自分の地図をかきなおせ

第16回

《移住を生活する》能登半島編その5

2021.01.19更新

引き続き能登半島で行っている移動生活中に書いた日記をお届けします。


12月12日

 ランドリースポットで日記を書き終え、宇出津の能登町庁舎に入っているショップでお土産を見たり、わかりにくい場所にある上に残念なキュレーションだけど能登の祭りや「あえのこと」についてわかる展示を見たり、隣のJAのスーパーでお菓子とコロッケを買って食べたりしてから再びバスで七見に戻ってきて絵を描き、家でごろごろしてから「なごみ」の風呂に入り、今は大広間にいる。

 昨日は「ポケットパーク」の敷地内に、おそらく僕の他にもう一人泊まっている人がいた。長さ15メートルくらいある大きな貨物トラックが、僕の家から植木越しに見える位置に夜通し停まっていた。そして今日のお昼の2時ごろ(これは時計を見たので正確なはずだ)、トイレに入っているときに外から大きな車のエンジンがかかる音がした。瞬間的にあのトラックかなと思ったがトイレを出たら案の定駐車場からいなくなっていた。最後まで運転手を見ることはできなかったけれど、同じ屋根の下ならぬ、同じ敷地の上で一晩を共にした人がいなくなるのは少し寂しい。今日は家は動かさず、のんびりした1日となった。能登半島ではこんなにのんびりしたのは初めてかもしれない。靴が濡れたおかげというべきか。宇出津のスーパーで買った「レーズンチョコ」を食べながら海を眺める余裕さえあった。

 ポケットパークの駐車スペースから1段上がった草むらのところに、他よりもちょっと高くなっている東屋というか展望台とも呼べそうな木のデッキがあって、そこから海側を見ると色々な緑色が見て取れる雑木林、防風林にもなっている林がある。その向こう側に日本海が見える。空はちょっと青みがかった灰色の曇り。水平線近くの海はすこし濃い青。右側に半島の岬が・・・宇出津からここにくるまでにひとつ岬を越えるのだけど、それが海に低く迫り出している。能登の岬は岩手県なんかで見る急な岬ではなく、かなり緩やかな勾配の山が低い姿勢で海にしゅっと出ている感じ。空と海の色が結構近い色味で、海も空の灰を反射して、空も海を反射しているような。ちょっと下の方、木の上で羽虫がたくさん集まって飛んでいる。風がない。しゃぱーんしゃぱーんという静かな波の音が聞こえる。内浦だから外浦と違って、このくらい風がないのが普通なのかもしれない。カラスの鳴き声がたまに聞こえたりハエが近くに飛んできたり、さっきまで降っていた雨ももう止んでいて、ランドリースポットに行く途中のコンビニで買ったビニール傘の出番は今日はなさそうだ。晴れ間も見えるくらいだけどここは能登半島なので、この晴れ間は信用できない。後ろ、つまり海とは逆側にはポケットパークの広い駐車場があるのだけど、車は4台しか停まっていない。ときどきドライブ中らしき中年のおじさんが車を停めてトイレに入ったり、僕が立っているデッキに上がってきたりするが、すぐに走り去っていくので、安定して停まっている車は4台しかいない。たぶん「なごみ」の従業員の車だ。時々その向こうの国道を車が通る。「なごみ」の建物の方からヒーリング系のピアノ調のBGMが漏れ聞こえてくる。動いているものは鳥か自動車か木の枝くらいの景色のなかで、オレンジ色の長靴を履いたちょっと中肉のおじさんが太いタイヤの自転車で宇出津方面に走っていた。

 デッキに上がっている時は青みがかった灰色だった空が、先ほどの露天風呂からは赤みがかった灰色に変わっていた。今はもう深い紺色。ほとんど夜の暗さになってしまった。

 僕はいまから1時間以内には描きかけの今日の絵を終わらせ、昨日いしり定食を食べたレストランに行くだろう。今日は何にしようかしら。自分の指先からほのかに塩素を溶かしたプールの匂いがする。

 ・・・とんかつ定食と迷ったが、豚生姜焼き定食にした。1000円。まあまあ美味しかった。ここには売店があり服を売っているコーナーで、足がどこまで上がるかを競っている若い夫婦がいる。女性の方は髪を少し茶色に染め、男性はさっぱりした短髪。小さな子供2人を連れている。仲が良さそうだ。隣にはもう少し年上の夫婦が立って談笑している。おそらく若い夫婦どちらかの両親だろう。風呂かプールかはわからんがみんなで来ているんだろう。なごむ。

 「なごみ」にはトレーニングルームという名のジムのような施設があるのだけど、昨日は2人ほど利用者をみた。ランニングマシンで走るおじいちゃん。道路では僕以外に歩いている人はいない。車は無数に走っているけど、バス停や自分の車に向かう人以外の「人間」は1日に1人見つけられたら良い方だ。対してジムには同じところで足を動かし続けている人がいる。不思議だ。ここにはプールもある。考えればプールもジムに似ている。川で泳いでいる人は誰もいないのに、プールに行けばお金を払って同じところを往復し続けている人がいることの違和感を感じる人はいるだろう(いるのか?)。体動かすこと全てが、健康やら福祉やらを語る施設に回収され商品化されていくディストピアを想像してしまう。そして喫煙所には、A3サイズの張り紙が5枚。「たばことのおつきあい あなたはどうしますか?」という紙には「たばこを吸わない人のほうが魅力的!」「たばこは就職に不利!」「タバコは美しさの天敵!」「今どき、たばこを吸うなんてダサいよね! たばこを吸っている方ほうがかっこいいとか、時代遅れだよ。」と書かれている。他には「多くの人が利用する施設は原則屋内禁煙になります。」という案内の紙や、「コロナを機に禁煙を!」という紙。まあ公営の健康福祉施設だから仕方がないか。これだけ喫煙者を蔑む張り紙を貼りつつもまだ喫煙所があるのは奇跡的だ。ここはなんとしてもキープしてもらいたい。なんかもう減煙しようかな。

