自分の地図をかきなおせ

第11回

書き始めるのに12時間もかかってしまった

2020.10.27更新

環境を作り、環境に作られる

 石川県金沢市にある、金沢21世紀美術館が市外から来たアーティスト用の滞在施設として借りている一軒家のキッチンの白いテーブルの上でこの文を書いている。2020年10月23日夜21時。外からは、ほぼ1カ月ぶりではないかと思われる「ちゃんとした量の雨」の心地よい音が聞こえる。先月28日から展覧会の設営のために金沢に滞在しているのだけど、気が付かない人もいるくらいの雨に一度降られたくらいだった。つい2、3日前までは雲ひとつ見つけられないほどの晴天が続いて、紅葉が始まった犀川沿いの芝生で日差しを浴びながら横になるのは大変気持ちが良かった。天気に恵まれたおかげで、ここから美術館へ毎日キックボードで通うことができた。キックボードは東京で乗っていてもさほど注目を浴びないけれど、金沢では目立つ。修学旅行生の団体に笑われたりする。

 例年だとこの時期は基本的に天候は荒れていて、1時間単位で雨が降ったりやんだり、1キロ単位で降る場所と降らない場所が分かれてしまう金沢でこれほど晴天が続いたのは珍しいことらしい。金沢の美術大学に通う人は「空はいつも曇ってるし街も全体にモノトーンなので、みんな描く絵が暗いんですよ。最初は明るい絵を描いてた人たちも、住んでいるうちにどんどん暗い絵を描くようになっていくんですよ」と言っていた。自覚しているかどうかに関わらず、人は自分が身を置いている環境から影響を受けるのだろう。そしてその環境を作っているのも人である。最近読んだ文の中で「人間と環境とは、人間は環境から作られ逆に人間が環境を作るという関係に立っている」というようなことを三木清が言っていたし、たしか今和次郎も似たようなことを書いていた。このことを自覚するのは大変だけれど「住むこと」について考える以上は避けて通ることができない、これはまさに「自分の地図を描きなおせるか問題」である。そんなことを考えながら展覧会を設営していた。

 先週土曜日17日に、金沢21世紀美術館の展示室13で展覧会「村上慧 移住を生活する」が始まった。6年間続けてきた「移住を生活する」の全てを再構成して見せる展示になっている。ひと部屋ではあるけれど人生初の美術館での個展で、会場も縦横15メートル、高さ6メートルと、これまで経験してきたものとは段違いの広さだった。初めは正直びびっていた。こんな巨大な空間を自分がなんとかできるのかと。しかしなんとしても良い展示にしたかったので、半年以上かけて展示プランを練り、実作業はバイトとして手伝ってくれた人の仕事も含めると2カ月以上の時間がかかった。毎日のように縦横15メートルの展示空間のことを考えているうちに、だんだん部屋が狭く感じられてきて、なんとかなるかもしれないと思った。今ではすっかり僕の体に馴染んだ広さになっている。引っ越した新居に体が慣れていく感覚に似ている。

 しかし慣れるまでは大変だった。自分が展示する側になって初めて気がついたのだけど、最初何も無い展示室を下見した時はこの広さが「不自然」だと感じた。人間の体が持っている自然なスケール感とは程遠いもので、天井が高くてがらんとした空間は教会のようで、美術観賞というものは今でも神秘体験としての側面を持っているんだろうなと思った。それは現実の世界から離れて抽象的な体験をするためには大切なことだと思うけれど、人間の手仕事を離れたこれほどの巨大な空間をつくるには重機がたくさん必要で、そこには大きな資本が動いている。そうして用意された空間を無自覚に使うことはできない。だから今回の展示では、室内の壁には作品を掛けず、サブロク(3尺×6尺)の合板を立てかけるためだけに使った。サブロクは人の身体から生まれた尺である。その他にも展示室外の廊下には移住生活中の自分にとっては最も身近なサイズであるA4という規格で、国内外の自分の歩行ルートを示した航空写真を張り巡らせて、21世紀美術館という建築物に介入する試みをしたり、色々な試行錯誤をして大変だったけれど、良い展覧会になっていると思う。

煙草が吸えないせいだ

 さて、すっかり夜になってしまっているけれど、本当はこんな時間になる予定ではなかった。今日は朝からこの連載の原稿をやろうと思って起きたのだけど、最初の一文を書き始めるのに12時間以上かかってしまった。正直なところ、煙草が吸えないのが原因だと思う。吸わなくても書けるときは書けるのだけど、今回はだめだった。この1カ月間は展覧会のことだけを考えて生きてきたので、文を書くのに頭を切り替える必要があり、そのためには煙草が手っ取り早い。悲しいけれどそういう体になってしまっている。しかし原稿の締め切りは前回書いた「公の時間」として無慈悲にもやってくるので、煙草を吸わなくても書けるコンディションになるまで待っているわけにもいかない。そこで金沢で煙草が吸える喫茶店を求めてインターネットの海を探し回った。いくつか目星をつけて現実の街に出てシェアサイクルを借り、1時間近く走ってようやく一軒見つけた喫茶店はなんと休業日で、僕は気力がなくなってしまって自転車を返却し、缶ビールを買って歩いて飲みながらこの家まで帰ってきた。どうにか煙草なしで書かなければとパソコンを開いたのだけど、気がつけばYouTubeで音楽家のカネコアヤノが行った素晴らしい配信ライブのアーカイブ映像を見つけてしまい、それを見ているうちに今度は美空ひばりと小椋桂が一緒に「愛燦燦」を歌っている動画にたどり着き、感動して泣いているうちに眠くなって昼寝した。それから起きて今である。寝たのが良かったのか、ようやく文を書き始めることができる。書き始めてしまえばなんてことはない。朝の苦しい時間が嘘のようだ。これも自分で自分に課した喫煙者というアイデンティティによって、逆に自分が作られているという良い例である。自分の地図を描きなおすのは難しい。

