので、とりあえず近場にあった四谷見附公園というところに家を移動させ「仮置き」した。かなりキャリアの長そうな路上生活者のおばちゃんが寝ていたので大丈夫かと思った。そこで4時間くらい絵を描いていたのだけど、本当に良い公園で、トイレもあるし、喫煙所もあるし、ベンチもゴミ箱もある。絵を描いていたら公園を管理してる人に話しかけられた。でも公園管理人というよりは工事現場監督という格好をしていたので、最初はそうとわからず「これはなんですか」という質問に対して普通に「これを移動させながら、家にして寝てるんです」みたいな答えをしてしまった。公園管理人だとわかっていたら「すぐにどかします」とまず言っただろう。管理人のおじさんに

「本当は公園にものを置くのはお金がかかるんですよ。利用料金、平米あたり六十円だっけなあ。本当は」

 と言われ、「ちょっといま休憩してるだけなので、あと1時間・・」と言ったら「次からはお願いします」と言って去っていった。彼はロボットではなかったと思う。今日は聞かれなかったが、こうやって家をおろしているとたまに「ここで寝てるんですか」と聞かれることがあり、困ってしまう。この家で寝てることは事実なのだけど、場所はここではないから。そうです、ともそうじゃないです。とも言えない。地面に置いてある僕の家を初めて見た人は、まさかこれが歩いて運べるものだとは思えないので、「ここで寝てるんですか?」と聞かれた時に、「この家で寝てるんですけど、場所はここじゃないです」と、真面目に事実を答えても「はあ・・」みたいな感じになる。僕はこのプロジェクトを通して「家は基礎とその上に乗っている住居部分を分けて考えた方が良い」と考えるようになった。この問答は、人がそうは考えていないことを端的に表している。家が地面に置いてあると、人は即座に、この場所で、この家の中で寝てるイメージを抱いてしまう。

 公園で絵を描き終わった後、今日は3331アーツ千代田に行ってみようと思った。スタッフに知人が多くいる。前日に敷地の交渉で結構疲弊したので、もう敷地交渉はしたくなかった。都内で、お寺で敷地を交渉するのは精神的に厳しいものがある。思えば2014年に「移住を生活する」を始めたときも都内の移動中はお寺には行かなかったな。それで神田方面に歩き始めた。歩いているとよくわかるけど、東京の太い道路は川のようだ。朝のお寺(このあたりはお寺がたくさんあり、坂の上になっている)から新宿通りに南下するときには坂を下り、新宿通りから神楽坂や市ヶ谷方面に北上するときは坂を登る形になる。新宿通り自体が東へ流れる谷底の川みたいになっていて、そこに直行する道路は坂になっている。四ツ谷のあたりでは、さらにボコッと地面が下がっている。

 今日のハイライト、というか、胸糞モーメントが訪れたのは正午ごろ。お腹が空いたので九段下のファミレス(ものすごく高いビルの一階部分がファミレスになっていた)に入ろうとした。ビルのそばに何もない広いスペースがあったので、ご飯を食べている間だけ置かせてもらおうと家を置いたら、ものの30秒くらいで警備員が現れ、「すいません、どこの方ですか?」と聞いてきた。なぜか最初から攻撃的な口調だった。「どこの方」という質問にどう答えればいいか一瞬迷ったが、「ちょっといまこれを歩いて運んでて、ファミレスに入りたいんで」と言ったら、再び攻撃的な口調で「いや、どこの方ですか?」とまた同じ質問をしてきて「ご飯を食べてるあいだ置かせてもらいたいんですが」と答えると、「ここには物は置けないんで」と言う。「ご飯食べてる間だけでも、だめですか?」と聞いたが「だめです」と切り捨てられた。そして「とにかく! この敷地から出てもらえますか!」と言われた。かなり強めに。あまりの言いように僕は「神経症患者かな」と思ったが、とりあえず他の ファミレスを探そうと思い出て行くことにした。ここのカラメルパフェが大好きなだけに、非常に残念だった。店は悪くないが。しかしいま思い出しても胸糞が悪い。だから東京の景色はつまらないのだ。東京に「公共空間」は存在しない。

 このエピソードを、あとで3331で会ったArts&Societyという、社会とアートの関係についてのリサーチ活動をしているNPOの人たちに話したら、その「何もない場所」は「公開空地」だろうと言われた。