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12月13日

 12月13日午後5時21分、穴水のキャッスル真名井という施設にある「湯ったり館」という風呂場にいる。キャッスル真名井というのは宿泊施設のようで、この湯ったり館はそこに併設した日帰り入浴ができる風呂場だ。入り口には「ここから湯ったり館です。ゆったりしていってください」という張り紙が貼られていた。僕はしかしゆったりしている場合ではない。さきほど、これから1時間半後までの予定をパズルのように複雑に組み立てたばかりで、カツカツである。僕はいまお腹が空いているが、この施設には食事ができるところがない。フロントのおじさんいわく「いまは予約しかやってないもんで」。そして別のスタッフのおばさんに「充電をしてもいいですか」と聞き「そこに線あるので」という許諾を得て、携帯電話用バッテリーを充電してから風呂に入り、風呂からあがり、いまはPCも充電しながらこれを書いている。風呂は520円で、小さなプールのような浴場だった。温泉ではなくて、かなりぬるめ。子供が2、3人はしゃいでいるのもプールっぽい。僕の家はここから6キロ東の比良という地区にあるお寺の境内に置いてある。近所の売店でおばちゃんに「近くに風呂はあるか」と聞いたらここを教えてくれたので、バスでやってきた。問題は帰りである。僕がゆったりできないのは、帰りのバスがなんと6時40分には出てしまうからだ。しかも、バスに乗る前になんとしても夕食を手に入れたい。しかしここでは食べられないし、近所にコンビニもないので穴水の市街地まで歩いて行かなくてはいけない。そこまで1キロ、15分くらい。つまり6時10分くらいまでに僕はこの「湯ったり館」を出ていき、コンビニで夕食を買い込み、40分のバスに乗って帰らなければいけない。歩いて帰ってもいいのだけどコンビニから2時間弱はかかるのでバスが望ましい。歯磨きのことは後で考えることにしよう。もう35分になってしまった。おそらくこの日記を書き終える前に僕はこの電源のある場所を出なくてはいけないだろう。なんとも惜しい。ここでご飯が食べられたら全てが解決するのだが、何かが満たされている時は別の何かが欠けている、そういうことだろう。それにしてもこうして風呂に入って体を温めるための「温度」、そして電子機器を充電する「電力」といった生きるのに必要な「目に見えないエネルギー」を常に探しながら生活するこのプロジェクトをずっとやっていることを思うと、僕が今《広告看板の家》の一連のプロジェクトで、ソーラー発電で電気を作ったり、落ち葉の発酵熱で暖房を作ったりしているのはごく自然なことだ。《移住を生活する》では、そういったエネルギーを作ることはできない。消費しているだけだ。移動することとエネルギーを生み出すことは相性が悪い。定住を前提とした《広告看板の家》と移動を常態化する《移住を生活する》は、いつの間にかお互いを補完しあうプロジェクトになっていた。

 47分になってしまった。

 昨日は家を移動させなかったので時間を作ることができ、絵も日記も当日のうちに終わらせることができた。なので今朝は大変清々しい気分で目が覚めた。起きてトイレで顔を洗いに行くと前日の夜とはまた違う車、青とシルバーの10メートルくらいあるトラックが停まっていた。どうやら一晩同じ敷地を共にしたらしい。ここはドライバーの間では有名な仮眠スポットなのかもしれない。それから8時半過ぎには荷物を片付けて家を背負って立ち上がったのだけど、風が結構出ており、おまけにかなり気温も低く、若干横殴りの雨も降っていて出発をためらったが「エイッ」という感じで歩き出してしまった。路上の標示には「現在の気温2℃」とあった。寒いわけだ。歩き出せたのはおそらく、Yahoo天気のアプリでこれから風が弱まるという予報を見ていたからだと思う。穴水方面へ向かう。海沿いの道ではなく、峠を越える山の道へ。

 途中、宇出津の神社の宮司さんにばったり出会った。向かいからの車が僕の隣で停まって「村上さん」というので宮司さんだった。なんという名前かわからないのだけど、神主さんの正装、紫の着物を着ている。

「ばったり出会いましたね」

「お仕事帰りですか」

「仕事帰りです。明日から雪らしいさかい、気をつけてね」

 と言って走り去っていった。なんとなく来年珠洲に来る際にもう一度お参りに行ったほうがいいかもしれないと思った。

 次に声をかけてきたのは頭に洒落た頭巾を被った女性。運転席から

「全部歩いてるんですか? 何県のかたですか?」

 ニコニコと聞かれたのだけど、僕は自分で何県の方なのかわからない。東京にアトリエはあるが、3カ月前から石川県に来ているし、ここ数日は能登町にいる。どこの方ですか? という質問は、特にこの移住生活中は答えるのが非常に難しい。しかし僕はその質問からコロナ禍の文脈を勝手に感じとり、

「3カ月くらいは石川県にいますが」

 と答えた。

「全部ウォーキング?」

「はい。大体は」

「重くないですか?」

「重いです」

「わはは。気をつけて」

 頭巾の女性は走り去っていった。

 ああ、時間切れだ・・・。

 無事コンビニで夕食用の弁当と翌朝用のパンとおにぎりを買い、バスに乗り(他に客はいなかった)、比良のお寺に置いた家に戻ってきた。疲れた。

 それにしても、みんな「重くないんですか?」と聞いてくるが、重いに決まっているだろう。そして「何キロくらいあるんですか?」もみんな聞いてくるが、仮に10キロと答えたとして、その重さ(ヘヴィネス)を想像できるのか? 何よりこの家は単体の重さだけではなく、前後に長いのでそのバランスをとることや、風に煽られるストレスなど総合的な「重さ」がある。キログラムを答えたところで、それはこの家を表してはいない。まあ僕もこんな家を持ち歩いている人を見たら「何キロくらいあるんですか?」と聞いてしまいそうだけど。

 ・・・風が出てきた。外で木々の枝が大きく揺れる世にも恐ろしい音が聞こえる。天気予報を見ると強風注意報が出ている。不安だ。家は鐘楼の土台部分にぴったりとくっつけてあるし、後ろもイチョウやら松やらがガードしてくれているから多分大丈夫だ。そうそう今日の敷地には銀杏がたくさん落ちている。明日の天気予報は雪と雷マークがついている。ついに能登半島名物の雪時々雷が体験できるかもしれない。不安だけど・・・

 七見から比良のちょうど中間地点のあたりで家をおろして休憩していたらまた車が近くに停まり、夫婦と犬が出てきた。

「村上さんですか!」

 と女性が言う。彼女はなんと、僕の絵本を見たらしい。能登では初めて会った・・・。大阪から家族で観光に来ていて、犬はチョコと呼んでいた。たしか。

 21世紀美術館で展示してると言ったら

「これからいきますよ!」

 という。美術館へいくという! そして握手を求められた。一瞬ぎょっとしてしまった。

「握手、、あ、いま握手しちゃいけないのか」

「まあ、別に構いません」

 軽く握手をした。握手がこんなにも重いものになってしまっている・・・一瞬でもぎょっとした自分に驚いた。僕は今いわば1人暮らしで、少なくともこの移住生活中は誰とも濃厚接触はしていない。なので僕は大丈夫だろうという自負があり、そして相手も信用することにした。

