「ない」ようで「ある」

「勘」の生成

2020.09.04更新

元刑事さん

 僕が時々勤務に行く場所に、元刑事だった人がいます。その職場では、一箇所に机が集まっていて、そこにそれぞれが座って仕事をしています。忙しさには波があるので、そこまで忙しくない時にはみなさん雑談をしているのですが、僕は時々しかその職場に行かないのでなかなか話の輪には入れず、別のことをしていることが多いです。少し前にもそんなことがありました。距離は近いので、雑談する人たちの声は聞こうとしなくても耳に入ってくる環境。話の流れや内容を把握するほどではありませんが、耳が持っていかれるような印象的な言葉は気になってしまいます。その日に気になったのは、元刑事の人の

「俺はシルエットで人をみる」

というものでした。え、どういうこと? 少し耳を傾けてみると、シルエットで相手のおおよその人となりが分かるということでした。その感性を刑事時代にも使っていたそうです。でも、

「シルエットにとらわれ過ぎて、尾行を間違えたこともある。かなり怒られた」

とも言っていました。どこまで本当なのか分からないけど、生真面目な印象の人の、こういうあっちゃ〜なエピソードって、予想外なので驚くし、惹かれます。その話を聞いていた、元刑事さんと同世代の同僚女性が、「きゃぁ、私のことをシルエットでみないでぇ〜」と言っていたのも、ほほえましいやりとりだなぁと思いました。

 それはそうと、シルエットで人をみる、というのはどういうことなのでしょうか。パッと考えると、その人のそれまでの経験から蓄積された記憶のデータベースによって、このようなシルエットの人はこういう人が多い、といった当たりをつけることのように思えます。これは理解としては大雑把ですがきっと間違っていないでしょう。先日、『僕は猟師になった』という映画を観ましたが、イノシシや鹿を専門にする猟師が森に入って、けもの道などの雰囲気から獲物の生活状況を言い当てたり、スズメを専門にする猟師が空を飛翔するスズメをみて着地場所をおおよそ見定めるなど、職人ならではの「勘」と言えるものを目の当たりにして感動しました。元刑事さんのシルエット話もきっと、この種類のものだと思います。

勘の起源

 この勘がなぜ働くようになるのかを考えてみたいと思います。ちなみに、これは僕の発想であって、何かに学んだ正しい見解というわけではありません。

 誰しも、日々、いろいろな経験を積み重ねています。その経験は記憶としてその人の中に蓄積されていきます。このような記憶は、「こんなことがあって、その時こんなことを考えて行動に移してみて、そしたらこんな感情になった」というように、言葉にできるエピソードとして記憶されるという認識があると思います。元刑事さんのシルエット話で言えば、例えば「髪の毛がくるくるな男性(僕のようなシルエット)に、質問をしていたら急に襲いかかってきて驚いたし怖かった」という感じでしょうか。このようなエピソードが蓄積されれば、いわゆる経験則というものが成立していきそうです。ただ、恐らく、記憶の蓄積のされ方は、言葉によるものだけではありません。言葉で説明できるエピソード的な記憶のされ方をする一方で、その時に感じた言葉にならない感覚も同時に身体に刻まれていくはずです。また、エピソードとしては残らないほどの瞬間的な出来事も、特徴的な感覚があったならば身体はそれを記憶すると思います。

 先ほどの例ならば、刑事さんの中には、くるくる髪の男性に質問していたら突然襲いかかってきて怖かった、ということが印象的なエピソードとして蓄積されるとともに、その時の恐怖や驚愕の感じ、不安の感じなどの感覚が身体に刻まれるはずです。身体に刻まれるというか、実際は恐らく、脳の扁桃体という部位が関係していると思いますが、ここでは身体に感覚が刻まれるというやや文学的な表現で通したいと思います。この身体の感覚は、「怖い」とか「不安」とかの言葉になる以前のものです。それだけに、本人にもはっきりと意識されることは多くありません。はっきり「今は不安だ」などと意識された時点では、既に言葉になっているのです。これが言葉にならずに、身体の感覚だけ認識される時は恐らく「なんか変な感じ」「なんか怖い」くらいの曖昧な認識になるのではないでしょうか。名前がはっきりとついていない、「ない」ようで「ある」感覚と言えます。ちなみに、曖昧な認識というのは、言葉での認識が曖昧というだけで、言葉にできなくとも感覚的に強烈であれば、よく分からないけど超怖いっぽい! という強くはっきりとした感覚になります。そして、このような名前のつかない「ない」ようで「ある」感覚の蓄積は、本人でもうまく言語化できない判断基準である「勘」の生成に大きな影響を及ぼしているような気がします。