喫煙所を考えなおせ

 それにしても煙草を売っている店の数に対して、吸える場所があまりにも少なすぎる。金沢21世紀美術館の敷地には、いまや街なかでは大変貴重な公共の喫煙所が残っていて、それがなかったら展覧会の設営も困難を極めただろう。他にはコンビニか居酒屋の軒下くらいでしか灰皿を見かけない。それを除けば今や喫煙が許されるのは自分の家(ただし持家に限る)の中か、ミシェル・ウェルベックがどこかで書いていたように自分の車の中しか残っていないと言っても過言ではない。

 喫煙所というものは不思議な存在だ。僕は移住生活をしているあいだ「敷地内禁煙」という看板が出された施設にいくつも出会った。特に公共施設では多い。大学でも最近は敷地内禁煙にしているところが増えているようで、キャンパスから一歩外にでた路上に煙草の吸殻がたくさん捨てられている光景を時々みかける。みんな煙草は吸いたいので、わざわざ門の外に体を出しに行くのだ。煙が敷地内に入ろうと関係ない。体が敷地外に出ているのが大切なのである。僕が発泡スチロールの家を担いで移動している時、家が地面から浮いている限り、つまり僕が「家を背負っている」限りは、人々は楽しげにニコニコと眺めているのに、コンビニの駐車場なんかにちょっと家を置いた途端にヒステリックになって「はやくどかしてください」と言ってくる現象(僕は「接地問題」と言っている)と、この喫煙の問題は似たところがある。

 本当は煙草の「煙」が問題なのに、喫煙所は「土地」に設置される。だから周囲に誰もいないがらんとした駐車場なんかでも、そこが「敷地内禁煙」だと、人が飛んできて「ここは禁煙です」と言われるようなことがおこる。それが警備員ならまだわかるのだけど、時々なんの関係もない一般の方もわざわざ注意しにきてくれる。

 この喫煙問題について考えたいと思い、僕は昨年「喫煙所」という作品を作った。長さ3メートルのカーボン製自撮り棒とアルミ製のバーと食卓テーブル用のビニールクロスで自作した「喫煙所」を使って、東京の代々木公園と香川県の高松市内で煙草を吸って回った。

201027-1.png

 これは代々木公園で行った喫煙の様子である(まさか喫煙がパフォーマティブな時代になるなんて思わなかった)。僕は画面中央で透明な筒の中に入って(というよりも、筒を手に持って)煙草を吸っている。煙は煙突効果により3メートル上空から排出される仕組みになっている。両サイドにいる二人組はどちらも外国語を話し風景写真をたくさん撮っていたので観光客だと思われる。そのおかげか、僕がこの喫煙所を伸ばして体を筒の中に入れ、タバコを吸い始めても左手にいる白人の男性が隠し撮りをしてきたくらいで、あからさまにこちらを見てくるようなことはなかった。右手にいる中国からの観光客と思しき親子は僕を見ているのではなく、風景を見ている。その証拠に数秒後には下のように写真を撮り始めた。

201027-2.png

 僕はできるだけ堂々とこの喫煙所を取り出して煙草を吸っていたので、もしかしたら彼らは、日本にはこのような製品が普及していると思ってくれたのかもしれない。きっと帰国してから「日本ではこんなものがあるぞ」と言って話を広めてくれるはずだ。しかしこの製品には欠点がある。まず持ち運ぶには嵩が大きすぎるし、重すぎる。僕は中で涼しい顔して煙草を吸っているけれど、棒を持つ右手は終始ぷるぷる震えていた。中もすごく暑い。写真だとわかりにくいけれど、この時僕は汗だくになっている(暑さのせいだけではないかもしれない)。最大の欠点は脱ぐのが大変だということだ。一本の煙草を吸いたいがためにビニールを必死で脱いでいる自分は我ながら惨めだった。労力と対価が見合っていない。恐ろしいことにこの「喫煙所」の最大の効果は、この筒を広げずに煙草を吸うことに罪悪感を感じ、そして広げるのは面倒臭いので、結果的に喫煙量が減ることだ。

201027-3.png

 改良点はまだある。高さ3メートル程度では周囲の人は煙の存在を感じてしまう。僕が購入した自撮り棒の強度ではこの高さが限界だった。

 この「喫煙所」を求めている喫煙者はたくさんいるはずなので、今後は高さと軽さを改良していきたい。ちなみに代々木公園には「敷地内禁煙」という看板は出ていなくて、門に「分煙にご協力ください」とだけ書かれていた。その点で言えば誰よりも努力したと思っている。

村上 慧

村上 慧
(むらかみ・さとし)

1988年生まれ。2011年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。2014年より自作した発泡スチロール製の家に住む「移住を生活する」プロジェクトを始める。著書に『家をせおって歩く』(福音館書店/2019年)、『家をせおって歩いた』(夕書房/2017年)などがある。

satoshimurakami

編集部からのお知らせ

金沢で、村上慧さんの展覧会が開催されています。

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村上慧 移住を生活する

会場:金沢21世紀美術館 展示室13
会期:2020年10月17日(土)-2021年3月7日(日)
10:00〜18:00(金・土は20:00まで 1/2、3は17:00まで)
休場日:月曜日(ただし11月23日、1月11日は開場)、
11月24日(火)、12月28日(月)〜1日(金) 、1月12日(火)
料金:無料
お問い合わせ:金沢21世紀美術館 TEL 076-220-2800

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