自分の地図をかきなおせ

第13回

《移住を生活する》能登半島編その2

2020.12.14更新

 引き続き能登半島で行っている移動生活の様子を送ります。11月26日13時6分、石川県輪島市の名船という集落にあるお寺の境内におります。ここ数日の移動生活がなんだかバタバタしてしまって、日記を書くのが滞っていたのに加えて十数軒しか家がない集落で寝泊まりすることが多かったのでネット環境がなかなか確保できず、この連載の原稿を送ることができなかった。もうiPhoneのテザリングで送ってしまうことにする。


11月18日

 今は11月19日の朝。羽咋市の滝崎という岬の突端にある一軒家のガレージにいる。本当に先っちょに建てられた家で、この地区の家の中では最も海に近いだろうし、他に同じくらい海に近い建物があるとすれば灯台くらいだ。最寄りのコンビニまでは3キロ、だいたい45分。なかなかの遠さだ。海までは数十メートル。風のない穏やかな気候だけど、海岸線はずっと岩場になっているので波の音がよく聞こえる。

 昨日はとても暖かい日だった。金沢市で24度あったらしい。夜も暖かくて、そのせいか蚊が出てきた。何匹か殺して全部雄だったけれど、何故か指や手が何箇所が何かに刺されたように痒くて、見ると僅かに膨らんだしいていて、まさか雄でも人を刺すことがあるのか? そんは話は聞いたことがないので何か他の虫が混じっているのか。雄だろうが羽音はとても不快で、眠るのを何度も妨げられた。まさか必要になるとは思わず「蚊がいなくなるスプレー」は持っていなかったので、僕は耳栓をして寝袋に頭をすっぽりいれて耐えるしかなかった。昨夜に限らず雄の蚊はメスよりも色々なところに出没するような気がする。

 ・・・ちょっと太った黒猫が、少しドアを開けている僕の家の前を通っていった・・・

 昨日の日記を書こうと思うのだけど、ひとつ気がついたことがある。僕は移住生活中の日記を書く時は「今自分がいる場所」のことから書き始めることが多い。それから前日に起きたことを書き、最後には現在に戻ってくる。この構造、僕が夏に書いた小説と同じだ。全く無意識だったけれど、ちょっと癖になっているのかもしれない。

 17日の日記をジョイフルで書いた後、外に出たらなんだか寒くて、一旦家まで帰ってそこからまた歩いて30分の銭湯に行くのが面倒になってしまい、グーグルマップで調べていたら近所にラブホテルがあるのを発見したので行ってみると、2時間休憩2800円とあったので入ってしまった。完全に車でくるためのホテルで、車1台ごとに部屋が1つ割り当てられている。そこへ一人で徒歩で乗り込み、風呂をためていたらフロントのおばちゃんからインターホンを鳴らされ、出ると「お車じゃないんですか?」と聞かれた。「車じゃないです」と答えた。付近は家もまばらで、歩道もろくにないような場所にあるホテルなのでさぞ不思議に思ったことだろう。風呂で暖まった後は普段見ないテレビをつけて室内でタバコを吸って、なんだか贅沢なたまらん時間を過ごした。本があれば完璧だった。こういう時間が1日の中で数分でもとれたら幸せだ。

 それから宝達志水町に帰って眠ったのだけど5時半過ぎに目が覚め、今日はしし座流星群がよく見える日らしいというニュースを思い出し、寝袋に入ったままドアを開けてよじよじと頭だけを家の外に出したら、ちょうど目線の上の方に北斗七星が見えた。お風呂から帰ってきた頃とくらべるとだいぶ空は白んでしまっていたので星は少なくなっていた。しばらく流れ星を待っていたのだけどなかなか見えず、視界の左、お寺が面している道路の向かいの家の屋根のあたりの空がどんどん明るくなってくる。ちょうど寺の向かいの一階建ての家の屋根よりもほんの数ミリ高い位置に、遥か遠くの山が、輪郭が赤く光る影として見えた。どんどん空は明るくなり、北斗七星も見えなくなってきて、都会の空は時代を経るごとにこうやって星が見えなくなってきたのだなと、ここ百数十年の歴史を早回しで体験しているような気持ちになった。ひとつだけ、東のしらんだ空で星が流れたのを、視界の少し左で捉えることができた。

 もう一度眠って8時過ぎに目が覚め、秒で起き上がって荷物を軽くするために大野で買った塩麹とTシャツ1枚と靴下1組を金沢21世期美術館へ送りつけた。

 住職さんは留守にしていたので、絵のコピーと展覧会の案内をお寺のお母さんに渡し、10時過ぎには照覚寺を出発、といま書いていたら照覚寺の住職さんから電話がかかってきた。「昨日はどこまで行かれましたか?この先もお気をつけて」と。「なにかあれば連絡してください」とまで言ってくれた。優しすぎる・ ・さすが真宗・ ・と言っていいものだろうか・ ・。

 照覚寺の次の敷地は決まっていた。21世紀美術館の職員さんの、義理の実家。「もし羽咋市を通ることがあれば」と紹介してくれた。羽咋市までは主に千里浜を、自動車の行き交う砂浜を8キロ弱ひたすら歩いた。砂浜は歩きにくいのではないかという懸念があった。確かに海辺から遠い砂地は歩きにくいけれど、遠浅の海岸なので波と自動車によって固められた地面の面積が広く、そこはむしろアスファルトよりも足への負担が少なくて歩きやすい。浜辺では、21美で展示見ましたというカップルに出会い、全て味の違う三種類のポッキーをもらった。千里浜を出るところでは、千葉と杉並から来たという女性2人組からまたしても「昨日21美で見ました! めっちゃ面白かったです~本も家帰ったら買います!」と声をかけられた。羽咋市まで来ても21世紀美術館の影響力の大きさを感じる。千里浜から先は、サイクリングロードのような道を歩く。後で聞いたのだけど、もともと鉄道が走っていたところらしい。そこでは「東北ライブハウス大作戦」というトレーナーをきたお兄さんから話しかけられ、写真を撮られたり、「東北ライブハウス大作戦とはなにか」について話を聞きながら数分一緒に歩いたのだけど、そのお兄さん、別れてから15分後くらいに再び娘さんと一緒に現れた。車で追いかけてきたようだった。「強炭酸水」と「ポテコ」を萎びたビニール袋に入れて差し入れてくれた。この袋の萎び具合が、家で目についたビニール袋をひっつかんで急いで持ってきてくれたんだろう、ということを想像させる。そして家はポッキー3箱と炭酸水とポテコのぶん重くなった。この重さは・・・僕はいったい何の重さを感じているのか・・・。

 しかし今思うと、あのお兄さんが醸し出す雰囲気は「強炭酸」がぴったりだ。家でもよく飲んでいるんだろう。あるいはウイスキーと割ってハイボールにしているかもしれない。どちらも想像できる。

 炭酸お兄さんの次はスーツ姿の男性が「これはなんですか?」と話しかけてきた。「これは僕の家です。移動生活をしています」というようなことを言って、男性は驚きつつ写真を撮って去って行ったのだけど、この人もまた十分数分後に車で追いかけてきて「これよかったら」と言って、近所の弁当屋さんで買ったというおにぎり二つと手巻き寿司を差し入れてくれた。これは重いなと怯んだのだけど、目指す敷地まではもう残り2キロほどだったので受け取ることにした。