公開空地(こうかいくうち)とは、オープンスペースの一種。建築基準法の総合設計制度で、開発プロジェクトの対象敷地に設けられた空地のうち、一般に開放され自由に通行または利用できる区域。有効容積に応じて、容積率割増や高さ制限の緩和が受けられる。ーWikipediaより

 つまり建物には高さ制限というものがあり、高いビルを建てるときに、そのまわりをオープンスペースにしたらその高さ制限の緩和を受けられるというものだ。「高くつくる」というメリットを得る代わりに、公共空間を提供せよ、ということだ。であればなおさら、ご飯食べてる間くらいはおかせてくれよと思うのだけど、実際には警備員に攻撃的に追い出された。結果的に生まれたものは何かというと、ただの、何もない、つまらない、だだっ広い空間だ。「オープンスペース」には程遠い、ただの「空気のかたまり」だ。たぶんあの警備員はロボットだったのだろう。

 しかしこんなに重要なことを今まで知らなかった自分が恥ずかしい。公開空地、という言葉を知っていたら、あそこでの結末も変わっていたかもしれない。何にでも"決まり"を適用してしまう人間が多いという問題もあると思う。ルールを、人格に内面化させてしまっている。目と口と耳と脳みそがある意味がない。決まりなんてただの決まりなんだから。もうちょっと普通に考えて欲しい。僕は人間の街に住みたい。

 このプロジェクトは、フェリーに家と一緒に乗るときも、駐輪場なんかに仮置きするときも、「誰に取ればいいのかわからない許可」をとる必要がある場面によく出くわす。こうやって「言い方によって結果が変わる」出来事がたくさんある。でもそれが人間だと思う。そうでないと目と口と耳と脳みそがある意味がない。

 その後は別のファミレスで駐輪場に家を仮置きしつつご飯を済ませて(こちらでは何の問題も起こらなかった)3331へ行った。事前に連絡はつかなかったけれど、着いてみたらスタッフが「家がきたぞ家がきたぞ」とぞろぞろでてきた。ここで眠るつもりだったが、寝ていいですかと聞くとまた面倒な感じになるので「今日、ここに泊まる"かもしれない"です。僕が勝手に寝てるという ことにしてください」と、複雑な文法で話をしたら「事務局内には"こっそり"周知しておきます。」と言ってくれた。

間取りとしては
・寝室=3331アーツ千代田のウッドデッキ
・トイレ=練成公園の公衆トイレ
・風呂場=RAKU SPA1010
・電源とWiFi=RAKU SPA1010休憩室のカウンター席
・洗濯機=近くの大型コインランドリー(洗濯400円。乾燥300円)

200408-3.png

 この日描いた絵。このプロジェクトには「敷地を借りて家を置く」と「近くの家の絵を描く」という二つの大事な要素がある。絵を描くのはそれ自体が目的だからだけど、あえて言うなら家の絵を描くことを通して、基礎と住居がつながっている家を相対化したいと思っている。

 当たり前だけど、この国のほとんど全ての家は基礎に固定され、それが「住所」に結びついている。そこに住人が1年間のうち何日間寝泊まりしているのかということとは関係なしに、人は住所のあるところに「住んでいることにされている」。対して僕の発泡スチロールの家には基礎がないので、住所という概念がない。それでも僕はこうしてここに住んでいる。しかしここは人が定住化した社会で、その中でこの家を使って住むためには、行く先々で敷地を借りる必要がある。家と敷地が分かれている状態になっている。これが日記の中で書いた「家は基礎とその上に乗っている住居部分を分けて考えた方が良い」という発見につながった。

3月14日

 今日の敷地は台東区橋場のマンションの1階のシャッター付きの車庫の中。大学を卒業したばかりの頃、この近くに友人達と住んでいてお世話になった細野さんという人の車庫。細野さんは近所のコンビニのオーナーで、よく賞味期限が切れて廃棄待ちのお弁当を持ってきてくれて、お金のない僕たちはそれで食をつないでいた。

 一昨日のうちに細野さんに電話していて「敷地を貸してほしい」と頼んだらここを用意してくれた。電話で「ご飯はどうすんだ?」と聞かれた。「そのへんで食べます」と言ったら「そんな寂しいこと言うなよ! ご飯食べさせるのが、迎える側の仕事じゃねえのかよ」と言われた。さすが下町だ。