 握手してすぐに、海外の政治家なんかがやっている肘をぶつける挨拶にした方が面白かったなと思った。「しとけば良かったな」ではなく「した方が面白かったな」と、そう思った。

「感動しています。伝わってますか? この感動!」

 女性のテンションが上がっている。

「海の道か山の道で迷って、行きは海だったから帰りは山にしようってことになった。山にして良かった~」

「海の道はどうでしたか?」

「景色が綺麗でしたよ。海が凪いでいて・・・じゃあ、美術館にお先に行って拝見してきます!」

 と夫婦と犬は車に戻っていく。僕は握手した右手がなんとなく気になり、麦茶で濯いでしまう。握手という気軽な行為でさえ、体液の交換という意味を帯びてしまっている・・・。

 ・・・先ほどから時々、海の方からズウウウン・・という地鳴りのような音が聞こえる。風か雷か波かわからないが、ものすごく怖い・・・

 また歩き出してしばらくすると、歩いている僕の隣に車をつけて「村上さん、ちょっとお話きいてもいいですか!」とメガネの青年が話しかけてくる。富山ナンバー。鯖江からきたらしい。

「こうやって家を持ち歩いて・・・こ、これで寝てるんですか?」

 僕の姿を見てえらく感動している。先程の女性と同じくテンションが上がり切っていて、「写真とっていいですか?」と記念写真を撮った後、車の後部座席へ慌てて駆け込み、「これお昼代に」と2000円を2枚僕に握らせた。神社での話を思い出し「ありがとうございます」と普通に受けとった。歩き去ろうとしたら後ろからふたたび追いかけてきて、

「寒いと思うんで、お茶どうぞ」

 と暖かいお茶の小さなペットボトルをくれた。これも受け取った。

「いらんペットボトルとかあります?」

「あ、じゃあこれ・・・」

「あ、それ空ですか?」

「中身捨てていいんで」

 と言って僕はバックパックに挿してあった残量15%ほどの麦茶のペットボトルを彼に渡した。捨ててくれるらしい。助かった。

 ・・・突然、ほんの一瞬だけ家の中が真っ白になった。雷だ。稲光が家の中まで透けてきた。しばらくして遠くでゴオンという音。怖すぎ。と思っていたら明蓮寺の住職さんから「大丈夫ですか」というラインが届く。救われる・・・

 鯖江の彼と別れた直後にも、車からでてきて「これよかったら」とお茶を渡そうとしてくれるおじさんに出会ったのだが、「いまお茶もらったばっかりで、荷物になっちゃうんで」と断った。おじさんは「重くなるね。じゃあ」と車に戻っていった。17キロほど歩いて、比良に到着。朝早く出発するとこれだけ長距離でも、心だけでなくなぜか体力にも余裕があるような気がした。でももう6キロ歩いて穴水の中心部まで行くには時間が遅かった。

 比良にはお寺が3軒並んで建っており、一番手前の寺から敷地交渉を始める。最初の寺は坂の上にあり、僕は坂の下の、隣の家の隙間の側溝みたいなところに斜めに家を置いてお寺に行きチャイムを押したのだけど留守のようで誰も出ず。坂の下に戻って家を担ごうともぞもぞしていたら「こんにちは。今日はここでおやすみですか?」と、ランニングウェア姿のおじさんが話しかけてきた。

「いや、お休みするところをいま探してるんです」

「ここはやめておいた方がいいと思います。車も出入りしますし・・・」

「いや、ここでは寝ませんよ。お寺へ上がって聞こうと思ったんですがちょっと住職が留守だったので」

「はい。はい」

 おじさんは去っていった。住宅街のど真ん中で地面も斜めになってるし車の邪魔にもなるこんなところで寝るわけがないだろう、なんて頓珍漢なことを言うんだろう・・・と思ったけれど、おそらくほとんどの人はこのおじさんくらいの認識なのだろう。僕はこれを長くやるうちに色々な経験を経たので「こんなところではとてもじゃないけど寝れない」と当然のように思えるけれど、初めてこの家を見た人は「ここで寝るのかな」と瞬間的に思ってしまうのかもしれない。

 ・・・先ほどから雷が立て続けに何発も鳴っている。すぐ近くに木があるのが怖いので、家の中にいながらぴょんとジャンプして銀マットを動かし、次にずるずると家を引きずり、3メートルほど動かした・・・

 2軒目のお寺では女性(おそらく住職さんの奥さん。この「奥さん」を指す言葉、他にないものか)が出てきて言う「住職はいまちょっと留守にしてる」。敷地を探していると言ったら。

「あのね、もう少し行きますと川尻というところがあります。昔の学校がありまして、その横に、なんちゅうのかな・・・民宿じゃないけどそういう自動車とか、キャンピングカーとかそういうのを貸してるところがあります。そこ行って聞いてください」

 と言われた。Google マップには載っていない情報だ。3軒目もだめだったらそれを探してみようかと思った。そして3軒目。国道から比良の集落に入って一番奥の寺。チャイムを押したら男性、おそらく住職さんがでてくれた。明らかに怪しい人間を見る目を浴びるが、ここで挫けてはいけないと思い説明する。

「通りすがりのものなんですけども、こういう発泡スチロールで作って家を肩に背負って、絵を描きながら能登半島を回っているものなんですけども・・・」

「はあ。はい」

「このあたりでこの家の敷地を探してまして」

「ぁぁ・・・」

 消えそうな声でなんとか相槌を打ってくれているけれど、住職さんはちょっと固まってしまっている。これはまずい。しかしこの状態なにかに似ていて面白い・・・そうだパソコンがフリーズしている感じだ・・・と思ってしまった。

「・・・それで、境内を一晩貸していただけないかっていうお願いなんですけど」

「はぁ・・・そうですか・・・・・・はあ・・・ああ・・・・はあ・・」

 両手が所在なさげにお腹の前に浮いたまま固まっていて、なんとか飲み込もうとしてくれているであろう無言の時間が数秒続く。ものすごく良い人なんだと思った。沈黙に耐えきれず