 一緒に歩きながら「ここで寝てるの?」と男性が聞いてくる。

「そうですね。この中で寝てますね」

「これ窓閉まるの?」

「閉まります。近所の人ですか?」

「この先の、志賀町っていうところ」

「ああ、そうなんですか」

「お寺の住職してます。真宗大谷派」

 なんとお寺の住職さんだった。それも照覚寺と同じ真宗大谷派だ。さすが真宗王国だ。しかしこれはなんということか・・・これまでの移住生活のなかで、お寺の住職さんから道端で話しかけられることはほとんどなかった。今日の敷地が決まっていなければ敷地を交渉していただろう、と、この時は思っていた。

「僕、昨日まで照覚寺っていう真宗大谷派のお寺の敷地に寝かしてもらってました」

「ああ、そうなんだ。境内でこれ置かせてもらったの?」

「はい。それが基本的なスタイルで・ ・。だいたいお寺におかせてもらうんですけど」

「ああ、そうなんだ(笑)。うちは・ ・ここからどのくらいかなあ。明るい蓮と書いて明蓮寺っていうところなんだけど」

「ちょっと調べていいですか?」

「いいよ。志賀町っていう。しかまちって読むんだけど」

「あ、ここから9キロだ。え・ ・明日行ってもいいですか?」

「どうぞ」

 という流れで翌日の敷地が決まり、住職さんと「また明日」と言って別れた。こんなこともあるのか・・・。しかしおにぎりと手巻き寿司のぶんまた家が重くなった。最後の1時間で一気に差し入れが増えた、みんな夕方になると余裕がでてくるのか? なんだか僕はみんなの思いを乗せた箱か何かを背負っているような気分でぜえぜえと歩き、この滝崎の家につくころにはもう満身創痍であたりも暗くなっていた。

 最後に道端で話しかけてきたのは女の子2人。

「こんにちは。何してるんですか」

「家を運んでるんですよ」

「なんで家を運んでるんですか」

「家を運びたいからです」

「重いんですか」

「重いですよ」

「さよなら」

 と意味深な会話をした。

 滝崎の家に到着するとちょうどご主人が家の外に出ていて出迎えてくれた。家は1階コンクリート2階が木造になっており、どことなく吉村順三の軽井沢の家を想起させる。2階に上がらせてもらって驚いた。リビングに横長の窓が三つ並んだ大きな開口部があって、日本海がこれ以上ないほど良く見える。遠くに1点、漁船かなにかの白い光が小さく見える以外は、海は真っ黒だった。でも風がないので波は静かなようだ。さきほどの住職さんが差し入れてくれたおにぎりと同じお店のお弁当(このあたりでは定番らしい)を奥さんが用意してくれて、3人でご飯を食べながらお話をした。ご主人は建築家で「~スタジオ」という個人名義の設計事務所を数年前までやっていたけど、既に「引退した」という。フランク・ロイド・ライトが好きで、「スタジオ」という名前もライトに倣ってつけたけど、曰く日本で設計事務所に「スタジオ」と名前をつけたのは自分が最初なのではないかと言っていた。最盛期には10人の所員を抱えていたらしい。この家も自分で設計したが、近所の人からは「こんな海の前の風が強いところに家を建てるなんておかしいんじゃないか」と思われているという。

 「この辺りは木造の軸組構造の家が多いから、風が強いと家が揺れてしまうんですよ。だから頭がおかしいんじゃないかと言われるけど、この家は必要なところに筋交を入れて、1階をコンクリートで持ち上げて、生活スペースを全て2階に持ち上げて見晴らしを得ている。こういう家は東北なんかではよくあるんだけど、この辺の人はそういう構造を知らないですからね。木材は全て能登ヒバ。ヒバはいいですよ。檜より良いと思っている。こういう節のある材は安いですからね。本当に安い」

 ご主人が話し、僕も時々口を開き、奥さんはすこし離れた席でニコニコしながら二人の話を聞いている。

「ここ実は5、6年前に山田洋次が映画撮ってたんです。『ちいさいおうち』っていう。今私が座ってるところに妻夫木聡が座って、隣に木村文乃っていう人が座って・・・」

 『ちいさいおうち』は見ていないけど驚いた。奥さんが写真を見せてくれた。僕が座っているところに山田洋次監督が座っていた。

「最初スタッフがロケハンに来て、下の道を歩いとって、ピンポンしてきて『中見せてくれ』って。そのあとで山田洋次が来て『ここで撮りたい』って。こんな狭いところに70人来るんですよ」

 語尾を少しだけ上げる不思議な話し方をする。このご主人は珍しい苗字で、同じ苗字の人で集まる会の会長をやっているという話や、そのルーツを800年前まで遡って調べているという話や、ヒンズー教の4住期の話などをしてくれた。夕食の最後に

「若い頃はやりたいとおもったことやったほうがいいですよ。わたしもながいこと建築の旅してきたけども」

 と言った。建築の旅。言葉選びが素敵だ。

 夕食後はシャワーだけ借りて、1階のガレージの自分の家に帰った。日記を書く気力がなく、そのまま10時には就寝。そして翌朝7時半に起きて、日本海を望みながらおにぎりとお味噌汁の朝食をいただいて今に至る。

 2時間ほど前からずっと、椅子に座って日記を書いている僕のまわりを弱ったアシナガバチがうろうろとしている。何か用事があるのか?

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11月19日

 全部で40畳近くある広い座敷に9台のテーブルが間隔を置いて並んでいて、僕の他には一人もいない。でもなぜか食堂のおばちゃんが忙しなく動き回っている。わざわざこんなことを書く必要はないのだが、なんとなくこのおばちゃんとは仲良くなれないような気がする。右手の窓際にはテレビがあってそこから賑やかな芸能人たちの声が聞こえている。志賀町の「アクアパーク シ・オン」という施設の休憩室兼食堂。道の駅の隣にある施設で、ここにはサウナ・露天風呂・シャンプーとボディソープ・ドライヤーなどが揃った温泉と、温水プールがある。温泉は500円で入れる。この充実度でこの値段は安すぎる。志賀原発の原発マネーと何か関係はあるのか?

 もつ鍋1人前始めました! と大きく広告されていたので僕はもつ鍋を頼み、それからラーメン玉を頼んで一人で食べ、そのカセットコンロと皿を奥にやってパソコンを開いて日記を書いている。今日の敷地は滝崎の家から9キロ弱歩いた真宗大谷派の明蓮寺の境内。昨日歩いていて偶然出会った住職のお寺。

 13日に金沢から歩き始めてからずっと無風に恵まれていたけれど、今日12時過ぎに滝崎を出発したころには風が出ていた。12時まではずっと外で日記を書いたり絵を描いたりしていたのだけど、途中家から出てきた奥さんも「風が出てきましたね」と言っていた。それが今日最初に聞いた人の声だった。「風が出てきた」っていう表現は不思議だな。風というものは普段はどこかにひっこんでいるものなのか。どこかに家があるのか?