 今は南千住の山谷エリアにあるSanya Cafeというカフェにいる。久々の山谷だ。このカフェに来るまで、裸足にサンダルのおじさんと何人もすれ違ったし、独特な雰囲気を醸し出しながら鳩に餌をあげているおじさんもみた。ここでは何をやっても許されるような気がする。昔奈良で出会った林業家のおじさんの「人生行き詰まったら山谷にいけ」という言葉が思い出される。また、浅草に住んでいてお金に困ったとき、仕事斡旋所の玄関まで行ったけど、そこから出てくるおじさん達の雰囲気にビビり、入る勇気がでなくて断念したことも。

 昨日は充電タイムが取れないまま寝てしまったので、今日朝起きたらパソコンの充電は残り4パーセント、iPhoneは残り1パーセントで、携帯リチウムバッテリーも充電が切れ、日記を書くためにどこか充電スポットを探さねばと思い、ここを見つけた。ホテルに併設された小ぶりなカフェなのだけど、入ったときに「充電できますか?」と聞いたら快く「大丈夫ですよ」と言ってくれ、入ってみるとWiFiもあり、中庭に喫煙所もあり、フェアトレードの食材を使っており、ストローもプラスチックじゃないし、「思いやりコーヒーメニュー」というのもあって、店に来る生活困窮者や、「かつて建設労働に携わった元日雇い労働者」や、家がない方にチャリティでコーヒーが贈れるシステムもあり、裸足にサンダルでニット帽の近所の常連らしきおじさんがさっきから何度も出入りして店員と話をしたりモーニングセットを頼んだりしているほか、店内を通り過ぎて喫煙所に行ってタバコを吸ってまた店内を通り過ぎて出て行くだけの人もいて、なんだか居心地が良い。僕はモーニングセットを頼んで、追加でバナナとブロッコリーのスムージーを頼んで、なんとなく「もうすこしいさせてください」という雰囲気を醸し出しながら日記を書いている。店員さんが二人とも、客に対してあまり踏み込みすぎず、でも気を遣っているのが伝わってくるし、その店員さんを通して、人はみんな、なにかしらの事情を持って生きていることを思い出すことができる。あとでチャリティコーヒーもひとつ寄付していこう。

 昨日は、3331近くのカフェにいたら電話がかかってきて、スタッフの人が申し訳なさそうに「誰かに許可をとったのかな~って話になってます」と言っていた。どうやら3331の敷地も出て行ったほうがよさそうな雰囲気だった。

 「いや僕が勝手にやってます。もう出て行きます〜」とだけ言って、家をそそくさと敷地から出した。どうやら「上」からなにか言われたらしい。まあ仕方がない。「もうすぐ始まる展覧会の作品と勘違いされるかも」ということだった。敷地は出たものの、まだ絵を描いてなかったので、前の公園のベンチの上に家を置いて、その家の中でベンチに座る形で絵を描いた。雨が降っていた。描いていたら前日のことも思いだしたりして、なんだかめらめらと怒りが湧いてきたのだった。東京に公共空間は存在しない。移住を生活するとよくわかる。うんざりする。そして、描いていて思ったのだけど、ベンチの上に家を置くのは、もしかしたら地面に家が置いてあるよりも、公園の警備員には注意されにくいかもしれない。

 ここでしばらく絵を描いて、14時前ごろに出発。公園を出たところでアーティストの藤浩志さんに会った。それから浅草方面に歩いて細野さんの車庫にたどり着き、約束通りご飯をおごってもらった。それから「玉の湯」という銭湯に行き、就寝。

間取りとしては
・寝室=細野さんの車庫
・トイレ=コンビニ(細野さんの店)
・お風呂場=玉の湯
・電源とWiFi=Sanya Cafe

200408-2.jpg

 この日、御徒町辺りを歩いていたら友人と偶然出会った。僕は家を背負っていて目立つので、遠くからでもすぐに「村上だ」とわかる。すぐに声をかけたらしいが、家の中にいる僕は外からの声があまり聞こえない。僕が立ち止まらないので、「村上じゃないのか?」と思ったらしいが、「この格好で歩いている人は村上しかいないだろう」と考え、走って追いかけてきてくれた。もしかしたら東京では、気づかないうちに多くの知人達とすれ違っているかもしれないと思った。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

ページトップへ