大地との遭遇

第16回

あおちゃんの大地創業までの物語(青春編)

2023.10.04更新

 大地の園長であるあおちゃんこと、青山繁さんはどのような人生を過ごしてきたのだろうか。子どもたちのために大地で獲れたジャガイモでフライドポテトを揚げているあおちゃんに、これまでの人生の話を聞いた。

 あおちゃんは、昭和32年(1957年)12月23日、長野県三水村(現飯綱町)の自宅で生まれた。終戦から12年が経過し、焼け野原から多くの人が立ち上がっていった時代、この年日本では岸信介内閣が成立し、上野動物園では日本初のモノレールが開通している。ちなみに、1957年に生まれた人口は約156万人で、2022年は約77万人なので倍以上の赤ちゃんが日本列島に生を受けたことになる。生まれた時あおちゃんは、母親のへその緒が首に巻きつき、かなり危険な状態であった。青山家は、父親は農協へ働きに出て、夫婦で農家として米をつくり、カイコを飼っていた。

 あおちゃんの初めての記憶は、近所の家からもらった自転車に乗っていたら田んぼの中に突っ込んで、転がり落ちた体験だった。あおちゃんの前のめりな人生にふさわしい初記憶といえるかもしれない。

 少年時代は、近所の子どもたちと野球、山遊び、川遊びに明け暮れた。川に行っては魚を獲り、山では基地を作る。腹が減ったら、近所の畑のなすやスイカを失敬していただく。常に7~8人のグループで遊び、年上のガキ大将が、子どもたちの遊びの中に秩序をもたらしていた。

 地元の三水第一小学校に入学すると、1・2年の担任は体罰を辞さない先生だった。あおちゃんだけでなく、クラスの多くの生徒が、張り倒され、鼻血を出した。当時の先生は今よりずっと権威的で、子どもたちにも「大人には逆らってはいけない」という通念があった。

 あおちゃんは勉強はそこそこに、自転車で友人たちと遊び回った。当時の道路は砂利道だったので、自転車で転ぶと膝小僧がすりむけた。また、柿の木に登れば、枝が折れて落下。腕を打ち、肘を切り、病院で縫う怪我をすることもざらだった。

 地元の飯綱中学では「人生が変わった」という経験をする。飯綱中学は、当時の牟礼村と三水村の両方からの子どもたちが通っていた。宿場町擁する牟礼村は「ハイカラ」で、一方の三水村は田舎である、そんなイメージが当時はあった(現在は両村が合併して飯綱町)。そこで、あおちゃんが出会ったのは、町(牟礼)のワルたち。小学校時代は陰気で気が小さかったあおちゃんが、彼らとの出会いの中で、変化していく。

 中学では、電気クラブというラジオを作ったりする部活に籍を置きながら、ほぼ帰宅部で過ごした。中学1年生のとき、2つ上のガキ大将に「赤ちゃんってどうやって生まれるか知ってるか」と、連れて行かれたのは、ポルノ映画。長野駅前の千石劇場で、人生初めての日活ロマンポルノを観て、喫茶店に連れて行かれると、コークハイを飲まされた。

 学校には、農家の子どもが多かったが、中には会社員や学校の先生たちの子どもがいて、家が百姓のあおちゃんは彼らに憧れたという。学校の先生や会社員の家族のお母さんは、百姓仕事をしていないせいか、小綺麗で子どもにも一目でわかった。農家の子どもたちは、土日も畑の手伝いに精を出す。サラリーマン家庭の子どもたちが土日に、遊びに出かけていく様子を見かけては「ああ、羨ましいなあ!」と思っていた。

 一方で、学校に田植えと稲刈りを子どもたちが手伝う「農繁期休業(お手伝い)」があった時代。子どもたちは、自分たちが家の仕事を手伝わないと、家の仕事がまわらないことを理解していた。

「子どもがやることがあって、家族の役に立っているということを実感できた。自分はいていいんだ、と思えましたし、親の苦労もよくわかりました」とあおちゃんは振り返る。令和の今を見ると、食洗機、お掃除ロボット、多様な家事代行サービスが発達し、子どもたちが家の仕事に関わる機会は随分減っていっているなあと思う。

 ここまでの話を聞いたところでポテトフライが揚がった。あおちゃんがベルを「カランコロンカラン!」と景気良く鳴らすと遠くの方で遊んでいた子どもたちが一斉に駆け寄ってくる。列になって、新聞紙を一枚もらうと、あおちゃんが熱々のポテトフライをその上によそっていく。天草の塩が振りかけられたポテトを僕も頬張ると、とにかく美味い! 子どもたちがすごい勢いでポテトを食べるのを、あおちゃんと眺めながら、話は彼の高校時代に突入する。

