「ない」ようで「ある」

第29回

何かを削ぎ落としてみる方向の思いつき実践に

2022.02.16更新

7号食

 2週間前頃から7号食というものに取り組みました。7号食の正確な定義は、僕はまだ把握しきれていません。調べてみると、マクロビオティックの考えに基づく食事法のようですが、マクロビオティックが何かというのもかなりふんわりとしか把握できていないのが現状なので、それらの定義は割愛というか、それぞれに深めていただきたいと思います。ひとまず僕が分かっていることとして、7号食とは、10日間玄米だけを食べ続ける食事法だということです。数年前から、友人の中でちらほら取り組む人たちがいたのでずっと興味は持っていましたが、実践をしてみるまでには至りませんでした。気になっているけど実践に至らないことって、多かれ少なかれ誰しもあるような気がしますが、7号食は僕にとってずっとそういうものでした。

 10日間、玄米だけしか食べてはいけない、というのは、玄米は食べていいということです。しかも、調べたところ、玄米と塩とごまはいくらでも食べていいと書いてあります。つまり、ごま塩玄米ごはんだけを制限なく、10日間食べ続けるということです。これを聞いてどう思いますか? 僕は、はっきり言って、余裕やな、と思いました。何しろ、玄米は好物です。普段は、なんとなく炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラル......などのバランスを考えたり考えなかったりしているので、つべこべ言わずにごま塩玄米ごはんという好物をいくらでもお食べなさい、という決まりは、むしろ楽園にいらっしゃい、と同じような雰囲気で僕には響いていました。

 でも、僕が調べたいくつかの記事の中には、7号食とは8号食まである食事療法のうちの2番目に厳しい段階であると書いてありました。一番厳しい8号食とは、食べない、というものだそうです。食べないって、もはや食事療法なのか......。これを読んで、何も食べない8号食の次に厳しいということは、自分の想像よりもずっときつい10日間になるのではないかという不安が少し生まれました。

実践

 少し生まれた不安を胸に、初日を迎えました。始まったらもちろん酒は飲めません。酒どころか、カフェインが含有されているものやジュース類も禁じられているので、飲み物もかなり限られます。僕はこの飲み物の制限を甘くみていました。初日の前日は、しばらく酒を飲めないからと思い、しばしのお別れの会を酒と一緒に催しました。つまり、結構多く酒を飲んだということです。そうして迎えた初日、午前中は前日の飲酒の影響もあり空腹にはなりませんでしたが、徐々にお腹が空いてきました。この時は、この瞬間を待っていたぜ、という気持ちで、職場に持ってきていたごま塩玄米ごはんのおにぎりにかぶりつきました。う、うまい! これならば絶対に10日間続けられる、と確信しました。満足するまでおにぎりを食べると、これまでの習慣通りに食後のコーヒーやお茶を飲みたくなりました。でも、コーヒーにもお茶にもカフェインが含まれています。紅茶やウーロン茶はもちろん、ほうじ茶でさえ少量ですがカフェインが入っているので、いわゆるお茶類は全滅。結局水を飲みましたが、習慣としていたことが急にできなくなるというのは、これほどまでに違和感があるのか、と感じました。しばらく経つとまたお腹が空いてきます。さて、何を食べようかな、ではなく、玄米ごはんしか食べてはいけません。食べれば確かにおいしい。満足感もある。でも、続けているうちになんとなく飽きていくのではないか、という不安も初日にしてすでに生まれてきていました。

 8号食の次に厳しいらしいという事前情報からの不安と、好物とはいえずっと同じものを食べ続けることができるのだろうかという不安が重なって、なんだか鈍い感じの気分が漂ってきます。不安は人間にとって大きなストレス。ストレスは発散しなければ、いろいろな悪循環につながるので、こまめに発散する方が身のためです。そういう時、僕は、甘さが少なくてカカオが多めの小さなチョコを口に放り込む習慣がありました。まさにそれをしたい瞬間。でも許されません。僕が食べることを許されているのは、玄米ごはんだけなのです。コーヒーもお茶もチョコも遮られ、早くも「あぁ、また玄米かよ」と、ありがたみを忘れそうになりながらなんとか仕事を終えて帰宅すると、今度はおつかれの一杯を飲みたくなります。別に、日々多く酒を飲んでいたわけではないのですが、1日のいろいろなことが終わると、少しだけ飲んで、心身を緩めたい気持ちになることは多いのです。でももちろんだめ。あぁぁ!

