第38回
川内有緒さん、山小屋へ!
2025.06.04更新
川内有緒さんが小布施にやってきたのは、長野に引っ越してから2年目の時だった。ノンフィクション作家として活躍する有緒さんを、小布施町図書館テラソでの文章ワークショップの講師としてお招きしたのだ。テラソは、図書館長の志賀アリカさんを中心に、意欲的な催しを次々に企画していた。今回のワークショップも、有緒さんが来るということで、席はあっという間に埋まった。有緒さんに会うために、東京からやってきた参加者の方も少なくなかった。
参加者は、事前に自由テーマでエッセイを書いてきていた。そのエッセイを有緒さんに読んでもらい、その感想をもとに「文章をよくするには?」と、みんなで考えた。僕が一番手に文章をみんなに読んでもらった。最近、二人の息子を乗せて、東北をぐるりとドライブした旅の文章だ。有緒さんは、僕の文章を題材に、どうやったら、僕の文章がより読者に伝わりやすいか、じっくり解説してくれた。そして、その後は、他の参加者たちのエッセイへ。みんなで、それぞれが書いたエッセイを共有し、プロの作家と一緒にブラッシュアップを考えるというとても贅沢な時間だった。
そもそも僕が有緒さんの本を読んだのは、アフリカの未承認国家ソマリランドに滞在していた時だった(詳細は拙著『突破力と無力』に詳しいです)。『バウルを探して』という、バングラデシュの伝説の吟遊詩人を訪ねた有緒さんのルポを読んだ。最高に面白い本だ。ひとつの旅を、濃密な文章に紡ぎあげる有緒さんの筆力に圧倒された。有緒さんは、旅で起こった一瞬一瞬を愛おしむように、文章を書いた。そのスタイルに、僕自身、刺激を受けた。僕がバングラデシュを拠点に活動していたこともあって、彼女が見た風景をありありと想像できたことも楽しかった。
僕は有緒さんに感想をソマリランドから送った。ありがたいことに、有緒さんからお返事が来た。当時、連載を書いていた雑誌ソトコトの担当編集の方が、僕と有緒さんの対談をセットしてくれた。こうして、一時帰国の折に、お会いしたのが初対面になった。それ以来、僕は有緒さんの人柄に魅せられ、折に触れて訪ねることになる。
その後も、有緒さんは意欲作を続々と出版。パリの国連職員時代を綴った『パリの国連で夢を食う。』、地球規模の冒険と友情がテーマの傑作『空をゆく巨人』、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』など。どれもが、有緒さんのすさまじい取材と集中力の密度を感じる作品だ、僕は読むたびに新しい世界の観方を教えてもらった。
さて、妻のゆかこが妊娠した時に、その報告に有緒さんを訪ねた。
「育休絶対とったほうがいいよ~!」という言葉に、衝撃を受けた。
「そうか、育休か!」と、僕は膝を打ち、妻と相談して、一年間の育休を取得することにした。「せっかくだから、その体験書いておきなよ~!」と、有緒さんに言われたのをきっかけに、スタジオジブリの小冊子「熱風」で、連載『僕、育休いただきたいっす!』をスタート。「熱風」とのご縁をつないでくれたのも、有緒さんだった。この育休をきっかけに、僕の人生観は大きく変容していくことになる。最終的には、長野への引っ越し、大地との出会いにつながっていく。だから、有緒さんは、この連載「大地との遭遇」の源流のひとりと言えるかもしれない(詳細は、書籍化された拙著『僕、育休いただきたいっす!』に詳しい)。
というわけで、自分で書いてきて、有緒さんから受けた影響の大きさに驚いている。僕たちはテラソでのワークショップを終えると、小布施の名物中華料理屋「橙」で昼食を囲んだ。そして、一路、われらが山小屋のある信濃町の大学村へ向かう。途中スーパーでカレーの材料とバーベキューで焼く食材を調達した。湖畔の森の中にたたずむ山小屋に到着すると、小布施の仲間たちも続々と集まってきた。みんなで、カレーの準備をして、薪火に網を張ってバーベキューをはじめた。
夜のとばりがおり、森の静けさのなか、ぱちぱちと薪火が燃える音が響く。僕たちは火を囲んでカレーを食べて、語らいの時間を過ごした。この夜をきっかけに、有緒さんとの出会いで、何人かの人生が大きく動くことになる。たとえば、東京方面からわざわざ駆けつけてきた17歳の高校生Sくんは、薪火の炎を見つめながら、自分が感じる生きづらさを有緒さんに吐露した。有緒さんは、炎を見つめながら、Sくんの言葉を受け止めて、彼女らしい言葉を返していた。
僕は、Sくんの表情から、有緒さんからの言葉が、彼の中に染み込んでいっている様子を感じた。この出会いをきっかけに、Sくんは、有緒さんが共同監督を勤めた映画作品の上映会のアシスタントとして活躍することになった。もうひとり東京から参加していたHさんは、縁あっていま有緒さんの隣の家に住んでいて、家族ぐるみの付き合いを続けている。こうして振り返って書いていると、有緒さんの人間としての不思議な影響力に思いをめぐらさざるを得ない。あれだけ密度の濃い本を書く人なのだ。著者自身の身体に、ぎっしりと魅力が詰まっていないと書けるわけがない。
フクロウが鳴く森の中、薪火が消えるまで、語らいの夜は続いた。こうして、川内有緒さんの小布施と山小屋訪問は、僕たちにとって忘れられない時間となったのだった。