自分の地図をかきなおせ

第2回

暖房を考えなおした結果

2020.03.07更新

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 札幌にいる。上の写真は札幌市資料館という、大正時代の控訴院をギャラリーなどに改装した施設の前で撮影したものだ。真ん中に白いテントのようなものが見えると思う。「SIAF」という文字は、今年の12月から札幌で行われる「札幌国際芸術祭」の略称で、これは芸術祭を広告する看板である。しかしこれは単に看板であるだけではなく、いまの僕の家でもある。数日前からここに住みながら、前回書いた落ち葉の温床を暖房にして住む実験をしている。いま僕はこの家の中からこの文章を書いている。

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 10ヶ月後に迫った芸術祭の「広告」をするため、またその本番に向け、温床が冬の北海道でどのくらい温まるのか試すためにここに住んでいる。住んでいるといっても、布団を入れただけで一杯になってしまう狭い家で、水も通っていないので、お風呂やトイレは街の銭湯や公衆トイレを使っている。

 昨日近くのお風呂場(極楽湯 札幌弥生店)に行った際、露天風呂で大学生くらいのグループ6~7人が話しているその中に1人、特に会話に参加するわけでもなく、ときどき笑ったりするだけの青年がいた。体はすでに温まっているらしく、腰から下だけ湯に浸かっていて、ときどき湯を出てそばの椅子に座っては、また湯に戻ってみんなの話を聞いて笑ったりしている。それを見て僕も昔こうやって友人達と銭湯に行ったときに、先に体が温まった自分は風呂を出ていっていいものかどうかわからなくて苦労したことを思い出したりした。

 そのグループの中には2人の見るからにリーダーっぽい人がいて、そのどちらかが風呂を出ようと言い出すまでは、誰も風呂を出なさそうだなと思って見ているうちに自分がのぼせてしまいそうになったので、それを見届けることなく風呂を出た。そして脱衣所で歯を磨き、外で湯冷めしないよう3分10円の備え付けドライヤーで髪をよく乾かしてから家に戻ってきた。布団で寝そべりながら風呂場の青年のことを考えていたらいつの間にか寝ていた。

 そういうことをぼんやりと考えられるくらいには、この家は居住空間として機能している。夜の外気温がマイナス5度~0度の札幌の野外にあって、室温は5~15度を保っている。布団に入れば十分に眠れる。熱源は自分自身の身体と、太陽光と、床下の温床である。昼間の室温は晴れると30度近くになる。曇りの日でも12度~20度を保つ。ただし吹雪の日は、中が無人の状態だと4度くらいまで下がる。

家はこうやって作る

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 家の建設は雪を掘って敷地を確保するところから始まった。僕が札幌に到着した2月14日、雪は40センチくらい積もっていた。気温が1日中マイナスなので、札幌の雪は一度降ったら融けにくい。とてもさらさらしている。関東で降る雪とは違う。シャベルが入りやすくて、紙粘土みたいに固めることができる。だから雪で壁を作ったり階段を作ったりすることが容易にできる。この感覚は実際にこの地で雪を触るまでは知らなかった。ただしもう少し気温が低くなると雪と雪がくっつかなくなり、紙粘土のようにはいかなくなるらしい。

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 敷地を掘ったら、ホームセンターで買ってきたスタイロフォーム(断熱材)で壁を作る。

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 温床から得た熱を蓄熱させるため、断熱材の壁に沿ってセメントレンガを並べる。生まれて初めて「レンガを並べる」という作業をした。東京で失敗を繰り返しながら温床作りをしていたのと比べると「レンガを並べる」という作業は、やった分だけ成果が出る。レンガは、積めば積むことができる。レンガを積むためには、レンガを積み続けるしかない。こんなにシンプルでわかりやすいことはない。努力が即結果につながる。

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 その中に材料を入れて温床を作り、踏み込む。材料は落ち葉(ワンボックスバンでおよそ一杯分)と、鶏糞7キロ、籾殻4.4キロ、稲わら12リットル、米ぬか15キロと水だ。右上に見えている灰色の塩ビパイプは「アースチューブ」として、家の外から吸気した空気を温床内を通らせて温め、中に引き入れるためのものだ。暖房効果を高める他、落ち葉が発酵するときに二酸化炭素が出るので、温床の上にそのまま家を作ったら酸欠になってしまうかもしれないと思い、設置した。