「家はいま、下においてあるんですけど・・・」と言って「ははは」と僕の方から笑ってしまった。笑うという文化があって助かった、なんて多くの気持ちを表現してくれるんだろうと思った。無理にとは言いませんが・・・と言いかけたところで

「他・・・道路とかはダメなんですか?」

「そうなんです・・・ずっといまお寺とか神社とかの境内を借りながら、外浦を歩いてきて、いま内浦を南下している最中なんですけど」

「ああ、そうですか・・・ただ・・・アレするだけなんです?」

「はい。家を置いて・・・なんだろう・・・境内を、一隅を貸していただけないかっていう、ただそれだけなんですけど」

「はあ・・・まあ・・・いいっちゃいいですけど・・・」

「本当ですか?」

「水とかは? あることはありますが・・・」

「水とかご飯とかは、家さえ降ろしちゃえば、僕はバスに乗って穴水駅の方まで買いに行ったりできるんで・・・。ていう感じで・・・いかがでしょうか」

「火は使いますか?」

「火は使わないです」

「はあ。買いもんに行くわけですか」

「はい買い物には・・・出掛けたりはしますけど・・・一切お構いなくで」

「はあ。何もしなくていいんですか?」

「はい。場所だけ貸していただけないかっていう、話なんですけど」

「それは別にいいですけども」

 という、お互いにとってタフな時間を経て敷地が決まった。

 家を下ろし、風呂道具とパソコンと絵の道具を入れたバッグを肩にかけて出かける。このあたりにはご飯が買えそうな店はないようだけど、すぐ近くにあった「栗田商店」という小さな店に入ってみる。男性客が出てくるところに鉢合い「こんにちは」と声をかけられる。

「こんにちは~、ここタバコ売ってますかね?」

「タバコ、売ってますよ! ははは」

 どうぞどうぞ、という感じで僕を店に促す。店内は小さな2つの棚に「ばかうけ」や小さなどら焼きの小包装のお菓子や森永のクッキーなどが並んでいて、飲み物のケースも。カップラーメンもあった。ここでお湯を入れてもらって食べるのもいいかもしれないと思った。ガラスのレジカウンターの下の棚に、4、5種類の銘柄のタバコが並んでいる。レジのおばちゃんに「タバコ買いたいですけど」と言ったら、

「はいはい。タバコ、好みのものあるかしら。軽いのしかないんですけどねえ」

 確かに並んでいるのはどれも1という数字の書かれた軽いものばかりだった。そのなかで「LARK」だけが何故か9ミリ。ずらっと並んでいる。誰か特定の客がいるんだろうか。その人のために取り揃えているんだろうか。

「いまタバコ喫む人もいなくなって・・・」

「そうですよねえ」

 僕は「ウインストン」の1ミリと、「ココアサブレ」を買った。自分が家と共に歩いて移動していることを伝えたのだけど、おばちゃんは驚くほどすんなり飲み込んでいた。すぐに「それは嵩張るでしょうに」と反応した。このあたりに風呂はないかと聞いたら「キャッスル真名井」のことを教えてくれた。また穴水駅前にあるプルートという施設に大森さんという金沢美大出の画家の変わった絵があるという情報をもらう。

「ここがあって助かりました」

「はいはい。田舎の店やから、まあこんな感じ」

 そのまま「西比良」というバス停へ。穴水駅行きは15時54分発。助かった。あと15分後くらいだった。これを逃したら2時間後だ。そしてそれに乗ってしまったら、もう帰りのバスはない。バス停は国道沿いで、その国道は海に面しているのだけど、海面がすごく凪いでいて、日本海なのに瀬戸内海とか湖みたいなちゃぷん、ちゃぷんというわずかな波の音が聞こえる。手すりから下の海を覗き込むと、陶器の破片とかビニールの紐の残骸とか空のペットボトルとか、ゴミも結構目立つ。正面を見ると、左から迫り出した岬があり、その対岸まで500メートルくらいかあ。それの稜線が海面まで下りて途切れるところには、右からの岬が2つ迫り出していて、リアス式海岸みたい。その向こう側にも山並みが見える。なので水平線が見えない。溜まった水みたいな海だ。もうすこしで水面に景色が映り込みそうなくらい。車の音だけがうるさくて、あとは本当に静かだった。バスの時間までの15分がとても豊かだった。たった15分。だけどよく覚えている。すこし穴水方面へ歩いたところで海を覗き込むと、海底がすとんと深くなっていて、トラフグみたいな模様の小魚が泳いでいた。バス停で待っている時、通り過ぎる車のドライバーたちがみんな僕の顔を見てきた。僕はとてもストレンジャーだった。

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12月14日

 14日。現在8時半。外気温2℃。家の中はもうすこしマシだろう。寝袋に入っている体は暖かいが、タイピングしている手が悴む。朝起きたとき「生きてる~」と思った。雷に打たれることなく生きている。ラッキーだ。昨夜はよせばいいのに、バッテリーも残り少ないiPhoneで「落雷 確率」などと調べてしまった。宝くじで1等があたる確率と同じくらいとか、それよりもっと低いとか色々書いてあり、しかしそんな数字を見て安心しようとしても目の前で雷がドーンドーンと鳴りまくっている恐怖とは全く関係がなかった。

「大丈夫ですか?」

 と外から住職さんの声。

「大丈夫です!」

 僕は窓を開けて顔を見せる。青と黄色の洒落た雨合羽を着てマスクに竹箒と籠を持ち、これから掃除を始めるであろう住職さんが覗き込んでくる。

「食べものとか、そんなん」

「おはようございます。大丈夫です!穴水の方のコンビニでご飯買ってきましたので」

「そうですか。ひどく、荒れましたねえ」

「そうですね。昨夜はひどかったですね」

「大丈夫かなあ思て」

「大丈夫でした。ははは」

 また1日が始まる。昨日は天気が荒れすぎて家を出られず、歯が磨けなかったのが気持ち悪い・・・。

 昨日「湯ったり館」でフロントのおじさんから「このあたりにキャンプ場はありますか?」と聞き、「近くに文化センターというところがある」という情報を入手した。冬はやってないかもなあ、とも言っていた。今日はそこへ行ってみることにする。

