自分の地図をかきなおせ

第4回

《移住を生活する》東京2020編 その2

2020.04.13更新

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 引き続き3月に東京で行なった、「移住を生活する」プロジェクトの報告をしようと思うのだけど、最近の異様な外出自粛ムードの中で思うのは、僕の移動生活は「外出」にあたるのかということだ。家を背負って歩いている最中、僕は家からは出ていない。移動しているのに外出していないという奇跡が起こっているのではないか。実は僕としても家ごと動いているので、移動している感覚はあまりない。それでも人からは「動いている人」とみなされる。動いているのは自分なのか、それとも外の世界なのか。本当のところよくわからない。  

 前回の内容を自分で読み返していると、移動生活中にいろいろなところで書いた日記と、こうしてアトリエで同じ机に座って書く文は世界観が違うなと思う。僕の性格も少し変わっていると思う。「移動」が僕の心に何か影響を及ぼしている。移動中の日記を読むと、狩猟採集民族としての自分がそこにいるような気がする。それを農耕牧畜民族としての自分が、家賃を払って借りているアトリエの机から眺めている。

 農耕民族としての自分は、人間関係の心配とか、お金や病気など将来の不安とか、そういう類の問題について考えるのが得意だ。言ってしまえば不安になるのが上手だ。対して狩猟民族としての自分はそれが不得意だ(そして厄介なことにそういうときの自分のほうが友人とのメールがうまくいったりする)。今日の敷地や風呂場の確保で忙しくてそういうことを考えている暇がないし、動いているのが自分なのか世界なのかわからないような中で、とても多くの問題に行き当たるので、自分の心配事よりも社会を動かしている大きな装置のほうに意識が向きがちになる。移動生活をしているのに、なにかと"立ち止まって"あれこれ考えている。逆に農耕民族としての僕は、日々の不安と人間関係や政治などの心配事にまみれながら、「とりあえず物事を先に進めないといけない」という意識に囚われている。

 そういえば農耕民族としての僕は、最近アトリエの庭でブルーベリーを育て始めた。これは僕の人生で3本目。1本目のやつは移動生活中に熊本で買い、できるだけ重さを感じないようにしたいという理由から「ファントム」と名付け、しばらく持ち歩きながら生活を共にしていたのだけど、昨年枯れてしまった。プランターのまま庭に放置してしまったのが原因だった。ファントムが枯れてしまった昨年の秋頃、2本目のブルーベリーを買って庭に植えた。こいつを2世と呼んでいる。そして先日3世をホームセンターで迎え、1世がいたところに3世を植えた。2世は結構大きくなり、今はもう花が開きそうになっている。それに加えてこの機会に庭を開発しようと思い、ジャガイモとバジルも育て始めてしまった。こうなってくるとアブラムシとか雑草とか、心配の種は自分の心の持ちようでいくらでも生まれる。あれもこれも心配だと、インターネットで自分の敵になりうるものを探しては、先手をうたなくてはいけないと思い込む。もちろんある程度の注意は必要だろうけれど、自分の生活スタイルに見合った塩梅というものがあるはずで、それを見失えば無限に心配しなくてはいけないことになる。毎日の生活をこなしながら畑をやるには、ある程度のところで心配することを忘れる必要がある。定住するというのはこういうことなんだろう。

3月15日 

 ドトールコーヒーショップにいる。入谷駅前。入り口から一番近い二人席で、窓の外には地下鉄入谷駅の入り口と、大きな交差点が見える。家を置いた敷地から15分以上歩くのだけど、オフィス(カフェ)になりそうな場所がここしかなかった。今日は7時くらいから起きている。どうしても早起きになる。この生活中、睡眠時間は5~6時間で安定する。

 朝、細野さんの車庫の前の歩道に立って道路向かいの家の絵を描いていたら、突然「おお、村上くん」と話しかけられ、見たら今村ひろゆきさんだった。この辺りに住んでいた時に知り合った人で、6、7年ぶりに会ったのだけど、「おお、村上くん」と普通に話しかけてくれた。

「よくわかりましたね」
「いや、すぐにわかったよ」

 今村さんは街づくりの会社をやっていて、まさにここ入谷駅前で「SOOO dramatic!」というスペースを運営している。これは"あのこと"を聞くしかないと思い、

「今村さんがやってるスペースの前って、家を置けるスペースあったりしますか?」
「あ、置ける置ける」
「じゃあ遊びに行ってもいいですか?」
「うんうん」

 と流れになり、明日の敷地はそこになった。しかし面白いスペースを運営している知人なのでなにかしらお金を使いたい。ウェブサイトを見たら、駐車場利用料金1050円と書いてあったのでこの辺りの金額を支払えばいいだろうか。ちょっと相談しなければ。