 2日目、3日目は休日で、午後から夜まではオープンダイアローグのトレーニングを受ける予定が入っていました。トレーニングの間は集中しているし、玄米はいくらでも食べて良いので空腹でもないから辛い気持ちも強くはありませんでした。辛いのは休憩時間です。集中して数時間対話のことをトレーニングしてやっと休憩というタイミング。ここは普段ならば、絶妙にコーヒーかチョコが合う時間に違いありません。でもその時は、コーヒーかチョコを摂取する代わりに、玄米ごはんをひとつまみ口に入れて噛み噛み、噛み噛み。7号食では、30〜50回は噛むことを推奨されていますが、実際玄米はかために炊けることが多いので、気づくとそれくらい噛んでいます。辛かったのは、これはコーヒーやチョコの代わりなんだよな、と思いながら玄米や水を摂ることでした。摂りたいと思うものを摂れない、なぜなら規則だから、という縛られ方は、体験してみるととても苦しい気持ちになるものでした。でも、そういう気持ちで摂られる玄米や水だって辛いよなぁと、今書いてて思います。

徐々にセカンド自分が登場

 4日目以降くらいになると、食事をしたり、仕事を終えたりと、何かをした気分になった時、コーヒーやチョコや酒で、句読点を打つように一息入れたい意識が自分にはあることにようやく気づき始めました。もちろん、嗜好品としてそれらを飲食することが、自分にとって単純に嬉しいことだというのもあります。でも、それ以上に、1日の生活の中でメリハリをつけたり、場面展開をするのに不可欠な行為だと思い込んでいたような気がしてきたのです。実はなくても大丈夫なのに、習慣によって、一息とかシメとかが必須な気になっているだけなのではないか。もちろん一息入れたり、シメたりしても良いし楽しいけど、しなくてもここちよく時は流れていく可能性があるのではないか。そんな新しい価値観に出会い始めているのを体感しました。

 そもそも考えてみれば、今回7号食をやってみようと実践を決めたのは自分です。7号食では、カフェイン類や酒は禁止されているので、規律にしばられている気持ちになって落ち込んでいました。でも、実践を決めたのが自分ということは、実はその禁止の指令を出しているのは自分とも言えます。自分で指令を出して、その指令にまた自分で抵抗して苦しんでいる。なんだ、この自作自演のような現象は! 多分ちょっと違うと思うのですが、釈迦の手のひらでぐるぐると飛び回る孫悟空のような連想がわきました。この、自作自演で苦しんでいるようなイメージを持てたことで、なんとなく自分のことをばかばかしくて愛おしい存在のように俯瞰できるようになりました。自分のことを少し上の位置で眺めるセカンド自分からは、自分のことが、思いっきり走って、転んで、泣いているこどものように微笑ましく見えるようになったのです。7号食に取り組んでいる自分をかわいいなぁ、愛おしいなぁと思うなんて全く予想していないことでした。この変化は他の人にもあるものなのだろうか。

