「ない」ようで「ある」

第2回

小さな神様に見えて仕方ありません。

2019.01.25更新

古事記を読む

 毎年、年末から年始にかけて、古事記を何かしらの形で読んでいます。やはり、心理臨床に携わる身としては日本人の元型を感じるべく・・・。
なーんて言いたくなるような気もしますが、全然そういうことではありません。単純に面白いから読んでいます。それと、正月の前後という時期も読む理由の一つで、お参りに対する気持ちも高まります。

 古事記を読む、というとなんだか高尚な感じがしますが、僕が読むのはかなり簡略化されたもので、それこそ子供が読むような絵物語などに近いです。それくらいでないとなんだか難しそう。でもそのせいか、読む物語構成はかなりザックリしています。これは、古事記がもともとそうなのか、簡略化されているからなのかは分かりませんが、例えば有名な話だと、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話。

 出雲の国に住んでいた老夫婦には8人の娘がいましたが、毎年1人ずつ順番に、恐ろしいヤマタノオロチに食べられてしまって、残っているのは末娘のクシナダヒメのみ。スサノオは、クシナダヒメをめとることを条件にヤマタノオロチを退治することにします。8つの頭を持つヤマタノオロチをスサノオは酒で誘い、8つの頭はそれぞれに酩酊して気絶。その間にスサノオは草薙の剣でその頭を落としていって退治したそうです。

 これ、まぁ神話ですしこんなことを言うのも野暮というか反則に近いかもしれませんが、やはり考えてしまうのは、どんな酒を飲ませたのか、ということです。だって、いくら酩酊していたとしても身体の一部が切り落とされたら覚醒するのではないか、と思うのです。8つあるといっても、首を落とされるって相当痛いはずです。そんな痛み刺激でも起きないということは、重度の意識障害を呈していると言えます。それか、最後まで起きなかったということは、急性アルコール中毒によって、首を落とされる前にすでに命を落としていたのかもしれません。そうか、よく考えたらヤマタノオロチは頭は8つですが身体は1つ。8人分の大量飲酒を1人分の肝臓で代謝すると考えたら相当負荷がかかりそうです。最初は、スピリタスのようにものすごい度数の酒を飲ませたのかと思ったのですが、そんな酒、当時の日本にはきっとないですよね。でも、8人分の飲酒を1人で代謝すると考えると、日本酒でも十分急性中毒を呈する可能性はありますね。

 とまぁ、こういう感じで、前回、物事の細部を大切にしていきたいと宣言した僕ですから、たくさん疑問が生まれます。他にも、クシナダヒメは姉たちを毎年きっと目の前で食べられていたと思うので、心的外傷は大丈夫なのか、とか、そもそも家族はどうして1年中逃げなかったのか、とか、草薙の剣は刃こぼれしないのか、とかキリがありません。

 こういう疑問は僕だけでなく、多かれ少なかれ誰でも抱きうるのではないかと思います。その時、「物語、つまりフィクションだから細部は言いっこなしだ」というように片づけがちかもしれませんが、それだと諦めていることに近いのであまり面白くありません。そうではなく、もうその世界に浸かってしまいたい、夢をみさせてほしい、というような感じで積極的に細部を放棄しつつ、その上での「遊び」として細部に突っ込みを入れてしまえる懐の深さを持つ、大味だけど魅力的な物語が僕は好きです。

 大味な外国映画で考えてみると、僕はオーシャンズ11のシリーズや特攻野郎Aチーム、XーMENなど、個性的な奴らのチーム映画は好きですが、スパイダーマンとかバットマンとか突出した個人の映画にはあまり惹かれません。これは良し悪しの問題ではなく、きっと自分の特性として、MANよりもMEN、八百万な形、和・輪を感じるもの、が好きなのでしょう。そういう形の夢をみさせてくれる物語であれば、細部はひとまず積極的に放棄して浸りたい、と自分は考えるようです。

 古事記は僕にとって、まさにそういうものです。

夢について考えている

 夢を見させてくれる、という話をしてきましたが、僕は臨床で悪夢にうなされる人の話を聞いたりしていて、夢とはなんだろうと考えます。悪夢は薬物療法などでなかなかコントロールすることができません。これについて、先日書評を書かせて頂いた池谷裕二さん・中村うさぎさんの対談書籍『脳はみんな病んでいる』の中で、面白いことが書かれていました。先端的な脳研究者である池谷さんによると、「脳は身勝手なストーリーテラー」だそうで、断片的な情報を与えられると、そこから物語を構築するそうです。

