「ない」ようで「ある」

第3回

ノロとアニキは全く別の生物ですが、

2019.02.17更新

苦手な食材と好物

 冬といえば、今や真牡蠣です。今や、というのは、数年前まで唯一苦手な食材として残っていたのが牡蠣だからです。それがある時を境に明確に苦手ではなくなり、一直線に好物まで登りつめました。この形、過去にレバーや銀杏でも経験していて、レバーも銀杏もすでに好物です。苦手だった食材が急に食べられるようになり、むしろ好きになるという現象ってどういうことなのでしょうか。勉強不足で科学的な知識はほとんどないのですが、これも「ない」ようで「ある」に通ずるのではないかと日々考えます。

 ある食材を苦手だと感じることって、恐らく最初は無意識的に危険を感じることに近いのではないでしょうか。甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の5つの基本味は、遺伝的な栄養素のシグナルなのだそうです。甘味はエネルギー源、塩味はミネラル源、酸味は腐敗物または有益な有機酸、苦味は毒、うま味はタンパク質のシグナル。これで考えると、酸味や苦味は本能的に忌避すべき味と認識されると言えます。確かに僕でいえば牡蠣や銀杏には苦味があると思うし、酸味や苦味が味の大きな指標になるコーヒーに関しても今は好きですが、数年前まで全く飲みませんでした。僕だけでなく、苦手な食材を思い浮かべると酸味や苦味がちらつく人は多いのではないでしょうか。
(参考文献:堀尾強,嫌いな食品の嗜好変化に関する研究.関西国際大学研究紀要,115-123,2012)

 これはいわば、「なんか嫌」と危険そうなものを遠ざける味覚的な動物的勘と言えそうで、同様のことが他の様々な感覚でもありそうです。夏の暑い日、数時間置かれたおにぎりのにおいを嗅いで、「これ、やばそう」と腐敗のにおいを嗅ぎ分けようとするのは嗅覚的。僕はレバーや銀杏の食感も苦手でしたが、これは食感で苦手意識を持っているので触覚的ではないでしょうか。それから、先日タガメを食べたのですが、もう見た目が恐怖すぎてなかなか手が出せませんでした。これは視覚的と言えるでしょう。このように「なんか嫌」というのが、食材を苦手だと感じるはじめの一歩のような気がします。まぁただ、「なんか嫌」もつきつめればその人の過去の経験に理由を見出せたりするのかもしれず、根っこから本能的な因子と、育った環境とか食習慣などが関係する社会的因子を明確に分けるのは難しいようにも思います。

 それにしてもほとんど誰にでも、「なんか嫌」な食材ってある、またはあったのではないでしょうか。「なんか嫌」な食材に向き合う時、人が向き合う「なんか嫌」の正体は大抵、不安や恐怖です。腐敗も毒も、聞いただけで不安や恐怖が生まれる気がしますよね。そして、今回話題にしている食べ物だけでなく、他のどんなケースにおいても、不安や恐怖の力は強く、それらを抱いていると目の前の物事のそれ以外の側面はなかなかキャッチできません。「ない」ことになってしまうということです。でも、例えば断れない状況におかれるなどして仕方なく食べてみて、実はそこまで嫌じゃない、という経験をすると、その食材に対する不安や恐怖は軽減します。「この食材はそこまで嫌なものではない」と学習するわけです。こうして、ある食材に対する不安や恐怖が軽減するか、なくなった時、その食材の他の側面、それまで「ない」とされていた側面が、「ある」ということに気づきます。そしてそれが楽しめるものであった時、苦手な食材は、そんなに苦手ではない食材になります。さらに、その新発見な側面はその人にとって新鮮なものであることが多いはずなので、もっと食べたくなって、好物にまで登りつめたりすることもあるのではないでしょうか。

 ちなみに先ほど書いたタガメですが、見た目は本当に怖いというか、家の中で時々コンニチハするアノ昆虫を大きくした感じの見た目なので、怖いどころか見るだけでも憚られました。でもその時は、そういう珍しいものを食べにきたのだから食べよう!と、皆で鼓舞し合い、集団の力で誤魔化しながら食べてみたところ、なんだか青リンゴのようなとても爽やかな味?香り?がしたのです。これはかなり衝撃的な体験で、そこにいた全員が驚愕の声を上げました。タガメが青リンゴ風味を隠し持っているなんて到底「ない」ことだと思っていたからです。これ、もしかしたらタガメ自身も自分のこの側面に気づいていない可能性が高いと思うので、タガメに知らせたらタガメも驚愕の声を上げるかもしれません。どんな声なんだろう。それはそうと、この経験によって、自分がタガメという食材に感じていた恐怖感は薄れました。あと数回タガメを食す機会があったら好物に変わる可能性があると感じています。