 明日の敷地について先に書いてしまった。今日の敷地は吉原(遊郭で有名な吉原)にある吉原神社の境内を借りた。吉原神社は僕が友人たちと浅草に住んでいたころに知り合った吉原さん(本名である)という人が総代をやっている神社。ここの町会長をやっていて、ものすごくパワフルで経験値の豊富なおじさんで、昔はフェンスが張られ、人が寄り付かないほど廃れていた吉原弁財天(吉原神社の近所にある)を整備し、賑やかすぎるくらいに賑やかにした人だ。当時僕たちは吉原さんに頼まれ、弁財天の壁画を描くために吉原に通っていた。細野さんの車庫から歩いて30分くらいのところに吉原神社があるのだけど「ここまで来たからには吉原にも行こう」と思い立ち、昨日吉原さんに電話をしたら、出て一言目に

「どこにいんだ?」

 と聞いてきて、さすが話が早いなと思った。

「今また家と一緒に移動生活をしてるんですよ」
「ああ、またやってんのか」
「いま、細野さんのところにいまして」
「じゃあこっちこいよ」
「吉原神社に一晩泊まってもいいですか」
「別に構わねえよ。じゃあ神社に言っとくわ」

 そして最後は「はいどうもー」と言ってすぐに切る。泣ける・・。これぞ東京の下町だ。さらに出がけに、細野さんから「いま飲み物を届けるから!」というラインが届き、大量の飲み物とおつまみ的なお菓子を持ってきてくれた。ちょっと重すぎるので、人にあげたりして重量を減らした。

 車庫から吉原へ歩き始めたときのこと。「えーちょっとちょっとちょっとちょっと!」という声が左から聞こえ、僕の前で自転車が停まり、子供を連れたお母さんが「いま、Tシャツ着てるんですよ! ちょうど今日着てるわと思って。写真撮っていいですか」と言いながら話しかけてきた。

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 なんと世に30着くらいしか出回っていない僕の手刷りTシャツを着ている人だった。3331で買ったらしい。3331のことを「秋葉原にあるデザインの場所で・・なんだっけ」と言っていて、3331に来る客の多様性を見た気がした。

 吉原神社に着いて事情を説明したら宮司の奥さんから怪訝な顔をされたのだけど、そこへ吉原さんが来て「ここで野宿したいっていうからよ」と言ったら一瞬で雰囲気が変わり、奥さんも「一泊? ちょっと宮司さんに言っとくわ」という感じになった。ちなみに僕はこの神社の入り口にある「逢初め桜」の看板の作者でもある。

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 吉原弁財天。およそ100年前の関東大震災の際、ここ吉原でも火災が起きた。遊郭内で働いていた遊女達が脱走するのを防ぐために大門が閉められ、逃げ場を失った遊女たちは大きな池に次々と飛び込み、大勢が溺れて亡くなった。ここはその慰霊のための場所でもある。吉原さんがくまなく境内の飾り付けをして夜にはライトアップまでされている。以前はフェンスが張られお参りもできなかったらしいけど、今ではツアー客が見物に来るまでになっている。

3月16日

 風が強くて肌寒かった。外で絵を描くのが辛くなり、オフィスを探してそこで続きをやろうと思ったが、吉原はソープ街で、じっくり仕事ができそうな店が近くにない。僕はタイムズカーシェアの会員なので、近くで車を借りて、駐車場から出さないままで車内をオフィスとして使おうかと思った(我ながら都会的なアイデアだ)のだけど、予約がうまくいかなくて諦め、散々歩き回った結果、「福カフェ」という店に入った。スムージーを注文して「ドリンクのみの注文は一時間以内のご利用でお願いします」というプレッシャーのもとで絵を描いた。他に客はあまりいなかったのだけど、普段は混んでいる店らしいので、その対応なのだろうと思う。「とにかく一時間」という線引きに、都会だなあと思うし、すこし悲しさも感じる。お金を払わないと、風を凌いでテーブルを使える場所はこのあたりにはない。