 風は歩くのに大きな支障はない程度だけど少し煽られた。歩き出してすぐに草履に白い着物を召した、見るからにお寺の人という感じのおじさんが「写真撮っていいですか」と。「住職さんですか?」と聞くとはい、と。寺の人多すぎ。そして、なんと道路上の電光盤に只今の気温22度という表示。暑いわけだ。

 車を降りた女性から

「どっからきたんですか?」

 と聞かれ

「南から来ました」

 と答え

「南からですか! どこへいくんですか?」

 とまた聞かれ

「北へ行きます」

 と答えたりしながら歩いているうちに、割とすぐに志賀町に入る。後で知ったのだけど、志賀町というのはものすごく大きな町らしい。志賀町の次はもう輪島だというから驚き。しかし滝崎の家から8キロ弱もの間、コンビニが一軒もなかった。小腹がすいてきて、次のコンビニでは小さいカップヌードルを食べようと決めた。明蓮寺まであと1キロというところでローソンがあったのでそこで家を下ろしたとたん、「これはなんですか?」と誰かに話しかけられる。リュックを下ろして家を脱いだら、小学3年生くらいの女の子とお母さんが立っている。お父さんも後方にいる。僕は21世紀美術館の展覧会の案内カードを渡し、自分の活動の説明をしたらお母さんは驚いて、お父さんに

「ちょっと、なんかパンフレットとかないの?」

 と言う。お父さんは「ないなあ」と答える。

「お店か何かやってるんですか?」

 と聞いたら

「ペンションをやってます。別荘地で・・・」

「なんていう名前ですか?」

「ペンションアンドカフェクルーズです」

 Google マップで調べたらここから3キロ北にあるペンションとレストランを兼ねた宿だった。

「わたしたちで2代目なんですけど。親が始めて・・・」

 と言う。お母さんは「ちょっとパンフレット探してきます」と言って自分の車の方へ走っていき、すこしくたびれた1枚のパンフレットを渡してくれた。

「よかったら、きてください。山の上のほうなんで、通り道じゃないかもしれないけど・・・」

 僕はお礼を言い、ちょっと今回は通らないけれど、また能登に来た時に普通に車で行きますと言って、その親子とは別れた。別れ際にコンビニで「クリーム玄米ブラン たんぱく栄養食」を買って差し入れてくれた。

 ・・・仲良くなれなそうなおばちゃんが、ますますばたばたと動いてテレビを消し、閉店の準備を始めたので「アクアパーク シ・オン」を出て、家への帰り道にある「コインランドリー トトロ」に場所を移した。いま3日分の服を洗濯している。洗濯に500円、乾燥に10分100円。ちなみに道路の向かいにもコインランドリーがあるのだけど、店内の照明が眩しそうだったので「トトロ」にした。隣には「クスリのアオキ」がある。そして道路向かいの照明の眩しそうなランドリーのそばにも「マツモトキヨシ」がある。何かを競っているのか?・・・

 事前に決めた通り、ローソンでカップヌードルを買ってお湯を入れて駐車場に座り込んで食べた。コンビニやドラッグストアで食べ物を買って地べたに座りこんで食べるのはもう慣れたもんだけど、ここらでコンビニを利用する客は100%車で来ているので、地面に座ってご飯を食べている僕はすごく目立つだろう。東京と同じく能登にも「座る場所」がない。店の前にせめて椅子を置いてくれると助かるのだけど。

 カップヌードルを食べ終わってローソン店内のゴミ箱に捨てて再び歩き始め、15分も歩くと明蓮寺に到着した。大きなお寺だった。境内にはいくつも建物が建っていて、どこまでか寺の敷地なのか部外者にはわからない。住職さんはまだお寺に戻っていなかったので、入り口に家を下ろして少し絵を描いていたら、

「こんにちは」

 と、目を疑うほどゆっくりと進んでいる三輪の自転車に乗って白い頭巾をかぶった、「まんが日本昔話」にそのまま出てきそうな畑帰りのおばあちゃんが笑顔いっぱいに声をかけてくれた。他に動くもののない集落の風景のなかでそれを目撃したので、世界がスローモーションになったのかと一瞬勘違いしそうになったが、ただゆっくり自転車を漕いでいるだけだった。2倍速にしても、僕が歩くより遅いだろう。

「これはなんの建物ですの?」

 と僕の家を指して言うので

「背負って運んでるんですよ」

 と答えたら、既に笑顔だった顔がいよいよ恵比寿様みたいになって

「そうけそうけ、~~いいならねえ。ねえ」

 と、よく聞き取れなかったけれど何かを納得したらしく、ゆっくりゆっくりと、本当にゆっくりと自転車を漕いで去って行った。僕もたぶん笑顔になっていたと思う。そのおばあちゃんとすれ違う形で明蓮寺の住職さんが帰ってきた。

 ・・・洗濯が終わったのでコインランドリートトロを出て家に帰る。明蓮寺から海までは500メートルくらいか。波の音がよく聞こえる。なんとなく車が遠くを走る音に似ている・・・

 ここの住職は22代目で、しかも元々真言宗だったお寺を真宗に転派してからの22代目ということらしい。「本堂案内しましょうか? せっかくだし」と中に入れてくれた。

「日曜日に長男が結婚するんですわ。ここで結婚式やるんやけど、仏式で・・だからちょっと片付けないかんのだけど」

 伽藍は全体に派手な金色で、大きな阿弥陀如来象が鎮座している。

 「禅宗のお寺なんかに比べると派手やね。全体に浄土の世界を表してるから、かなり煌びやかになっとるね。昔はこの辺は、船の寄港地として栄えたんやね。ものすごい豊かな時代があったんやね。その時の人ってのは信仰心が厚くて、お寺さんに寄付をされる方が多かったみたいで。結果大きい伽藍構えて、自分のお寺を立派にしたいっていう方が多かったんやろね。だからこの辺は伽藍が大きいお寺が多い。東洋大学を作った井上円了っていう、もともと真宗の大谷派のお坊さんが、この辺で寄付を集めてるときに『こんな伽藍にお金使うんやったら、教育にお金使ってくれ』って言ったとか言わんとかっていう話が残っとるけどね。」

「大谷派って京都の東本願寺が」

「そう。東本願寺が本山」

「じゃあ年に一回くらい行くんですか?」

 「今年はコロナのこともあって行ってないけども、一般参詣として行くけど。この地方からでも本山に出仕って、中に入ってお務めする人もおるね。ここ能登半島はもともと真言宗のお寺が多かったんやけど、蓮如上人って本願寺の8代目が福井県の吉崎っていうところに来たときに一気に転派して。雪崩打って真宗に変わった。うちもそうらしいんやけど、記録が残ってないからわからんのやけど・・・。門徒数によって本山からロイヤリティ求められるから。上納金っていうのを出さなきゃならんから、それによって真宗大谷派っていうのを名乗ることができる。お寺は古い時代のフランチャイズ制度みたいなもんやね。東本願寺は約30の教区に分けてて、教区によっては・・山陽教区ってところは兵庫県の西の方から岡山・広島・山口までカバーするんだけど、ここは能登教区って狭いところだけで教区になっとる。それだけお寺が集中してるってことやね。金沢とも別教区になっとる。住職修習受けに本山行った時、横浜から来た人と同じ班やったけど、横浜で聞いたら人工300万で、真宗寺院は5、6しかないって言ってたかな・・うち人口能登地区で30万しかいないのに真宗寺院は360ある。どんなや(笑)」

 と住職さん。さらに後で

「富来という町に柳泉寺っていうお寺があって、仲の良い住職なんやけど、村上さんのこと話したら、来るなら来てもいいよと言ってたけど、行かんか?」

と言ってくれた。

「ここから20キロくらい北やけど。彼は庭師もやってる変わった住職で、一回真宗大谷派の機関紙に『隣の僧侶』っていうコーナーに載ったことがあるんやけど。彼は軽トラ仕事で使うから、なんなら向かいに行こうかって」

 先ほどローソンで出会った人がやっているペンションもここから少し北にある。僕はこの志賀町から能登半島を横断するかたちで内浦に行って穴水経由で珠洲に行こうとしていたけれど、これは輪島経由で北に行けというお告げかなにかではないか? と思い、