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 落ち葉は、市内の回収施設から事前に譲ってもらっていた。東京のものに比べて葉が大きなものが多かったように思う。使用したものは主に以下の通り。

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 温床を仕込んだら、その上にセメントブロックと同じく蓄熱体としての赤レンガを敷く。このときの温床内の温度は6度を指している。外気温は1度。すでに発酵が始まっている。

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 断熱材をレンガの高さで切り、木製のフレームと芸術祭のロゴマークを描いた農業用ビニールで作ったテントを被せる。写真では少しわかりにくいけど、入り口は百円ショップで買った「超強力マグネット」を木のフレームに貼り付けて開閉できるようにしている。

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 断熱は空気の層がたくさんあるほど効果が高まる。なので今回の家は、1層目のテントの中に入れ子状にもう一つ、ビニールが2層構造になっているテントを入れる。つまり全体で3層のビニール構造になっている。この2個目のテントが、赤レンガの上に乗る。

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 1個目と2個目のテントを貫くように塩ビパイプで煙突を作って空気が循環するようにし、入り口の「風除室」に小さなテーブルを置く。中に銀マットと布団を敷いて寝床を作り完成。

日々の温度観測

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 仕組みとしてはこのような感じ。札幌の建築家の丸田知明さんと相談しながら設計した。実際にやってみた期間の内部温度は以下の通り。

2月15日18:54(温床を仕込んだ日)
温床内温度3℃
札幌市の気温-2℃ 曇り

2月16日18:16
温床内温度4℃
札幌市の気温-4℃ 雪

2月17日17:56
温床内温度6℃
札幌市の気温1℃ 雪

2月18日16:46
温床内温度6℃
札幌市の気温1℃ 雪

2月19日16:34(一個目のテントを被せた日)
温床内温度9℃
札幌市の気温0℃

2月20日18:36(二個目のテントを被せた日)
温床内温度12℃
札幌市の気温0℃ 曇り

2月21日18:19(家が完成し、住み始めた日)
温床内温度17℃
札幌市の気温1℃ 薄曇り

2月22日00:25(温泉に出かけて帰ってきたときの温度)
温床内温度18℃
室内温度2℃
札幌市の気温-3℃ 薄曇り

2月22日10:24(起きたときの温度)
温床内温度19℃
室内温度13℃
札幌市の気温3℃ 薄曇り

2月22日23:53(寝る前の温度)
温床内温度22℃
室内温度16℃
札幌市の気温5℃ 雨。風がすこし強い。

2月23日06:59(起きたときの温度)
温床内温度23℃
室内内温度11℃
札幌市の気温1℃ 雪

2月24日00:52(寝る前の温度)
温床内温度25℃
室内温度12℃
札幌市の気温1℃ 昼から吹雪になっていたが夜にはおさまり、ほとんど無風。曇り。

2月24日09:34(起きたときの温度)
温床内温度26℃
室内温度20℃
札幌市の気温1℃ 陽が差してきてテント内が眩しい。暑い。

2月24日20:19
(昼前から出かけて喫茶店で仕事をして、そのまま夕方には映画館に行ってアリ・アスター監督の映画「ミッドサマー」を観たあと夕食をレストランで済ませ、帰ってきたときの温度)
温床内温度28℃
室内温度5℃
札幌市の気温1℃

2月25日01:24(寝る前の温度)
温床内温度29℃
室内温度9℃
札幌市の気温-1℃ かなりの雪

2月25日08:00(起きたときの温度)
温床内温度30℃
室内温度12℃
札幌市の気温-1℃ 大雪

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 温床の温度が正確に少しずつ上がっているのがわかる。東京の実験のときより安定している。雪の中で湿度が保たれているおかげだと思われる。落ち葉が発酵するためには水分が必要なのだけど、その発酵熱によってまわりの雪が溶け、その水が温床に供給されるという好循環が起きているのではないかと思う。