 外が寒すぎるので家から出る気になれず、昨日買っておいたパンを食べ、そのままごろごろしているうちに二度寝をして11時ごろに起きた。外は雪。積もりそうだ。最初に起きた時は雨だったけれど、1時間もしないうちにみぞれになり、今とうとう雪になった。そしてどんどん大粒になっている。絵はちょっと外では描けない。2℃は寒すぎるし雪が降りすぎている。写真を撮って後でどこか屋内で描くことにする。家から出ないまま荷物を片付け寝袋と床を丸め、窓を開けて出発体制を整えてからお寺へ出発の挨拶をする。チャイムを鳴らしたら住職さんと、昨日は会えなかった奥さんが二人で出てきて「気をつけて」と言ってくれた。

「何もお構いできず・・・」

 と住職さん。この言葉が面白かった。僕はここでは本当に敷地を借りただけだ。このプロジェクトの最も理想的な形。敷地だけを借り、あとの風呂や食事は町でどうにかする。そして出発する時に敷地の持ち主から「何もお構いできず・・・」という言葉が出てくる。面白すぎる。敷地を出る時、奥さんが外に出て見送ってくれた。

「雷すごかったですねー」

 と言った。地元の人にとっても昨日の雷はすごかったらしい。というか雷に慣れることなんてあるんだろうか。

 最初に書いた通り「文化センター」を目指して歩き始めたのだけど、これまで各地で少しずつ充電しながらどうにか持たせてきたiPhone用のモバイルバッテリーの充電がすでに切れており、パソコンの充電も切れそうになっていること、そして雪がどんどん大粒になっていてとにかく寒いこと、昨日の絵も描けておらず、今日の絵も描けそうにないこと、「マンダロリアン」の最新話が見られていないことなど諸々考えて、外泊してもいいかと思い始めた。つまり今日はどこか宿を探してオフィスとしたい。調べたら、昨日風呂場として使った「キャッスル真名井」には当日素泊まりプランがあり、政府のGoToトラベル事業の割引を適用すれば2700円でいける。これは行くしかない、ということで歩きながらインターネットで予約し、「キャッスル真名井」へ向かう。比良から6キロ強。

 僕が「家を持ち歩いているので、泊まっているあいだ外に置いておいてもいいか」と聞いたら「キャッスル真名井」(面白い名前なので何度も書いてしまう)のフロントの女性は「今夜は雪が結構積もると思うので、館内のロビーに置かれてはいかがでしょうか」と言ってくれ、僕の家も今日は屋内で過ごしている。そして今僕の体は、フロンガスを利用した暖房設備と断熱材により外気温より24度も高い温度をキープしている和室にある。回線速度に若干の不安があるがWiFiも完備されている。そしてお湯が・・・お湯がでる洗面もある。最初、部屋に入ってお湯で顔を洗ったときはえらく感動してしまった。「すげーさいこーだー」と口に出してしまった。僕は普段一人でいる時に何か口にすることはほとんどないのだけど、この時ばかりは出てしまった。立ち上がってここから5歩も歩けばウォシュレット付きのトイレもある。部屋を出て10歩も歩けば共用のコインランドリーもある。顔を洗いながら「スーパーボーナスタイムの始まりだ」と思った。これから何をしてやろうか、まず風呂か、それともご飯の買い出しか。服も洗えるし、風呂にも入れるし・・・。快適だ。快適すぎて何もしたくない。何も描きたくないし書きたくない。ビールを飲んでマンダロリアンを見たい。しかし僕は日記を書かなければいけない。絵も描かなければいけないし、マンダロリアンを見たらその感想を日記に記さなければいけない。何故なら僕は作家だから。まずは食料の買い出しか、それから風呂に、いや大浴場に入り、そこで出た洗濯物をまとめて洗い、洗っている間に仕事でもするか、と予定を組み立て、傘だけもって出掛けた。身軽だ。このスタイルが一番好きだ。大きな荷物は歩行の邪魔だ。

 キャッスル真名井を出て山を下り、穴水の港を左手に見ながら20分くらい歩くと橋があり、そこを渡ると市街地である。まったく能登半島は、橋を渡ったら町になってたりトンネルを抜けたら町になってたりと、 本当にポケモンみたいだ。食料を買って宿に戻るつもりで出かけたのだけど、途中で「九十九(つくも)」という気になる店を見つけた。

 ・・・と書いていたら仕事関連のメールが来た。インターネットにつながっているからパソコンでもメールが即受信できる。即返信できる。なんて素晴らしいんだ。もうすこし都市部で移住生活をやっているとネットや電源が使えるカフェがあるので珍しいことではないけれど、能登半島ではそうやってオフィスとして使えるカフェには今のところ出会っていない。なので、もっぱら自分の家をオフィスとして使ってきた。東京では僕の家はただ眠りに帰るだけの「寝室」だった。ここではオフィスにもなっている・・・

 この「九十九」という店、まず表の看板に「ファーストフード 九十九」「お好み焼き 焼きそばの店 九十九」「大判焼 タコ焼 鉄板焼」という文字が並んでいる。看板のフォントやさびれ具合から、かなり前から営業してそうだ。特に「ファーストフード」という文言が気になり、路上で立ち止まって店内を見ていたら、中の厨房に立っていたおばちゃんからガラス越しに会釈されたので吸い込まれるように入った。入ってすぐに最高の店であることがわかった。時刻は15時半くらいだったのだけど店内には2人と1匹の犬、いずれも地元の客がいて、人間の片方のおじちゃんはビールを飲みながら定食を食べている。土方っぽい格好、スノーブーツ。もう片方の客のおばちゃんも何かはわからなかったけれど何かを食べている。こちらは長靴を履いている。犬はおじちゃんの下で、なんとも落ち着かないらしくうろうろしている。幼い頃に通っていた地元の駄菓子屋を思い出した。あれをそのまま大きくなって定食屋にした感じだ。集まっているのが子供でなく大人というだけ。

