「ない」ようで「ある」

第22回

「ない」ようで「ある」内在する目

2020.10.04更新

 僕の現在の勤務先は大学病院です。大学病院と他の病院の最も違う点は学生さんがたくさんいることです。パッと考えると、大学病院は規模感がとても大きいという特徴があるように思うかもしれませんが、大学病院でなくても色々な診療科があって規模が大きい病院はあります。でも、病院実習をする学生さんの多さは圧倒的です。つまり、大学病院は診療の他に、後進の育成、教育という命題を抱えている病院なのです。

 医学生は5年生以降になると病院実習をします。注射や採血などの手技はもちろんできませんが、実際に現場に出て、入院病棟で患者さんと話をしたり、外来診療を見学したりします。精神科にも、2週間とか1カ月とか一定の期間ごとに何人かの学生さんが回ってきて、教育係の先生について病棟を歩いたり、教授や准教授など偉い先生の外来診療を見学しています。先日もそんな時期だったのですが、教育係の先生からなぜか僕に連絡があり、僕の外来診療を見学したいと言っている学生さんがいると言われました。どうやら、いとうせいこうさんと僕の共著の書籍を読んで興味を持ってくれたようなのですが、僕は大学で診療を見学してもらうような偉い立場ではありません。しかも、自分にとっては患者さんの人数も、時間もいっぱいいっぱいでやっているので、見学してもらっても余裕がなくて、きっと何も教えられない気がします。そのことを教育係の先生に言ってみたのですが、「あぁ。大丈夫ですよ!」という、なんの根拠もない判断がくだり、イレギュラーに学生さんが僕の外来診療の見学に来ました。

目に緊張

 不慣れなことは緊張します。実際は、普段通りの診療をしている自分の後ろに学生さんが座り、見学をしているだけなのですが、なんというのでしょう、評価をされているというか、「あぁ、大して面白くないなぁ、帰りたいなぁ」とか思われるんじゃないかと自意識過剰な状態に陥りそうな予感がします。そんな自分を、自分の別の側面が助けてくれました。元々僕は朝が弱く、しかも通勤に1時間半ほどかかるので、毎週朝から余裕はありません。今年の健康診断で血圧測定した時も、朝10時の血圧が100を切っていました。それが朝の弱さとどれくらい相関するのか実際には分かりませんが、年齢と性別を考えたら低すぎる数値です。低気圧ボーイ(ボーイじゃないけど)。余裕がないのも仕方がないのです。ただ、助かることに、朝早く受診に来る人は、診療に長い時間がかかる人の方が少ないです。話が入り組むことも多くはなく、昼以降の診療と比べるとまだ、血圧が100切ってても集中できそうな感じです。もちろん、入り組んだ話になる場合は省略することはしませんが、なぜだかそういうことはあまりないのです。午後に向けて僕の血圧が少しずつ上昇するとともに、診療での話も複雑になり始めます。ある意味ギリギリ絶妙なタイミング。おかげでなんとかやっていけています。みなさん、ありがとうございます。

 さて、ものすごく自分中心の捉え方をしてしまいましたが、要するに、比較的負担の少なさそうな朝の時間ですが、朝が弱い僕にとっては楽ではないのです。だからこそ、集中力を保つように心がける必要があります。そしてそのおかげで、学生さんの見学日も、学生さんの目を意識しすぎる余裕はありませんでした。むしろ、普段通りのことをやるだけでやはり精一杯。申し訳ないと思いながら、できる限り途中で解説したり、少し患者さんが途切れたタイミングで自家製のチャイを振る舞ったりしましたが、あれで良かったのだろうかと今も思います。チャイは漢方の師匠直伝なので自信があるのですが、肝心の教育的な要素は薄くなってしまったなぁと回想しています。逆に僕は、外来診療が終わってみれば、学生さんに助けられた部分がありました。