 また道を歩いていると「おはようございます!どうですか~」とか「どうぞー。案内所どうですか~」とか、ソープランドのキャッチの男性に声をかけられまくる。僕は見ためが男なので、それだけでめちゃめちゃ声をかけられる。昔「吉原芸術大サービス」というアートイベントを開催した時に吉原を初めて訪れた女友達は「体を弄るようにじっとこっちを見てくるキャッチの人がいて、品定めされてるようでちょっと嫌だ」と言っていたのを思い出した。

 散々歩き回りながら絵を描いたり、公園でぼーっとしたりしたあと、知り合いの中谷さんという人がやっている「能登屋」という蕎麦屋で昼ごはんを食べた。蕎麦と親子丼。親子丼には肉のコロッケ付き。中谷さんは元気そうだった。食べおわってお金を払おうとしたら女将さんに「もう中谷さんにもらったから」と言われ、厨房で忙しそうに走り回っている中谷さんに「払いますよ」と言っても「次もらうから」といって聞かない。「これ宣伝しといて、三重塔、いとこが作ったから。」と言われたので宣伝する。

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 中谷さんのいとこにあたるソバジマさんという人が作ったものらしい。サンプルで作ったもので実在する塔ではないらしい。横幅6尺、高さは4メートルくらいあるらしい。何やら修行してこういうものが作れるようになったが、この技術を活かす場所を探しているとのことだった。

 吉原は、外からみるとソープ一色という印象の街だけど、普通に暮らしている人たちも当然いるし、今は江戸時代ではないので地域は一枚岩ではない。当たり前だ。何にも言えることだろうけど、場所について何かしらの情報を得ると、僕たちはその地域をまとめて一括りにしがちだけど、どんな地域であれ一括りにはできないなと、子供を連れて歩いている夫婦とすれ違いながら思った。

 さて、今日の敷地である入谷の「SOOO dramatic!」の今村さんから15時ごろに来てくれと言われていたので、昼の2時半ごろに吉原神社を出発しようと思ったのだけど、やたらと風が強くて、一旦出発を断念した。iPhoneで調べたら瞬間風速30メートルだった。しかし吉原神社には一泊と言ってあるし、どうしようとうろうろしていたら宮司の奥さんが「大丈夫?」と聞いてきてくれた。そして僕の家が置いてある神社の裏を指して「風があんなにビュービュー言ってるのはあそこだけじゃないか」というアドバイスをくれた。ここは背の高い病院の隣ということもあり、いつも風が強いらしい。「ちょっと様子見てきます」と言って神社の外に出て、近所を歩きながら風を観察してたら、あの奥さんの言っていたことは正しいことがわかった。外も相当風は強いのだけど、神社の境内ほどではない。

 ということで15時半過ぎに頑張って神社を出発することにした。入谷までは1時間くらいだし、多少風が強くてもなんとかなるだろうと思った。しかしこれが甘かった。1年ぶりに家を動かしたので、風に対する感覚が鈍っていたのかもしれない。出発して5分もしないころ、国際通りという大きな道路の横断歩道を渡っている最中に大変な事になった。突風が吹いて、中で家を背負っている僕は左にぐっと押されたと思ったら、事態が飲み込めないまま、家の左側の屋根が風で押されて剥がれ、割れ、左下の木のフレームが折れ、歩道を歩いているおばちゃんの「大丈夫?」という声が聞こえたかと思うと瓦が何枚も飛んでいった。あれよあれよと家が空中分解した。時間にしてものの5、6秒。アベンジャーズ インフィニティ・ウォーのサノスの指パッチンで灰になって消えていく人々みたいに。外から映像を撮っていたらさぞ面白い絵が撮れていただろうと思う。

 やばいやばいやばいやばいと心の中でつぶやきながらもどうしようもなく家は破壊され、ドアと、前の壁と、右側の屋根だけになった、もはや家とも呼べないものを背負って(もう風の抵抗をうけないほどスカスカになっている)とりあえず国際通りを渡りきり、路地に入って電信柱の裏に壁と屋根1枚だけになったスカスカの家を置いて、飛んで行ったパーツたちを拾いに走った。すぐ近くの工事現場で交通整理をしていたおじさんが、屋根の一部を持って「大変だな。またやりなおさねえと」と言いながらこちらに歩いてきた。なんて良い人なんだと思いながら「ありがとうございます!」といいながら他のパーツを拾いに走った。瓦とか、屋根の一部とか、壁の一部とか、寝袋を入れてある丸めた銀マットとか、どっかの棒とか。おじさんも「なんぼか飛んで行ったわ」と言いながらパーツを持ってきてくれた。

