自分の地図をかきなおせ

第15回

《移住を生活する》能登半島編その4

2021.01.07更新

 引き続き能登半島で行っている移動生活中に書いた日記をお届けします。


12月7日

 先ほどGENKYという、能登半島では非常によく見かけるドラッグストアのような眩しいお店(周りが暗いので未知との遭遇に出てくる宇宙船のような眩しさで目立っている)で買ったドリトスを食べたいのだけど、お風呂に入って歯を磨いて帰って来てしまったのでそうもいかない。

 めちゃめちゃ体が温まっている。足元がぽかぽかだ。特に両足首と太もものあたりが何故か一段とぽかぽかしている。もう風呂に入ってから30分以上経っていると思うのだけど未だ冷めやらない。これが温泉の力。ヒートショックプロテイン(HSP)の力なのか。HSPという言葉は「宝湯」の脱衣所に貼られていた「大きなお風呂の効用」と書かれたポスターで学んだ。それによると湯上り20分後では「家風呂は温度調整が難しく湯量も少ない為、温まりが遅く湯冷めが早い。」対して銭湯は「温まりやすく湯冷めしにくい。」という。温度調整が難しいかどうかはよくわからないけれど、銭湯の方が湯冷めしにくいというのは確かに実感としてある。

 突然外からピンポンパンポンと結構びっくりするくらいの大音量で町内放送が流れ始めた。こちらは・・・です・・・午後9時になりました。火の元、戸締りは大丈夫ですか?・・・して、お休みください・・ピンポンパンポン・・。この辺りでは午後9時に眠ることが推奨されているようだ。僕は火の元もないし、戸締りもした。戸締りといっても針金でドアを内側から留めているだけなので子供でもこじ開けることはできるのだけど、まあいつもこうなので大丈夫だろう。でもまだお休みするわけにはいかない。もう少し日記を書いておきたい。

 先ほど入った「珠洲温泉 公衆浴場 宝湯」は今までに僕が体験した歴代の銭湯の中でも最高のひとつだった。と書いていたら小雨が降ってきたようだ。屋根にぱちぱちと水が当たる音が聞こえる。さっきまで圧巻の星空が広がっていたのに。天候の変わりやすさも圧倒的だ。なんだっけ。宝湯の話だった。まず入り口のガラスの引き戸をあけると番台のおじさんが人懐こい感じで「はい、いらっしゃいませえ。いらっしゃいねえ。どうぞどうぞ」と声をかけてくれる。大人460円と書かれた頭上の料金表をさして「大人は一人460円です」と言う。小銭がなかったので「1000円札でもいいですか」と言ったら「はい。大丈夫ですよ。お釣りがありますからね」と言ってくれる。お金を支払ったら、

「ごゆっくり。今ちょっと、晩御飯食べに席外しますけど、ゆっくり入ってってくださいね。帰りちょっと挨拶できないですけど。お食事をしますのでね」

 と言う。笑ってしまった。「はい、はい。大丈夫ですよ」と返した。この番台さんの一言に、奥能登の雰囲気があらわれていると思う。以前も書いた気がするけど、地域で人をひとまとめに括りたくないのだけど、どう考えても人懐こい人が多いと言わざるを得ない。

 脱衣所で着替えていたら、ガラッ! と入り口の戸が開く音がして、

「今日石川県2人だってよ! コロナ。両方女性で・・・が中止だってよ・・・も中止になったし・・・のカンブリが心配だなあ・・・」

 という、めちゃめちゃデカくてよく通るおじさんの声が抜群の滑舌で聞こえてきた。男湯の客は僕とこのおじさんの二人だけだった。頭と体を非常に入念に洗う人で、特に頭はタワシのようなものを手に持って強く撫で回すようにぐりんぐりん洗っていた。それほど大きな風呂場ではないので、二人で同じ空間にいたら多少話をした方が自然な気がすると思いつつもどうにも話しかける気になれず、民俗学者だったらこういう時自然に地元の方ですか、などと話ができるのだろうかなどとうじうじ考えていたら、女湯の方からガラッ! と戸が開く音がして、

「ふふふ、あははは」

「声でけえって!」

 と若そうな女性2人の声が聞こえてきて浴室が賑やかになり、なんだかほっとした。その後も着替えてたらまた女湯に人が入る音がし、どうも僕が思っていた以上に普通にたくさんの客が来る銭湯らしいぞ。成分表によると33度の温泉を薪で加温している。熱すぎず、僕としてはベストの水温だった。ドライヤーもあってティッシュも使えて素晴らしい。風呂上がりにメガネを拭くのにティッシュが欠かせず、ポケットティッシュを持ち歩くのは荷物にもゴミにもなるのでやっていない。結果、こういう銭湯のティッシュを頼る。なければトイレットペーパーを使う。

 先ほどの滑舌の良いおじさんが脱衣所を出て、番台さんと話している。

「いやあ、天気予報見たら来週あたりから雪のマークがでてましたね!」

「いやあ、とうとうでてきましたねえ。」

「タイヤ交換がまた忙しくて! ばたばたで! 春はばらばら、冬はいっぺんにばたばたときますからね。うちの会社は大きいのもありますからねえ! 大変ですよお!」

 両隣の家にも聞こえているんじゃないかと言うほど大きな声。こっちが話しかけられてるような気分になる。

 「またお願いしますね。おやすみなさい」「おやすみなさい」と声をかけられながら僕も銭湯を出て、家までの10分弱、いつの間にか寺の境内に入り込んでしまったり、保育所の敷地に入り込んでしまったり、どこからが道路でどこからが誰かの敷地なのかがよくわからない不思議な夜道を通り、頭上の星空に圧倒されながら帰って来た。

 ここは珠洲市宝立町の専行寺というお寺の境内。駐輪所の屋根の下に敷地を借りている。

 今日の朝、金沢を映像作家のJohnさん(アーティスト名はCan Tamura)と一緒に車で出発し、珠洲市に戻って来た。二日間、珠洲市での移住生活を彼に撮影してもらう。奥能登国際芸術祭の事務局で家を取り、Johnさんと撮影をしながら飯田町と宝立町のあたりを3時間ほどかけて歩いた。

 道端から突然おばさん二人組がでてきて、あらあ! 噂はほんまやったか! 顔見とこ! 顔見とこ! 何歳? 日本人やろ? 夜はここで寝るん? ほんまに? 夜は旅館で寝るとええよ。それがええ。ごくろうさま! とか、前回の芸術祭で「トビアスさんの作品の土台をうちで作らしてもらいましたわ」「工務店さんですか?」「建設会社です。来年も楽しみにしてますわあ」とグレーの仕事着の男性から声をかけられたりとか、なんだかいろいろな人から声をかけられた。北國新聞に2度も載ってしまったので、どうも有名になっている。飯田町にあるわくわく広場というところで休憩していたときも、喫煙所に座っていた見知らぬおじさんから、

「村上さん、ここからはどっちへ行くんですか?みんな、いまどの辺にいるんやろうかって話してますよ」

 と名指しで聞かれた。このおじさんは能登半島では特徴的な屋根の黒瓦について教えてくれた。

「2年前の台風19号の時にね。いや3年前になるかな。台風の風で瓦が飛ばされてここら一体全部ブルーシートでしたわ。風台風やったんや。全部瓦を巻きあげていってね。台風の通り道は全部剥がされてね。」

「ここらの瓦は、珠洲市内で作ってるんですか?」

「いや、昔は3カ所ほど瓦工場があったんですけど。だんだん需要が少なくなって、小松から仕入れてるんですよ。職人はおいでるけど。製造はしてないんですよ。瓦粘土の土はありますけど。ここは昔から瓦製造で、ここで作って新潟から佐渡から運んだんですけどね。黒瓦はね、焼きも、雪に適しとるんかね。夏にも強い、雪にも強いというか。この辺りは9割9分瓦屋根ですよね。昔の屋根っちゅうのは、今の小松瓦よりも1割くらい小さかったんですよ。ほんで葺き替えする時に以前の瓦屋根の人はね、前面葺き替えしないと数が合わない。部分でできないんですよ」

