第20回
本を読むことは体にいいか?
2026.10.11更新
前回、余暇の過ごし方・・・娯楽が気鬱を治す手段として使われるという話を書きましたが、オタクの楽しみの1つである「読書」は体にいいのか? という疑問について。まあなんでも適度ならいいというのが東洋医学のスタンスなんですが、『黄帝内経 素問」から考えてみると・・・まあ体にいいとは言えないんだなこれが。
【宣明五気篇第二十三】
<原文>
五勞所傷 久視傷血、久臥傷氣、久坐傷肉、久立傷骨、久行傷筋,是謂五勞所傷。
<書き下し文>
五労の傷る所。久しく視れば血を傷り、久しく臥せば気を傷り、久しく坐せば肉を傷り、久しく立てば骨を傷り、久しく行けば筋を傷る。是れを五労の傷る所と謂う。
<現代語訳>
長時間ものを見続けると血を損ない、長時間横になっていると気を損ない、長時間座り続けると肉を損ない、長時間立ち続けると骨を損ない、長時間歩き続けると筋を損なう。これらを「五労によって損なわれるもの」という。
久しく視る・久しく坐すの2つを行うのが読書なので、ずっとなんでも読んでいる活字中毒は体に悪い・・・ということになるわけです。1時間に1回は書籍から目を離して立ち上がって動かないとね。あ、横になって読んでいたら久しく臥すもありえるわけだわね。読書なんていいことしかないように思えるのがオタクの常識ですが、そうじゃないです。あははは。
古代、文字は世界的に見ても占いや呪いに主に使用されています。古代中国では神に対する問いを甲骨文字で動物の肩甲骨に刻み込み、火で炙ることで走ったひび割れを読んで吉凶を判断していました。少し時代が降って「金文」と呼ばれる青銅器に鋳込まれた文字は、戦で功績を上げたり、官職に任命されたりするとそのことを青銅器に記して祭祀に使用するために使われました。
このように、かなり特別な事柄に関して使用するのが文字なので、物語を書き記すために使用するというのはずっと後世のことです。ですから、我々のような庶民が物語を読んで娯楽にすることを気軽に行えるようになったのは宋王朝(960年〜1279年)の頃だそうです。木版により刷られた書籍が一般の手に届くようになったのです。とはいえ、読み書きができる層は限られており、本当に読書が広まったのは明代(1368年から1644年)の後期まで時代が降ってからだそうです。印刷ができるようになった頃とはだいぶ隔たっていますね。
私がブラジリアン柔術と併修しているカポエイラもそうなのですが、あらゆる技法が口承文化ないしは目で見て覚えるもので、文字に残した記録を見て学ぶものではないのです。音楽に楽譜はないし、歌詞も文字で残されているものは最近のものであって、古い時代の文献は全くありません。文字が当たり前の私たちにとってはなんて不便な! と思える世界なのですが、おそらく私たちが失ってしまった、その場で見てとって記憶するという能力がそこには存在していたのだろうと思います。
なぜそう思えるかというと・・・携帯電話を手に入れる前の私たちは、日常的に必要な電話番号を記憶していましたよね。自宅や祖父母の家、叔母の家、親戚の家、友達の家、習い事の先生、よく行く美容室の電話番号・・・今ではスマホの中にしか入っておらず、充電が切れたら思い出せなくてパニックになるアレらです。みんな当たり前に覚えていました。いまだに私はもうなくなった実家の電話番号は引っ越す前の分も含めて思い出せますし、祖父母の家の番号も覚えています。でも、今住んでいる自宅にある固定電話の番号は忘れてしまっていますね。
文字がないのが当たり前だった頃の庶民の娯楽は第19回余暇の過ごし方に書いたように、文字を介さないもの(詩作もあれは口に出して吟じるものでした)です。私たち現代人はほぼ全員が読み書きができる、人類史の中では相当特殊な状態にある・・・と考えたほうがいいのでしょうね。
なので、結論。本を読むことが体にいいかどうかを東洋医学的に現代鍼灸師が判断するには、歴史が浅すぎる! ということです。




