自分の地図をかきなおせ

第17回

ランダム・アクセスという魔法

2021.03.25更新

 昨年10月17日にオープンした、僕の人生初の美術館個展である金沢21世紀美術館での展覧会「村上慧 移住を生活する」が3月7日に終了した。この展覧会のために昨年の夏から準備を進め、会場への搬入には三週間を要した。

 その過程で金沢の美術大学に通う素晴らしいアルバイトスタッフのみんなと出会い、年齢が近いこともあって「シン・エヴァンゲリオン」を一緒に見にいく仲になった。5ヶ月間の会期中には月に1~2回程度、少人数でテーブルトークというイベントを開いた。そこでは来場者と1時間半のあいだ北陸の風土や生活にまつわるフリートークをしたり、大野という港町にあるヤマト醤油味噌の5代目を招き、ヤマト醤油の家系と町の歴史の関係について学んだ。また美術館ボランティアと共同で落ち葉の踏み込み温床作りのワークショップを行った。温床で納豆を作った参加者に「納豆のすべて」という古い本を見せてもらい、その丁寧なデザインに驚いた。温床の材料となる鶏糞を提供してくれた養鶏家の仕事場にも遊びに行き、鶏たちに騒がしく囲まれながら、オス(つまり雛鳥の1/2である)の鶏は生まれてすぐに殺処分されることや、1羽が産む卵の数は最高で1日0.9個であることを知った。

 11月には美術館を「家」と共に出発し、およそ1ヶ月間、能登半島を歩いて移動生活を行った。1日で晴・風・雨・あられ・雪・雷が全てやってくる能登の激しい気候を体験し、そんな厳しい環境のおかげなのか、親切な人が多いと感じたりした。金沢に帰ってきてからは、作品制作のために近隣の美容室と花屋に取材に行ったり、建築家の辻琢磨さんと映像人類学者の川瀬慈さんをゲストに招いてのトークイベントを行った。トークの前には二人のプロジェクトや思想を理解するためにそれなりの時間をかけて予習をした。

 金沢の展覧会とは直接関係ないが、大阪に行って3トン未満のユンボの運転資格を取り、「UNMANNED 無人駅の芸術祭」という展覧会でパンジーのための高さ2メートルの花壇をユンボで作ったりもした(そこではコロナ対策を兼ねて、事務局が用意してくれた滞在施設ではなく、近所のアウトドアショップで買ったテントを制作現場に張って住みついていた。テントを買ったのは生まれて初めてのことだった)。打ち合わせのために名古屋や札幌にも行った。

 展示の心配事や、ユンボの運転方法や、鶏や温床の発酵にまつわる事や、いくつかの本で得た近代思想の知識など脈絡の無い情報が絶えず送られ、脳が刺激を受け続けたせいか時間の感覚が日々おかしくなっていき、ある出来事が1週間前のことなのか3週間前のことなのかカレンダーを見るまでわからなくなったり、ある出来事と別の出来事との前後関係を勘違いしたりと、そんなことが度々あった。体感としてこの半年間ずっと走り続けていて、最近はZARDの「負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて」というフレーズが頭の中でぐるぐるとリピートしている。そう書いたら、また流れ始めてしまった。しかし、とりあえず「村上慧 移住を生活する」展は終わった。そしてその撤収は3日で完了してしまった。

 撤収が終わってみると、そこに現れたのは搬入前と同じ空間だった。作業の手を止めて、ふとまわりを見渡し、白い壁と高い天井と黒い床があるだけの広い部屋を目の当たりにした時には、まるで最初から何もなかったかのような気持ちになった。いま初めてこの部屋を訪れた人がいたとして、その人は撤収前の光景を知らない。ここで何かをやっていたとしても、これではやっていないのと何が違うんだろうか、そんなことを考えた。担当の学芸員は「美術館ってそういう場所なんだよねえ」と言った。僕は「殺生やわあ」と、なぜか関西弁で思った。一つの展覧会にどれだけ力を込めたとしても、会期が終わればもとの「白い箱」の状態に戻る。そしてまた新しい展覧会が始まる。近代以降の美術の歴史はそうやって積み重ねられてきた。それはわかるのだけど、自分が魂を込めて設営した展覧会が、あれよあれよという間に片付けられ、もとの白い部屋に戻っていく様はなかなかショッキングだった。僕は急に眠くなってしまって、そのまま床に横になり、少し寝てしまった。

 あの展示会場には、先ほど書いた会期中の諸々の記憶の他に、僕が《移住を生活する》を始めてからの人生の時間が出現していた。過去7年間にわたる「移動生活」の中で書いた日記とドローイングを高さ1820mmのパネルにして、それらを200枚以上並べ、さらに9種類の映像を各所に配置した。視覚と聴覚の情報量が多い迷路のような空間になっていた。《移住を生活する》というプロジェクトと同名のタイトルの展覧会をする以上、その展示会場には全ての記録を突っ込まなくてはいけないと考え、来場者には見えないパネルの裏側や、場所が足りずに平置きで積むしかなかったパネルにもドローイングと日記を貼っていた。発泡スチロールで最初に家を作った時に住んでいた高松市の記憶や、それより少し前の、東京でのアルバイト生活の記憶、大分市や松本市で交わした会話、移動生活を初めてから訪れた場所、人々の顔、空気の匂いや寒さ、暑さ、東北の被災地で絵を描きながら泣きそうになったことや、虫や食べ物や、いくつかの怖くて不愉快な記憶、今では縁遠くなった人の言葉。普段は思い出すことのないそれらが、会場を歩くことで蘇ってくる。そんな場所になっていた。目を止めれば例えばそこには5年前の日記が書かれている。

