自分の地図をかきなおせ

第10回

蛾とは約束ができない

2020.09.28更新

 何日か前の夜アトリエでの作業の帰り、アパートの外階段を登っているとき、手すりの下に2センチくらいの小さな蛾がとまっているのを発見した。若草色とでも呼びたい雅びな羽を左右に広げて黒い鉄骨にぴったりとはりついていて、あまり見ない種類だったので印象に残っていたのだけど、翌日の夜もその蛾が全く同じ場所にとまっていた。丸一日ここでこうしていたらしい。なんてやつだ。

 僕は蛾を最初に発見した翌朝家を出て(この時は階段を降る方向だったので気がつかなかった)京王線に乗って新宿3丁目駅まで行き、紀伊國屋書店の1~3階をざっと見てまわり、文化庁の補助金の申請書類を書くために喫茶店に入って、こういう類の文を書くのはどうしてこんなに体力を使うんだろうなんて思いながら2時間ほど作業をしたところで効きすぎた冷房に耐えられなくなり店を出て、世界堂に寄ってボールペンコーナーをチェックしてから電車で再び京王線に乗り、つつじヶ丘のアトリエに帰ってラジオを聴きながら来月から金沢で始まる展覧会のための作業を夜0時までやった。この蛾はその間ずっと手すりの鉄骨にとまってじっとしていたということになる。今日はいろいろ仕事ができたかなと思っていた自分がみすぼらしく感じてしまう。

 蛾というのはおそらく動物の中でも独特な時間感覚を持っている生き物で、何時間でもじっとしているところを時折見かける。3日も4日も同じところにとまっていて、そのまま死んでしまったりする。どうかしている。蛾は気温が上がらないと活動できないのでそれを待っているのだと昔どこかで聞いたことがある。その日は涼しかったので暖かくなるのを待っていたのかもしれない。それにしてもじっと体をこわばらせて、このまま気温が上がらないかもしれないという絶望に耐えながら過ごし、ついにはそのまま死んでしまうというのはどんな心境なのか。死にたくないと喚きもせず、なにか難しいことを考えて死に意味を与えようともせず、ただその時が来たらふっと地面に落ちていく。敬服してしまう。なんて高貴な生き物だろう。

固有の時間と公の時間

 僕は蛾になったことがないから断定はできないのだけど、きっと彼らはそれぞれに固有の時間を生きている。一人で生まれ、幼虫の頃は鳥や爬虫類などの天敵から隠れながら、誰に教わるでもなくこれと決めた特定の種の葉っぱを食べるだけ食べてから羽化の体制に入り、成虫になってからは何も食べずに(ときどき水は飲むらしい)飛び回って交尾の機会を伺い、他の個体(こいつもまた固有の時間を生きている)とタイミングが合えば交尾に成功するし、合わなければある日ぽろっと一人で死んでいく。人間のように他の蛾と待ち合わせをして交尾をしたり、一緒に水を飲みにいったりはしない。想像してみてほしいのだけど、その世界には24時間という時間の単位が無いので他の人と何かを約束することができない。携帯電話がない時代でも人と人が待ち合わせることができたのは、「夜7時」は誰にとっても「夜7時」であるということが共有できていたからで、時間もそれぞれバラバラとなると、待ち合わせなんかできない。蛾はきっとそんな世界を生きている。人はまず時間を発明し、それから携帯電話を発明したことで、「待ち合わせる」ことを可能にした。(今は時間の話をしているので省くけど、住所の発明もきっとここに絡んでくる。そう考えていくと「東京は夜の7時」というあの名曲の歌詞がなんだか哲学的に響く)

 僕は蛾と違って固有の時間を生きることを許されていない。今日もこの国の全員が同時に「19時」と認識するタイミングから始まるオンラインインタビューを受けないといけないし、「28日」までには家賃を支払わないといけない。金沢の展覧会にしても、関係者の方々と○日までにこの作業を終わらせ、○日からは展覧会がオープンするので、その○日前までに展示を完成させたいなど、数え切れないほどの約束をしている。僕は1日は24時間という約束を守ってこれまでずっと生きてきたし、これからも生きていくだろう。でもよく考えたらそんなことを約束をした覚えはない。ないのに守らされている、というか気がつけば守らされている意識すらなくなっている。24時間365日という記号が体に染み付いている。僕がこの文章を書いている6畳間に限っても、置き時計が一つと、時計やカレンダーを表示することができるパソコンや携帯電話やエアコンのリモコンなどが4つも置いてある。時間の約束に取り囲まれている。

 ここ最近、この「約束」が少しずつきつくなっているように思えてならない。新型コロナウイルスの影響でインターネットの存在感が増すごとに、少しずつ「全ては同時でなくてはいけない」という目に見えない力が強まっているような気がする。これは「時間をきっちり守らないといけなくなっている」という話ではなくて、昨年の今ごろの19時と今日の19時は、同じ19時でも意味するところが違うというか、「今」の範囲がどんどん狭まっていると言い換えてもいいかもしれない。僕が作家として生活をはじめてからのここ十数年間無数にやってきた歴代の「今」のなかでも、最近の「今」は過去最高に精度の高い「今」として目の前に現れてくる。「今」は「この瞬間」以外の何者でもないと言わんばかりに。