「じゃあ、行きます!」

 と言ったらすぐに柳泉寺の住職さんに電話してくれ、僕はそちらへ向かうことになった。これはあのペンションにもいかねばと思い、「ペンションアンドカフェクルーズ」に電話して、明日から一泊夕食付きで予約してもいいですかと聞いたら「いいですよ」となり、しかも政府のGoToキャンペーンにより割引があるからそれはこちらでやっておきます。ということで、明日は1週間ぶりに僕は自分の家ではなくペンションに「外泊」することに。なんだか面白くなってきたぞ。

 ・・・日記を書いていたら、宝達志水町の照覚寺の住職さんから、僕がプレゼントした本堂の絵のコピーを玄関に飾ったというショートメールが届いた。ラインも交換した。

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11月20日

 明蓮寺から北へ3.5キロほど行った、森の中の別荘地にある「ペンション&カフェ クルーズ」にいる。先日ローソンで偶然出会った一家が経営している宿。ここへくるまで1時間程度しか歩いていないのだけど、風が強くて度々ヒヤッとする場面があった。つまり、持ち歩いている家が風を受けて制御できなくなりそうなことが1、2回あった。「クルーズ」に泊まることが決まっていなければ、明蓮寺の敷地に2泊していただろう。11月なので気候はまだ安定している方だけれど、もう少し冬深くなると「風と雷が吹き荒れる」と、能登の人はみんな言う。特に「雷が・・・」と言う。あまりにもよく聞くので、真冬の能登半島は僕の頭の中では漫画「ワンピース」のグランドラインにありそうな1日中雷が落ちまくっている島のイメージができてしまった。この冬の暴風のことを「鰤起こし」と呼ぶらしい。冬は寒ブリが美味しい時期なので、このどうしようもない天気に少しでも前向きなイメージをつけたいと言う昔の人の知恵だろう。

 家はクルーズの玄関をでてすぐ右に置いてある。自宅の隣に建っている宿に1泊2日の旅行に来ているような感覚。2食付きで24時間入れる大きな貸切風呂がついていて、中を歩けば素敵なアンティークの家具(商店のディスプレイ的に使われる「アンティーク風の家具」ではなく、本当に古いものが好きで集めたのだなということがよくわかるものたち)や絵画や標本やレコードプレーヤーでいっぱいの宿がなんと一人9700円なのだけど、さらに今なら政府の「GoToトラベル事業」の3割引が入る上に1000円の「地域共通クーポン」もついてくる。ちょっと疲れたし、なんだか風も強い日だし、ここで一回贅沢しとくかと思って泊まることにしたのだけど、チェックインしたあと部屋に入ろうとしたら玄関で「え、村上さん?」と、今この宿に着いたばかりのお客さんから声をかけられた。見ると「奥能登国際芸術祭」の事務局で働いている知人だった。びっくりした。話を聞くと「コロナで海外も行けないし、能登半島一周の新婚旅行中」らしい。事前に何の調整もなく、偶然予約した宿に同じ日に泊まるなんてことがありえるのか?信じられない。彼は表に置いてある僕の家に気づかず、先に僕本体を発見した。奥能登国際芸術祭の公式ツイッターにてこの奇跡はすぐに報告された。その知人夫婦の他には三重県桑名市から結婚29周年旅行で来たという夫婦がおり、僕と合わせて3組の客が今夜ここに滞在している。

 事前にパンフレットを読んでかなり楽しみにしていた夕食は四種の前菜(帆立のフレッシュトマトソース、鴨のスモーク、春菊のオムレツ、能登豚の生ハムと柿)に揚げ出し豆腐、サラダ、クラムチャウダー、能登のコシヒカリ、魚料理(鯛のポワレにキノコのソースと揚げたゴボウを和えたもの)、肉料理(ネギ、紫蘇、チーズの牛肉きに紫蘇ソースを和えたもの)。さらに2種類のクラフトビール(オンザクラウドとアフターダーク)が生で飲める。全て美味しい。鴨のローストや能登豚の生ハムは黒ビールにぴったり。

 夕食が落ち着いた頃、まいこさんとお父さんが2組の夫婦のお客さんの前に立ち、まいこさんが話し始める。

 「今日は、こちらは結婚記念、こちらは新婚旅行ということで、おめでとうございます、こちら私の父、この店のオーナーなんですが」

 と言ってお父さんを紹介する。

 「2年前に脳梗塞で倒れまして、ちょっと言葉の発音がぎこちなくなってしまったんですが、リハビリを兼ねてギターをやっています。このペンションの雑貨とかもたくさん集めまくっていて、インテリア大好き、そんなオーナーなんですけど、プレゼントさせていただきます」

 お父さんがギターを弾き始める。ギターの伴奏に合わせてまいこさんが中島みゆきの「糸」を、マスクをつけたまま歌い始める。歌い出しで胸を掴まれる。中島みゆきとは違う、透き通った声なので最初は中島みゆきの歌だとすぐにはわからなかった。2組の夫婦がまいこさんの歌に耳を傾けて、時間としては4分程度だったけど、ぐーっと時間が引き延ばされているみたいだった。ここにいる二組の夫婦が過ごしてきた時間と、この宿が誕生してからの30年余りの時間を思った。

 クルーズはいま久里さんとまいこさんという夫婦(なんとなく京都のnowakiの2人を彷彿とさせる)がメインで、まいこさんの両親が始めたこの店を引き継ぐ形で経営している。なのでまいこさんは志賀町生まれ。近所に中島石材店という店があり、そこにはマーシーという面白い人がいて、彼は写真を撮ったり(写真は本としてまとめられていて、花や海や空や鳥などを撮影していており、全ての写真のどこかに「at one's own pace」という文字が入っているという最高の代物だった)なんだか楽しそうな展覧会や音楽フェスを開催しているという話、僕が数日前に通った滝町のあたりに中田虫人(なかたむしんど)という現代美術家が「スペース滝」という場所をやっているという話、富来町に八朔祭礼という「地元の人でガチの人は、祭が終わった瞬間から次の祭へのカウンドダウンを始める。祭のために生きているような」古い切り子の祭があり、若い頃は親から「女だけで行ったら絶対襲われるから、行ってはいけない。その日だけはそれが許されるような、そのくらい本気の祭だから」と言われていたけど現地の女子高生は「そんなことはない」と言っていた話など聞いた。その後桑名市からきた夫婦に金沢21世紀美術館の展覧会の宣伝をし、部屋に戻ったらすぐに寝てしまった。起きたら8時半になっていた。パンや卵の朝食を食べ、チェックアウトを済ませて今自分の家の隣で日記を書いている。

 昨夜は夜通し風が強かった。朝家を確認したら寝袋などは濡れていなかったので雨は降らなかったようだけど、この強風のなか宿に泊まることができたのはラッキーだった。敷地によっては度々風に起こされていたかもしれない。先ほど明蓮寺の住職さんからショートメッセージが届いて、なんと昨日紹介してくれていた珠洲市のお寺に加え、七尾市のお寺にも僕のことを伝えておいたからもし通ることがあれば使ってくださいとのこと。真宗寺院のネットワークにサポートされている気分だ・・・。能登半島編が終わったら東本願寺に参詣せねばなるまい。