「いまここから見えてる瓦はほとんど小松瓦なんですか?」

「小松瓦ですね。以前、家が密集してない時はね、見ていただくと分かる通り、今は瓦に滑り止めが入ってるんですね。滑って落ちないんですわ。昔は滑って落ちるような形になっとったので、雪下ろしが大変だったんですよ。これがあると、雪も落ちないし、上あがって作業するにしても安全ですね」

 言われてみれば、屋根の瓦に時々、半分に切った輪のような形をしたものがくっついている。これは、僕が小さい頃に住んでいた実家の赤い瓦屋根にはなかった。

 出発地の事務局から4キロほど南下したところにある宝立町春日野という集落に寺院が三つほど固まっているのをGoogle マップで発見したので、夕方4時前に敷地を交渉し始める。一軒目の交渉先がいま僕がいる専行寺だった。

 チャイムを押してすぐに「はいはい、今行きますので」と言いながら出て来てくれた住職は、ヴァン・ヘイレンのTシャツを着ていた。それを見てなんとなく「ここはOKだろう」と思った。

 いつもと同じく「通りすがりのものなんですが」という文言から始めて、家を肩に担いで敷地を借りてながら移動しているという話をしたら、住職さんは「ああ、なんか聞いたことある!」と言った。

「え? どこで聞いたんですか?」

「寺の集まりで」

 この時は気がついていなかったのだけど、ここ専行寺も真宗大谷派だった。寺の集まりで、僕のことが話題になっているらしい。なんということだ。敷地を借りることに関しては、

「全然構わんけど。え? うちでええの? 他どっか良いところあるんちゃうか」

 と言った。「うちでいいのか?」という心からの気持ちがにじみ出ていた。

「いやあ、いつか来るんかなあとは思っとったけど、まさか本当にうちにくるとは・・・御堂はいつでも空いてるから、トイレはそこ使ってもらったらいいし、寒かったらそこで寝ても構わんけど。え? この中で本当に寝るの?」

「はい。自分の家で寝ます」

「今夜雨やで」

 と住職さんは言い、4畳ほどの大きさの屋根付き駐輪場のスペースを、自転車を動かして開けてくれた。僕はそこに家を設置した。

 周りはぽつぽつと家が建って入るけれど、大部分は見渡す限りたんぼという感じで、遠くに道路とその上を走る車、工場が見える。この風景からは徒歩10分圏内に銭湯やスーパーやコンビニ(GENKYの隣にある)があるとは想像しにくいのだけど、あった。良い立地だ。

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12月8日

 この生活に欠かせないパートナーであるモンベル社製の寝袋《ダウンハガー 900 #1》の保温力が若干下がっている気がする。輪島の野良猫からダニをもらってしまったので、金沢のモンベルでダウン用の洗剤を買い、手洗いして乾燥機にかけて一週間ほど日陰に干す、というセオリー通りの洗い方をしたのだけど。もしかすると「すすぎ」が不足していたのかもしれない。洗剤が残っているとダウンが膨らみにくくなってしまうらしい、というのを、乾かした後で知った。

 能登町の松波という町にある西中建設の駐車場、大型の除雪車2台に挟まれるかたちで置いてある家の中にいる。23時過ぎまで社長の息子さんと話し込んでしまった。加えて1日でいろいろなことがあった。出来事が多すぎると文に起こすのが苦痛になる。面倒臭い。ものすごく面倒臭いぞ。しかし書かないわけにはいかない。なぜなら僕は作家だから。これは出来事を消費していく「生活」ではなく、《移住を生活する》という、生活を作り出すためのアートプロジェクトであるから。ここで日記を書く手を一切止めて、絵を描くのもやめて、ただ家と荷物をまとめて、西中建設にお礼を言い、家を動かすことができればどれだけ楽なことか。ただ家を持ち歩き、次の敷地に行って近所で適当な食堂を見つけてご飯を食べ、風呂場を見つけて風呂に入る、それだけでよければ永遠にできる。でもそれだけでは作品にならない。社長の息子さん(30歳だった。ほぼ同い年だ)は「やりたいこととできることが一致している人は少ない。そういう人を見るとすごいなと思う」と、ケーキ屋を始めた親戚や僕のことを指して言っていたが、しかし僕はそれが一致していない。やりたいことは今すぐ荷物をまとめて家を動かすこと。できることは日記を書き、家の絵を描くこと・・・。僕はいま日記を書きたいかと言われると、とても怪しい。面倒臭いから。しかし僕はその義務を背負わされている。家だけではなく、日記を書いて絵を描く事も背負わされている。重さで言えば家よりも遥かに重い。心にのしかかるこの荷重に比べれば、10キロの発泡スチロールの家の物理的な重さなんてなんでもない。などとウダウダしながらも、結局すらすらとここまで文を書いている。これは日記なのか? ここまで書いた文は、日記と言えるのか? 日記ってなんだ。今日の出来事を翌日に書くのは日記と読んでいいものか。1日2日のタイムラグは誤差の範囲として、7日後はどうか。14日後は。14日前の日記。なんか小説になりそうなアイデアだな。それは日記というよりもエッセイなのか。エッセイってなんだ。

 そろそろ諦めて「日記」を書き始めるしかない。とにかく夜のうちに日記を書く気力がなくて眠ってしまい、いまは翌朝である。いまは翌朝である。変な言葉だけど間違ってない。

 朝は専行寺の境内にいた。それは間違いない。遠い昔のようだけど。家の中で日記を書いていたらヴァン・ヘイレンの住職さんが挨拶をしに来てくれた。僕はいつも日記を書いているな。

「村上さんおります? わたしちょっと出ますので。お気をつけて」

 それから9時半にJohnさんが来て、僕が11時すぎまで絵を描いているところを撮影してもらい、12時前に家とともに専行寺を出発。6キロほど南下したところにある松波という町を目指した。撮影しながらの移動なので時間がかかる。Johnさんが「村上さんストップ! ちょっとここで撮りたい」というふうにして面白いポイントを見つけ、ちょっと戻って撮影する、の繰り返し。釜山や金沢では、ただ僕の移動にJohnさんがついてくるスタイルで撮っていたけれど、今回は画面というフレームを意識して撮影している。

 歩きながら金沢までの距離を調べた。僕は19日までに金沢に戻らなくてはいけない。あと10日あまりしかない。絶対に歩きだけではたどり着けない距離だった。いや違う。歩いているだけならたどり着くかもしれない。でも日記と絵に1日5、6時間も取られるこの制作スタイルでは、歩行にかけられる時間は長くて3、4時間程度しかない。それでは19日には間に合わない。僕は電話をかけた。内灘の道の駅で話した例の花屋のおかみさんに。すぐに電話は繋がり、話が決まった。

「来週の木曜でよければ軽トラで迎えにいくよ。中能登町あたりまで来てもらえればピックアップできるし。その日はうちの店の敷地に泊まればいいし」

 来週の木曜に花屋のトラックが僕のいるところまで迎えに来てくれることになった。花屋は金沢の駅西にあるらしいので、19日に間に合う。うまく行き過ぎな気もするけれど良かった。とりあえず来週の木曜まで生き残ればいいのだ。

 途中、恋路海岸という浜辺を通ったのだけどゴミ箱みたいだった。来年の奥能登国際芸術祭では、作品を作る前にこのゴミを拾うところからやった方がいいかもしれないと思った。そこでものすごくニコニコしているおじさんに「写真撮ってもいいですか!」と元気に話しかけられた。

