「ない」ようで「ある」

第19回

「普通」というのは正しさとか正解とかを意味するわけではないということ

2020.07.04更新

実家の柴犬

 僕の実家には今でも柴犬がいますが、今いるのは2代目で、初めて家に来た時から人懐っこさを目一杯発揮していました。散歩に行くと楽しそうに道ゆく人と触れ合ったりしています。初代は全く違いました。家では妹と父とのみ仲良くし、僕には吠えたり噛みついたりするタイミングを常に窺っていました。実際に何度も吠えられたり噛まれたりしたし、散歩に行っても他の犬や人にやたらと吠えていたのを覚えています。時々実家に帰って無邪気に走り回る2代目を見ていると、初代と2代目が家に来るまでの人生経験というか犬生経験に差があって、吠えざるをえない過去、もしくは人懐っこくせざるをえない過去をそれぞれ抱えていたのかもしれないと考えたりします。ただ、初代と2代目が家に来たのはどちらも生まれて間もない頃でした。その間もない期間だけで、そんなに経験に差が出るものでしょうか。僕が尊敬する精神科医の神田橋條治先生は、人間の愛着は胎生期から形成され始めていると仰います。一般的には、赤ちゃんが生まれてから親や養育者との関係性によって築かれると言われる愛着は、人を信頼したりされたりすることの、「ない」ようで「ある」根拠になるもので、人間関係を紡ぐのにとても重要です。その愛着の形成が、生まれてくる前から始まっていて、胎児の時の子宮内環境の居心地の良さなどが関係しているのではないかというのが胎生期の愛着形成に関する話です。生まれてから間もない時期に家に来た初代と2代目の柴犬の明らかな気質の違いを考えると、もしかしたら柴犬にも胎生期の愛着形成に違いがあって、それによって同じ家で育っても家族に対する態度が全く別のものになるのだろうかと想像したりします。

「普通」と「普通」ではないこと

 動物も人間も、当然ですが全く同じ個体はいません。多分、遺伝子配列が全く同じでも、胎生期から生まれて育つ過程で経験するものが違えば、色々な側面で違いが生じるはずです。もちろん、同じ部分も多くあります。同じ部分の中でも特に、その種の中で大多数に当てはまることは「普通」とか「常識」といった認識になります。柴犬で言えば、4本足で歩くとか、色とか形とかの「普通」は想像しやすいです。でも大多数ということは、それが当てはまらない少数の群もいると言えます。さすがに、直立二足歩行をする柴犬はいないと思いますが、色とか性格とかが典型的と言えない個体はいます。それらは「普通」ではないということになりますが、ここで大事なのは、「普通」というのは正しさとか正解とかを意味するわけではないということです。ある集団の中で、ある側面において大多数の個体と異なるということは、自分にも他者にも違和感を生じさせるかもしれませんが、その根拠は単純に多数決です。ある側面で「普通」ではないことは、その側面において大多数と違うというだけで、悪いことではありません。着目すべき点があるとすれば、良し悪しではなく、「普通」ではない側の、少数者としての寂しさとか不安とか孤独感だと思います。

 「普通」ではない柴犬がいるとして、その柴犬がどう感じているかは分かりませんが、少なくとも人間界においてみんなと違う、ある側面で「普通」ではないという事実は、無条件に不安を感じさせます。しかもその人数は少ないので、「違ってて不安なんだけど・・・」と言い合える仲間が少ない、もしくは見当たらないことも多くあります。そうなると孤独感が膨らみ、「どうして自分は人と違うんだ」と自己否定的になったり、それが極まって卑屈になってしまったりするかもしれません。本当だったら、先ほど書いたように、ある側面で大多数の人と違うという事実があるだけなので、それはそれとして気にせず、実家の柴犬のように過ごしたいように過ごせば良いとも思います。しかし、社会的な生き物である人間の社会では、少数者であるということ自体が不安要素なので、なかなか気にせず自由に、というわけにはいきません。少数者であるがゆえに生じるこのような不安や、大多数に馴染めないという自己否定感が刻印のように刻まれて、少数者の自覚がある人は肩身の狭い思いをしていることが多いです。

自分の体への嘘

 大多数と違う側面がどんな側面かにもよりますが、ある状況において多くの人はこうするけど自分としてはそうするのは疲れる、できればそうしたくないと自分の体が感じる場合、「我慢我慢。ここはこうすべき場面」とか「仕方ない」などの言葉で、自分の体の声に折り合いをつけなければならないことがあります。先ほども書いたように人間は社会的な生き物なので、基本的にはある程度自分が所属する社会や集団の流れに合わせて生きていく必要がありますが、そのために自分の体に、「ない」ようで「ある」嘘をつきながら、少し無理して暮らしていかないといけないという状況です。これは程度に差はあれど、ほとんどの人が何かしらの側面で抱えているものかもしれません。程度によっては我慢できなくなるくらいの辛さになることがあり、そうなるとその集団から離脱せざるをえないか、離脱しない場合は心身に歪みが大きく生じたりします。これは、自分の体に嘘をつき続けるのに我慢できなくなったということを意味しています。属していた集団から離脱することは、辛すぎる状態が続いて潰れてしまわないようにする自己防衛的な意味があることが多いです。例えば仕事を変えたり、頻度高く付き合う友人を変えたりなど色々な形があります。