 さて、絵を描くためのケント紙が残り少なくなってきた。どこかで調達せねば。

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11月21日

 現在11月22日の朝6時半。能登半島の北西の海沿いにある富来という町の柳泉寺というお寺の境内にいる。陽が登って外が明るくなってきたことを発泡スチロールの壁越しに感じて目が覚めた。もう少し早く起きたかったけれど、昨夜寝たのは0時前だったのでこれが限界だろう。しかし日の出とともに起きるなんて本当に規則正しい生活をしている。定住期間の僕は油断するとすぐに生活が滅茶苦茶になり朝眠って昼に起きるという体制になってしまうので僕にとって《移住を生活する》は生活を正す装置のような一面もある。それにしても「規則正しい生活」という言葉からは、なにかいやらしいものを感じるな。

 もう少し早く起きたかった、というのは、早く昨日の日記を書かないとそのうちこの家の元気な4姉妹のうち誰かが起きて庭にあるこの家までやってきて「おはようございます」とか「中に入れてください」と騒ぎ始めて集中できなくなってしまう・・・と書いているそばから、ザッザッという恐ろしい足音が近づいてきた。家の周りをぐるぐる回っている・・・。僕は中でなるべく物音を立てないようにする。しかし彼女は外からドアを開けようとしたり、目隠しにしている窓のタオルを上げて中を覗こうとしてくる・・・それで目が合ってしまった。目だけではわからないが3番目か4番目の子だった。「コンコンコン」「何してるんですか」と中にいる僕に声をかけながら家の周りをうろうろ歩いている・・・早起きすぎる。さすがお寺の子供だ・・・。僕が「日記書いてるんだよ」と言うと「日記ってなんですか?」という。「開けてください」と言ってドアを開けようとするので「ちょっと仕事させてください~」と言っても好奇心旺盛すぎる年頃なので聞いてくれるわけもなく、いや参った、はははと一人で笑っていたらお寺の方から住職さんが「こら」と声をかけて窘めてくれ、彼女は家に戻って行った。

 昨日は昼間「ペンションクルーズ」の前に立って絵を描いていたら「村上さん?」と、白髪に帽子をかぶったおじさまが声をかけてきた。前日にまいこさんから話を聞いていた中田虫人さんだった。

「こんな人が来てるよって久里さんから電話あったんで、飛んできましたよ。ちょっと後で一緒に写真を撮ってもらえませんか?」

 というのでいいですよと答え、

「じゃあ私はそこで食事してるので、またあとで」

 と虫人さんはクルーズに入っていった。クルーズはランチもやっていることをこの時に知った。

 ・・・

 と書いてたら今度は2番目の穂高ちゃん7歳がドアの外から「村上さん、開けてください」と声をかけてきた。穂高ちゃんは昨夜何時間も一緒に遊んだので声だけでわかる。ここで下手に開けると厄介なので「はい。なんでしょうか?」と用件を聞く。「ちょっと、開けてください。開けられないんで」という。なにか手に持っているらしい。ドアを開けたら穂高ちゃんがお盆を持って立っていて「これ、コーヒーと果物」。「アナと雪の女王」のお盆に、コーヒーと、木皿に切り分けられたリンゴと柿が載っていた。「ありがとう」と言って受け取る。「寝てたの?」と聞くので「仕事してるのよ」と答えたら「じゃ!」と言って家に帰っていった。昨夜はずっと僕にくっついて遊んでくれ遊んでくれという感じだったので、こんな気遣いもできるのかと驚いた。そして糖分はありがたい。すぐ全部食べた。

 ・・・

 さてクルーズの前で絵を描いている僕のところにご飯を食べ終わった虫人さんが、友人(絵描きらしい)と再び現れ、今度は

「もし村上さんがよければ僕買ってもいいんですけど。あれ、売るんでしょう?あとで久里さんに値段を伝えておいてもらえますか」

 と言って僕の家を指した。

「僕の家ですか? 安くないですよ~」

「でも本物の家みたいな値段はしないでしょう?」

「そうですね。本物の家ほどではないです」

 虫人さんは作家なのだけど、人の作品を買うこともあるらしい。

「まあ知り合いのものが多いですけど」

 と言っていた。今回はもう通り過ぎてしまったけれど、金沢へ南下する際に都合がつけば、虫人さんがやっている滝町の「スペース滝」にも伺わせてください、と言ったら。

「はい。じゃあまたそのときに具体的な話を・・」

 と虫人さん。どうやら本気で購入を検討しているようだ。

 ・・・

 再び穂高ちゃんが、今度は妹を二人引き連れてやってきて「開けてください」とまた言う。妹の二人が「郵便です」「おにぎりです」と言う。おにぎりが届いた。「がんばってなー」と言って去っていく。

 ・・・

 絵が13時半になっても描き終わらず、お腹が空いてしまったので虫人さんと別れた後僕もクルーズに入った。「カフェクルーズ」の入り口はペンションの入り口とは違うところにある。昨日は気がつかなかったけど、テーブル5台とカウンター席を備えた、最大25人くらい座れそうなカフェが同じ建物内にあった。ランチのお客さんは絶えず、絵を描いている間にも次々と車が駐車場に入っては店に入っていた。若い女性3人のグループやらおしゃべり好きそうな夫人グループやらベビーカーを持った夫婦と子供の家族連れやら。

 ・・・

「なにしてんのー」

 今度は三女か四女が声をかけてきた。

「仕事よ」

「なんで仕事してんのー?」

 この子はなんでも「なんで?」と聞いてくるので、こっちもなんでだろうかと考えてしまう。なんで僕は仕事をしているんだろう・・。

「なんでだろうなあ」

 と思わず声に出してしまった。

「いっぱい仕事あんのー?」

「いっぱい仕事あんのよ」

「それは大変すぎるわあ。ねえねえ、お仕事しててもドア開けても大丈夫だよ」

 大丈夫じゃないに決まっている。彼女は家の周りをぐるぐるとまわり、やっほう、と言って郵便受けから顔を覗かせているが、目が合ったら厄介なので目は合わせない。

「わ、忙しそうだなあ。忙しそうに、見えるなあ」

 ・・・

 ランチはカレーを食べた。まいこさんは僕の描きかけの絵を見て「線がいいですねえ」と言った。

「ネットで連載してる題字も自分で書いたんですか?」

 もうミシマガジンのことまでチェックしてくれているらしい。

「これ言われて嬉しいかわからないんですけど、『ほぼ日』とかに載ってそうだなって思いました。ほぼ日と言われて嬉しいかわからないんですけど・・・」

 僕としてはむしろ「嬉しいかわからないんですけど」という前置きが嬉しかった。この人は昨日「土地柄で人をひとくくりにしたくないのだけど、能登の人は親切だと言わざるを得ない」という話を僕がしたときに「わかりますよ。自分もそうです」と言っていたのも印象的だった。

 カレーを食べていたら前日に教えてもらった「中島石材店」のマーシーさんが偶然ランチを食べにきていて、クルーズのオーナーが紹介してくれた。「マーシー」というあだ名と、彼の写真集を見たことで僕の中で勝手に生成されていたマーシーさん像とは全然違う人物だった。名刺にとても小さな字で電話番号を書いてくれる、ものすごく物腰の柔らかい人で、日に焼けた短髪のサーファーみたいな人物を勝手に思い描いていた自分が恥ずかしい・・・。

 絵を描き終わったのが15時過ぎ。時間がかかりすぎだ。絵に4時間もかけて、今日この文を書くのにも既に2時間経っているのに、まだ「ここ」にだどり着いていない。1日の仕事量を超えている・・・。