「テレビでも、いつも見とります! 頑張って!」

 と言って、彼は軽くお辞儀をした。僕はそんなにテレビに出ているのか?知らない情報だ。それから15分後くらいにそのおじさんが後ろからトラックで追いついて来て、

「これ、冷たいんやけどお!」

 といってブラックの缶コーヒーをJohnさんと僕に渡し、

「ぬくいのあげようと思ったんやけど」

 とおじさんが言う。

「え?」

 とJohnさんが返す。

「あったかいのあげようと思ったんやけど間に合わんかった」

 おじさんがアメリカ人のJohnさんを気遣って「あったかい」と言い換える。

「いやあ、冷たい方がいいです!ありがとうございます!」

 とJohnさんが返す。僕としては、体が冷えていて冷たい飲み物など飲めたものではなかったし、缶コーヒーは苦手なので、荷物が増えた・・・またどこかで誰かにあげるか、あるいは捨てなくては・・・と思ってしまったのだが、Johnさんをみて、なんだか新鮮な気持ちを思い出した。

「ナイスガイ」

 とJohnさんが呟くように言った。海沿いの道。波の音のなかで。

 それからさらに数十分後、また同じおじさんが今度は逆方向から軽トラを走らせて来た。

「空き缶どうされました?」

 と、反対車線から叫ぶ。

「まだ飲んでないです!」

 と僕は答え、未開封の缶を見せる。捨ててなくて良かった・・・。おじさんは次に、

「マスクいります?」

 と言って、不織布のマスクのパッケージを車の窓から見せる。

「マスクもってます!」

 と僕は答える。

「そか、ほながんばってねー!」

 すごい笑顔だ。本当に屈託のない顔で、僕も笑ってしまった。

 松波の集落は、恋路海岸と呼ばれているさびれた旅館街と、少し岬になっている小高い丘のような道路を越え、左に大きく曲がったカーブの先に眼下に現れた。真っ先に目に入ったのはホームセンターコメリで安心した。この町で家に何かあってもすぐに直せる。

 歩いているうちにJohnさんとはぐれてしまい、商店街にある「きんさ」という店の前で待っていたら、「あ、新聞で見たわ!」と言って店の中からおばちゃん3人組が出て来て、話しているうちに他の建物の中からも人がぞろぞろと出て来て、5人くらいに囲まれたり写真を撮られたり好き勝手質問したりされながらJohnさんと電話をして合流に成功。おばちゃんたちに「この辺りで寝る場所を探しているのですが」と聞いたら「山だ山いけ」「海の方がいいか」と言われた。「軒下が広い店はないですか」と聞いたら「この辺りはねえ・・・」と言う。久々に感じたのだけど、みんな部外者として外から家を担いだ面白い格好をしている人、としての僕を見ている分にはにこにこしているが、家の置き場を探していると言ったら、山へ行け、海へ行けとなる。敷地に入れることのハードルがある。というか、自分が敷地の持ち主だと言うことを忘れているのか? 「お寺はありませんか」と聞いたらお寺の名前が出て来た。Johnさんの帰りの時間があるので、おばちゃんたちにお礼を言い、囲まれているのを振り切ってお寺へ向かい、家を門の外に置いてチャイムを押した。

「ちょっと通りすがりのものなんですけど、お伺いしたいんですけど」

「はい」

「あのですね、この写真を・・・こういう発泡スチロールで作った家を肩に背負って」

「はい」

「能登半島を歩いて回っている絵描きなんですけど・・・この家の中に寝てるんですけど、今日のこの家の置き場所を探してまして、境内を貸していただけないかって言う相談なんですけど」

 この交渉の間、寺の中から出て来た男性は僕の目をじっと見て逸らさなかった。明らかに宇宙人を見る目をしている。久々に不審に思われているのを感じて緊張のせいかぞくぞくした。背筋が伸びた。

「いま住職外出して、おらんのです。」

「あ、いないんですか」

「じゃ、またあとで」

 と言って男性は中へ戻っていった。「外出して、おらんのです」から「じゃ、またあとで」という言葉が出るまでが速かった。あとで、とは言っているけれど、もう来ない方が良さそうだ。 

 門に戻ると向かいの民家からおばちゃんが二人出て来ていて、Johnさんが質問攻めにあっていた。おばちゃんの一人が(おばあちゃんと言った方がいいかもしれない)

「このお寺は由緒あるお寺なんですけどね、住職さんの体調が悪くてね・・・」

 と言う。

「ああ、そうだったんですね」

「このお寺の話が聞きたかったんですか?」

「いや、今日寝る場所を探してまして。この家のを置いてそこに寝るんですけど、その置き場を・・・」

「なら、そこのうちの前置けばええ」

「え。本当ですか」

 うちの前置けばいい、と言っているおばあちゃんを、もう一人のおばちゃんが凝視している。おいおい、見知らぬ人を敷地にいれて大丈夫かいな、という気持ちが表情に現れている。

「そこの事務所に聞いてみて」

 とおばちゃんが指した先が、西中建設の事務所だった。

 おばちゃん2人とJohnさんとぞろぞろと向かい、凝視していたおばちゃんが事務所の中の人を呼んだ。女性が出て来た。ぞろぞろと人が押し寄せたので、女性は困惑していた。

「誰もおらんに。いま。社長もおらん」

 と、凝視していたおばちゃんに言う。

「いま誰もおらんのです」

 家を頭で担いでいる僕にも言う。

「あのですね・・・」

 僕が切り出そうとするも、おばあちゃんも、

「社長おらんか」

 と言うので混み合っていてなかなか話に入れない。

「あのね、この家をですね、置いてそこに寝てるんですけど、その今日の敷地を探してるんですよ」

 ようやく言い切ると、

「ああ、それはちょっと。それこそ社長じゃないと誰にも言われんし・・・」

「そこ置いとかし」

 とおばあちゃんが言う。

「そんなわけにいかんと思うんで・・」

 女性がいう。人の関係性がよくわからないのだけど、

「社長がいないんなら仕方ないですね。はい」

「申し訳ないです」

「はい」

 と言って引き返した。道路に戻ろうとしたら、おばあちゃんが後ろから、

「そこに置いとかし」

 と言って草むらの空き地のようなところを指した。

「え? いいんですか?」

「誰もおらんのやから」

 おばちゃんがおばあちゃんを引き留めようとする。

「外でええんやろ。そこに置いとかし」

 おばあちゃんは食い下がる。

「いいのかな? いいの? いいのかな」

 と僕もどうしたらいいのかわからない。

「でも社長さんいないって。いいんですかね。いなくても」

「社長て、私の息子やし」

 とおばあちゃん。なるほど。理解できた。

「ああ、そうか。え、いいのかな。いいんですか?」

「地面で大丈夫か」

「あ、地面で大丈夫です」

 僕は家を下ろす。

「ここに置いといてや、夕方息子が帰ってきたら言えばええ」

「え、大丈夫ですかね。僕ここで寝ますけど。寝ても大丈夫ですか?」

「寝とかし」

「あはは」

 とおばあちゃん。よくわからないが、とりあえず身を任せてみよう。

「夕方になりゃあ、家族みんな戻ってくるさかい」

「ああ、そうですか。ありがとうございます」

「そんなとこで寝て大丈夫か」

「あ、全然大丈夫です。もう6年やってるんで」

 おばあちゃんとおばちゃんは、事務所の向かいにある家の庭の畑に戻っていった。おばちゃんが心配そうにおばあちゃんに何か言っている。それは聞き取れなかったが、おばあちゃんが

「これからどこに場所探しにいくね。この寒いのに」

 と言ったのは聞き取れた。泣ける・・・。おばあちゃんの意思は強かった。いつだって、このおばあちゃんのような人が外部からやってきた人を受け入れる役を買って出ていたんだろう。そして、そんな異物を受け入れる人間はどこか腫れ物扱いされるのかもしれない。と、この時は思った。

「it's interesting」

 Johnさんが言う。

「ちょっと心配だ」

 と言ったら、Johnさんは、

「警察が来たら撮影してね」

 と言って「I'm just kidding」と付け加えた。

 それから2、30分ほど、そのおばあちゃんの家の絵を描き、ひと段落したところで松波の町を散歩しに出かけた。1カ所行きたいところがあった。なぜか僕のGoogleマップにはこの町にある松波酒造という蔵元に「お気に入り」マークが付けられていて、誰かに昔紹介してもらった気がするのだけど思い出せず、誰に教わったのかと集中して考えながら絵を描いていたのだけど、大野のヤマト醤油の山本さんから聞いたのだった。これは行くしかない、ということで松波酒造へ向かった。