目の助力

 先ほども書いたように、僕は朝が苦手です。かといって、朝早くの診療をする時に手を抜いている自覚はありません。でも、身体的に好調ではない時に全力を出し切ることはできないものです。例えば、1997年のNBAファイナル第5戦。バスケの神様マイケル・ジョーダンは、インフルエンザではないかと疑われるほどの高熱を出しながら、驚異の得点をあげてチームを勝利に導きました。通称「Flu game」。あれ、こう書くとジョーダンは出し切ってるな・・・。でも、これは神様ゆえの集中力かもしれないし、熱がなかったらもっと得点をあげていたかもしれません。それと同じように、とはまるで言えないし、もはやなぜこの例を出したのか自分でも分かりませんが、身体がけだるい時は、診療中の気分や雰囲気がどうしても少し重くなってしまっていると思います。でも学生さんが見学している時は、これに「ない」ようで「ある」抑止力が働きました。人の目がなんとなくある状態というのは、サボるわけにはいかないぞという、ダラけに対する抑止力になります。しかも、意識しすぎて緊張してしまうほどではない、なんとなくの抑止力。この時は、通常モードを保てている時間は、学生さんの目をあまり意識せず自由に診療でき、少し疲れてきてダラけそうになるリミットくらいになると、「ダラけるわけにはいかないぞ」と発動する、本当にちょうど良い抑止力が生じていたのです。その結果、終わった後にいつもより充実感がありました。もしかしたら、ダラけそうになる時に少し力を入れて踏ん張ると、集中力の波が少なくなって最終的に疲れにくいのかもしれません。この仕組みを知ってから、その後の外来診療でもダラけの抑止力を自分で発動させることを試しているのですが、学生さんがいた時ほどうまくはいきません。

内在する目

 それにしても、学生さんが見学していた時のように人の目がなんとなくある状態というのは、実はとても大切なことかもしれません。その理由の一つは、多くの人はやはり、自分だけだと自分を律しきれないということです。僕は例えば、集中して書き物をしたい時、誰もいない場所を見つけて取り組むことがありますが、本当に誰もいないと、気づいたらNBAに関するユーチューバーの動画検索ばかりしてしまったりします。これがカフェとか、ファミレスとか、どこか公共の場だと、それをせずにすむことが多いのです。また、人の目がなんとなくある状態というのは、学生さんの見学や公共の場のように、実際の目がなくても、自分の中に内在する、「ない」ようで「ある」他者の目によっても恐らく実現されます。

 僕は、他の多くの臨床家と同じく、診療することにおける作法、倫理観などを自分の中だけで編み出してきたわけではありません。むしろそれらの内実は、自分で気づいたり築いたりしてきたことではなく、実際に指導して頂いた師匠や、指導は受けていなくても優れた書籍を残したり、お話だけさせて頂いたことがあるレジェンドと言える先生方の姿勢や言葉から学び、そうありたいと希求して教えとして胸に秘めていることがほとんどです。だから、診療の場で、現実的には自分だけで目の前の人と向き合っている時も、あの先生だったらここで手を抜かないだろう、とか、ここでもし手を抜いたらそのことを先生に報告できるだろうか、とか、あの本にはここで手を抜かないことで患者さんの未来が開けると書いてあったぞ、など、勝手に内在する目を感じていることは思いのほか多いです。それから、ある局面において、どうしたら良いかわからず迷いが生じた時には、「あの先生だったらどう考え、どう構えるのだろうか」と思いを馳せます。その局面自体の教えを受けていなかったとしても、師匠ならばここでどうするのだろうかと想像できるということは、頼りになる人が自分の中に内在していることとほぼ同義であると言える気がします。

 一方、書き物に関して言えば、あの作家のような色気のある文章を書いてみたい、という憧れはありますが、書くという作業に関する作法については誰の教えも受けていません。これも、多くの書き手と共通することだと思います。内在する目、人がはっきりとは存在しないということは、自分の価値観や選択を頼りにする側面が大きくなります。だから、生来怠け者気質の自分は、一人になると思いっきり怠けてしまうのかもしれません。とかなんとか言いながら、きっと書いている時も、この人が読んだらどう思うのだろうか、とか、あの人に褒められたいなどを考えていて、少しずつ助けられながらモチベーションを保てています。この人とかあの人が誰かは、恥ずかしくて言いにくいですが、何をするにしても、人は本当に孤独なままだと自分をなかなか保てないでしょう。

 こんな連想に今回身を任せることができたのは、外来診療の見学を申し出てくれたあの学生さんのおかげです。学生さんはあの時の最後、「精神科医になりたいと思っています」と言いました。もしそれが現実になれば、きっとどこかで再会します。その時までには、もう少し余裕を持って助言をできる人間になっていたいです。この気持ちもまた、今後の僕が自己研鑽するにあたっての、「ない」ようで「ある」内在する目になるのだと思います。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

総合病院に勤務する精神科医。執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』がある。

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