「ない」ようで「ある」

第18回

自宅多めの生活から社会多めの生活に戻るのは、思いのほか

2020.05.30更新

 新型コロナウイルスの存在感が大きくなり数ヶ月が経ちます。多くの人の生活が変わったことでしょう。人によって頻度の差はあれど、外で人と会ったり仕事をしたりという機会は極端に減りました。今まで主に自宅の中で日中過ごしたり、もともと自宅仕事をしていた人たちも、昼間に出ていたはずの家族が昼間もいる、などの変化があったかもしれません。飲食店は営業をこれまで通りにはできず、娯楽の場所ももっぱら閉じている。これはもちろん、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための対策ではありますが、外出を控えなければならない、密閉、密集、密接を避けなければならない、マスクを着用せねばならない、自炊しなければならない、など、多くの慣れない「〜〜せねばならない」に囲まれた環境に急になり、戸惑いを強く感じたと思います。

自分の環境変化

 僕にはどのような変化があったかというと、まず仕事面。病院勤務という性質上、通勤をする日の多さは変わりませんでした。これまで通り、平日は病院や施設や役所に行き、当直があれば夜や休日に病院に泊まるというペースは同じです。仕事の内容は4月から大きく変わり、そのことは前回にも少し書きましたが、これは新型コロナウイルスとは関連しない新年度ならではの環境変化です。そのような変化もありつつ、僕の中で個人的にとても大きな変化だったのは通勤方法を電車から車に変えたことです。毎日家から病院までの往復の通勤時間は3時間強。この時間を毎日電車で過ごすというのは、しばらくは危険性が高まることかもしれないと考えて、病院の近く以外で運転したことなかった車で、ほぼ同じ時間をかけて往復する日々が始まりました。

 前々回にも書いたのですが、人は環境が変わるとそれに馴染むまでに月単位の年月を要します。馴染むというのは安定することを意味するので、逆にそれまでの月単位の期間は、試行錯誤しながら安定の形を模索する不安定な期間と言えます。この期間には多くの「揺れ」が生じて当然です。しかし、環境が変わった時、馴染むまでの期間に生じる「ない」ようで「ある」揺れには多くの人は気づかず、なんだかよくわからない不調がいつのまにか生じたように感じて辛くなることが少なくありません。車で通勤するという環境に対して、僕もかなり揺れました。そして、やはり真っ最中にいるときはなぜ不調なのか気づけなかったように思います。

 もともと電車での長い通勤時間が大好きというわけではありませんでしたが、ウトウトしたりボーッとしたり読書をしたりメールをしたり、時には原稿を書いたりもできる、ある意味貴重な時間でした。そして電車内でしていたこれらのことの全ては、運転中にはできません。その代わりに運転中の時間にすることといえば、何はともあれまず運転です。慣れない長距離の運転な上、時には大雨だったりして、緊張が緩み切ることはありません。まぁ運転するのだから緊張していることが正しい状態だとも思うのですが、これが続くとじわじわ疲れます。緊張を良い具合に和らげるためにできることは例えばラジオや音楽を聞いたり、それに合わせて歌ったりすることでしょうか。でも、歌うのは実際は結構高等技術なので、しばらくは聞くことのみが頼みの綱でした。つまり、周りに迷惑をかけなければ概ね自由時間だった電車移動の時間が、することを運転と何かを聞くことに絞ら「ねばならない」時間に変わってしまったのです。