 松波酒造は酒蔵なのだけど店頭販売もしている。そこで店のおばちゃんに大野のヤマト醤油で紹介してもらった、と伝えたら

「うちの若女将が仲良くさせてもらってます」

 と言って店の奥から呼んでくれた。「はいはい。ヤマト醤油の・・・山本耕平さん?」と言いながらめちゃめちゃ人懐こそうな人が出て来た。

 その若女将に家を持ち歩いている、という事情を説明したら「ほお」と言ってピンと来ていなかったのだけど、先ほどのおばちゃんの方が「あ、テレビで見た」と言った。僕はiPhoneで家の写真を見せ、耕平さんとの出会いや、僕が行っている移動生活について説明した。若女将は「便秘になりそう」と言った。初めて言われた・・・でも確かにそうかもしれない。これは経験値が高い人かもしれない、と思った。

 若女将は「ゴールドセブンです」と言って僕とJohnさんに名刺を渡してくれた。金七聖子さんというらしい。すごい名字だ。

「歩きってことは、お酒飲める? うち角打ちもやっとるんよ。飲んでみる?」

「はい、飲めます。あ、Johnさんはレンタカーだから飲めないか」

「飲めないです」

「ああ、残念」

 しかしせっかくなので飲んでみたい。

「ちょっと飲んでみてもいいですか?」

 とJohnさんに確認する。

「もちろん!」

 松波酒造は150年の歴史があり、聖子さんで7代目。「松波Bar」と名付けられている、聖子さんが自作したらしい酒樽の蓋を半分に切って天板にしたテーブルの上で、百万石乃白という石川県で開発されたお米で作ったお酒と、パックマンとの公式コラボ商品だというお酒と、大江山という松波酒造の看板商品のお酒の3種飲み比べ(これがなんとお猪口一杯ずつで無料)をさせてもらおうと、一つ目のお猪口に口をつけているときに電話がかかって来た。出ると「西中と申しますが」という。男性の声だった。西中建設のおばあちゃんに「なにかあれば電話を下さい」と、番号を書いたメモを渡していた。

「うちの事務所の隣に、お家を建てられたみたいで・・・」

 と言う。若い声だったので、おそらくあのおばあちゃんの息子か孫だろう。

「はい。村上です。いま松波酒造にいるんですが、すぐに説明にあがります」

 と言う隣で聖子さんが「酒飲んどるって言わん方がええか。試飲してるって言っとき」みたいなことを言いながら笑っている。聖子さんは西中建設のご家族とも知り合いらしい。

 西中建設に行き、「すいません」と外にいる人に声をかけてすぐに事務所から男の子が走って出て来た。僕より若いかもしれない。

「先ほどはどうも。村上です」

「先ほど電話をしたのは祖父なんです」

「そうだったんですね。いや、すいません。僕はこの家を持ち歩いて移動しておりまして・・・」

 改めて彼に説明をする。彼は僕の家が置いてある土地を指し、

「ここはうちの土地ではなく、他所さんのでして。でも知らない人ではないので、もしここがいいと言うのであれば連絡して許可を得ることはできると思うんですが・・・。もしうちの土地でよければ使っていただいで構わないんですが・・・」

「どこでも大丈夫です!」

「じゃあ、ここは僕の家なんですが・・・」

 と、彼は例のおばあちゃんが出入りしている家を指した。

「この敷地でよければここか、もうひとつ駐車場もあります・・」

 道路に出た彼についていく。Johnさんも撮影しながらついてくる。事務所から歩いて数十秒のところに、大きな除雪車が2台止まっている駐車場があり、そこで、

「ここもうちの土地なので大丈夫です。この排水口の内側なら」

 と言う。家の前よりもこっちの方が人の出入りが少なそうだった。家と事務所は細い道路を挟んで斜め向かいに建っており、家の隣には事務所用の大きな駐車場もある。こちらは雪でも降って除雪車が出動しない限りは静かそうだ。

「こっちの方がいいかもしれないです」

 ということで、ようやく今日の敷地が決まった。そこでJohnさんはレンタカーの返却時間があるので金沢へ帰った。それから松波酒造へ戻り、ふたたび「松波Bar」で今度は550円で50ml×3種の飲み比べを頼んで、聖子さんもすこし付き合ってくれた。能登半島にはいくつも蔵元があり、ブドウの栽培もやっているワイナリーも二つある。それらの酒造と連携してマップを作ったり、数人でYouTubeライブをやったりしているという。僕は地元の友達に招待された新居祝いの忘年会のために「大江山」の一升瓶を買って送ってもらった。

 酒をひとしきり飲んだあとは晩ご飯に良いかもと聖子さんが勧めてくれた「愛情ラーメン」というお店へ。人からの紹介でもなければ、ちょっと一人では入りにくそうだけど、よく考えたらこの松波という町の飲食店なんてほとんど地元の人が使っている店だろうから、どこへ入ろうと僕は浮いて見えることだろう。

「松波酒造さんから紹介されて来ました」

 と、「愛情ラーメン」ののれんをくぐる。

「はい、ありがとうございます。どうぞー」

 と店のおやじさんが迎えてくれる。ラーメン屋のマスターのことはおやじさんと呼びたい。

 チャーシューが3枚も入っている「愛情ラーメン」を食べて愛情を補給し終えたあたりでおやじさんが、

「日本酒好きなんですか?」と聞いてくる。

「そうですね。まあ好きですね」

「どこが美味しいですか?」

「いやあ、あんまり詳しくないんですけど。松波酒造さんは美味しかったですよ。能登半島にあんなにたくさん蔵元があるなんてことも知らなくて・・・」

「そうですか。宗元は飲みましたか?」

「いや、まだ飲んでないですね」

「うちは宗元ばっかりで・・・近くに松波さんがあるのに申し訳ねえ。昔からやっとるもんで・・・」

 とラーメン屋のおやじは言う。自分はいま何か「酒好きで、車で旅行中か出張中の定住民」を演じている、と思った。先方は僕のことを、まさか家と共に移動している人である可能性など考えるわけがない。その話をここで始めるとまた時間を取られそうなので演じている方が楽だ。

 それから風呂に入るため、日帰り入浴をやっている「ラブロ恋路」という、家から歩いて30分弱のところにあるホテルへ向かったのだけど、道中で西中建設の息子さんから電話がかかって来た。ご飯のお誘いだったのだけど「ご飯は食べてしまいました」と言ったら「よければ酒でも」と言ってくれた。「8時くらいなら」と言って、一緒に酒を飲むことに。「ラブロ」の風呂は440円。安い。温泉ではないけど海洋深層水を組み上げて加温しているらしい。

 「ラブロ」は、松波の町からすこし北に外れたところにあり、途中の道は夜ともなると外灯がまばらで足元が見えない程に暗い。そして星空が綺麗。風呂からの蹴り道、昼に通った道を同じよう歩いて松波に入る。昼には「これから知らない街に入る」という感じがしたのに、その5時間後には真っ暗な道を、風呂からの帰り道、家路として歩いている。たまらん。

 そのまま西中建設の家族の家へお邪魔して、息子のりゅうまくんと酒を酌み交わした。彼は30歳で、西中建設は彼で三代目になる。彼のお母さん(おそらく)が、シブコと呼ばれるマグロの子供の刺身を出してくれて、僕とりゅうまくんはビールやらウイスキーやらを飲みながら2時間半くらい話していた。彼は体つきがよく、高校の時は部員の数も顧問の整っていない中独学でウエイトリフティングをやり、インターハイまで出場した経験がある。大学卒業後は、一旦東京で働いていたのだけど、そこが世にも有名なブラックな企業で、残業は160時間、入社して2年目には多いときで21もの店舗の管轄を任され、150人いた同期は次々に辞めていき、とうとう自分一人といっても過言ではない状態になり、上司? からは「君は最後まで生き残った戦士」と言われたけどその仕事は辞め(大正解だ)、いまは実家に戻って来て働いている。大きな会社では、一人の人間は本当にワンオブゼムで、歯車のように決まりきった仕事しかできないのだけど、ここでは色々なことが自由にできる、測量のためにドローンを操縦したり、建設したクライアントのウェブサイトを独学で構築したりしている。独学でなんでもやってしまう。また哲学が好きらしい。