 1972年、15歳のあおちゃんが進学したのは、北長野の名門須坂高校だ。勉強だけではなく、遊びにも本気で取り組むことで有名な学校で、高校3年の夏の文化祭まで大いに遊び、そこからスイッチを入れて受験勉強に精を出す文化があった。浪人することはもちろん織り込み済みだ。須坂高校が「バンカラ」で鳴らした男子校時代の最後を経験したあおちゃんは、青春を謳歌する。麻雀、酒、タバコを部室で嗜み、先生も「警察に厄介になるなよ、お前ら信じてるぞ」と目を瞑るようなおおらかな時代だ。1限目で弁当を食べ、授業は代返して、バイクで出かけた。

 当時、あおちゃんにとって、バイクはエネルギーの象徴だった。小学生時代から、実家の野山を原付バイクで乗り回していたが、高校生のときに、念願の大型バイクを手に入れる。同級生のお兄ちゃんが世話してくれた土方の日雇いバイト(1日で2500円の給料だった)でお金を貯めた。夢にまで見たホンダCV350セニヤは15万円だった。同級生のバイク仲間と、新潟の直江津からフェリーに乗り、佐渡島までツーリングした。佐渡島では旅をしていた女性の一行と出会い、初めての恋人と巡り合ったりした。

 「イケイケゴーゴーの時代だった」と、当時の時代をあおちゃんは振り返る。7歳のときに東京五輪を迎え、社会全体に「明るく、なんでもやっちゃおうぜ!」という気分があった。みんなが今を生きているから、エネルギーが溢れていた。「人生いつもバラ色」「やったらやるだけ、いいことがある」という時代の空気感の中で、あおちゃんの精神に醸成されたのは、「人生は前に進んでOKだ!」という確信だった。

 須坂高校3年生のときの最後の半年間の猛烈な受験勉強を経て、あおちゃんは京都の大学に進学する。憧れていた京都生活の切符を手に入れたのだ。

 1975年、18歳の春にあおちゃんが引っ越したのは、二食付きで1ヶ月2万5千円の学生寮だった。2段ベットが並ぶ4人部屋で、朝6時の点呼から夜10時の就寝の点呼まで、規律の厳しい生活で京都生活をスタートさせた。大学までバスで2時間かかることから、朝の6時台に出発することはざらだった。寮での厳しい上下関係にも辟易し、2年生になると京都市北区のアパートへ引っ越す。月1万9千円、4畳半一間、共同炊事場、共同浴場で、自炊の生活がはじまった。

 あおちゃんは大学時代も、バイクで駆け抜ける。大学2年の19歳の夏休み、日本一周の旅に出発した。山ほど土方のバイトをしてスズキGS750(35万円)を手に入れ、寝袋と米と塩、ダイエーで買ったコーヘルを荷物に積み込みこんだ。ガソリン代は別で10万円しかお金は使わないと決め、約1ヶ月の旅だ。京都から、山陰を抜け九州、四国、京都に戻り、長野、東北、そして北海道を一周、仙台から東京、そして熱海から東海道を京都へ帰った。夜はバス停で夜露をしのぎ、寝袋で野宿した。あおちゃんにとって「どこでも暮らせる、生きていけるという」という原体験の旅になった。

 あおちゃんが日本一周をしていた1976年、世界はどんな時代だったのだろうか。スティーブジョブズがアップルを創業している。植村直己が、1万2000キロの北極圏犬ゾリ横断を達成した。南北ベトナムが統一され、毛沢東が死んだ年だった。ちなみに日本にマクドナルド1号店が銀座にオープンしたのは、1971年。あおちゃんは大学生になってから、初めてのマクドナルドでマックシェイクを飲んだときに、「こんな美味いものがこの世界にあるのか!」と衝撃を受けたという。当時のあおちゃんは、とにかくバイクが大好きで有り金の多くをバイクの改造につぎ込んでいた。

 1978年、大学4年生の冬、あおちゃんは大学時代の総仕上げにバイクでオーストラリア横断の旅に出発する。長野の地元では、連日連夜の壮行会でまるでもう二度と帰ってこないのではないかという家族や友人たちの見送りようだった。京都では多くの友人たちが出立前に寄せ書きを寄せてくれた。あるとき、あおちゃんが友人宅で寄せ書きを書いてもらっていたときに、女の子たちが何人か居合わせた。彼女たちも旅の安全を祈って、寄せ書きをしてくれたのだが、このうちのひとりが、あおちゃんと結婚することになる、のんたん母さんこと青山伸子さんだった。このとき、ふたりは特に深い話をすることもなく別れる。