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 拾って電信柱のそばに置いて、また他のものを拾いに行っている間に置いたものが飛んでいって、それを拾って、みたいにしながらなんとか目に入る全てのパーツを集め(こうやって壊れた家のパーツを集める夢を昔みたことがあるなと思いながら)、頭をすごいスピードで働かせ、いまこそタイムズカーシェアを使う時だと思い、しかしこのパーツたちをここに置いておいたらまた風で飛んでいってしまうのではと思って数分間ウロウロしていたら、また交通整理のおじさんが近づいてきたので、

「すいませんが、車を持ってくるので、これを見ておいてもらえませんか?」

 という言葉が僕の口をついてでてきた。普段は言葉を口にする前に一旦頭で考えてしまう癖があるんだけど、このときはまさに口をついてでてきた。そしておじさんは茶色いせんべいを口でもぐもぐとしながら「あ、これ見とけばいいのねおっけー」みたいに言ってくれた。やはり下町は最高だ。

 幸い近くにカーシェアのステーションがあった。タイムズが日本で勢力を拡大してくれていて本当に良かった。とか思いながらブラウンのソリオを借り、現場に戻ってきて窓越しにおじさんにお辞儀をしたらおじさんがなぜかビシッと敬礼して、すっと自分の持ち場に戻っていった。

 しかし家が大きくて、このままではソリオに入らないという問題が発生した。分解しようにも、ドライバーを持っていないのでできない。そこでiPhoneで「100円ショップ」と検索し、そこから1キロくらいの入谷駅前に100円ショップセリアを見つけ、本当はダメなんだろうけど、家をトランクに押し込み、30センチほど突き出ているせいで閉まらないトランクのドアをシートベルトでどうにか半開きで固定し、家が飛び出したトランク半開きの状態でハザードランプを焚きながらゆっくりソリオを走らせて入谷駅近くの路地まで行き、車を降りてダッシュでセリアに突入して「ドライバーはどこですか?」と店員に聞き、「3番通路です」「ありがとうございます」と3番通路に突っ込み目についたプラスドライバーをひとつ掴んでレジに走り、110円を払って車に戻り、トランクの中で家を解体して車に収めた。

 それで「SOOO dramatic!」のイベントスペースに家を運び込み、今村さんと合流して事情を説明し「今日は近くのゲストハウス(tocoという最高の宿があると教えてくれた)に泊まり、明日1日かけて家を修理する」ということになった。このビルのオーナーさんも、ものすごく良い人で、金曜まではイベントがないからということで使わせてもらうことができた。ということで今日はtocoで一泊。ヨーロッパからの旅行者と、日本人の大学生らしき宿泊客でそれなりに賑わっているように見えたのだけど「賑やかですね」と宿の人に話を聞いてみたら、ここもやはりCOVID-19の影響でアジアからの旅行者がいなくなり、全体としてはいつもの半分くらいの宿泊者数になっているらしい。庭が良かった。ドミトリーで2200円くらい。

 家が無くなってしまったので宿を取らざるを得なかった。この日の家の大破は、「移住を生活する」史上初の災害だった。これまで家を背負って歩きながらスマホを見ていたら転んでしまって前面の壁が壊れたり、ラーメン屋に入る前に駐車場に置いた家が、ラーメン屋から出たら無くなっていて、見渡したら数十メートル飛ばされ畑に投げ出されていたりはしたことはあったけれど、全壊したのは今回が初めてだ。ちなみに通常風速7、8メートル以上の時は家を動かさないようにしている。

3月17日

 この時期、東日本大震災に関する記事などで「忘れない」という言葉をよく見るけれど、これはメディア向けの言葉というかアピールの言葉で、中身というか、言霊がない感じがする。外の人が外の人に向かっていう言葉。まあ僕も言ってしまえば外の人なのだけど。でも僕はずっとずーっと、住むことについて考えてきたんだ。3000日のあいだほとんど毎日毎晩、考えたり書いたり人と話したりして、自分なりに考えを進めてきた。それを、震災から何年目かの節目の日に、思い出したように「震災を忘れない」と言い出す人が今の僕の文を読み、意味がわからないとか言うのは、そりゃあんたにはわからんだろうとしか思わない。直接話ができれば解決するのかもしれないけど、時代背景的に、人と人が直接話さないままそれぞれ好き勝手やるコミュニケーションの方が圧倒的に多い。これは分断が起こるわけだ。