「哲学と美術って似てるんですよね。現実を疑う問いを立てることが面白い」

 と言っていた。

「結婚式がどうしても分からなくて、あれをやれば幸せっていうことになってるけど、それってただ企業のマーケティングに踊らされているだけじゃないのか」というような言葉が印象的だった。幸せは自分で決めればいいんじゃないかと。

「確かに結婚式に参列するときなんかは、茶番に付き合わされている感じがする」という話で盛り上がったあと、そこからもう一歩進んで、例えば自分の親は、自分の子供の結婚式に出るのが夢だったり、それが人生で一番幸せな時間だったりする。そして親が幸せな顔をしているのを見ると自分も幸せを感じたりする。それはどう考えるのか、という話をしているあたりで23時近くになり、解散した。

 夜、眠る時に右側から波の音が聞こえた。そうと気づけば大きな音だった。でも朝には聞こえなかった。遠くの車の音によって空気がざわついているのか。波の音が聞こえない。

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12月9日

 昨日は9000字以上の日記になってしまったので今日は軽く流す程度にしたい・・・。

 朝起きてそのまま家の中で、昨日のうちにコンビニで買っておいたパンなどの朝食を貪りながら「今は翌朝である」という始まり方をする前日の日記を書いていた。とにかく、自分はいま今日という一日を生きるのに、それだけに全てのエネルギーを注いでいるなと思った。絵を描き、日記を書き、敷地を借り、トイレやお風呂や食品が買える店を探し、充電できる場所を探し、近所を散歩して眠る。敷地が決まってから眠るまでは時計をあまり見ない。iPhoneは見ても時刻は見ていない。だから自分が何時間日記を書いているのか、絵を描いているのかわからない。昨日は5、6時間と書いたが適当である。この日記に度々登場する時刻も適当である。読点を付けずに一文を一息で書ききるように色々な作業をこなして気がつけば1日が終わっている。

 日記を書いていたら、家の外から「村上さん、あ、おらへんのか」という女性の声が聞こえ、ドアを開けようとして来たので「はい」と言って開けたら「あ、朝ごはん、持って来ました。おにぎり握ってみました」と、りゅうまくんのお母さんが立っていて紙袋を渡してくれた。中にはみかんがふたつと、ポットが一つと、僕がこれまでの32年間の人生で目にした中で最も巨大なおにぎりが一つ入っていた。

「靴が外にないからおらへんかと思ったわ」

 お礼を言って受け取り、ポットを開けると熱いお茶が入っていた。これがとてもありがたかった。温かいものを体に入れるというのは、この時期は特に大事だ。この家は食品を温める設備を備えていないので、温かいものを食べようとしたら外部のテクノロジーを使わなくてはいけない。つまり外食するか、コンビニでチンしたものを買うか、このような形で恵んでもらうしかない。このお茶を生み出すのに、おそらくどこか国外で採掘され精製され、細い管で遠くから運ばれてきたガスかあるいはプロパンガスによって燃焼する火と、国内のどこかの茶畑で摘まれて乾燥処理を施された茶葉と、巨大なダムから供給・濾過され、気が遠くなるほど長い地下のパイプを通って西中家のキッチンまで運ばれた水が使われている。人が快適に住むために、数々の失敗を経て作られた技術。素晴らしい。巨大おにぎりの中にはたくあんや梅干しなど2、3種類の具が入っていた。一つのおにぎりに何種類もの具が入っているものは初めて食したかもしれない。

 日記をひと段落させた後はすぐに西中家の絵の続きを描き始め、終わったころには12時近くになっていた。もう今日隣町まで歩くのは嫌だと思った。なので松波酒造へ行き、若女将の聖子さんに敷地の交渉をした。聖子さんは「そうよね」と言って少し考え「母がいまいないけど、多分大丈夫やと思う! 父にも一応言わないとね」と快諾してくれた。

 家を西中建設の駐車場から(出発の時に、西中家のみなさんと記念写真を撮った)、松波酒造の蔵の前まで動かした。聖子さんが、酒蔵の中を軽く案内してくれた。明日、新酒を搾るらしい。大きな樽のなかには搾られるのを待っている、透明とも不透明ともつかない、不思議な淡い白の液体がたぷたぷに入っていた。甘酒に似ているけど、それともまた少し違う香ばしさ。

 聖子さんのお父さんは敷地を借りることに関して「うちは駐車料金高いぞお」と言って許してくれた。

 家を下ろした後、今度はすぐに松波酒造の絵を描き始めた。すでに日が傾き始めている。しばらく描いた後、お腹が空いたので隣の「ファミリーレストラン 大家族」という赤い看板の素晴らしい名前のレストランに入り「今日のランチ」を食した。値段の割りに大変なボリュームだった。おそらく僕以外は地元の客しかいなかったと思うのだけど、オーナー夫妻は何も聞かずに愛想よくご飯を出してくれた。このコロナントカの状況でありがたかった。

 その後も日が暮れるまで絵を描き続け、途中から「松波Bar」で昨日と同じ550円の3種飲み比べセットをちびちびやりながら絵を完成させた。

「いまラブロに風呂行ったら、夕日が綺麗なのかなあ」と僕が言うと聖子さんは、

「こっちは海に沈む日じゃないんよ、海から登る日なんよ」

 と言う。そうか、ここは内浦なので、海は東にあるのだ。ずっと外浦を通って日が海に沈むのを見て来たので、そのまま歩いて来た身としては、ここでは海から日が昇るということを忘れていた。日本海なのに陽が昇る土地なのだ。ここは。

 風呂は昨日と同じく「ラブロ恋路」へ。受付のお兄さんも昨日と同じだったが、昨日検温した僕の顔を覚えていてくれたのか、今日は検温作業は免除された。「ラブロ」までの距離を見たら1.8キロあった。信じられない。自分は往復1時間かけて風呂に行っていたらしい。

 そして夜、日記を書くためにメモを整理していたら(僕は本当にいつも日記を書いている。今も)外から聖子さんが「あと2、30分したら仕事終わりの友達が家を見に来たいって言ってるんやけど、大丈夫?」と壁越しに聞いて来た。

 やってきた友達は木村さんと言う男性で、東京から能登町へ2年前に移住して来たという。なぜ能登へ? と聞いたら

「こっち住み良いじゃないですか?飯も酒も美味いし」

 と言っていた。

「寒いでしょう」

 木村さんが僕の家を見て言った。僕は例によって、

「結構暖かいんですよ」

 と答える。すると聖子さんが、

「自分の体温で温まる?」

 と言った。流石のコメントだ。まさしくその通り・・・。

「でも床が、このマットだけじゃ・・・」

「はい。たしかに床は改良の余地がありますね」

「ははは」

「でもさ、毎日お風呂入ってるから、それが良いよね。って話をしててさ」

 と聖子さん。

「ひげもじゃで、汚かったら敷地貸そうって気にならんもん」

「たしかにそれは、気を付けてます。僕は旅をしているっていう意識じゃないので」

 と言ったら木村さんが、

「ははは」

 と笑う。

「生活やもんね」

 聖子さんが言う。

 3人でしばらく談笑し、2人は家に帰っていった。僕も自分の家に入った。しばらくすると、どこからともなく「愛燦燦」を歌うカラオケが聞こえてきた。

「うちは電源いっぱいあるさかい・・ここ使っていいよ」

 と聖子さんが言ってくれた屋外の電源にパソコンとiPhoneのバッテリーを充電させて眠った。

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12月10日

 落ち葉が燻された煙の匂いがする。今は能登町の宇出津(うしつ)という町にある神社の境内、杉林の中に設えられた落ち葉を野焼きするための、ちょっとした空間の中に家を置く敷地を確保している。すぐそばで宮司さんが落ち葉を火にくべている。何種類かの小鳥と、カラスとトンビの鳴き声以外は、その落ち葉の音しか聞こえない。12月11日の朝。

