第19回
余暇の過ごし方:趣味ってあったんだろうか?気晴らしについて
2026.09.03更新
「ストレスが溜まるので気晴らしのオタ活が必要で、寝るのが遅くなるんです!」「休日の推し活がないと死にます、月曜疲れてます」という訴えを聞くことがよくあります。まあね、わかるんだけどね。これは負のスパイラルを作り出しがちなんですよ・・・。
気晴らし→休養不足→疲労→ストレス耐性低下→ストレスがもっと溜まる→気晴らしがもっと必要→(繰り返し)
というループが発生するのです。なのでどこかで断ち切らないとならないのですけど、世界にオタ活と推し活がなかったら私も生きてる意味なしになりますね、はい、なります。なるんです。寝るのを惜しんでやりたいですよオタ活。そうはいかないから気鬱・気滞が解消する程度のほどほどにセーブしてるのですよ。残念ながら。
現代人の病の筆頭に上がるであろう「気鬱・気滞」は、端的にいうとストレスで体内のあらゆるエネルギーの流れが滞る状態です。解決策は、楽しく快く体を動かすか、感動で心を動かすか、です。こういった刺激で滞りを解消することで、塞いだ気血を疎通させられると考えられていました。まあ、基本的には軽い体操、馬王堆から出土した絵のような動き(馬王堆導引図)を取り入れることが推奨されるのですが、現代人は趣味で心を動かして気鬱・気滞を改善する方を好むというのか何というか・・・動くのを避ける傾向があります。時代は推し活・オタ活全盛です。
ところで古代人の余暇の過ごし方・・・古代から中世の中国での余暇の過ごし方といえば、宴会、飲酒、音楽・舞踊鑑賞、囲碁・六博などの盤上遊戯、蹴鞠、投壺、狩猟、行楽、詩作、書画鑑賞などがありました。大昔にもオタ活・推し活ってあったのでしょうか。
やはり、現代人と同じように入れ込みすぎて身を持ち崩したりする例が書物に残されています。有名なところでは古代のソシャゲ・・・コオロギ相撲の闘蟋蟀(とうしつしゅつ)ではないでしょうか。これはいい歳をしたおっさんが強そうなコオロギを捕獲するかいいお値段で購入し、名前をつけて飼育、餌やコンディションを管理して対戦させ対戦、勝敗を競うという謎のゲームです。捕まえるところから始まるリアルポケモンバトルですよね。
これはいかに闘蟋蟀が流行っていたかがわかる話です。宮中で闘蟋蟀を盛んにやっていたことがわかります。そしてそれにかこつけた役人がコオロギを献上できなければ金を払えと庶民を圧迫し、払えなければ百叩きの刑にしていたことなどが読めます。そしてコオロギは雑食性なので、闘蟋蟀では相手の首元に噛みついたりする様が描かれています。高いお金で購入したコオロギが噛みちぎられることがあったということですね。ポケモンバトルよりひどいです。ポケカだってバトルして一回でカードが破けたりしないですもの。負けてコオロギが死んだりしたらショックで寝込むくらいはあったでしょうね。
王羲之の書を追い求めてものすごい量を集め、最終的に墓に副葬品として入れさせたのが唐の太宗皇帝です。これは有名だから知ってる人が多いのではないでしょうか。こいつのせいで王羲之の真筆は残ってないんですからね!翻刻しかないんです、お墓に持っていかれちゃったから。時の皇帝ですから、恐ろしい金額を費やして収集したらしいのですが、規模が国家予算ですから推し活で破産したりはしてないんですな。でも多分、王羲之の書のことで毎日頭がいっぱいだったでしょうし、「アレが手に入らない......」とイライラしたり、やっと手に入っても偽物だったりして怒髪天したりもしてたでしょう。
このへんの扱いは、『素問・上古天真論篇第一』のここが一番でしょう。
恬惔虛無,真氣從之,精神内守,病安從來。
恬惔として虛無なれば,真氣之に従い,精神は内を守る。病安んぞ從い來るや。
心が静かで欲望にとらわれなければ、真気はそれに従い、精神は内に安定する。そうであれば、病がいったいどこから入り込んでこようか?