 大学にオーストラリアのパース出身の先生がいて、現地の弟を紹介してくれたのがきっかけになり、旅の出発点はパースになった。あおちゃんにとって、生まれて初めての飛行機だ。日本航空のクアラルンプール行きの飛行機に乗り込むと、意気揚々と日本人乗客と盛り上がるあおちゃん。ところが、乗り継ぎのクアラルンプールからパースへの飛行機には日本人は自分ひとり。一気に心細くなって、思わず涙が出た。パースの空港では先生の弟が迎えに来てくれ、モーテルに案内してくれた。現地でバイクを調達したり、旅の準備をはじめるも、いきなり現地の水にあたり、下痢に苦しむことになり、あおちゃんは毎晩泣いたという。

 現地のパースホンダで手に入れたのは、XL120Sというバイクだ。あおちゃんの装備は、ダイエーで購入した6980円のぺらぺらのテント、水とガソリン20リットル、米と塩、折り紙とオーストラリアでは珍しい穴の開いている硬貨5円玉。出で立ちは、お祭りの法被(はっぴ)をまとい、必勝のハチマキ、バイク仲間からもらったヘルメットだ。出発の朝に、モーテルの隣の部屋に泊まっていた日本人電気技師の原輝男さんと出会う。原さんは夫婦でオーストラリアに住んでいた。「僕、メルボルンに住んでいるので、遊びに来てください」という原さんにびっくり。今回のあおちゃんの旅のゴールはメルボルンだった。ふたりは、メルボルンでの再会を期して別れ、あおちゃんは出発する。

 走り出してから、約1週間は孤独な旅だった。夜、ひとりでキャンプを張っていると日本を思い出し泣いた。そんなある日、日本人バイカーとあおちゃんはすれ違う。橘康夫さん、55歳。会社をリタイアして、念願のオーストラリアツーリングに出かけた。オーストラリアのど真ん中で、日本人バイカー同士の出会いに、あおちゃんは大いに元気をもらう。

 元旦は、オーストラリア大陸の中心にある町アリススプリングで迎えた。キャン地で一緒に宿泊していた外国人キャンパーたちとの宴会は、大いに盛り上がる。20代後半の彼らは学生をしている人が多く、彼らが語る真摯な夢に心動かされる。彼らには、国に帰ったら、どんな仕事をして、社会に貢献していくかという目標があった。翻って自分は何がしたいのだろうか。当時、大学を次席の成績で卒業する予定だったあおちゃんは、指導教授から大手銀行への就職を斡旋されていた。

「これでいいのか? 人生?」あおちゃんの問いは深まった。

 その後も旅は良き出会いに恵まれた。とある学校に招かれた時には持参した折り紙が大活躍して、大盛り上がりした。メルボルン直前でバイクが故障するというトラブルに見舞われるも、なんとかゴールの町に到達した。

 メルボルンでは、あおちゃんはパースで出会った原輝男さんと再会する。原さんはあおちゃんとの再会を心から喜び、弟のように大事に歓待し、1週間家に泊めてくれた。その後、ニュージーランドを3週間ほど走るとようやくあおちゃんは帰国の途についた。オーストラリア横断は、あおちゃんにとって人生の恩人とも言える人たちとの出会いで彩られた。

「あんなによくしてもらったのだから、いつか恩返ししたい。その人に恩返しできないならば、ペイフォワード、次に渡したい」というあおちゃんの人生のモットーはこの旅が原体験だ。

 こうしてオーストラリアから帰国したあおちゃんの心境は、

「人生変えるぞ。自分の大好きなことを見つけていくぞ。それはバイクだ!というものだった。

 このときには、まだ幼児教室の「よ」の字もない・・・いったいこのあと、あおちゃんに何が起きて大地創業に至るのだろうか。あおちゃん、22歳のときだった。

税所篤快

税所篤快
(さいしょ・あつよし)

19歳のとき、失恋と一冊の本をきっかけにバングラデシュへ。同国初の映像授業プログラムe-Educationを立ち上げ、最貧の村ハムチャーから国内最高峰ダッカ大学への合格者を10年以上輩出する。その後、中東のパレスチナ難民キャンプやガザ、アフリカのルワンダやソマリランドなどでプロジェクトを展開。2016年、人生に迷い、リクルート入社。売上ゼロのまま木更津で消息をたち、エチオピアで発見される「税所アフリカ脱走事件」など数々の逸話を残す。2021年、地域おこし協力隊ゼロカーボン推進員として、長野県小布施町へ。著書に、『前へ!前へ!前へ!』『最高の授業を世界の果てまで届けよう』『突破力と無力』の青春三部作。『若者が社会を動かすために』『未来の学校のつくりかた』『僕、育休いただきたいっす!』の社会人三部作などがある。

写真:五味貴志

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