 昨夜眠る時は全く物音がしなかった。発泡スチロールの家の中で自分が出す音だけが聞こえていた。ある時間帯までは近くでカラスたちが鳴いていてその時はうるさいというかちょっと怖いなと感じていたが、彼らもいつのまにかどこかへ行ってしまい、いなくなるとそれはそれで寂しい。この山の上にはいま僕しかいないのではないかと思った。

 松波酒造の敷地内で眠り、昨日の朝起きて日記を書き、すぐに松波酒造から徒歩数分のこじんまりとした洗濯場(コインランドリー)へ。洗濯物が溜まっていた。ガラス戸の向こう側、遠くに西中建設の家族の家から煙が昇っているのが見える。雨がぱらついていて、これから天気は下り坂になっていくらしい。来週には最低気温がマイナスになるという予報もある。そういえば昨夜行った「もりもり寿司」の待合室で

 ・・・ここまで書いたところで中断を余儀なくされ、夜になってしまった。これから昨日の日記の続きを書かなければいけないのに、もう翌日の夜だ。どうしたらいいものか(途方に暮れている間にどんどん時間が経ち、今日という日が終わっていく)。昨日の日記を書いている途中に起こったイベントは、昨日の日記の中に書くべきなのか今日の日記に書くべきなのかわからないから、最近はもうこの日記を書くアプリ「テキストエディット」を「昨日の日記」と「今日の日記」の2つのウインドウで開いていて、昨日の日記を書いている途中に起こった今日のイベントは別のウインドウに書くようにしている。本当は繋げたい。これから書く昨日の日記も今日の日記も同じテキストとして書けたららくなのだけど、プロジェクトの性質上そうもいかない。昨日と今日で、僕が家をおいている敷地は違う。ドローイングも2つ書いている。であれば、日記も2つ書かなければいけない。そう考えると僕の中で、家を持ち歩くこととドローイングを描くこと、この2つよりも、日記を書く(つまり文を書く)ことの重要度というか、成熟度が高くなっているような気がする。歳をとったせいかわからないが家を背に担いで移動できる距離はこのプロジェクトを始めた6年前に比べると短くなっているのだけど、書ける文量は増えているし書くことそのものについて手前で立ち止まれるようになっている。7年前の日記を読み返すと今と比べて飛躍が大きく、前後の文の関連性が薄く感じる。それはいいこともあるのだけど、当時はそういう文しか書けなかった。こんなこと日記で書くべきなのか? 日記における時制をどう扱えばいいのかとか、そんなことについて書いている日記なんて日記と呼べるのか。小説やエッセイと何が違うのか。日記とは日々の記録のはずなのだけど、僕にとって日記を書くことは現実の今日という日についての記録ではなく、文の中にもうひとつの現実を立ち上げることに近い気がする。能書きを垂れるのはやめて昨日の日記を書いたほうがいい。続きから書けばきっとつながるだろう・・・

 そういえば昨夜、つまり10日の夜に行った「もりもり寿司」の待合室に設置されたテレビで「来週から冬支度」というテロップを見た。この生活における「冬支度」は、持っている服を2重で着る程度だ。僕は「冬支度」という言葉が好きだ。いよいよ冬が本気を出して来るので、それに対抗せねばいけない人間側の一体感を感じる。人間という存在が客体化される。

 聖子さんは出張で別れの挨拶はできなかったのだけど、書き置きを残してくれた。聖子さんの母親に挨拶をして松波を出た。宇出津を目指して西へ。途中、僕を追い抜かした軽トラックが前方100mほどのところにある自販機の前で一旦止まり、10秒ほどして再び走りだすところを目撃した。想像してしまう。僕に何か差し入れようと飲みものを買おうとしたが、差し入れたら荷物を増やしてしまうことに気がつき、やめたのかもしれない。あるいは単に欲しい飲み物がなかっただけかもしれない。

 その自販機現場を目撃したあと、多分年下のプロパンガスを積んだトラックに乗っている中学生くらいのときには弱いものいじめをしていたに違いないというタイプの青年と、中型トラックと運転しているすこし年上っぽい男性が反対車線で車から降りて僕の姿を携帯電話で撮影していて、プロパンの青年が「おい~こっちきて」と僕に声をかけて来て、なんでこいつはタメ口なんだ。用があるならそっちがこっちに来いやと思いつつ無視するともっと面倒そうなので、道を横断して行ってあげたのだけど今度は「ここ座って」とまたしてもタメ口で地面を指してくる。「え?」と聞きかえしたら「ここ座ってくれませんか」と、すこしマシな言葉遣いで言われた。しょうがないのでそこに座ると、彼が僕の家の左の屋根に腕か何かを乗せてきているようで屋根が軋んだ、そこをもう1人の男性が写真に撮っている。なんかこういうノリで絡んでくる人、中学校以来だなあと思っていたのだけど、ちょうどその時TBSラジオのアトロクの映画批評コーナーで宇多丸さんの「佐々木インマイマイン」という映画の批評をラジオクラウドで聞いていたので、こういう人が出てくる映画なのかなあと思ったら観たくなった。移住生活中に能登半島で映画を見るのはほぼ不可能なので定住期間に観に行きたい。

 松波から宇出津までは峠がある。150mくらいの高低差がある。最後の4、5キロ以外はずっと上りだった。10分に1度くらいの頻度で自動車やら道端の建物から人が携帯電話で写真を撮ってくる。後ろの方は見えないのでもっと撮られているかもしれない。僕は担ぎ棒にGoProをつけ、前方から人が撮影して来たらこちらも録画ボタンを押している。カメラは武器だと思った。ずっと撮られてばかりというのは結構嫌なもんだ。こちらからも撮影しないとフェアじゃない。

 宇出津の町はトンネルを抜けた先に突然現れた。新しい町に来たという感じがした。トンネルを抜けて新しい町に入るなんてポケモンみたいだ。次の町はここかあ、と心の中で呟いた。さてどんなところだろう。松波よりも規模は大きそうだ。商店街には銀行もあるし新聞社もあるし、銭湯もひとつ見えた。人口も多いだろう。それでもやっぱり歩いている人は高齢者が目立つ。早速敷地を確保するためにお寺を探した。

 1軒目のお寺は

「家を置く敷地を探してまして・・・」

 と言ったら速攻で、

「わからないです」

 と言われた。わからないです、と返されたのは初めてだった。

「わからない・・・? いま住職さんいらっしゃらないです?」

「ちょっとわからないです。・・・敷地とかあるかってことですよね?」

「はい、今日の家を場所を」

「わからないです」

「わからない・・・?」

 わからないとはいったいどういう意味なのか。食い下がろうとも思ったがなんだかかわいそうだったので、

「わかりました」

 と言った。わからないことがわかりました。この問答は結構精神的に喰らった。何を言っても「わからないです」はきつい。

 2軒目のお寺は階段を結構登ったところにあり、お寺なのだけどカイロプラクティックの店も兼ねているというスタイル。

「一晩貸していただけないかっていう相談なんですが」

「ああ~。どっか、あっちの方がええがないかいや。庁舎の・・・見えるかな。・・・ここはお客さんこれから夕方も来るし。仕事終わってくるさかい。あそこの、前の庁舎を囲んどるわね・・・」