とりあえずの約束でしかない

 時間は人工物である。人が作ったものだ。僕たちは地球が1周するのにかかる時間が24時間であることにするという約束をして生きているけれど、地球の自転にはムラがあるので、より正確な原子時計と比較しながら、たまに時間に1秒を足して帳尻を合わせている。「時間に1秒足す」なんて不思議な話だ。東日本大震災の時も地震のエネルギーによって1日の長さが100万分の1.8秒短くなったというNASAの分析もあったし、国立天文台のウェブサイトには地球の自転速度は少しずつ遅くなっており、このままいけば1億8千万年後には1日の長さが25時間になってしまうと書かれている。意外と頼りない約束だ。なので本当はきっちり守ることに大した意味なんてないのかもしれない。基本的にヒトも蛾と同じく、本来自由な生き物なので、固有の時間を生きても良い。良いのだけど、「みんなと仲良くやるためにも約束を守ることにしておこう」くらいの心持ちでありたい。インターネットによって、世界の今と自分の今が常に同時であることへの欲求(というか、もはや脅迫)が際限なしに高まっていくなかにおいては、「公の時間」と「固有の時間」を分けて考えることも必要な気がしている。

 時間が万人に同じように進むわけではないということは、誰もが少しは心当たりがあるのではないか。僕が思い出すのは数年前の十和田湖でのこと、夕暮れ時で、湖畔で一人でぼーっと立っていた僕は波が生まれるのを見ていた。原子時計の換算ではほんの数秒間のことだったと思うけど、今でもまぶたの裏にはっきりと描くことができるあの一瞬の中の、僕の人生の永遠の時間を原子時計で測ることはできない。また原稿が思うように進まない時の、もう数時間は書いていると思ったら1時間も経っていなかったことや、書くべきものが次々に出て来て気がつけば5000字も書いているような時の、30分だと思っていたら5時間経っていたことの説明も原子時計ではできない。本当は僕だって固有の時間を生きているのだ。もっと言えば「固有に閉じた時間」を生きている。その時間は、世界中の人々に共有されている原子時計の時間とは何の関係もない。万人に共有された直線的に進む時間なんてものは「とりあえずの約束」に過ぎず、時間はいろいろなところで生まれては消えたり、伸び縮みしたり輪を描いて閉じたりしている。

「今」の範囲を「この瞬間」だけに限定するのは貧しいことのように思う。蛾はそんなことはしない。今という言葉に100年の幅を持たせたっていいはずだ。

埋葬と時間

 ところで、テレビドラマで悪役が土下座するのを見ながらSNSでみんなで同時に盛り上がったり、数年前の高速道路の煽り運転報道など黒い感情(「こいつは許せない。いますぐに制裁せねば」という類のやつ)を刺激してくるものに相対した時に心に沸き起こってくる「同時性」の脅迫に屈しないために、少し埋葬のことを考えてみたい。なかなか時間が取れないまま祖母の命日をだいぶ過ぎてしまった先月、僕はようやくお墓参りに行けたのだけど、灰色の墓石が整然と並ぶ墓地を歩きながら、この墓はいつからここにあり、今後いつまでここにあるのかと考えているうちに、気がつけばこの星が消滅した後、あるいは宇宙が消滅した後の時間のことを想像して心底恐ろしくなった。そして「公の時間」が持つ直線的なイメージが馬鹿馬鹿しいものに感じられた。

 墓はずっと昔からそこにあるかのような顔をして立っているけれど、庶民が墓石を立てられるようになったのはほんの最近だという。僕の「先祖の墓」の中には、江戸時代以前の遺骨は入っていない。僕の体を流れている血が持つ長い歴史の中のほんの一時期の証が「先祖の墓」として納められているだけだ。江戸時代に生きた僕の先祖達はおそらく死後土葬されたのだけど、土葬には面積が必要で、墓場がすぐにいっぱいになってしまうので、当時の解決策として一度埋めた遺骸を後に掘り返して遺骨だけになったものをまとめて埋めなおしていた。墓石が一般に普及するのは高度経済成長期の昭和三十年代ごろからで、火葬普及率もそれまでは50%程度だった。建設現場から人骨が発掘され、かつて墓地だったことがわかったというニュースは今でもよく耳にする。昨年も新国立競技場の建設現場から江戸時代に埋葬された人骨がたくさん見つかったばかりだ。そこが墓場であることなんて200年程度で忘れてしまうということだ。「永代供養」を謳っているお墓の広告を電車なんかでよく見るけれど、そこで言われている「永遠の時間」の約束は200年程度なのかもしれない。蛾は死んだらふっと地面に落ち、数日のうちに細かい塵となってこの星と一体化する。骨の一部がほんのひととき墓に入ることを除けば、それは僕も同じだ。永遠に直線的に進む時間など存在しない。こうして埋葬について考えることは直線的な時間を前提にした「同時性」の脅迫に対抗するための想像への入り口になる。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

編集部からのお知らせ

村上慧さんの展覧会が開催されます。

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村上慧 移住を生活する

会場:金沢21世紀美術館 展示室13
会期:2020年10月17日(土)-2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、
11月24日(火)、12月28日(月)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800

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