「昨晩は古民家ヴィレッジの2階部分で寝た。一昨日自分の家で寝た時には床下のアスファルトからの冷え込みが結構しんどかった」

 福岡県にある古い家の2階で、下で人が話す声を聴きながら寝袋に入る時の気持ちや、その家で「マヤ暦でいうとあなたは白い犬です」と占われた記憶が蘇る。それを言われた後に庭で見た、印象的な木のことも。そんな日記が書かれたパネルから数メートル歩くと、今度は昨年の12月、能登半島を歩いていた時の日記がある。

「先ほどから時々、海の方からズウウウン・・という地鳴りのような音が聞こえる。風か雷か波かわからないが、ものすごく怖い・・・」

 僕の頭の中の景色は福岡から一気に飛び、稲光が発泡スチロールの壁を透過して室内が一瞬真っ白になる記憶と結びつく。展示されているパネルは必ずしも時系列順ではないので、日記を読みながら歩いていると脳みそがあちこちに飛ばされる。

 そんな展覧会をやっているうえ、先ほど書いたような目まぐるしい(おまけに新型コロナウイルスの影響も手伝ってか、現実味の乏しい)日々を送っていたので、僕の頭の中はあと一歩で時間の概念が崩壊するところだった・・・それは言い過ぎかもしれないけれど、少なくとも絶えず揺さぶられていた。過去に訪れた場所や、過ぎ去った時間にいつでもアクセスできるような。そんな気がしていた。そんな最中にダフト・パンクが解散したというニュースを知った。

 ダフト・パンクというのはフランスのエレクトロミュージックのデュオである。僕が《移住を生活する》を始める前年に彼らが発表した「ランダム・アクセス・メモリーズ」が最後のアルバムになったと書かれていた。このアルバムは、彼らが様々なミュージシャンと協同して一昔前のディスコサウンドを新鮮に蘇らせた宝石箱みたいな一枚で、当時から僕はそのアルバムタイトルの響きが好きだった。

 調べてみれば、これはもともと記憶装置のアクセス方式を指す言葉で、データが並んだ順番に端からアクセスすることを指す「シーケンシャル・アクセス・メモリ」(カセットテープやビデオテープはシーケンシャル・アクセスということになる)に対して、順番に関係なく好きなデータにアクセスできる(この文を書いているパソコンのハードディスクはランダム・アクセス・メモリということになる)ことを指しているらしい。

 そんなIT用語である「メモリ」と、音楽の歴史(メモリーズ)をかけたものが「ランダム・アクセス・メモリーズ」というアルバムだと知り、そのうえパソコンを用いて音楽を制作しているダフト・パンクがそんなタイトルをつけているという、そのセンスの良さに鳥肌が立ったのだけど、この言葉は同時に、僕が自分の展覧会で体験したことを指しているように思えた。「場所」を通して、過去の出来事に任意にアクセスできる。例え展覧会が終わっても、僕が訪れた福岡や能登などの場所がこの世界に残っている限りそれは可能である。場所は記憶と紐づいているから、ある場所へいつでも行くことができるのと同じように、いろいろな時間を訪れることができる。あの展覧会場で体験したようなアクセスは可能である。その事実を思い起こすだけで元気がでてくる。

 ダフト・パンクのニュースを知ったあと、僕は既に重要な言葉を得ていたことに気がついた。僕の展覧会と同時期に美術館で開催されていた、ベルギーのアーティストであるミヒャエル・ボレマンスとマーク・マンダースの二人による展覧会「ダブル・サイレンス」の会場に置かれていたモニターのインタビュー映像の中で、彼らはこう言っていた。

「マン・レイの写真からも大きな影響を受けたと思います。ゴヤの素描と同じくらいに。当然それらは全くの別物。しかし、いつでも関係があります。なぜならそれらは礎石だから。歴史のようなもの、私たちが来た先。だから、対話は必然なのです。本当に新しいものは作ることができません。常に振り返り、先にあったものと語り合わなければならない。」(ミヒャエル・ボレマンス)

「自分がタイムトラベラーのように感じることがあります、ある時代にピッタリ合う作品を作るために。例えばこれらの(私の作品の)垂直の構図はまさに1920年代にフィットします。あの時代には何かが足りないとずっと思っていました。これらの作品はその欠片を埋めるべくつくられました。美術史には美しい隙間がところどころあります。いろんなことがまだ可能だから。アートにはとても楽観的です。」(マーク・マンダース)

-金沢21世紀美術館制作のインタビュー映像より

 このように語っている二人を見て、僕は美術館内で膝から崩れそうになった。二人とも過去の出来事/歴史を「既に過ぎ去ったもの」ではなく、「今からでもアクセスすることが可能なもの/対話ができるもの」として見ている。身近な例で考えてみても1年前に行った旅行先と1週間前に作った料理のことを思い出す時、その二つは並列して「今」に立ち現れる。それを彼らは、自分の人生を超えた数百年前という範囲にも適用している。僕は芸術家のこういうところが好きだ。過去とは対話することができ、それは楽しいことだと教えてくれる。

 僕本人はもちろん、僕の展覧会を見た誰かが、この先人生のどこかでそのことを思い出し、あの会場で感じたことを「今」に蘇らせてくれることはきっとあるだろう。そんなふうに思える。これからも必要とあらば「ランダム・アクセス」という魔法を思い出し、例えば冬においても春を感じられるような、そんな時間に対する態度を持ち続けたい。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

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