牡蠣の恐怖

 こうして、苦手な食材から好物になったものの一つが、僕にとっては牡蠣です。本能的か経験的かは分かりませんが、牡蠣に勝手に毒性を感じていたかもしれない僕は、牡蠣という食材を「なんか嫌」と感じていました。しかし、何度かすすめられて食べたりしているうちに、「なんか嫌」の成分は薄れ、旨さや日本酒との相性の素晴らしさに気づき、強く惹かれ、好物として楽しめるようになりました。でも一方で、僕の動物的勘も恐らく外れてはいないだろうと思うことがあります。

 牡蠣を含めた二枚貝を食べるということは、ノロウイルスに感染する危険性を有しています。僕は、牡蠣を好物だと認識してから数ヶ月後、ノロウイルスに感染し、体が乾ききるのではないか、というほど辛い経験をしました。牡蠣を食べ、30時間ほど経過し、食べたことも忘れた頃に突然嘔吐。そして下痢、発熱。文字通りトイレから出られず、病院はもちろん出勤停止。壮絶な初体験でした。それからというもの、牡蠣は食べていない・・・わけではなく、感染の危険性が少ないと言われる生食用の牡蠣は食べ続けています。旨いものは簡単にはやめられない。でも、僕よりも牡蠣を食べ続けているのに、ノロウイルスに感染していない人は周りにたくさんいます。それを考えると、もしかしたらウイルスとの相性のようなものもあるのではないか、と思ったりもします。全くの仮説というか、ただの想像ですが、僕は、なんらかの理由でノロウイルスの悪影響を受けやすいのかもしれません。そういえば、牡蠣を食べた後、なぜだか軽く腹を下すことが少なくない気もします。きっとその自分の特性が、牡蠣と向き合う時に危険信号を発して、「なんか嫌」と感じていたのではないでしょうか。うーん、不確かすぎる。不確かすぎるからこそ知りたいところだけど、今のところどうしても不確かすぎる。

 さて、そんな牡蠣ですが、以前ノロわれた時は、なんだか火が通りきっていないように感じられる曖昧なアヒージョを食べた時でした。その後、生食用と加熱用の感染しやすさに差があることを聞き、信頼できる人が調理する時以外は生食用のものだけを食べるようにしていました。それが功を奏してか、軽く腹を下すことはあるものの、壮絶な食中毒にみまわれることはありませんでした。そう、注意すれば、楽しみを全て我慢する必要はないのです。しかし、それが先日、抗えない力により危機にさらされることになりました。不可抗力により、曖昧な牡蠣の天ぷらと対峙することになったのです。注文したのは目上の人。白子の天ぷらも一緒になっていたので、積極的に白子を食べ、牡蠣はどうぞ、というスタイルを保持していたつもりでした。それなのに気を遣って下さった目上の人が牡蠣を回してくれたのです。あぁ、断りづらい・・・。断るにしても、食中毒の経験がありまして、なんてことは店内で簡単に言えるようなことではありません。「ええい、ままよ!」と脳内で唱え、「ええい、ままよ! ってどういう意味だっけ」と疑問を呈しながら牡蠣の天ぷらを1つ食べました。食感は曖昧・・・。まぁそもそも牡蠣がパリッとした食感になるはずはないので当然なのですが、アヒージョの悪夢が脳裏をかすめました。