 それでもはじめは新鮮でした。僕の車はシステムが充実しておらず、カーラジオしか聞けなかったのですが、朝ラジオを聞きながらある程度の距離を運転するなんてしたことなかったので刺激的で、しばらくはラジオを聞きながら運転「せねばならない」というより、聞きながら運転「したい」という能動的な姿勢でした。「〜〜ねばならない」は、人に苦行を強いますが、「〜〜したい」は望んで行うので喜びに結びつきます。ただ問題は、地域をまたいで聞ける局は限られるので毎朝同じ番組しか聞けないことで、次第に、毎朝聞く別所哲也氏の声に違和感を覚えるようになりました。これはどう考えても、別所氏や番組に全く否はありません。むしろ毎朝6時から3時間の生放送を何年も続けていることを知って驚愕し、尊敬しました。番組構成も朝の時間に活力をもらえるもので、「目覚めるのじゃ」と声がけをしてくれたりもします。しばらくの間はこれが癖になり、「目覚めました!」なんて言いながら機嫌よく運転していたのですが、落とし穴があったのです。別所氏はいつも安定して元気です。これは本当にすごいことで、人間だから気分の波は「ない」ようでも必ず「ある」はずなのに、ラジオを聞いている限りそれに左右される印象は全くありません。プロとはこういうことを言うのだと思います。ただ、僕の朝の気分は毎日変わります。慣れない車通勤や新たな仕事内容、そして新型コロナウイルスのための自粛生活や終わりの見えない不安に晒され続けることで、その時は気づいていませんでしたが、今思えば少しずつ疲れていきました。人は誰でも疲れれば余裕がなくなります。ラジオでもそのことを扱ってくれてはいるのですが、根本的な元気さを保てなくなった僕の気分は、朝のラジオの元気さについていけなくなりました。気づくと、ラジオを聞きながら運転「したい」だったはずの姿勢が、運転「せねばならない」という苦行に変わっていて、何も聞かずに黙々と運転するようになっていました。これでは、運転の緊張も和らげることができず悪循環です。しばらくの間は、置かれた環境に適応しきれない、「ない」ようで「ある」不適応の状態が生じていたと言えます。

 ただ、この不適応の状態がとても悪いかといえばそうとも言い切れません。もちろん辛いので、なければありがたいのですが、新たな環境に馴染むまでの間の「揺れ」は、馴染むための試行錯誤でもあります。機械のスイッチやプログラムを変えるように、一瞬でモードを変えることが人にはできないので、細かく試行錯誤をしながらじわじわと環境に馴染み、適応していくのです。その過程の中で少しずつ不適応による辛さが生じる機会が減っていきます。実際僕も、徐々に新しい仕事のペースに慣れたり、高速道路の運転のコツを掴んでいったり、テイクアウトして好きな酒をちょびちょび飲むなどの自分を緩ませるコツを見出すうちに、本当に少しずつですが余裕を取り戻していきました。余裕を取り戻すと想像力も豊かになりやすくなります。どうにかスマートフォンの音を車のオーディオで出す術はないものかと探し始めました。そして「車内 スマホ 聞く」と検索したらすぐに、FMトランスミッターの存在を知りました。これを使えばスマートフォンから音楽や、別のラジオ番組も聞くことができます。こんな素晴らしいものがあるなんて、発明した人に感謝したいです。FMトランスミッターのおかげで、車通勤の最中に聞きたいものを聞けるようになり、再びだんだん楽しくなって、今度は安全な道を運転する時に歌ったりするようにもなりました。慣れてくれば、駅まで歩くなどの手間がないので、車の通勤は身体的には楽です。色々なものを聞くのも楽しい。一方で、読書や原稿書きなど電車でできていたことが出来なくなったことは変わらず残念なことでもあります。でもまぁそれもしばらくは仕方ないと思えるようになりました。運転「せねばならない」に偏っていた苦行モードは、運転「したい」の要素を含みつつ、読書や原稿が出来れば良いんだけどなぁという不満も、まぁ仕方ないとある程度消化して、新たな環境での通勤スタイルを試行錯誤しながら見出したと言えそうです。今では朝はやっぱり別所哲也氏に目覚めさせてもらいたくなり、少なくとも「目覚めるのじゃ」が聞ける朝8時前後は聞いて、「はい!」というやりとりを密室で元気に行っています。

みなさんは?

 僕の場合通勤が続いているので、全く同じような状況の人は少ないかもしれません。でも、新たな環境になり、その環境に馴染もうとして色々な試みをしながら疲れてきたりしたのちに、落としどころはこんな過ごし方なのではないか、ということを見出だしはじめている人は多いのではないでしょうか。落としどころを見出すということは、まぁこれでやっていこうと新たな環境と自分の間に折り合いをつけるということで、それができるとやっと少しずつ環境に適応してきたと言えるのだと思います。