 9時ごろから家の補修作業を開始。昨日は車を借りてここまで運ぶので精一杯だったので、余裕がなかったのだけど、今日改めて見ると見事に大破している。暴風災害による「全壊状態」と言っていい。最初どこから手をつければいいかわからなかったけど、とりあえず屋根からやっていくことにした。100円ショップのセリアで白ガムテープと、ペンチと、針金と、金具と発泡スチロール用接着剤(売っていて助かった)を買ってきて準備完了。左の屋根は下地が3つのパーツに割れていたのでまずはそれを1枚にくっつけなければいけない。針金で固定してある瓦を外して、下地を露出させ、発泡スチロールの割れ目に接着剤を塗り、くっつけてガムテープを貼り、下地が1枚になったら再び瓦をつける。瓦がたくさん飛んでしまったと思っていたけど、幸い1枚無くなっただけだった。他にも行方不明になったパーツは特に無かった。屋根を直した後はドア側の壁。これも3つのパーツと1本の棒に別れてしまっていたけど、金具と接着剤とガムテープでなんとかした。他の壁2面もひどい有様だった(歩く時に正面にあたる壁だけが無傷だった)けど、同じようにセリアで買ったものでなんとかした。補修が全て終わった頃には16時になっていた。7時間。しかし全壊状態から、100円ショップで買ったものだけで7時間補修したら再生するというのは凄いことなのではないか。こんな家は他にないんじゃないか?

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 直した家を「SOOO dramatic!」の前にあるウッドデッキに移動させ、今夜はここで眠る。 

 壊れた家はあまりにも無残だったので修復できるか不安だったが、割と元どおりになった。以前より強度は落ちているかもしれないけど、もしまた壊れたら、同じように直せばいい。この補修のためにかかった費用は1000円ちょっとで、材料は全て100円ショップで揃えられる。発泡スチロール製だけど、実はとても強い家なのかもしれない。

 家を直しながら僕は伊勢の式年遷宮を思い出していた。伊勢神宮は20年に1度社殿を新しく作り直すことで、結果的に1000年以上前の形が今でも残っている。それと2014年に震災の津波で被災した陸前高田市で出会った、瓦礫の中から拾った塩ビパイプでビニールハウスを手作りしていた佐藤種屋さんのことも思い出した。彼は「こいつは地面と一緒に揺れるから、地震では絶対に壊れない。縦にしっかりと作るから壊れちまうんだ」と言っていた。

3月18日

 昨日は今村さんに勧めてもらった「宝泉湯」が風呂場だった。ビルの一階にある古い銭湯。ボッティチェリのヴィーナスの誕生のタイル画が壁になっていて、浴槽の底にも貝殻みたいな光沢のタイルが敷き詰められている。一人、常連らしき賑やかなおじさんが浴場にいて、別のおじさんが入ってきたときにその人が、

「おとうさーん!」

という大声が響き、おとうさんと呼ばれた方はめちゃ良い笑顔になっていた。僕が脱衣所に出てからも、風呂場からその賑やかおじさんの「えっへっへっへ。あ、はーっす!」という声が聞こえてくる。風呂場を出てすぐのところには、「年長~小6の軟式草野球チーム メンバー募集!」のチラシがある。下町を感じる。

 寝る場所はウッドデッキの上で割と快適だったのだけど、唯一、ここは入谷交差点そばの片道4車線以上ある国道が目の前なので、普通車の他に救急車や消防車やトラックや音のでかいバイクなどがうるさいのが難点だった。耳栓をつければ大丈夫だろうと思って耳栓をバッグから探そうとしたら、見当たらない。つい一週間前に代官山で買ったばかりのやつ。どうやらtocoに忘れてしまったらしい。耳栓がないと、とてもじゃないと眠れないと思い、買いに出かけたのだけどもう23時になっていたのでドラッグストアは閉まっていて、近くの大きなコンビニにも売ってなかった。ウロウロしているうちに鶯谷について、駅前の小さなファミリーマートに行ったら3M製の優秀そうな耳栓が売っていた。経験上、コンビニにあまり耳栓は売っていないのだけど、土地柄かもしれない。

 それで無事眠りにつけた。深夜はさすがの国道も交通量が減っていたけど、5時ごろにはまた大きなトラックが通り始め、そのせいで一度起きたけどまた寝て、8時半に起き、家を出て入谷交差点そばのドトールコーヒーショップでモーニングセットを食べながらこの日記を書いている。