 ここ柳泉寺は「クルーズ」から20キロ北にあり、本当はここに向かう途中のどこかの道を歩いている時に拾ってもらう予定だったのだけど、僕は絵が描き終わらず、住職さんは軽トラで「クルーズ」に着いてしまった。明蓮寺の住職さんの紹介とはいえ、まだ会ったことのない人にトラックを出してもらってなんだか悪いな、何かお返ししたいのだけどお金を払うのはなんか違う気がするんだよな、なんてことを考えているうちにお金を払うことがむしろ相手に失礼になることもあるのだなと思い至る。お金を払うことでむしろ相手が示した価値を矮小化してしまうようなことが。

 迎えにきてくれた柳泉寺の住職さんが先ほど僕が勝手に思い描いていたマーシーさん像に近かった。笑う時はとても豪快に笑って、その声を聞いたらこちらまで笑ってしまうような、庭師の仕事をしているところが鮮明に思い浮かべられる感じの人なのだけど、この人がお経をあげているところを想像すると痺れる。かっこいい。明蓮寺の住職さんと大谷大学時代の同級生だということがトラックの中で分かった。さらにマーシーさんとも同じ町にすんでいる知人同士ということだ。石屋と庭師なので時々仕事を一緒にすることもあるという。

「柳泉寺の住職さんとしては何代目なんですか?」と聞いたら、誰も住んでいないも同然だったこのお寺に、自分の祖父にあたる人が農家の五男坊だったもんで食い扶持がなくて入ることにして住職になった、という話だった。昔どこかで似たような話を聞いたことがある。つまり「寺の建物」が先にあり、「住職」が後からついてくる、というか。寺という属性の建物に入居すれば、そこに入った人が「住職」(とても的を得ている名前だ)になるというか。もちろん大谷大学などへ言って勉強をして住職として認められないといけないのだけど。

「富来は人口が今6000人くらいなんですけど、お寺30以上ありますよ」

「すごいですね」

「泊まり放題ですよ(笑)。ほぼ9割真宗大谷派で」

「門徒さんって皆さん信仰心厚いんですか?」

「いやあ、昔はそうみたいでしたけど。最近は全然ですねえ。お参りとかも少なくなってきたし」

 という話をしているうちに柳泉寺に着き、境内に家を積んだトラックが入るや否や家の中から続々と人が出てくる出てくるで、まず女の子が二人、そして住職さんのお父さんとお母さんが出てきて、そこへちょうど住職さんの奥さんが車で帰ってきて、さらに小さい女の子を抱えた中学生くらいの女の子がでてきて、あれよあれよという間に8人の観衆に囲まれ、女の子たちが僕がリュックにつけているアサラトを「これ何?」と聞いてきたり「これ見て。何かわかる?」と言って何かポケモンのキャラクターのグッズを見せてきたり、4姉妹からの質問に答えていたら近所の人も「なんだなんだ」という感じで出てきてテレビ番組の中で地方を巡る芸能人のような気分を味わった。

 家の敷地を決め、住職さんが「ここ鍵開けとくんで使ってください」とトイレも案内してくれた。立派な御堂も見せてもらったのだけど、そこに賞状が飾られていて何か聞いてみると、長女が作文で能登出身の小説家の加能作次郎の賞を今日もらったばかりで、数万円分の図書券を贈呈されたらしい。羨ましい・・・。

 そのまま畳の間へ通されて腰を下ろし、その長女が書いた作文を読んでいたらいつの間にか近所のおじさんが一人来ていた。このお寺の下にある家の人で、名前が坊下さんというらしい。

「坊さんの下だから、坊下です」

「ほんとですか?」

「本当なんです」

 隣で次女の穂高ちゃんがiPadで「ブロッククラフト」というゲームをやっており、そのゲーム内で僕の家を作ってくれるというのでどの家がいいかと聞かれたので選んだりして、全然作文が頭に入ってこない。

「ちょっと、五分待って。これが全然読めないから」

「わかった、その間に穂高、お金集めとく」

「お金集めといて」

 さらに住職さんのお母さんが、鴨居に掛けてある写真に写っている人を

「昨年亡くなったおばあちゃん、私の母ですね。100歳でした」

 と紹介してくれたり、お父さんが

「こちらはね、大谷派の門主さん。今はもう変わっちゃったんだけど、この人は25代目の門主さん。親鸞上人の血を引いている方です。気さくな方でね・・・」

 と説明してくれたりする。なんて賑やかで多幸感の溢れる家だ。これは子供がのびのび育ちそうだ・・・。

 穂高ちゃんはゲームをしながら

「パパ嬉しそうやね。パパ嬉しそうや」

 と連発している。僕の目には穂高ちゃんが一番嬉しそうに見える。外から客人が来たのが楽しくてたまらない感じが伝わってくる。小さい頃の僕は客が来ても人見知りをして全然顔を出さなかったことを思い出した。

「村上さん、よかったらみんなで一緒に晩ご飯食べませんか」

 と夕食会(おでん)に招いてくれて、柳泉寺の一家8人と坊下さんと僕の10人でご飯を食べた。住職さんも坊下さんも東日本大震災の時にはボランティアに行き、特に住職さんは4回ほど通ったという話を聞く。

「ちょうど車検が切れそうな軽トラがあったから、それで石巻まで言って泥かきとか床剥がしたりするボランティアをして、軽トラはそのまま被災地で活躍しそうだったので譲ってきたという。「どうやって帰ったんですか?」と聞いたら、金沢駅までバスで帰ってきて、そこで前もって知り合いに頼んで手配してもらった軽トラに乗って帰ってきたらしい。立派だ・・・。

 穂高ちゃんがご飯を食べている僕の頭に紙とかいろいろ載せてきてそれを僕が振り払う遊びをしているうちに坊下さんの頭にも同じことをやり始め、坊下さんが

「おじさんの頭どう? ハゲてる? 髪薄くなってる?」

 と穂高ちゃんに聞くと

「え、えへへ」

 と周りを見ながら笑うだけで答えない。

「どう? この辺ハゲてない?」

 と再び坊下さんが聞く。すると穂高ちゃんは

「えへへ・・・なんて言えばいいの?」

 と周りの大人たちに聞いて一同爆笑した場面が夕食会のハイライトだった。

 ご飯を食べたあと一人で「この近くね、温泉あるですよ」と住職が教えてくれた「志賀町とぎ地域福祉センター ますほの湯」という風呂場へ。家から歩いて10分弱で着く。入り口から入るや否やスタッフのおじさんに出迎えられ、

「いま、ものすごい混んでますわ。男性は10人くらいかな。ゆっくり入れんかもしれんです。鍵はお渡しできますけどね」

 と言われた。おそらく新築して数年も経っていない綺麗な施設で、サウナも露天風呂もシャンプーもボディソープもドライヤーも完備して450円。安すぎる・・。ここにも原発の力を感じる。僕は原発の力でもって安く温泉に入れるということか。嫌だけど他に風呂場がない。あるいは単に物価が安いだけなのかもしれない。

「わかりました。じゃあぱっと入ってきます」

 露天風呂に浸かっていたら、大学生くらいの5、6人の男子グループが、誰は茶髪にしただの、あいつは地毛らしいけどあいつは赤に染めていただの、赤はやばいだの、髪染めそうなやつには見えないじゃん、だのと楽しそうに話すのが聞こえてくる。脱衣所では服が焚き火くせえとか、髪乾かさないと湯冷めするよと言ってたし、風呂の外で女湯から出てきた若い女子グループと合流して、十数人でぞろぞろと歩いて海の方へ歩いていったので、彼らは海辺にあるキャンプ場(住職さんが庭師を始める前に、お寺の収入だけでは生活できないからと働いていたキャンプ場だ)に滞在しているのかもしれない。空を見上げたらすごい数の星で、彼らが流れ星の一つでも見つけられていたらいいのだけど。