これから

 さて、そんな中、緊急事態宣言が解除されて、会社や学校が再開されるという話をちらほら聞くようになりました。僕が行き帰りする道路も、少しずつ車が多くなってきたように思います。再び、新型コロナウイルスが出てくる以前のせわしない日々に戻りつつあるのかもしれません。これは全ての側面において喜ばしいことでしょうか。いや、喜ばしいことのはずです。でもなんだか、そう言い切れない自分もいるような気がします。もちろん、公演や講演、店の営業など、ライブを生業にしていた人たちにとっての苦しい状況は一刻も早く改善されてほしいと心から願っているので、希望の光が見えるような動向は非常に喜ばしいです。一方で、自分の体は、この数カ月でステイホームとか自粛とか言われていた環境にやっと適応してきたところでした。それまででは考えられないくらい人と会わず、車通勤をして飲みにも行かず、家の中での過ごし方を考えて少しずつ新しいバランスを見つけてきました。

 それまでの生活は、社会の中で仕事やコミュニティとどのように繋がり、広げていくかということを多く考えていたような気がします。これは、すでに一定の生活リズムが確立されているからこそできることで、生活自体よりも、自己実現などを目指せていたと言えます。しかしこの数カ月、新しい環境になったことによって、社会の中で云々というよりひとまず、その環境に適応した生活リズムを確立することが必要になりました。自宅主体での生活をどのようにしていくかを多く考えることは、それまでよりも限られた選択肢の中でどうにか生活を充実させようと試行錯誤することなので、行き着く結果はミニマムな方向に向くはずです。確立されるまでは「揺れ」があるので不安定ですが、確立され始めると、このミニマムな方向性の生活もなかなか良いという気もしてくるのではないでしょうか。

これまで、との合わせ技?

 もしかしたら、この数カ月は我々に本当に大切なものを感じさせる期間だったのかもしれません。そんなに焦って働く必要あったのか、とか、そんなに色々な場所に行く必要があったのか、とか、日常の端々に過剰さがあったような気もします。一方で、出来なくなったことが本当に必要だったことで、元のように動けることを心から望むという形も多くあるでしょう。僕が診療で関わっている1人の人は、パートナーとカラオケに行くのが大好きだったのですが、この期間には行けなくなり、ストレスが溜まってしまって自宅で大声を上げざるをえなくなりました。その人と話すたび、その人の生命線であるカラオケが早く再開すると良いと強く思います。

 きっとこれからまた数カ月、一度馴染んだミニマムな生活から、再び選択肢の多い生活に戻っていく時期になります。元に戻るから簡単だと思うかもしれませんが、一度異なった環境に馴染んだので、元に戻るにしても新しい環境と捉えた方が良いかもしれません。自宅多めの生活から社会多めの生活に戻るのは、思いのほか疲れるだろうし、これに馴染むのにもきっと数カ月かかるのではないかと思います。この期間に、「ない」ようで「ある」揺れが生じるであろうことをあらかじめ想定しておくと、辛さを感じてもそれが謎ではなくなるので少し楽かもしれません。そして、これまでの数カ月で自分にとって大切なものが感じられたとしたら、それはこの期間の財産として残しつつ、今後の数カ月で新たなバランスの生活リズムが見出せると良いと思います。今のところ僕は、やたらめったら飲みにいくばかりが喜びではなく、自宅でぬかをかき混ぜたりすることで心の平静を保てるものだな、という体感は忘れずにいたいと考えています。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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編集部からのお知らせ

『自由というサプリ 続・ラブという薬』 いとうせいこう・星野概念(リトルモア)刊行しました!

9784898155189l.jpg『自由というサプリ 続・ラブという薬』 いとうせいこう・星野概念(リトルモア)

 この4月に、本連載『「ない」ようで「ある」』の著者星野概念さんと、『すごい論語』(ミシマ社)で安田登さんと対談された、いとうせいこうさんの対談本第2弾が刊行しました!

大好評既刊『ラブという薬』シリーズ第2弾!

いとうせいこうと星野概念が参加者のお悩みに悩み続ける、人生相談トークショウ。
青山ブックセンター本店で4度開催され、全回超満員、ついには8時間越えの「フェス」にまで広がった異例の大人気イベント「青山多問多答」が本になりました!

仕事や恋愛、人間関係、心の保ちかた・・・寄せられる相談に、ああでもないこうでもないと悩み続ける“寄合所"的イベント。
ぱっと読み「ゆるい」のに、辛い心をほぐすコツや、思いもよらぬ視点にハッとさせられるはず。
精神科医・星野さんならではの、きちんとした精神医学のターム解説も入って、内容充実です。

(リトルモアホームページより)

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