 おじちゃんの向かいに、店員らしきおばちゃんが座り込んで賑やかに喋っている。「すごい雪や、こりゃ積もるわあ」と言ってみたり、笑ったり、犬に「つまらんなあ、つまらんよなあ」と話しかけたり、「それ昨日の新聞やろ、今日は休みやさかい」と客のおばちゃんに話しかけたり、「うちの母親ってば、ちょっと変わって人でぇ、勉強ばっかりしとったさかい、炭酸飲んだら体にどうとか、ほんとにうるさい人やったよ」とおじちゃんに話しかけたりしている。おじちゃんは「ああ・・・うん・・・うん・・・ああ」と、話に興味はなさそうだがきちんと相槌を打って聞いている。メニューも、焼肉がまず書いてあり、そのしたに何故かコーク・ハイ、黒 ハイボール(ってなんだろう)というアルコールがふたつ並び、その下に野菜炒めやらエビフライ、カキフライ、オムレツ、コーン・バター、焼き牡蠣(時価)なんてのもある。生ビールもあるし、ハントンライスもあるしお好み焼きもうどんも蕎麦もカツ丼もある。店の雰囲気もメニューも全てが最高。時々アン! と寂しそうに金切り声をあげる犬と、それにうるさい! と2人の客が言うのも最高だ。天然記念物みたいだ。僕は「焼きそば定食」を頼んだ。豚汁と焼きそばとポテトサラダと漬物とご飯。ビールも飲んでしまった。店員のおばちゃんは僕のようなストレンジャーにわざわざ話しかけることもせず、淡々と料理を提供してくれた。これもありがたかった。テーブルが2つとカウンターだけの狭い店かと思ってご飯を食べていた。しかし僕が座っている席の左に派手でカラフルな花柄のステンドグラス風のシートが貼られている窓があり、それはこちらの景色を映しているものだと思っていたのだけど、よくよく覗き込むと、向こう側があった。向こう側にこちらの客席の3倍近くはある空間が広がっている。30人くらいの宴会ができそうだ。穴水は良いなあ、この店があるだけで良い町だなあ。

 九十九でお腹いっぱいになり、スーパーでパックの寿司(大振りな握り寿司8貫入りで498円、2割引で398円だった。安すぎる)を買い、コンビニで例のゴールドチョコレーズンと温かいジャスミン茶とサンドイッチと納豆巻きとランチパック(数年ぶり)をGoToトラベルクーポンを使って買い、ロビーに安置されている家を確認してから宿に戻ってきて、風呂に入り洗濯機を回し乾燥機に移したのが1時間半前。もうとっくに終わっているだろう。これからそれを取り込み、絵を描くか、「マンダロリアン」を見るか・・・。

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12月16日

 眠い。雪と風が吹き荒れて寒く、地面も積雪によりボコボコで大変なことになっていてまるでスキー場みたいな屋外で食料の調達を終えて帰ってきた温かい部屋。眠くなる。パソコンの隣には先ほど買ったばかりのプラスドライバー。僕はこの先、このドライバーを見るたびに穴水の町を思い出すだろう。

 ・・・結局寝てしまった。風呂に入って戻ってきた。もうすっかり夜になっている・・・

 僕はまだ「キャッスル真名井」にいる。今夜で3泊目だ。さすがに3泊は泊まりすぎではないか、と思いかけて、なにをそんなに恐れているのか、どこに何日泊まろうが僕の自由ではないか、と思いなおす。素泊まりで3000円前後。むしろ資本主義に則してサービスを得ているのだから、他人の敷地を借りて生活をしているときよりも胸を張っていいくらいだ。天気が悪すぎる。外は相変わらず雪が降りまくっている。完全に足止めを食らっている。なにが1番の問題なのか昨日考えてみたのだけど、たぶん靴だ。僕の靴はColumbia製の防水ハイキングシューズだけど、この積雪量では足と靴の間から雪が入ってしまう。50センチは積もっているんじゃないか? 積もりすぎだ・・・。しかも僕以外の皆さんは自動車移動で、歩いている人はほとんどいないから雪は車道の路肩に溜まっていく。そこを歩かなくてはいけない。それでも市街地に入ればまだ歩道があり、数人の歩行者たち(同志)がいるからみんなの靴跡が「道」のようなものを形成しているからマシだけれど、おそらく街を出たら歩いている人など本当に誰もいなくなり、50センチの雪のなかを、家を背負って進み続けなければいけなくなる。そんなことはできない。いやできるかもしれないけれど、少なくも長靴は必要だ。札幌で買ったあのミツウマの長靴が手元に欲しい・・・。

 昨日は日記を書かなかった。溜まっていた絵を2枚描いて、あとは別の原稿を書いたり、山を降りて食料の買い出しに行ったりごろごろしたり。キャッスル真名井は山の上にある。山というか、能登湾に迫り出した半島の上に建っており、部屋の窓からは湾になっている穴水の港と市街地が望める。ここは牡蠣が美味いらしいけれど、結局食べられていない。「九十九」で食べておけばよかった。九十九は、昨日と今日はお休みだった。山を降りて町のコンビニにいくまでのあいだ僕の他に歩いてる人はほとんどいないので、僕が道を作っている。行きに歩きながら作った道を使って帰ってくる。つまり僕がコンビニに行くための道を僕が作っているということだ。なんだかかっこいいぞ。ちょっと言い過ぎかもしれない。道を作っているのは僕だけではない。もう二人か三人くらいはいるだろう。でもそのくらいの人数で山を降りるための道を作っている。

 一昨日の夜『マンダロリアン』を観た後の時点では「明日にはこの宿を出て、隣にある「文化センター」内のキャンプ場か、穴水の市街地にあるお寺で敷地を借りよう」と思っていたのだけど、昨日の朝チェックアウトの前にキャンプ場の様子を見に出かけた際にあまりの悪路に「これはもうやめよう」と思い、フロントで「1日延泊したいのですが」と申し出た。キャンプ場も電話したが「冬は、水道の関係でやっとらんのですよ」と言われた。そして今朝も「もう1日延泊したいのですが」と言い、今に至る。

 昨日の朝、次の「敷地」と、できれば屋内で仕事ができる「オフィス」をこの雪と気温の中で探す過酷さを考え、事前に情報を収集しておこうとグーグルマップを見ていて気がついたのだけど、口コミとして書かれている全ての情報が「あること」を前提にしている。だけどそれは誰も言及していない。おそらく意識もしていない。特に道の駅について書かれた『少し照明が暗く入りにくい感じはある。しかし入ってみると中は凄い充実しており良いと思う。店員さんの方言もすごく味があっていいと思った。』『名産品がぎゅっとつまった店。個人的にはカラスミ風鱈子がオススメ。酒の肴に最高。』この二つの口コミを見てそれを強く思った。前提にしている「あること」が何なのかは言葉でうまく説明できないのだけどなんというか、家から出かける先としてしか、この施設を認識していないことに関係している気がする・・・。家の「敷地」を探し、多少の暖房が効いていて椅子に座れる「オフィス」を探している僕からすると、ここに書かれている情報は全て、いわば社会のインサイダー達の口コミだ。移住生活をしているから気がつくことができる、見えないバリアを感じる。僕が路上でされる質問も同じだ。『どこからきたの?』『何県の人?』『どこまで行くの?』これらは全て無意識の「前提」に立った上での質問になっている。思考が型にはまってしまっている。僕はその前提には乗れないのでうまく答えられない。香川県で制作した家を使って6年前に東京で始めたこの移住生活プロジェクトにおいて僕の家は日本国内外を断続的に移動し続けてきたし、僕の体は3カ月前から金沢で滞在をはじめ、1カ月間に金沢を出て、1週間前は輪島市、3日前は珠洲市、昨日は能登町にいた。そんな状態で「どこからきたの?」という質問をされたらどう答えればいいのか。苦肉の策として「北から来ました」と言ったりする。この可笑しさに質問者は気がつかない。違う世界の住人と話しているみたいだ。世界が変わってしまっている・・・。