201214-4.jpeg


11月22日

 朝、七尾市にある蕎麦屋(実家らしい)へ仕事にいく奥さんを見送り、絵を描こうとしたら住職のお母さんに「お茶でも」と言って中に招かれ、僕はお茶と柿を食べながら、次女と三女と四女が「ピカチュウでてこい!」「ディグダでてこい!」「ピカチュウ、アイアンテール!」「ディグダ、穴を掘る!」「ピカチュウ、またアイアンテール」「ディグダ、穴を掘る!」「ヒトカゲ、出てこい!」と叫びながらガチャガチャのカプセルを畳に投げ合うなか、この酒見という集落には昔200あった家が今では過疎化で160くらいになってしまって、多くは独り身の老人だという話を聞いた。この状況ではうまく想像ができないけど、この家が集落にとって大切な存在なのは間違いない。

 それから「ちょっと仕事がありますので」と言ってどうにか席を立ち、外に出て住職がアマゾンで買ってくれた僕の絵本に、協力してくれたお礼としてお寺の鐘の絵を描き始めたらすぐに住職のお父さんが門徒さんの命日参りから帰ってくる。なんでも油絵を描くのが趣味の門徒さんで、お寺の本堂にも数枚飾ってあった。数ヶ月前の22日に亡くなってから、お父さんが毎月通っているらしい。

「良い天気やね。いつもはもっと寒くて。最近は温暖化でだめやねえ。雪も積もらんくなった」

「昔は雪積もったんですか?」

「昭和のサンパチ豪雪ってのがあって、あのときはひどかったねえ。オリンピックの前の年やね。あそこに山見えるやろ。松茸がたーくさんとれたもんやけどねえ、昔は」

「え、寒くないから取れなくなったんですか?」

「いや、松食い虫に松がみんなやられてしまって」

 朝のお勤めを終えた住職が「午前中に一つ法事があるんやけど、そのあとならトラックで門前町の手前くらいまでは送っていけますよ」と言ってくれた。ここから輪島を目指すなら、門前町までは町と呼べるところがないし、そこまで20キロあるから1日では無理だろうと気遣ってくれた。13時に出ましょうという約束をして、いよいよ絵に集中せないかんと思い1時間弱集中して鐘の絵が描き終わった。それからすぐに自分の絵の制作に取り掛かろうと思ったところでお母さんから

「村上さん、一緒に酒見の海見にいかんか」

 と誘われる。海はちょっと行ってみたいし誘ってもらったありがたいがちょっと絵を描かないと・・ともごもごしていたら

「ちょっとだけ。5分でつくからねえ」

 と言ってくれて、下の3人の姉妹と僕とお母さんで車に乗り込んで浜辺に行った。お母さんも孫たちも「桜貝」というワードを連呼しており、なんのことかと思っていたけど穂高ちゃんが「こっち桜貝いっぱいあるよー」と言って波打ち際にしゃがみ込んでいて、近づいてみたら桜色の、なんとも小さくて華奢で綺麗な貝殻がたくさん転がっている。「桜貝の小貝が寄るところは日本で3箇所しかないんよ」とお母さんがいう。周りを見ると同じように砂浜にしゃがみ込んで何かを拾っているグループが数組。穂高ちゃんはさきほど「ディグダ出てこい!」と言って投げていたカプセルのなかにたんまりと貝殻を入れていた。海辺にはコテージが3軒ほどあり、どうやら住職が昔勤めていたキャンプ場の施設らしい。コテージには、昨日僕が風呂場で出会ったと思しき大学生くらいのグループ十数人がいて、これから帰るところだった。全員で集合写真を撮ったり女子が3人で自撮りをしていたり。思い出を作るのに必死という感じだ。昨日は星を見上げたか。

 10分ほど貝殻を拾ったところでお母さんが気を利かせて「もう帰るよー」と言ってくれて、車に乗り込みお寺へ戻り、僕は今度こそ絵を描き始める。絵を描いている僕のことが気になるらしく三女と四女がそばにきて泥団子を作って庭の石の上に並べて遊んでいて、時々「なに描いてるのー?」「なんで描いてるのー?」と聞いてくる。お母さんがそんな孫たちを見つけ「ほら汚いから。手洗ったらなんか買うたる。聞こえんかった?」と声をかける。「聞こえたー」と言って二人が家に戻っていったと思ったら数分後にはお母さんが「何買うのかな」と言いながら財布を持って孫たちと一緒に出てきて、どこへ行くのかと思ったら、すぐ目の前の「辻ファミリーショップ」という商店だった。「なんか買ってあげる」と言って、すぐ近くの店に連れて行く感じ、小さい頃母親に、弟と一緒に近所の駄菓子屋に連れて行ってもらった記憶が蘇った。

 それから13時前までは耳にイヤホンをして、僕の家を見に近所の人が来ているのを感じながらも心を鬼にして絵に集中して仕事を終えたところでいつの間にか帰ってきていた住職さんに「お昼よかったら」と家に招かれ「普段は法事のあと大勢で会食するんだけど今はコロナだからもらってきた」という弁当をおかずにみんなでご飯を食べ、軽トラに家を積み、みんなに見送られながら酒見を出発。軽トラの中で住職さんが「なんかあっというまやったなあ」と言った。「明蓮寺の住職から話聞いて、来るの楽しみやなあと思ってたらもう終わってしまった」と。なんだか胸が熱くなった。

 20キロほど走って門前町のホームセンターコメリの駐車場で家を下ろしたところで、すぐ隣に軽トラが止まり「こんにちは」と言ってマーシーさんが出てきた。住職も僕もびっくりした。「ちょっと走ってたら見かけたんで・・じゃあ、気をつけてください」とマーシーさんは走り去っていった。

 コメリから歩き出してものの10分程度、14時半ごろだったと思うのだけど橋を渡っている最中に風に煽られて家のドアが壊れた。半壊。ちょっと風が強いなとは思っていたけど・・・強さを見誤った。一部はおそらく川か畑の方へ飛んでいってしまい、家を風がこないところに避難させてから探したのだけど見つけられなかった。この豊かな自然にプラスチックと発泡スチロールのゴミを撒いてしまった・・。ドアが壊れたままでは眠るのに苦労しそうなので、先ほどのコメリまで戻り、白いガムテープだけ買った。途中で数年以内には潰れてしまうんじゃないかという大きな本屋を見つけ、ダメ元で「A4サイズのケント紙はありませんか」と聞いたらなんと売っていた。20枚買った。

 ドアが壊れたまま1時間弱歩き、酒見の坊下さんに紹介してもらった「善通寺」という真宗大谷派のお寺に着く。あとでお寺のお母さんから「古い古いお寺で、建物は260年経ってます」と聞いたのだけど、グーグルマップで「寺院」と検索しても出てこないところ。人の紹介がなければ来ることはなかっただろう。80歳のお母さんと60歳の住職(坊下さんのいとこにあたるらしい)の二人で住んでいる。到着するなりお母さんが「どうぞおうち入りませ」といって本堂に入れてくれた。「この辺で260年の建物はないわ。もっと新しいのばっかり。その頃は柱も丸柱は許可ならなかってんて、だからうちの柱は八角柱ですよ」とお母さんが言う通り、本堂の柱はすべて八角形だった。なんだか真宗大谷派の寺巡りみたいになってきたな。