嗅覚に変化

 こうなってくると、あぁ玄米に飽きそうだ、という思いが浮かんだ時も「そうだよね、不安だよね。でも今は玄米。あと数日! はいどうぞ、おいしいよ」といった、なんだか滑稽な自己対話をするようになり、孤立感のある取り組みの雰囲気が緩むからか、だんだん7号食が苦ではないものになっていきました。その頃からでしょうか。なんだか嗅覚が鋭敏になっていくのを感じるようになりました。7号食5日目の時に訪問診療先で、強烈にハンバーグの匂いがするなぁと思いながら話を聞いていると、「今朝はなんかむしゃくしゃしていて、朝からレトルトのハンバーグを食べたんですよ」という話が出たことがありました。診療後に移動する車の中で一緒に診療の場にいた人にハンバーグの匂いが強烈だったという話をしたら、全然気づかなかったと言われて、嗅覚が鋭くなっていることに気づいたのです。もともと僕は、特に嗅覚が強いわけではありません。むしろ、20代まで鼻血を出すことがあまりに多くて、同じ勤務先の耳鼻科の先生に相談したらその場で粘膜を焼く処置をされたというか、してもらったことがあるので、他の人よりも嗅覚は鈍感な自覚がありました。そんな自分に、嗅覚が人より強くなる変化が訪れるなんて驚くべきことでした。7号食に取り組むと、玄米が売っていないコンビニには行く必要がなくなります。5日ぶりにコンビニに入ってみると、その匂いのサイケデリックさに倒れそうになりました。こんなに強い匂いがいくつも乱立しているような感覚になるのは初めてでした。試しに、いくつかのコンビニに入ってみると、店ごとに乱立する匂いの種類が違います。ショーケースに並んでいる食品の匂いが強かったり、コーヒーの匂いが強かったり、飲食するもの以外の匂いが強かったり、本当に様々でした。

鋭敏な感覚

 嗅覚の鋭敏さを自覚しながら街を歩くと、今までになかった感覚になります。人と話しながら歩いていても、強い匂いを放つ店があったりすると、刺激が強すぎて話があまり頭に入ってこない瞬間も経験しました。この体験はこの体験で、自分には新鮮だったので楽しめましたが、生まれつき感覚が敏感な人は、もしかしたらずっとこのような状態なのかもしれません。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、それぞれで、多数の人と比べて敏感であるということは、敏感ではない自分からするとうらやましい気持ちがあります。でも、きっとそれ以上に鬱陶しかったり、混乱の要因になったりしてつらい側面が大きいことが想像できました。多数の人より敏感であるから、「過敏」という、過剰に敏感であるという言葉が生まれるわけですが、やはり多数の人と感覚が違うのは苦しさにつながることが多いはずです。少しでもその感覚を体感できたことは、これからの自分にとって、想像力が養われるとても貴重で大切な経験でした。

 なんとなく始めてみた7号食ですが、摂るものを限りなくシンプルにすることで、それまで自分の中に眠っていたというか、身の回りのものが多すぎるから埋れてしまっていた気づきを見つけることができたような気がします。調べると、ダイエットにも良いと書かれていますが、僕はそれには懐疑的でした。なぜなら、玄米を食べる量に制限はないと書いてあったからです。実際に3日目くらいまでは相当な量を食べていたと思います。でもそれは、他のものを摂れないフラストレーションの発散のために量が増えていた部分もあるようで、徐々に量は多すぎないくらいに落ち着いていって、少しダイエット効果もあったかもしれません。また、始める前は、終わった瞬間に多く酒を飲むだろうと予測していましたが、明日で回復食まで全て終わるという今現在、確かに飲みたいと思うものの、予測していたほどの飲酒への渇望はありません。

 今年はもしかしたら色々とシンプルにしてみるということを試す年なのかもしれません。なんとなく始めたということは、明確な目的や意味を見出さずに見切り発車をしたということですが、それだけに「ないようであるかもしれない」自分の中の変化や流れが関係している気がします。今後、同じような形で、何かを削ぎ落としてみる方向の思いつき実践に至る可能性は少なくないでしょう。毎回まとまりのないこの連載も、もしかしたらいずれは短歌とか、もっと文字数が減って俳句くらいまで変化したりして。いや、そんな高尚なものにはならないか。どうなるんでしょうね。みんなで見守ろう。

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星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

1978年生まれ。精神科医 など。病院に勤務する傍ら、執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。主著に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』『自由というサプリ』(リトルモア)。また、本連載をまとめた『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月にミシマ社より刊行。

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