 ・・・先ほどまでロビーで日記を書いていたのだけど足元が寒くて部屋に戻ってきた。日記は人の目があるほうが集中的に書ける。小説は一人で部屋に篭っていないと書けなかった。実に不思議だ・・・

 今日の日記を書かねば。朝は松波酒造の聖子さんから電話がかかってきた。

「もう金沢ですよね! え? まだ穴水にいるの? 雪に埋もれてないですか? キャッスル真名井にいるのね。ああ、お風呂もあるし。ああ、なるほど・・・」

 それから昼まで寝てしまって、昨日コンビニで買っておいたサンドイッチを食べてから食料の調達のために山を降りた。一瞬だけ晴れたり、突然吹雪になったりめちゃくちゃな天気だったけれど、穴水を少しだけ散策した。この町には鉄道の駅がある。その駅前で洒落たカフェ・バーを見つけ「カレーランチ」を食べた。僕の他に若い男女の客が1組。僕は靴下を2枚履きしていて足が窮窟で、窓の外は雪景色で、駐車場には屋根に雪が積もった車が並んでいて、しかもカレーを食べていて、なんだかスキー場にいる気分だった。苗場の。カレーと雪という組み合わせは「スキー場」を思わせる。なぜだ。

 店を出て歩いていたら、僕をトラックで迎えにきてくれると言っていた例の花屋の人からメッセージが届き「穴水はちょっといけないかも」という話になった。雪もすごいし、金沢から来てもらうのも申し訳ないので、自分でワープできるので大丈夫です~という旨のメッセージを送り、それからプラスドライバーを探す旅が始まった。車のドライバーではない。あと2、3日以内には金沢21世紀美術館に戻らなくてはいけないので、家を分解して電車で運ぶしかない。そのためにはドライバーがいる。あまりやりたくないけれど仕方がない。穴水駅はのと鉄道七尾線の最初の駅なので、家も積みやすい。

 まず「よしむら文房具店」に行った。店のおばちゃんが「何をお探しですか?」と聞いてくれた。

「ドライバーは置いてないですねえ。すいません」

「穴水でドライバーを置いてる店はどこがありますかね」

「この道をもう少し行くと、水口さんていう荒物屋さんがあるから、そこなら」

「ありがとうございます」

「そこになければ、もう一本入ったところに、しみずさんていう店が、そこならあります」

 よしむら文房具店から5分ほど歩いたところに「水口荒物店」を見つける。そこもおばちゃんが店番をしていた。

「ドライバーって置いてますか?」

「ああ、うちはないですねえ・・・」

「そうですか。どこで買えますかね?」

「ああ、ここを出ていただいて、左に曲がる道があるでしょう?そこを入って、すぐ右に曲がっていただいて2、3軒目に。しみずっていう」

「しみずさん。ありがとうございます」

 おばちゃんのいう通りに進むとすぐに「しみず」と平仮名で書かれた店を見つけた。Googleマップ上では「しみず硝子建材店」と書かれている。奥行きのある店で、ざっと目にした感じだとドライバービットとか工具とか接着剤が並んでいた。ここでもおばちゃんが店番をしていて、僕が入るとすぐに「はい、なにをお探しでしょう」と言わんばかりに近づいてきてくれる。

「ドライバーってありますかねえ」

「ドライバーって、普通に手で回すやつ・・・ですよね」

「はい。プラスの普通のドライバーなんですけど。小さいやつでいいんですが」

「これなんか良いやつですけど」

 おばちゃんはビニール袋に何本か入っている、硬いゴムのようなグリップの太いドライバーを棚から出してくれた。赤と黒の2色あった。

「あとこれはもうすこし小さいやつ。あんまり力入らんかもしれん・・・」

 今度はその隣の小さな紙箱に何本も入っている、グリップが透明なプラスチックでてきた15cmくらいのドライバーを出してくれた。

「ああ、これで大丈夫です。これください」

「一応、ベッセルやし、ちゃんとしとります。あと磁石がついとるんやないかな」

「ああ、マグネット付きって書いてありますね」

「ベッセルやし。使いやすいと思います。400円です~」

 とおばちゃんは言う。僕は千円札を手渡す。

「はい。領収書は?」

「あ、レシートでいいです」

「はい。400円のレシートと、600円のお釣りです」

「ありがとうございます」

「ありがとうございますー」

 店の電話が鳴る。おばちゃんは、受話器をとって「はい、しみずですー」と言う。僕はガラス戸を開けて店を出る。相変わらず雪が降っていたけれど、なんだか体が暖かかった。ドライバーを1本買うのに3軒も店を梯子し、買う時にも店のおばちゃんと短くも貴重な、ああでもないこうでもないというやりとりを経て手に入れたこの400円のドライバー。大事にしようと思った。


12月17日

 なんだか鼻風邪をひきかけているような感じで体調が優れない。エアコンを一晩中つけたホテルの部屋で何日も寝ていたからだと思われる。「移住を生活する」をしている間は、下手に屋内で眠ると体調を崩すというジンクスがあるのだけど今回もぴったりと当てはまってしまった。宿の布団よりも下手したら寝袋のほうが暖かいかもしれない、というのもある。

 内灘の道の駅で連絡先を教えてもらった例の金沢の花屋(「花あしらいcerezo」という)の人(北原さん)から「せっかくだから迎えにいく」という旨の連絡があり、キャッスル真名井まで店のトラックで来てくれた。12時過ぎに到着した北原さんは「乗り掛かった船だから」と言っていた。

 「これから菅池町の実家にいって、そこで工務店の人から竹をもらわないといけなくて、お正月に店で使うから。そこでご飯食べて、金沢行って、途中お風呂あるから、そこでお風呂はいろう! それで夜はわたしの店で泊まればいいよね」

