第27回
ドイツで「大地」に出会う
2024.07.01更新
妻のゆかこに、3人の息子たちを約10日間見てもらい、ドイツへ出かける相談をした。ドイツ、ザールラント大学に教授として赴任した友人のともさんを訪ねて、留学の下見をすることが一番の目的だ。現地のキャンパスはもちろん、住宅や幼稚園、生活費の事情などを、調べること。そして、少し足を延ばして、シュタイナー教育がはじまったシュツットガルトを訪ねる。できれば、さらに足を延ばして、シュタイナー研究の総本山、ドルナッハへ行きたい。そこにいる東海大学の小貫大輔さんの親友、まささんに会いたいと計画した。友人からは、「ひとりで海外に出かけるなんて、奥さんに恨まれるぞ~」と脅かされていたので、心配したが、妻は快く送り出してくれた。
成田発China Airline、台湾経由、フランクフルト行きは、2023年5月15日に飛び立った。普段子どもたちと一緒に行動することが多いので、一人旅の楽さに涙が出そうになる。飛行機は無事にドイツに到着。フランクフルトから現地のドイツ鉄道RE3に乗り込むと、約3時間でドイツの西南ザールラント州の州都であるザールブリュッケン駅だ。車窓からは、緩やかな丘陵、小川、牛や馬、そして風車と、美しいドイツの田園風景が広がる。ザールラント州は、ドイツでも一番小さい州として有名で、そのすぐ隣はフランスだ。ドイツの中でも、最もフランスの香りが街並みに漂うという。
現地のザールブリュッケン駅に到着すると、ともさんが迎えに来てくれ、キャンパスを案内してくれた。緑豊かな丘の上にあるザールラント大学は、ヨーロッパでも有数のコンピューターサイエンス研究拠点だ。そこに、若くして教授職で迎えられたのは、ともさんのこれまでの研究の成果と実力だろう。子育てをしながら、睡眠時間を削り、研究を積み上げてきた話は、彼をアメリカに訪ねた時から聞いていたので、頭が下がる。ともさんのザールラント大学での授業は、すでに大人気で受講生が殺到していた。
ザールラント大学の本丸とも言える「コンピューターサイエンス学部」は、モダンなデザインの瀟洒な建物で、歩いている学生の人たちも、切れ者に見える。インド人やアジア人の学生の姿もあった。その「瀟洒な建物」に比べると、だいぶこぢんまりとした、少々古びた建物が、僕が志望する「エドテック(教育とテクノロジー)」の拠点とする建物だ。エドテック修士課程で学ぶ慎太郎さんと、パートナーのアメリーさんにも話を聞いた。小学校の教員を経て、渡独した慎太郎さんは、修士課程での学びの内容や、現地での暮らしについて話を聞かせてくれた。この二人は、のちに僕たちがアパートを見つける際に、大いに力を貸してくれることになる。
ともさんが、大学の中の幼稚園も見せてくれた。大学教職員向けの幼稚園と、学生たち向けの幼稚園の二つが備わっていて、ここに息子たちが通えたらどんなに素晴らしいだろうと思った(のちに、現地で幼稚園の席を探すのは容易でないことを知る)。ともさんと、パートナーのるみさんとザールブリュッケンの街の広場でお茶をした。カフェラテを飲みながら、この地で勉強しながら、いろんな人に出会い、世界を見渡したら、どんな風景が見えるのだろうと想像すると、ワクワクが抑えられなかった。るみさんは、「税所さん、絶対合格してね!」と激励してくれる。僕の中で、腹は決まってきた。
「ここで学ぶために、家族で海を渡るぞ!」
ともさんたちに見送られ、シュタイナー教育発祥の地シュツットガルトへ向かった。ザールブリュッケンから特急に乗り、商都フランクフルトで乗り換え、約4時間。現地では、大地の保護者仲間のひとり、はやかさんの大学時代の同級生、智子さんがシュタイナー幼稚園の先生をしているという。早速、智子さんとお会いして、現地の話を聞き、シュタイナー教育を学んだ話を聞いた。智子さんは約10年前に、シュタイナー教育を学ぶために、6歳と7歳になる子どもたちを連れて渡独した。子どもたちをシュタイナー学校に通わせながら、ドイツ語で、シュタイナー教育を学ぶ課程を修了する。幼稚園教員の資格を得て、現在も幼稚園で教えている。
現地で、ドイツ語を習得するまでのハードな勉強の様子を聞き、僕は若干震え上がった。大人になってから、新しい言語をものにするというのは、とてもチャレンジングであり、それ相応の覚悟が求められる。まして、家族で渡独し、家族で生活しながらであれば、荒波もひとしおだろう。ただ、智子さんの口からは、ドイツでの素晴らしい友人たちとの出会いや、濃密なシュタイナーの学びの様子が、充実感に満ちた様子で語られた。智子さんの子どもたちも、10年シュタイナー学校で学び、今では頼もしく育ち、成人の手前の年にいるという。智子さんの体験談に、僕は大いに励まされた。
智子さんとランチを食べながら意気投合し、次の予定の場所まで案内してもらうことになった。シュツットガルト中心部から丘を登っていくと、ルドルフ・シュタイナーがはじめた一校目であるシュタイナー学校が見えてきた。流線型の独特のデザインが目をひく。ここにある一群の建物を擁する敷地が、シュタイナー学校や、教員養成などを実施する教育の拠点になっている。僕は、こちらの学校で働く知人を訪ねに行った。待ち合わせは、丘のさらに上にある園庭だ。僕は、歩を進めるたびに、不思議な既視感にとらわれた。
「大地に似てる・・・」
園庭に隣接する校舎の横には、薪がうず高く積まれていた。そこだけではなく、園庭のところどころに薪棚が置かれている。教室の使い古された薪ストーブ。壁、天井、椅子、棚と木材がふんだんに使われ、居心地がいい空間。そこから眺める外の緑のまぶしさ。よく手入れされた美しい園庭には、花花が咲き乱れている。園庭の作業部屋には、長靴、モップ、薪や木の切れ端、大工道具などがびっしり並んでいる。そのひとつひとつの景色が、僕に大地での風景をフラッシュバックさせた。
「ここ、大地じゃん・・・」
園庭の子ヤギたちとたわむれながら、僕は思わずつぶやいていた(大地には、子ヤギはいません)。
丘の上からは、シュツットガルトの街並みと美しい丘陵が見渡せた。はるか遠くにつながる線路の上を列車が走っていく。気持ちいい風を感じながら、僕は知人との会話を楽しんだ。ルドルフ・シュタイナーは、この地でシュタイナー学校を創設した。その想いは、いま世界中に広がり1000校以上が、教育を実践している。はるか遠く、日本信州のあおちゃんも、自分が立ち上げた学び舎に、シュタイナーの息吹を吹き込んだ。僕は、あおちゃんは信州のDNAとシュタイナーからのインスピレーションを融合させて、「大地」を夫婦で、仲間たちで練り上げていったのだと思う。だから、僕が、シュタイナー学校創設の地を訪ねると、そこに大地で感じたのと似た「気持ちよさ」を感じたのかもしれない。
(旅は、小貫さんの親友、まささんを訪ねる回に続きます)