 一年ぶりに行った「移住を生活する」は、今日で一旦〆る。家が大破したけどなんとか直し、こうやって〆られるのは全て「SOOO dramatic!」のおかげだ。本当にありがとうございました。

 8日間いろいろなことがあった。たまに家を動かすのは良い。街の見え方が変わり、時間が伸び縮みするのを感じる。家賃を払って住んでいるアパートと同じ国にいるはずなのに、全く違うところに来ているようだ。このプロジェクトは「公開空地」に家を置くことや、敷地を借りることを通して公共というものについて考えさせる力がある。そして土地や公共の概念の問題は、僕がいま進めている他のあらゆるプロジェクトの問題に通じている。なにより家を動かしていると、人から不審者扱いされたり、バカにされたりするのが良い。たまにこういう扱いを受けることで、自分を戒めるのは良いことだと思った。人はたまにバカにされるくらいがちょうどいいかもしれない。

 今回は8日間という期間限定で移動生活を行い、僕の体はアトリエに戻ってきているのだけど、家はまだ戻ってきていない。蒲田の友人がやっているギャラリーに置かせてもらっていて、次に動かすタイミングを待っている。これまでも度々こうして家を預かってもらい(新潟、大阪、熊本などで)、僕は住所のある家に帰って普通に過ごし、時が来たら家を動かしにいくというスタイルでこのプロジェクトを続けてきた。しかしひとたび移動生活が始まると、道ですれ違う人から頻繁に「いつからやっているのか」「どこから来たのか」など、答えに窮する質問をぶつけられる。特に「どこから来たのか」は困る。2014年に東京でこのプロジェクトを始めて、これまでに北海道・沖縄・四国を除く全国を歩き、本州を2周ほどはしているので、東京から来たとも言えるし、宮崎県から来たとも言える。「どこから来たのか」という問いの立て方自体がこの移動生活にそぐわない。僕は移動という状態に身を置きたいだけであって、どこか目的地があるわけではない。散歩がしたいのであって、どこかに行きたいわけではないと言ってもいい。でも移動しているというだけで多くの人は、どこかに向かっているはずだと思い込んでしまう。たぶん僕も同じことをやっている人を見たら、同じ質問をするだろう。これは前回、九段下のファミレス前で警備員から「どこの方ですか?」と聞かれたことと通じる。なんでこんな質問をしてしまうんだろう。

 また「お金はどうしてるんだ?」という質問も頻繁に受ける。これは普通に作家活動をやっていても受ける質問だと思うけど、移動生活中は特に多い。さっき書いたように、この発泡スチロールの家は断続的に動かしているのだけど、人は目の前で家を背負って歩いている僕を見た途端に、1年中365日こうして生活していると思い込んでしまうらしい。そこから、お金はどうやって稼いでいるんだろうという疑問が出てくる。前々回書いたような札幌で落ち葉の温床を使った家に住んだり、発泡スチロールの家で移動生活をしたり、あるいは庭でジャガイモを育てながら借家に住んでいたりと、僕は"状態"を変えながら「住むこと」について考えるのが、いわば仕事になっているのだけど、こうして「ある状態から別の状態になる」という現象を人が理解するのには少々時間がかかるらしい。何かを"する"ことはストンと腑に落ちるのだけど、人が何かで"ある"ということはなかなか腑に落ちない。

 人からお金について聞かれるたびに、必要ならバイトもするけど、時給で働くのが嫌いなのでこれはなるべく避けたいところで、ここ2、3年は展覧会で作品を販売して稼いだり、芸術祭に出品することでフィーを受け取ったり、美術館が作品を購入してくれたり、本の印税や原稿料などで暮らしていると真面目に答えているけれど、あまりにもたくさん同じ質問を受けるので、それならば"生活とお金"にフォーカスしたプロジェクトをやってやろうということで、「看板の家」というアイデアが出てきた。

 また僕は個人事業主で、毎年2月に確定申告をしているのだけど、「移住を生活する」は生活することが即ち制作すること(つまり仕事)にもなっているので、確定申告の時に生活費は全て経費として計上している。こういうことができるのもアーティストという仕事の面白いところでもあると思う。「看板の家」のアイデアは、そんな"住むことと仕事が一致している状態"の面白さを突き詰めて考えるためのものでもある。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

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