私の勘

 僕は診療で人と会う時、なるべくたくさんの話をしたいと思います。それはその人のことをなるべく分かりたいと思うからです。きっとその過程で、その人の振る舞いや表情、口調、声色、雰囲気やそれこそシルエットの情報もキャッチしています。そして、話の内容を言葉で理解しつつ、話している最中、自分の中で言葉にならない感覚が湧きおこることも総動員して、「この人はこんな人ではなかろうか」という理解を深めようとしているのだと思います。つまり、聞いた話を言葉で論理的に整理しながら、話していて自分にこんな身体感覚が生じるということはきっとこういう人なんだろう、という勘も使っていると言えます。それまでの自分の人生の中で行われた対人コミュニケーションで経験した身体感覚をどこまで拾えるか、どこまで「あ、あの感覚!」とピンとくるかが、勘の良さの鍵になるのだと思います。
 これはまた、再診で何度も会っている人だと、なんだか今日はいつもと違うな、などのはっきりとした言葉になるに至らない違和感への気づきにもつながります。いつもと受ける印象が違う、というのは、その人と会って湧きおこってくる自分の身体感覚がいつもと違う、ということだと思います。この、自分をセンサーにするように働かせる対話の際の勘は、馬鹿にできないどころかとても大切なことだと考えています。

 これと同じような感じで、元刑事さんがシルエットで人をみる、というのは、人のシルエットをみながら湧きおこる自分の身体感覚をキャッチしているのかもしれません。多分、同時に表情とか声とか色々な要素からの湧きおこりをキャッチしながら勘を生成していると思いますが、元刑事さんの理解ではシルエットから生み出しているということなのでしょう。そして、シルエット頼りで人を判断するという自覚が強いから、尾行中にたまたま近似したシルエットの人が現れた時に間違えてしまったのかもしれません。

きつい場合

 この身体に刻みこまれる感覚が、きつい体験に基づくものの場合は、とても辛いです。災害に遭ったとか、幼少期の辛い体験があるなどの場合、例えば大きな音とか、暴力的な描写、辛い体験のきっかけになった人と似た感じの人に会うなど、様々な要因で当時の辛さに紐づいていた身体感覚は蘇ります。事実が起きたのは過去のことなのに、身体にはその時と同じような感覚が湧きおこってくるので、身体的には再体験しているような感覚になりとてもとても辛いのです。こういったことは、例にあげたような大きなことでなくても生じます。叱られたとか悪口を言われたなど、ある程度誰にでもありそうなきつめの経験でも、特定の言葉とか、何かしらのきっかけでその時の感覚が蘇ることは多くあります。人と違って特定の場所が怖いとか、近づき難いなどの感覚がある場合、過去の体験による身体感覚がもたらす勘が防衛的に働いている可能性があります。

きつくない場合

 また、このような身体感覚の再体験は、楽しかったり嬉しかったりした体験でも生じていると思います。季節の変わり目の雰囲気とか、ふと感じる匂い、音楽を聴いた時などに、なんとなく懐かしい感じがしたり、キュンとするなどの感覚が湧きおこる時があるのではないでしょうか。僕であれば、秋になるとなんとなく胸がむずむずするような感覚になります。あの独特な胸のざわつきはもしかしたら、遠い秋の初恋の体験が紐づいた身体感覚なのではないかと思っています。また、8月の後半くらいに盆踊りの音が遠くから聞こえる時も、とても懐かしいような感覚になります。これはきっと、小学生の時にワクワクしながら近所の兄ちゃんと祭りに行った感覚なのではないかとか。今挙げた僕の2例は、思い当たる経験を想像できていますが、これは分かりやすい特例かもしれません。きっと、経験が想像できず、身体感覚だけ蘇るものの方が多いと思うので、多くは「なぜだか懐かしい感じ」とか「なぜかキュンとする」という認識になるはずです。

フィクションからも

 秀逸な恋愛小説やエッセイを読んだり、映画やドラマを観たりした時、描かれている物語のような経験を直接はしたことないのに、なんだか懐かしいような、胸が高まるような感覚を覚えることも少なくないと思います。これは多分、物語としては経験していなくても、恋愛で湧きおこる色々な身体感覚は多くの人が経験しているからではないかと思います。その身体感覚を再体験するきっかけがフィクションに埋め込まれているのです。この形は恋愛に限ったことではなく、どんな設定でも同様のはずです。だから、あまりに過激で悲惨な設定やテーマの物語が広がりすぎると、それに触れることでなぜだか辛さがこみ上げるという人が一定数いるのではないかと心配になります。

マスクの中

そうそう、シルエットといえば、ここのところマスクをしている人が多いです。お互いマスクをしたまま話をしている時、特に当てようと考えているわけではないのですが、自分の感覚のデータベースから、なんとなくこんな顔の人かなと無意識的に予想していたりすることに気づきました。そして、その予想が当たったことはほとんどありません。僕は、この人はこんな人かな、という、人の内面に対する勘は、マスクをしていてもしていなくてもある程度働くのに、マスクの内面の姿形に関してはほぼ勘が働かないようです。メイクさんのように、姿形の専門家の人はこのような勘が働くものなのでしょうか。大変気になります。

マスクダブル.jpg

星野 概念

星野 概念
(ほしの・がいねん)

総合病院に勤務する精神科医。執筆や音楽活動も行う。雑誌やWebでの連載のほか、寄稿も多数。音楽活動はさまざま。著書に、いとうせいこう氏との共著 『ラブという薬』がある。

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