ということで、欲望にとらわれたら病気になる、ということになります。とはいってもあらゆることに心を動かされてはいけないということでもなくてですね。時と場合と程度によるんですよ。
これは有名な『素問・四気調神大論篇第二』の夏の養生の部分です。
使志無怒,使華英成秀,使氣得泄,若所愛在外。
活発に動くべき夏の季節には、愛する人が外にいるので足繁く通うように気を発散させろと書かれています。
とはいえ、やりすぎるとどうなるかというと・・・『霊枢・本神』に書かれています。
喜樂者,神憚散而不藏。
喜樂する者,神は憚散して藏せず。
あまりに喜びたのしむものは、神が散ってしまって体に蔵せなくなる。
こんなわけなので、推し活・オタ活は適度なところにしておかないとならないということなのです。欲望にとらわれると気鬱・気滞を晴らしすぎて飛散してしまうってことです。
・・・まあでも一人、オタクの鏡みたいな人がいて、その人が80歳過ぎまで生きていたって話が残ってます。鍾尚書、という人。
固取世人易解,遂以王羲之為標準,如大王草書字值,一百五十字乃敵一行行書,三行行書敵一行真正,偏帖則爾,至今如樂毅黃庭畫讚累表告誓等,但得成篇,則為國定寶,不可計以字數。或千或萬惟鑒別之精也,他皆仿此。近日有鍾尚書紹京,亦為好事,不惜大費,破產求書,計用數百萬貫錢,唯市得右軍行書五紙,不能致真書一字,崔張之跡,固乃寂然,唯天府之內僅有存焉。
世間の人々にも分かりやすいように、ここでは王羲之の書を基準として説明することにしよう。
たとえば王羲之の草書なら、150字ほどで行書一行分の価値に相当する。行書なら三行で真書(楷書)一行分に相当する。これは断片的な書帖の場合の話である。
しかし現在伝わっている『楽毅論』『黄庭経』『画賛』『累表』『告誓』などについては事情が違う。もし一篇がまとまった形で手に入るなら、それは国家が宝とすべきほどの品であり、もはや文字数で値段を計算できるようなものではない。
千になるか万になるかは、結局のところ、それを鑑定する者の眼識の確かさによる。他の書家についても、だいたいこれに準じて考えればよい。
最近では、尚書の鍾紹京という人もこうした書の収集を大いに好み、莫大な出費を惜しまず、家産を傾けてまで書を買い求めた。その支出は数百万貫銭にのぼったという。
ところが、それだけの金を使っても、購入できたのは右軍、すなわち王羲之の行書わずか五紙だけで、真書にいたっては一字たりとも手に入れることができなかった。
崔〔瑗〕や張〔芝〕の真跡ともなれば、もはや世間ではまったく見かけなくなっており、ただ宮廷の収蔵庫の中に、わずかに残っているだけである。
・・・この人、太宗皇帝が国費でやった王羲之の収集を、私費でやったんですよ。元々官僚で、書の才能で宮廷に入った人です。書くのが上手なうえ、収集癖もあったということですね。
彼は玄宗皇帝の政変に協力したことで出世しましたが、政治的な戦いに敗れて官位・爵位を剥奪され地方へ左遷。晩年になって玄宗皇帝に直訴してその日のうちに復職、80歳を超えるまで官職にあるままなくなっています。ソースは「新唐書 卷一百二十一列傳」ですね。
绍京嗜书画,如王羲之、献之、褚遂良真迹,藏家者至数十百卷。
鍾紹京は書画を非常に好み、王羲之・王献之・褚遂良らの真跡を収集し、自宅には数十巻から百巻にも及ぶ作品を所蔵していた。
・・・ということなので、王羲之を集めてほぼ破産したのにも関わらず、他の有名な書家の作品を所蔵していたということは、他にもガッツリ散財していたということですね!
ここまで収集以外に政治的にもやらかしているのに80過ぎまで生きたということはかなり特殊な例ではなかろうかと思います。太宗皇帝に直訴してさめざめ泣いているところなんかを鑑みると・・・おそらくこのかたは相当個性が強い方だったんじゃなかろうかと。
憎まれっ子世に憚るって言うじゃないですか。なので我々のようなやたらに周りを気にして気をつかうへなちょこオタクはあんまり強烈に推し活・オタ活するとやっぱり寿命が縮むと思います。お互い気をつけましょうね・・・。