 翌日、世間は休日で僕は当直。病院でその日の朝から次の日の朝まで業務です。前日に牡蠣の天ぷらを食べたことは忘れ、しばらくは体調も良く仕事を頑張っていました。しかし、午後になり「キリキリキリキリ」と急に腹痛が。腹痛の擬音語が「キリキリ」って、よく分からないけどうまい表現な気がする、というのを体感しながら、どんどん痛みは増します。かと思ったら少し改善。ふぅ。と一息ついたのも束の間、また「キリキリキリキリ」。この繰り返しで、再びアヒージョの悪夢を思い出しました。ただ、前回は腹痛はここまで激しくなかったかわりに、発熱や下痢がとても壮絶でした。今回は、嘔吐はしたものの、腹痛以外は症状がほぼありません。よく考えたら前回ノロウイルスに感染した時と状況は違ったのです。でも、その時はそんなこと辛すぎて考えられませんでした。辛すぎる上に、またノロわれたという訂正不能な妄想に囚われて恐怖と不安で頭がいっぱいなのです。「昨日のあの牡蠣だ。またノロだ。めちゃくちゃ辛い数日間がやってくる。ていうか出勤停止? 嫌だぁ!」と脳内に浮かぶものの腹の痛みで叫ぶことさえできません。深夜の医局で1人、聴診器で自分の腹部の聴診をするなど、やや奇異な行動をしたのを覚えています。さらに、腹痛の直前まで取り組んでいた「自分らしさについて」という依頼原稿があったのですが、ノロウイルスという怖いウイルスのことを考えていた反動か、好きな微生物である古代的な清酒酵母に甘えたくなり、その酵母との架空の会話を原稿に書き、依頼主に送りました。その架空の会話のどこに「自分らしさ」を見出したのか、今となっては分かりません。当然その原稿は、後日ゼロから書き直しになりました。この時ほど「心身相関」という言葉が身にしみたことはない気がします。

 翌日、平日の業務になり、腹痛はややおさまってきていたものの、内科の先生に経緯を説明しました。

 「一昨日食べたものは?」
 「牡蠣です! ノロですか? ノロですよね? はぁ、ノロかぁ・・・」
 「牡蠣以外で海鮮のものは食べた?」
 「えっと、白子の天ぷらと、あ、あとしめサバも食べました」
 「そっか。内視鏡しようか」
 「え、ウイルスって内視鏡では分からないですよね?」
 「うん、多分ウイルスじゃないからね。サバと、あと白子もまぁ気になるかな」
 「・・・。あ!」

 内視鏡で見えたもの、それは弱った(らしい)アニサキスでした。アニサキスというのは寄生虫で、その小さな幼虫は魚介類に寄生します。その魚介類の代表的なのがサバ、アジ、サンマ、カツオ、イワシ、サケ、イカなど。アニサキス幼虫が寄生している生鮮魚介類を生(不十分な冷凍または加熱も含む)で食べることで、アニサキス幼虫が胃壁や腸壁に刺入して食中毒(アニサキス症)を引き起こします。急性胃アニサキス症とは、食後数時間から十数時間後に、みぞおちの激しい痛み、悪心、嘔吐を生じるものです。なお、一般的な料理で使う食酢での処理、塩漬け、醤油やわさびを付けても、アニサキス幼虫は死滅しません。
 (参照:厚生労働省ホームページ)

 そうか。アニサキスか。内視鏡でそのアニサキスを取り除かれると僕の症状は劇的に改善。これは確かにウイルス性の食中毒ではありません。寄生させてあげられなくてごめん、アニサキス。

 僕が「ノロだ、ノロにまたやられた〜。曖昧な牡蠣の天ぷらめ!」とノロウイルスを呪わんとしていたその時、僕の消化管内にノロは恐らくおらず、アニサキス、いや、もう略します。アニキが必死に僕の胃壁に噛みついて(正確には刺入)いたのです。アニキの存在に気づかなかったのは、僕が長男で兄がいないということと関係しているのでしょうか。きっとしていないでしょう。

 ノロとアニキは全く別の生物ですが、今回僕は勝手に関係性をナラティブに構築しています。僕からすれば今回のノロとアニキは、僕を通り過ぎていった2つの大きな辛さの因子、という捉え方になります。でも、ノロやアニキからすれば、ただ活動をしただけに過ぎないのでしょう。立場によって事情は全く違う、ということを実感したエピソードでした。また今回は、体内という、自分の中なのに見えないところで起こっていることについて壮大な勘違いをしました。前回はノロでしたが、今回は意外とアニキだったのです。見えないことやミクロな細かいことってやっぱり全然分かりません。

 見えない故に、そのことについての考えは「予測」の域をでないはずなのに、今回の僕のように、いつの間にか視野が狭まり、妄想的に「事実」として捉えていることって案外多いはずです。これは結構危険なことのように思います。この危険性をなるべく忘れないように日々したいわけですが、恐怖や不安は、「今自分が考えてることってもしかしたら全然違う可能性もあるんじゃない?」と考え直す冷静さを奪いがちです。あぁ怖い。どうしたらいいのでしょう。恐怖や不安な時に自問自答できれば解決するのですが、それがなかなかできないのがジレンマです。まぁでも、とりあえず今回は腹の痛みも治まったし良しとするか。あぁ、病院、出勤停止にならなくて本当に良かった。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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