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 この写真は24日夜の大雪時のもの。半分以上雪に埋もれてしまっているけど、それが断熱効果を生み出し、室内は暖かかった。さらに雪が外の音を打ち消し、普段は気になる近くの信号の音や車の音がこの日は気にならなかった。とても静かな夜で、暖かくて、僕は北海道という土地が、彼らなりに歓迎してくれているように感じた。ちなみに酸欠にも備え、アラーム付きの携帯酸素濃度計を買って就寝中は毎晩計測していたのだけど、安全限界と言われる18パーセント以下になることはほとんどなかった。おおむね18.5~19.5パーセントで安定していた。ただし一度だけ17.5パーセント(標高1500メートルと同じ濃度らしい)まで下がったのだけど、これは計測ポイントが悪かったせいだと思われる。

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 レンガの床はじんわりと暖かくて心地よい。布団とレンガの間は13~18度前後を保っていた。

 ちなみにこの家が完成するまではウィークリーマンションに泊まっていたのだけど、備え付けの布団が薄くてすこし寒い思いをしていた。こちらの家が完成してからはむしろマンションに泊まるよりも暖かく眠れるようになった。ただ、ちょっと狭く作り過ぎた。

 アースチューブの表面積が小さくて温床内の暖気をうまく取り出せないことや、ビニールの匂いがきついこと、結露が酷いことなど、多くの課題が見つかったけれど、とにかく発酵熱は30度までは上げることができた。気温が低いところでは発酵してくれないのではないか、うまくいかないのではないかと言ってきた人たち(北海道出身の人にも言われた)にザマーミロこのやろうと言いたい。

開拓は、侵略だったのか?

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 22日の夜から23日の朝にかけて、一晩中映像を撮っていた。僕はたまに寝返りを打ちながらよく眠っていた。ただ煙突が顔の真上にあり、そこからときどき水が落ちてきて顔に当たる。たぶん暖かい空気がパイプ内を通って結露し、その水が一定のタイミングで落ちてくるのだろう。暖かい空気が排気されている証明なので嬉しいことなのだけど、寝ているときに顔に水が落ちてくるのは要改善である。

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 24日の朝、晴れたので布団を干していたら(さきほど書いたように、寝ているとビニールの内側で結露が起こって朝起きたときには布団がびしょ濡れになっている)、雪遊びをしている親子が二人、家のすぐそばまで近づいてきた。僕はなるべく"普通"に「こんにちは」と声をかけた。そしたら父親が「こんにちは」と返してくれた。そのあと特に会話はしなかったけれど、僕は雪遊びの邪魔になったら悪いなと思い、しばらくその場を離れた。 

 この場所は近所の子供達が雪遊びに使っている場所だと、家を作ったあとで現地の人から聞いた。たしかにここから十数メートル離れたところで遊んでいる親子グループをよく見かける。もしかしたら彼らもこの親子のように、本当はここで遊びたいけど、変なテントがあるので場所を少し変えたのかもしれない。

 札幌市資料館の前庭という公共の場所を、僕は住む場所として、いわば"開拓"しているつもりだったけれど、もしかすると僕は彼らの場所を"侵略"しているのかもしれない。しかし僕はもちろん「誰も近づくな」なんて言うつもりはなくて、ここで雪遊びをする人たちにとっても良い場所にしたいと思っていて、今回の実験は期間が短いので難しいかもしれないけれど、家の前に雪で山を作って、子供達も楽しく遊べるような「庭」にして、そういうことを通して「開拓」と「侵略」の関係について考えながら「公共」の場所を育てたいとも思う。

 もっと遡って考えたらこの北海道という土地も、もともとはアイヌが住んでいた場所で、明治初期に和人としての僕たちが"開拓"することで、彼らから土地を奪っていった。池澤夏樹さんの『静かな大地』という小説に、"蝦夷地"から"北海道"に呼び名が変わって間もない頃、淡路島から北海道に入植した人々の話が描かれている。著者自身の祖先の物語でもあるこの本の中では、当時の和人(日本人)がいかに力づくで、なおかつ狡猾にアイヌから土地を奪ったかが一部描かれているのだけど、僕の曽祖父も同じく淡路島出身で、明治の中頃におそらく開拓民として北海道の日高に越してきて、馬喰をやって生計を立てていた。祖父の代に北海道から上京したので僕は東京で生まれたのだけど、家の隣で雪遊びをしている親子をみて、自分にも侵略者としての側面があることを考えずにはいられなかった。