 運転しながら北原さんは1日の行動計画を早口で僕に伝える。僕は「なるほど、僕は今日そのように動けばいいのですね」と思いながら聞く。竹というのは、お正月で使う小さな門松の商品用のようだ。以前は門松作りの教室なんかもやっていたけれど今年はコロナでそういうワークショップもできなくなった。北原さんは大学を出た後金沢で就職したが、そこでお花に出会って仕事を辞めて東京の花屋でしばらく働き、戻ってきて自分の店を立ち上げた。「就職中にお花に出会った」という言い回しが気になったので聞いてみたら、

「フラワーアレンジメントで出会ったの。それまで日本のお花の業界では生け花が主流やってん。それで花嫁修行じゃないけど私たちぐらいの年代の人はみんななんとなく習ってた。その生花が急にヨーロッパスタイルになってん。生け花って大体3種類ぐらいのお花で、枝があって、お花があって、葉っぱがあるみたいな。そういうパターンやったのが急に、満開のお花がいっぱいみたいな。それで惹かれてしまった。夜行バスで東京の教室通ってたかな」

 と言った。ものすごく元気で早口だけど滑舌が良い北原さんは、「(エンジンの音が)うるさいな。ああ、セカンドに入っとった・・・」と、いろんなことを一人で口に出しながら車を運転するので、僕は一緒にいてとても楽だった。雪で白くなった道路を賑やかに走りながら道中、パーキングエリアなのに本格的な魚屋が入っている所に寄って、大きめの発泡スチロールの箱に満載の魚、50センチくらいあるボラとか、カマスとか、フクラギ(ブリの子供)とかが入って1000円という驚異的な安さの魚セットを買い、菅池町の北原さんの実家へ行った。菅池町は25軒くらいの家が集まっている小さな山間の集落(北原さんは「ムーミン谷みたいやろ」と言っていた)で、雪は穴水ほどではないにしろ、20センチは積もっていた。

 そこで僕はボラを捌いた。ニジマスとかアジとかサンマとかは捌いたことがあるけど50センチもあるボラ(能登では「ボラ待ちやぐら」と呼ばれる、今や観光名所としてのみ機能している海上に立つヤグラがある。昔からボラを食べる風習があるらしい)を捌くのは生まれて初めてだった。さらに言えば北原さんもその両親も、捌いたことがなく、食べたこともない。YouTubeで捌き方を勉強しながら、鱗の大きさや頭に刃を入れたときに流れてくる真っ赤な血の量にびっくりしながら、1時間くらいかけてどうにか捌ききり、鍋にして4人で食べた。

 北原さんのお父さんが、強い訛りと方言でいろいろなことを1時間近く話してくれて、僕は「はい。はい」と頷きながらどうにか聞き取れたのは「皆月という海に行けばサザエがとれた。サザエは光に寄ってくるから電灯で照らす。そこには雪割草という花、冬の終わりに最初に咲く花があり、それを見にくる客もたくさんいる」「コノハイシという石が馬緤町というところにある。木が石になったものだ。それは天然記念物だ」という内容。北原さんのお母さんからは、夜金沢へ向けて出発するときに「気いつけて。そんな寒いことやっとらんで」という言葉をもらった。

 金沢への道中、僕が歩くことの面白さ(「歩くことは街を自分のものにしていくことだ」というようなこと)や、大学生時代に散歩サークルをやっていたことを話すと北原さんは「ランニングしてて似たように思うことある。なんとなくいつものルーティンで同じ道を通って目的地まで走ることも多いけど、ここの道は行ったことがないから行ってみようと思い、それで違う道を走って目的地に着くと、そこが違うものに見えることがある。それに気付くと、自分から見え方を変えようと違う道走ったりしてみる」と言ったのが面白かったし、何かが伝わった気がして嬉しかった。北原さんは夜になっても朝と全く同じように賑やかだった。

 千里浜にある「ユーフォリア」という温泉施設に寄って風呂に入り(この時に体調が悪いことに気がつく)、金沢の「セレソ」に到着したときには夜9時半を過ぎていた。「セレソ」はものすごく洒落た花屋だった。生花だけでなく、鉢に入った観葉植物もたくさん並んでいて、ドライフラワーのようなものもたくさんぶら下がっている。創業26年らしい。薪ストーブもある。僕は店内のレンガの床に敷かれた人工芝に家を置いて寝た。

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12月18日

 朝起きて外に出たとき「大都会やー」と思った。3階建ての建物がたくさん並んでいる。気温も全然違った。やはり奥能登は寒かったのだ。金沢と比べるとよくわかる。「セレソ」が入っている2階建てテナントビルの絵を描き、そのコピーを接客でバタバタしている北原さんのデスクに置いて「またきます!」と言って別れ、金沢21世紀美術館までの4.5キロおよそ1時間、久々に「都会」と呼べる街を家を持って歩く。人は多いが、奥能登のように「ごくろうさま」とか「どこからきたの?」と話しかけてくる者はいない。1組だけ「うわ、すげえ。こんにちは」と声をかけてくれた若いカップルがいたが、ほとんどの人は黙ってスマートフォンのカメラを僕に向けてくる。僕も負けじとiPhoneを窓から外に向けて景色を撮影する。ここは弱肉強食の世界だ、味方はいねえ、みんな敵なんだぜ、と思いつつ、なんだかぴりぴりしながらひたすら歩き、美術館に到着したら職員さんが何人も「おかえりなさい~」と出迎えてくれた。ぽかんとしてしまった。家を館内に置いて学芸員の野中さんと黒澤さんがお昼ご飯に連れて行ってくれたが、どうも現実味がない。長らくジャングルで一人狩猟採集生活をしてきたのに、突然王宮に招かれて客人接待をされているような、そんな急な変化に心が追いつけずに、適応するのにしばらく時間がかかった。

 延べ1カ月間行った「移住を生活する 能登半島編」はこれで終了。自分の日記データを見返して思う。書きすぎだ・・・。1日平均5000字は書いたんじゃないか? 毎日この量の日記を描き、家を担いで歩き、絵も描いている。体力増えてるんじゃないか?

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村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

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編集部からのお知らせ

金沢で、村上慧さんの展覧会が開催されています。

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村上慧 移住を生活する

会場:金沢21世紀美術館 展示室13
会期:2020年10月17日(土)-2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、
11月24日(火)、12月28日(月)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800

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