 「見る」という行為もそうで、我々は色々な物を「見る」ことができると思っていますが、実際目の網膜から入ってくる情報は0とか1のようなパルス信号のみで、それを受け取った脳が、これまでの経験などを基に情報を補完し、解釈した形が「見る」という事象だそうです。つまり、実はほとんど見えていないということで、池谷さんは「見る」というのは「信じる」に近い行為だとも書いていました。

 だから例えば幻覚を見るような人についても、それが「症状」として「異常」であるというより、何かしらの断片的な刺激によってたまたまその人の脳が問わず語りをした、とも言えるのではないかと思います。こう考えると、我々が見えているものだけが、全ての見えるはずのものではないなと思うし、「正常」とは何なのかというテーマにもぶつかります。まさに、「ない」ようで「ある」ものは果てしなく存在するなぁという感じです。

 夢についても同様です。夢は、寝ている間に脳が情報処理・整理をする過程で見るらしいといわれますが、その時の断片的な情報をきっかけに脳が問わず語りをした結果が夢という事象なのかもしれません。だとしたら、例えば悲観的にならざるをえない状況にいる人が、悪夢を見てしまうことが多いのも少し納得できるような気がします。脳の問わず語りの方向は、気分にも影響されそうですもんね。

お参りにて

 そんなことを考えながら、今年の正月もお参りに行きました。古事記を読んでいたし新年だし、参拝に対する気持ちは高まっています。神社では参道の真ん中は神様が通る道なので、参拝者は左右どちらかに寄って進みます。僕が参拝した神社では、参拝者は右側通行で、参拝する場所まで繋がる橋では、真ん中の神様の道は少しだけ高台になっていて、あぁここは歩くべきではないな、と思える形になっていました。

 敬虔な気持ちでお参り。新年のご挨拶をして、「ふぅ」と息を吐き、静まった心持ちで来た道を戻ります。もちろん右側通行。参拝に向かうたくさんの人たちとすれ違いながら進み、先ほどの橋の半分以上を過ぎた頃、「あれ?」と目を疑いました。

 橋の真ん中の少し高台になっているところ、つまり神様が通る道を小さい人が歩いています。え? 神様? 
そういえば、スクナビコナという、オオクニヌシノミコトと国造りをした小さな神様がいました。八百万の神というくらいですから、他に小さな神様がいても全然おかしくありません。 

 ちょうどその時、書評のために先ほどの書籍を熟読していた時期で、自分に「見る」ことができていないことなんてたくさんありそうだ、と考えていた頃でした。そんな自分の状況も手伝ってか、真ん中の高台の道をこちらに向かってくるのが、小さな神様に見えて仕方ありません。

 もしかしたら、古事記を読み、「見る」ことはかなわない、「ない」ようで「ある」ものに思いを馳せ続ける僕のために、神様が少し姿をあらわしてくれたのかもしれない。新年から、なんて嬉しい出来事が起こるんだ。明日もまた当直でハードだけど、これで1年間頑張れる気がする! 興奮気味の内言で脳内が満たされそうになったその時、

 「○○ちゃん、こっちおいで」

と後から歩いてきた大きい人こと、お母さんが小さな神様に呼びかけ、小さな神様こと、そのお母さんの子供は真ん中の高台を降りて、おぼつかない足取りで右側通行の列に加わりました。

 まぁそりゃぁそうですよね。ちょっとした高台の真ん中の道なんて、子供にとったら真っ先に乗ってみたくなるシチュエーションです。混雑した列に飽きて、高台に乗って歩いてみたのでしょう。

 当然といえば当然ですが、結局僕が見たと思った神様は人間の子供でした。でもそれが明確になっても「なーんだ」と残念な気持ちにはなりませんでした。むしろ、なんだか幸せな体験をしたという実感は残り、嬉しくてこうやって文章にもしています。

 この、なかなか得られない、じんわりと心あたたまる実感こそ、見えはしない神様が僕に授けてくれたものなのかもしれません。神様、ありがとうございます。

 そして、またもやぐるぐるした文章をここまで読んで下さった皆様、ありがとうございます。

 突然ですが、この第2回を終わります。

 1年間また、まじめに頑張りたいと思います。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

総合病院に勤務する精神科医。執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』がある。

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