 僕が医師として尊敬する人たちの多くは、医療を辛い仕事としてではなく、興味の絶えない趣味のように捉えています。仕事をしたくないのにしなければならないからやっているという、自分の体に嘘をついている雰囲気はほとんどなく、勉強や研鑽することに対してワクワク感を持っているという印象です。そういった人たちの中には一度以上、医師としての道を歩む上でつまずいたり、道をそれたりした人が少なくありません。大学時代に辛くなって休学し、田舎で暮らしたり、働き始めてから辞めて世界を旅したり、自分の選択ではありませんが大きな病気をしてしばらく勉強ができなかったりなど様々なのですが、皆、医学部に入ったら大多数の人は一生医師の道を歩むという、医師という集団における「普通」に馴染めなかった人たちです。何かしらの思いがあって医学部に入学するわけなので、その後に迷いが生じるのはおかしいような気がしますが、高校までの価値観での選択なので実はたくさんの迷いや葛藤の可能性があります。でも大多数は、途中でその道を歩み続けることに葛藤して体が立ち止まることを求めたとしても、「そういうものだ」など自分を言い聞かせて歩み続けます。その中で、自分の体に嘘をつき続けられなかった一部の人は医師の集団から離脱しているのです。そこから改めて再び集団に戻る場合は、決意を新たにするとか、専門にする分野を検討するなどして自分に合った戻り方を考えて戻っています。こうなると、自分の体に嘘をつき続けている状態ではなくなるので、仕事をさせられているのではなく、前のめりに仕事に没頭しているような迷いのない人が多いのかもしれません。一度自分の体に嘘をつき続けるのに耐えられない少数者として、集団から離脱したことがモヤモヤを払拭したと言えそうです。

自粛生活でも

 このように、大多数の「普通」に馴染めなかった人が、意図せず少し救われたかもしれないことがつい最近もありました。新型コロナウイルス感染拡大に伴う自粛生活がそれです。自粛生活以前の社会では、人となるべく繋がり、関係性を拡げたり深めたりしながら人生を充実させるように生きるのが「普通」、とまでは言えないかもしれませんが多数者でした。だから、コミュニケーションが得意ではなく、本当はこもりがちに生活した方が楽だなぁという気質の人にとってみたら生きにくさがあったと思います。人と多く繋がるよりも、こもって自分なりの楽しみを見出しながら暮らす方が体が喜ぶという人は少数者で、自分の体に嘘をつきながら出かけたり会合に参加したりすることもあったかもしれません。自粛生活が始まってからは状況が変わりました。それまでの当たり前が逆転するように、出たくても出られない生活が基本になり、多数者だった人は環境の変化に戸惑いながら、折り合いをつけるためにオンライン飲み会など新しい試みを考え出したと言えます。一方、こもりがちの生活が体に合う人は、自粛生活自体がそれほど苦ではないのに加えて、こもりがちに生活することが社会的に少数ではなく、「普通」になったので、安心感さえ感じたかもしれません。今まで、人との繋がりを拡げる活動にどことなく違和感を抱き続けていたような人が、静かな居心地の良さのようなものを体感できたとしたら、それはその人にとってとても意味のあることだったと思います。

 緊急事態宣言が解除されて、自粛の雰囲気は徐々に緩くなってきていますが、ウィズコロナという言葉もあるように、これまでの数ヶ月がなかったことになるわけでは当然ありません。繋がりを拡げるばかりではなく、自宅でおとなしくしながら充実して過ごすという方向も必要になってきます。どんなバランスがここちよいかはそれぞれ違うでしょう。その中で、なんとなくこれくらいのバランスがスタンダードという、「ない」ようで「ある」、「普通」の形は、どうしても生じるとは思います。でも今回の自粛生活で、今まで感じたことがなかった居心地の良さや悪さを感じることがあったとしたら、それは自分の体の素直な感覚だと思います。今回のように、当たり前が分かりやすく逆転することはなかなかないことなので、この感覚は貴重なものです。それらをヒントに、それぞれの体に無理がない生活のバランスが見出せるといいなぁと思います。そして、皆が違うという認識が今よりさらに当たり前になり、少数者としての苦悩を抱える人のきつさが少しでも緩む世の中になってほしいと切に願います。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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