 と言って住職さんは遠くで白い工事用の幕に囲まれた大きな建物を指した。

「あの前にでかい広場あるし、公衆便所もあるし、あの辺の方がえがないかな」

「はあ。あの辺の方がいいすかね。でも町の持ち物ですよね、土地は」

「うん町の持ち物や」

「そういう町の敷地って勝手に寝ると怒られるんで・・・他のお寺探してみます」

「他のお寺・・は、あっちの方に1軒と・・・」

 と、僕が先ほど断られたお寺を教えてくれた。

 2軒連続で断られ、久々に参ってしまったのだけど早く見つけないと暗くなる。港の方にもう2軒ほどお寺があったのでそちらに向かって歩いていると、途中、古い商店街らしき通りの右手に鳥居を見つけた。100段以上あるんじゃないかという階段の上に神社があるようだった。それがこの神社だった。久々に神社に交渉してみようかと、僕は階段の下に家を置き、バックパックだけ背負ってひいひい言いながら階段を登った。半端じゃない高さだ。登り切ったところでちょうど、藁の束を持っている宮司らしきおじさんと、近所の人らしきおじさんが境内を歩いているところと鉢合わせになった。「こんにちは」と声をかけたら宮司らしきおじさんが僕の身なりを見て旅人がお詣りにきたものだと思ったようで

「お参りしますか?」

 と言ってくれた。

「はい」

「ぜひ中でお参りください」

 宮司さんは本殿の戸を開けて中に招いてくれ、太鼓を叩いて、「暖まりますよ」と、お神酒も出してくれた。

「自転車ですか」

 もう一人のおじさんが尋ねる。

「いや、歩きです」

「今日の寝場所は決まっていますか」

 と宮司さん。

「いや、それを今探してまして」

「この辺りだとねえ・・・どこかあったか」

 宮司さんが何かを考えてくれている。

「歩きって、テント?」

 と、もう一人のおじさん。

「いや、家を持ち歩いていまして・・・」

「家?」

「発泡スチロールで自作した家を持ち歩いてます」

「家を持ち歩いている・・・不思議なことを仰る」

 と宮司さん。僕はiPhoneで写真を見せた。

「ほう・・・この家は、いまどこに?」

「階段の下に置いてあります。この家の中で寝ています」

「あ、いい場所ある!いい場所ありますよ。あの、古い庁舎の前に広場があって・・・」

 と、宮司さんが先ほどのお寺の住職と同じ場所のことを教えてくれる。

「ああ、お寺の方に聞きました。でも町の土地だから、大抵そういうところは貸してくれないんですよ・・・」

「なるほど」

「普段はお寺の境内とかを借りていて・・・ここまでお寺を2軒ほどまわったんですけど断られてしまって」

「ここらはトイレがなくて便が悪いからなあ。コンビニなんかも遠いし。あの、町の中心の方にお寺が何軒かあるけどねえ。そこはいきましたか?」

「真宗のお寺ですよね。留守だったんですよ」

 1軒目に断られる前、真宗大谷派のお寺に行ってチャイムを押したのだけど誰もいなかった。

「ちなみに、この神社の境内は難しいですかね」

「いや、かまいませんけど。ただトイレやなんかがないさかい」

「本当ですか!トイレなんかは携帯トイレを持ってるので大丈夫なんですが」

「そうですか。まあここでよければ全く」

「近頃は賽銭泥棒なんかも増えてて物騒だからなあ」

 後ろに座っていたもう一人のおじさんはそう言ってすぐに、

「にいちゃん、これ」

 と、右手で僕に何かを差し出した。1万円札だった。

「もらっとき」

「え? ・・・いや、それはいいですよ。とんでもないです」

「え。それ1万円札じゃない?」

 宮司さんも驚く。

「いいから。今月はちょうど1万円余るから」

「こんなにもらえないですよ」

「こういうのは気持ちよく貰っとくもんだ」

 怒られた。

「じゃあ、もらいます。ありがとうございます」

「そんなして歩いて、悪いこともあるだろうしな」

「来てよかったねえ」

 と宮司さん。

「まあ、こうして宮の前で会ったのもね・・・」

「何かの縁だ」

 おじさんが付け加える。という流れで敷地が決まった。この神社は何十段も階段を上がった先にあるので、とても眺めが良い。黒瓦の屋根たちがパタパタと折り重なっている向こうに海と港。

「ここ景色良いですね」

 と言ったらおじさんは、

「うん。景色良い。最高や」

 と言った。最高や、の言い方が最高だった。おそらくずっとここに住んでいるのに、ここの景色は最高や、という言葉が出てくる。なんて素晴らしいことだ。

 階段を降り、家を担いで再び上がり、家を置いた。

「意外とコンクリートよりも、こういう土の方が暖かいもんや」

 宮司さんが言う。それから二人はしばらく落ち葉を燃やす作業をし、僕は暗くなるまで本殿の絵を描いた。

 宮司さんに

「このあたりでおすすめの、晩ご飯食べられるところありますか?」

 と聞いたら、

「寿司がある。ちょっと高いか。でも美味いで。もりもり寿し。せっかくだし」

 なんと宇出津には、金沢でも名高い「もりもり寿し」の能登総本店がある。しかもこの神社から歩いて10分もかからない、港の目の前だった。

 そしてもりもり寿しへ。めちゃくちゃ美味かった。金沢でも美味しい寿司は何度か食べたけれど、敷地を確保したあとの寿司は格別だった。すっかり夜の暗さになっていた帰り道、海の遠くの方がぼおっと白く見えて、一瞬目の錯覚かと思ったのだけど、目を凝らすと漁火だった。淡い白が遠くの海とも空とも判別できない空間に浮かんでいる。視覚体験として面白い。たどり着いた土地で漁火を見るとき、なぜかわからないけれど幸せな気持ちになる。能登半島編では漁火の話題が多い。好きなのかもしれない。

 もりもり寿しからそのまま風呂場へ。グーグマップ上では神社の目の前に銭湯が一つあるのだけど、潰れていた。もうひとつの、松波酒造で出会った木村さんも「町に1軒だけ残っている」と言っていた銭湯へ行ったのだけど、入り口に

「新型コロナウイルス感染防止のため、能登町在住以外の方は入店をご遠慮ください」

 と書かれた貼り紙がある。難しい・・・。在住とは・・・? 今日の僕は宇出津在住と言えば言えるが、狭い町なので僕は新顔であることは番台さんからし明らかだろう。であれば「松波から来ました」と言うのが良い気がする。松波は能登町だし、僕は今日松波から来たことは間違いない。なんてことを考えているうちに、なるほど官僚答弁とはこうやって作られるのかと思った。しかし「在住」という言葉は移住生活中の僕にとっては難しすぎる用語だ。それは何を指すのか。僕はどこに在住していると言うべきなのか。

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12月11日

 宇出津の「ランドリースポット」という、大量の衣類用洗濯乾燥機だけでなく靴用の洗濯機と乾燥機も備え、何故か漫画も豊富に取り揃えている洗濯場にいる。柔らかくて座り心地の良い椅子とテーブルまであり、ここから見える漫画のラインナップは「美味しんぼ」「ネコじゃないモン!」「ブレイクショット」「おれは鉄兵」「MONSTER」「こち亀」「瞳くんすこしだけ片思い」など・・。12月12日の10時24分。昨日(11日)は宇出津の神社から8キロほど歩いて南下し、能登町七見という集落にある温泉とレストランとジムとプールまで備えた「なごみ」という公営の健康福祉施設で敷地の交渉をしたら、うちの敷地は貸せないけれど隣の「ポケットパーク」というところなら大丈夫と言われ、そこに家を置いた。24時間使えるウォシュレットのトイレ付き駐車場という感じ。10日の日記を家の中で書いていたのだけど、途中から雨が降り出し、しかし僕は書くのに夢中で靴を外に出しっぱなしにしていることを忘れ、気がついた時には靴は水を吸ってびしょびしょになっていた。これは能登半島で最悪の事態だ。仕方がないので、今朝近くの濡れた靴を履いて近くのバス停まで行き、昨日歩いてきた道を戻り、40分くらいかけてこの宇出津の洗濯場までやってきて靴を乾かし、ついでに洗濯もしている。現在乾燥待ちである。