 『静かな大地』の中でアイヌのオシアンクルが、主人公の由良に向かってこんなことを話す場面がある。

もともと蝦夷の地はアイヌのものだった。いや、アイヌはそこが自分たちのものだとさえ思っていなかった。(朝日文庫『静かな大地』P.140)

 例えば誰かの私有地がそこにあるとして、僕たちはそれを"ここは誰かが所有している土地である"と、心から信じることができる。このオシアンクルの台詞には、僕たちはいつからそんなことを信じられるようになったかを考えさせられる。土地の所有を信じることの背景には常に「開拓」と「侵略」の歴史が付いてまわる。所有することの中には、見えない侵略がある。

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 冒頭に「このテントの中から書いている」と書いたけれど、原稿を書き進めているうちに数日が過ぎ、12日間の実験は終了。いまこの家はもう解体されている。

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 解体している最中に気がついたのだけど、家の床近くの雪は凍りついていた。家の周りの温度が上がり、雪が一度融けたせいだと思われる。これは札幌の"一般的な"家でも起こる現象である。

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 床を剥がしてみると、温床の表面に発酵していることを示す白い菌糸がびっしりとついている。東京の実験ではここまでの菌糸は確認できたことがない。発酵の実験としては大成功だった。ただし、早く温度を上げるため材料に鶏糞を使ったので、解体中の匂いは結構なものだった。これも課題である。それにしても温度を気にしながら数日間落ち葉と寝食を共にし、温度が上がったら「えらいぞ!」「がんばってるぞ」「もうすこしだ!」などと声を出して褒めたりもしていたので、解体されるときは寂しかった。本当に寂しかったので、今回育てた温床の一部を10ヶ月後の芸術祭でも使いたいと頼み、札幌市資料館の裏庭にブルーシートをかけて保管してもらった。

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 家があった場所は雪原に戻り、僕は東京に戻ってきた。いまはこの文章をアトリエ(庭では東京版の温床実験が引き続き行われている)で書いている。

 この家で寝泊まりしているとき、資料館のスタッフや街の人や、芸術祭の関係者からよく「大丈夫ですか」とか「生きてますか」などと声をかけられた。たしかに外から見るとこの家はストイックでハードな代物かもしれないけれど、中で寝ている僕としては、狭いことを除けばそれなりに快適だったので「みんな何をそんなに心配しているんだろう」と思っていた。そんな「生活が大変そうな家」には、ホッカイロを持ってくる人がいたり、カンジキを貸してくれる人がいたり、生きてますかと朝6時に声をかけてくる人がいたり。短い間に色々なことがあった。みんなに温床とビニールで結構あったかいんですよ、快適ですよと言っても全然信じてもらえなかったけど、とにかく札幌でも発酵熱が使えることはわかった。

暖房を考えなおした理由

 しかし、ここまで書いておいてなんだけど、僕はもともと発酵熱で暖をとる家を作りたかったわけではない。もともとは「看板の中を家にして、広告収入で暮らしたら面白いんじゃないか」と思ったのが発端で、それがこのプロジェクトの核である。札幌国際芸術祭2020のディレクターに「芸術祭の看板を作るから、その中に住まわせてください」と、プロジェクトの営業に行き「面白い」と言ってもらったのでやることになったのだけど、場所が公的施設の敷地なので火を使うことができず、では冬の札幌で火を使わずにどうやって暖を取ろうかと考えた末に出てきたアイデアが「発酵熱」だった。そうして発酵熱について調べていたら、落ち葉の踏み込み温床というものを見つけ、落ち葉を集めて実験を始め、やっているうちに温床作り自体も面白くなってきてしまったという流れである。そのうちにオフグリッドな家のありかたにも興味が湧いてきて、水は雪を融かして濾過したものを使おうとか、電気はソーラーパネルと自動車用のバッテリーでなんとかしようとか、太陽光を集めてお湯を沸騰させる装置を作ってみたいとか、色々と興味が広がってしまっている。それは最初のアイデアからずれていっているように思われそうだけど、最終的には全ての要素が「看板の家」として統合できるという確信がある。軸さえしっかりしていれば、そこからずれていくのは世界を広げるためには必要なことだ。

 さて「看板の家」について。僕がどんな考えのもとで計画しているのかというと、

(続く)

*上記一部の写真は詫間のり子さん、清原惟さんの撮影による

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

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