 それから20畳の大広間に通してくれて、お茶やらお茶菓子やらを出してくれる。入り口に近い天井の木がパチパチと鳴っている。

「あら、なんやろねえ。前はこのあたりのほうが鳴ってたんですけどね」と入り口から遠い天井の辺りを指してお母さんが言う。その音が建物から僕へのメッセージに感じられた。歓迎されているのか、あるいは非難されているのかは分からない。

「場所だけ貸していただければ、あとはお構いなくで大丈夫なんで」

 と言うのだけど、お母さんは「はいはい」と言ってお茶を注ぎ足してくれ、うちで作ったという干し柿を出し、キッチンから「矢徳みかん」というみかんを出して「これ、酸っぱくて美味しいですよ。わたし普通のみかんは甘くて食べれん。これは酸っぱくて良い。食べてみてください。本当の山奥の集落ですよ、矢徳は」と言う。「ちょっと酸いでしょう?」というお母さんと一緒に甘酸っぱいみかんを食べながら僕は「これはもしや能登の先端に行くごとに人が親切になり、こういうお茶やご飯などの誘いを断るのが難しいというか、不自然になってくるのではないか」と思った。

「ちょっと仕事がありますので」

 と言って寺を出たら雨が降っていた。これでは絵が描けない。暗くなる前に近所を散歩してみようと傘をさして歩いてみた。この傘を大野のヤマト醤油でもらったのが遠い昔のようだ・・・。広大な田んぼの中を風に傘が飛ばされないように歩きつつ、後ろを振り返ったら善通寺がある田村という集落が一望できる。「裏山」という言葉がぴったりの、杉が目立つ小高い丘のような山のふもとに20~30軒の家が立ち並んでいる。手前には数軒のビニールハウスと、あとはひたすら田んぼと畑がひろがっていて、これはまた遠くまで来たなと思った。まず間違いなく「移住を生活する」をやっていないと立ち寄らないだろう。モンベルの派手なオレンジ色のダウンを着て傘をさして歩いている自分は、明らかに異質だ。他に歩いている人など一人もおらず、メインの道路も車が1分に3~4台走る程度。10分くらい歩いたところでシメノドラッグというドラッグストア、歩ける範囲で唯一の商店があり、そこでチョコとお茶を買って外に出たらもう真っ暗になっていた。田んぼの道は車も通れるように舗装されてはいるけど、17時半にして足元が見えないほどの暗さ。油断したら溝に落ちてしまいそうなので歩きスマホなどは絶対にできない。おまけに風が強い。

 家に帰ってきて、日記でも書くかとパソコンを開こうとしたらお母さんが寺から出てきて

「村上さん、上がって休みなされ。ご飯もできとるよ」

 と言われたので先ほどの広間へ。法事に出かけていた住職さんも帰ってきていたので挨拶をして、「もうわたしらご飯終わったから」という二人に見守られながら、晩ご飯(法事でもらったという豪華なお弁当とお味噌汁と雑穀米。明蓮寺の住職さんが滝町でくれた手巻き寿司と同じお店のものだった)をいただく。

「いやあ、僕犬が大好きなんですけどね。帰ってきたら白い小屋があったから、おふくろがワンちゃんを飼うために小屋を建ててくれたのかと思ってね」

 と住職さん。

「はっはっは」

 お母さんが笑う。

「久しぶりやね、この家に客が来るのは。まだ親父が生きとった頃に、自転車で日本一周してるって人が泊めてくれ言うて。あれ以来やね」

 住職さんは電子タバコを吸いながら話すのだけど、お母さんが電子タバコの煙をめちゃくちゃ嫌がっているのが面白かった。そして何故か白く使い古された灰皿を指しては「そんな汚い灰皿、気持ち悪い。目に入るだけで嫌や」と、ものすごく嫌悪している。

「小説のネタでもさがしてるんですか?」

 と住職さんに聞かれた。なんで分かるんだ? 小説を書いてるとは言ってないのだけど。僕の見た目の問題なのか。

「まあそれもありますねえ」

「全国まわってるんですか?」

「そうですね、もう6年くらいやってますね。あの家で3軒目なんですけどね」

「あれも安くないでしょう?」

「いや、あれ自分で作ったんで、材料費だけですよ」

「え! 自分で作ったの? そんなことできるのかあ」

 と住職。本当に驚いている様子。家を自分で作ったことをここまで驚かれたのは初めてかもしれない。

 酒見の柳泉寺が庭師をやっているのと同じく、ここの住職も「寺だけでは生活できん」らしい。「郵便配達しとる」と言っていた。

「あそこにお面飾ってあるでしょ?」

 と住職さんが、鴨居に飾ってある般若のような小さなお面を指して

「昔ね、僕が子供の時あそこにあれがあるのが怖くてねえ」

 と言った。僕からすると初めて入った場所なので、天井や壁にかけられている掛け軸やカレンダーなど全てのものが等価の情報として入ってくるので、そのお面はあまり目に入っていなかったのだけど、小さい頃からこの家に住んでいる住職にとってこのお面は他の何よりも特別なものなんだろうと思うと、なんだかじーんと心に染みる感慨がある。

「そういうのありますよねえ。僕も小さい頃、実家に飾ってあったフランス人形が怖くて・・・」

 というとお母さんが

「わたしこわいこと知らん。夜中でも火葬場行け言われたら行くわ。小さい時にね、兄に試されたもん。火葬場に一人で行ってこいって。焼香見るまで行けって。そこまで籾殻をずっと撒いて行けって言われて。それで兄が後でそれを調べるわけや。私がちゃんと火葬場まで行ったかどうか。そんな兄やったから怖いこと知らんわ。はっはっはっ」

 と笑う。ご飯を食べ終わって

「では僕は家に帰ります」

 と言ったらお母さんが

「寝るまで休みや、ここで。いま言ってもそんなすぐ寝られんでしょう。外は寒いでしょうに」

「いや、仕事がありますので」

 僕は家に行くのだけど、お母さんがすぐに出てきて

「村上さん("ら"の部分にイントネーションがある)、まず仕事するなら中でどうぞ。そんな暗いところでやらんでも、暗くて何もできんでしょう」

 と言う。

「いや、パソコンで日記を書いてるので暗くても大丈夫なんです」

「ああ、そうなん」

「また歯を磨く時にお邪魔しますから」

「どうぞどうぞ」

 と言って家に戻っていった。それから小一時間経ってから再びお母さんが外へ出てきて

「カイロどうですか。カイロ使ったことあります?」

 とカイロを二つ渡してくれた。どうしても断りづらくて一つだけもらってしまった。僕の家は発泡スチロールで狭い空間を囲っているので、中にいるだけで自分の体温でそれなりに暖かくなるのだけど、どうしても外からみている人は「寒い」というイメージを持ってしまう。なんだか気を使わせて負担をかけている気がする・・・。

 夜眠る前に、コメリで買ったガムテープでドアを補修し、風で飛んでいってしまった一部はガムテープを布のようにして塞いだ。不格好だけど一応人の目は遮ることができる。

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村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

編集部からのお知らせ

金沢で、村上慧さんの展覧会が開催されています。

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村上慧 移住を生活する

会場:金沢21世紀美術館 展示室13
会期:2020年10月17日(土)-2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、
11月24日(火)、12月28日(月)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800

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