 昨日の朝、落ち葉が燻されている心地よい匂いの中で目が覚めてすぐに宮司さんから「ちょっと、お時間あれば手伝っていただけますか」と声をかけられた。なんでも明日「若いもん」がきて本殿のスス落としをするらしく、それまでに絨毯を丸めてしまっておきたいという。お安い御用ですと引き受け、宮司さんと一緒に本殿に上がり、赤い絨毯を5、6枚ほど一緒に丸めて奥にしまった。そんな作業をしていたら「あの、村上さん」と外から声をかけられる。例の1万円を渡してくれたおじさんの妹さんだった。神社の階段を上がってやってきたので息が少し上がっている。「もう朝食べましたか」と聞くので「いや、まだです」と答えたら。「これ持ってきました」と、ビニール袋を差し出した。中にはお茶の入ったラベルの剥がされたペットボトル(「午後ティー」と言っていた)と、おにぎりが二つ。僕は前日にコンビニで朝食用パンを買ってしまっていた(レジには「トレーニング中」の書かれた中年のおじさんが立っており、特に袋詰めの作業がまだ慣れていないようで面白く眺めていたのだけど、コロナで仕事がなくなってしまったのかなあ、などと想像してしまった。ここで買った「ゴールドチョコレーズン」がめちゃ美味い)のだけど断るわけにもいかず受け取った。宮司さんは「パンとおにぎりが選べるな」と言った。数分後にはそのお兄さん(1万円のおじさん)本人がやってきて「ご飯食べたか」と言う。「ついさっき、妹さんからおにぎりをもらいました」と言ったら「え。もう来たんか」というようなことを言い、おそらく妹さんに電話をかけて何かを話したあと「俺も持ってきたんや。水と、手袋もな」と言ってビニール袋を置いていった。中を見ると、500mlペットボトルのミネラルウォーターと、小包装されたアップルパイと、小さな黒い手袋が入っていた。おそらく、前日僕が外で本殿の絵を描いているのを見て、素手では寒そうだと思ったんだろう。これは嬉しかった。なによりサイズが良かった。かさばらないし、重くもない。僕は今回の能登半島編ではワークマンで買った厚手の手袋を持っているのだけど、いざそれをはめて絵を描こうとすると手袋が厚すぎて描けたものではなかった。これならそんなこともなさそうだ。この言い方で正しいかはわからないけど、チャチな感じが良かった。自分では買わないだろうというサイズ感と薄さが良かった。彼はすごい人かもしれない。そういえば茶色いふっくらした野良猫にめちゃくちゃ懐かれていた。にゃーにゃー鳴いて足元に走っていき「もうエサないって言うとるがやー」とおじさんに言われていた。あれは、彼の人徳を猫がちゃんと察知していたのかもしれない。そのおじさんの次に今度は宮司さんの奥さんがやってきた。ポットに入れた熱いコーヒーとみかん2つと「カロリーがあった方が良いかと思って」とチーズが入ったビニール袋を差し出した。奥さんはなんだか僕の活動や家に感心しているようで「長男なのに頑張っとる」とか、僕の両親の年と自分たち夫婦と近いので「縁があるのかもねえ」と言ってため息をついている。手袋のおじさんの話になり「彼はすごい方なんですよ」と言う。お正月にもお世話になったし、ここの掃除用具もね、あの方が新しいのを次々持ってきてくださって、増えてるんですよ。

「お金を断ろうとしたら怒られました」

 と言ったら、

「そりゃあ、人の気持ちですから」

 と言う。まいった。この先差し入れをますます断り辛くなってしまう。

「宇出津の方は良い方が多いですよ。私は輪島なんですけどね。祭りが好きで神社から神社へ来まして。ここには暴れ祭っていうキリコのお祭りがありますから。これから穴水の方へ行くんですか?」

「そうですね」

「穴水もいいところですよ」

 奥さんと話をしていたら宮司さんが、

「おい。あんまり(村上さんの)邪魔すんなよ」

 と奥さんに声をかける。良いなあ。

「はいはい。最近はね、あの階段登るのがネックでね。でも一目見ようと登ってきました。ほんならまたお会いしましょうね。お元気で」

「また会いましょう!」

「また会いましょう」

 奥さんは帰っていった。それから絵を再開。完成した絵を見て宮司さんが、

「ロットリングペン、これコマいくつですか?」

 と聞いてきた。

「0.3ミリです。ロットリングご存知なんですか?」

「昔使っていたことがあってね」

 宮司さんが「絵を撮影させてほしい」とのことだったので、階段を半分降りたところにある自宅へお邪魔し、奥さんともまた再開した。三脚とデジタル一眼レフカメラとシャッタースイッチを準備しだした。

「結構機材をお持ちなですね」

「昔縄文土器の研究やってたもんで。カメラが不可欠なんです」

「お湯でますから、手洗うなりうがいするなり歯磨くなりしてください」

 と奥さんに言われ、僕は顔を洗って手を洗ってうがいをする。

「これ、焼き芋食べてくださいね。お茶も」

 と奥さんに言われ僕は焼きたての焼き芋を食べる。そんなイベントを経て、お昼ごろに神社を出発。宮司さんも奥さんも「また縁があれば会いましょう」と言っていた。そして8キロほど歩き、この日記冒頭の七見の集落へ到着。家を下ろしたらすぐに近所を歩き、宮司さんから「七見には石室がそっくり見える小さな古墳」と言われていたので探したのだけど、背の高い草が繁茂した空き地が広がっているだけで見つけられなかった。その近所で、帰宅中の小学生に若干不審な目を向けられながら家の絵を小さめに描いて、暗くなる頃に「なごみ」へ。神社ではとてもよくしてもらったが、それは僕が1日単位で移動しているからであって、一週間くらい滞在していたら先方の顔色も変わってくるのだろうか、などということを考えながら「いしり定食」を食べ、風呂に入った。それほど熱くはないのだけど、脱衣所でむわーっと体が熱を持っているのがわかる、不思議な温泉だった。風呂代は490円。シャンプーやボディソープの備え付けはないけれど、ティッシュとドライヤーが使える。大広間も喫煙所もレストランもあって最高の施設だ。

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村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

編集部からのお知らせ

金沢で、村上慧さんの展覧会が開催されています。

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村上慧 移住を生活する

会場:金沢21世紀美術館 展示室13
会期:2020年10月17日(土)-2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、
11月24日(火)、12月28日(月)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800

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この記事のバックナンバー

10月11日
第21回 顔面の住人について 村上 慧
08月21日
第20回 冷房を考えなおした結果 村上 慧
06月28日
第19回 冷房を考えなおせ 村上 慧
05月16日
第18回 清掃員たち 村上 慧
03月25日
第17回 ランダム・アクセスという魔法 村上 慧
01月19日
第16回 《移住を生活する》能登半島編その5 村上 慧
01月07日
第15回 《移住を生活する》能登半島編その4 村上 慧
12月27日
第14回 《移住を生活する》能登半島編その3 村上 慧
12月14日
第13回 《移住を生活する》能登半島編その2 村上 慧
11月23日
第12回 《移住を生活する》能登半島編その1 村上 慧
10月27日
第11回 書き始めるのに12時間もかかってしまった 村上 慧
09月28日
第10回 蛾とは約束ができない 村上 慧
08月24日
第9回 参加予定だった芸術祭が中止になった話 村上 慧
08月03日
第8回 たのしい自由研究 村上 慧
07月11日
第7回 生活は法よりも広い 村上 慧
06月13日
第6回 300キロで移動している自分に泣きそうになったので書き留めておく。 村上 慧
05月12日
第5回 情報は食べられない 村上 慧
04月13日
第4回 《移住を生活する》東京2020編 その2 村上 慧
04月08日
第3回 《移住を生活する》東京2020編 その1 村上 慧
03月07日
第2回 暖房を考えなおした結果 村上 慧
02月12日
第1回 暖房を考えなおせ 村上 慧
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