第1回
小布施に引越して、ある山の上にある保育園に出会った
2023.02.15更新
3つの選択肢
32歳の夏、僕は長野の小布施町に引っ越した。
東京の日当たりの悪いアパートとはおさらばした。新居は、小布施町の東側にある。2LDKで6万円。文京区で払った家賃の半分で、部屋がひとつ増えた。今度は日当たりも、風通しもいい。なにより窓からは、北信五岳の、山々が見渡せる。そのユニークな山の形は、東京から来た僕にとっては新鮮そのもので、映画アバターに出てくる山のように見える。部屋を吹き抜ける風は、緑と土の匂いがする。
歩いてすぐの新生病院は、もとは結核の療養所だったという。カナダ人のスタート医師が、カナダの人たちの義援金をもとに立ち上げた医療機関だ。当時、結核は不治の病で、療養所を建てる計画はさまざまな自治体で提案されるも断られ続けたそうだが、小布施の当時の町長が設立を英断した。今では地域の頼れる総合病院であり、素晴らしいお庭は息子たちの散歩コースだ。
東京の文京区のアパートには結婚してから3年半住んだ。20歳の前後から海外を歩いてまわり、日本に帰ったときには東京の足立区の実家を住処にしていた僕にとって、生まれて初めて自分の名前で借りた物件だった。歩いてすぐのところに谷根千の名物書店「往来堂」があり、打ち合わせや読書に最高の喫茶店「ルオー」もあれば、銭湯「ふくの湯」でひとっぷろ浴びるのも気持ち良い。近所には頼れる友人や編集者が住んでいて、自転車で15分もこげば、神保町の書店街にもアクセスできた。都会生活を満喫するには完璧の立地だった。
しかし、コロナをきっかけに、ビルに囲まれて夕陽が見えない生活にストレスを感じるようになった。本郷通りの車の音や、隣人のOLのお姉さんからの子どもの声への苦情にも落ち着かなくなった(詳しくは拙著『僕、育休いただきたいっす!』(こぶな書店)をごらんください)。
小布施町には志賀アリカさんという友人が住んでいた。志賀さんは、小布施町の図書館テラソの館長として、さまざまなプロジェクトに取り組んでいる。志賀さんは高校生の時から国際協力のプロジェクトに活発に取り組んでいて、その頃に僕は知り合った。志賀さんを小布施に訪ねたのはGWのことだった。新緑の小布施は美しく、吹いている風の気持ち良いことといったら。志賀さんと雑談をしながら、近況報告をした。志賀さんの話によれば、小布施町では、環境の事業を本格的に立ち上げるにあたって、地域おこし協力隊として人を公募しているという話になった。僕は、心が湧き立つのを感じた。
「小布施に来て、新しい環境のプロジェクトに取り組んでみる。うん、なんだかワクワクするぞ」
その思いを後押しするように、僕の友人が小布施に続々と引っ越してきていた。コワーキングスペースを主宰する塩澤耕平さん。ガーナから帰国して、小布施の学校現場に携わる遠山宏樹さんなど。同世代のメンバーたちが10名ちかく元気に活動している町の様子に僕は触発された。
いくつかの懸念はあった。まずイギリスの大学院シューマッハカレッジの修士課程から合格通知をもらっていた。イギリスの片田舎で畑を耕しながら、次世代の暮らしや経済を学べる研究生活も魅力的だった。
サラリーマンとして働いていたリクルートを辞めること自体にも逡巡があった。僕はもうかつてのように独身ではなく、二人の子どもの父だった。小布施の地域おこし協力隊のポストは毎月の給料は22万5千円だった。手取りにすると、年金や健康保険、住民税がさらに引かれてしまう。しかも、あと1年間働けば、勤続5年以上の特典で、退職金として1年分の年収が付与される早期退職制も利用できる。今は辞めるべきタイミングではないのではないか。
千駄木の友人に相談してみたところ、「リクルートの退職金も魅力的だけど、行きたいところがあるのに、お金のために我慢して働く1年って、あつにとってしんどいのでは?」と、本質的な言葉が返ってきた。僕は、500万円近いお金を1年間我慢して働いて得るのか、いま魅力的な方向に進むのか、1週間ちかく悩み、最後にはエイヤと「いま行きたい方に行く」ことにした。
残った選択肢はイギリスのシューマッハカレッジか小布施か。まったく違う選択肢に見えるが、共通点は多かった。シューマッハカレッジのあるトットネスはロンドンから電車で4〜5時間、小布施も東京から電車で3時間ほど。要するに僕は、都会よりは田舎に行きたいようだ。シューマッハカレッジで学ぶテーマは、「これからの持続可能な経済、社会、教育をどうつくっていくか」。小布施の仕事のテーマも「これからの地球のために、小布施の暮らしや、経済をどう変えていくか」だった。
そうであれば、気分で選ぶしかない。いま自分は「研究」したい気分か?「実践」したい気分か? 僕は、「実践」したい気分だった。なので、小布施に行きたいと思った(ちなみに妻はUKでも小布施でもどちらでもいいと言っていた)。
僕は小布施の仕事の応募書類を投函し、職場の上長に退職を考えていることを伝えた。在職6年間のうち、1年半も育児休業を取得させてくれた素晴らしい職場だった。上長たちは、僕の決断を快く応援してくれた。
小布施でアパートを決めに行ったのが5月の下旬だった。住居と同時に、子どもたちの保育園をどうするのか。小布施町に住む友人の大宮透くんに相談すると、「町にある保育園、幼稚園も素晴らしいけど、車で少し行ったところに、とてもユニークな保育をしているところがあるよ」という答えが返ってきた。たしかに町にある保育園も東京では中々ないような広々とした園庭をもった素晴らしい園だと見学してわかった。しかし、僕の中では、どうも大宮くんのいう「ユニークな園」というのが気になった。
東京で一通り保活を経験した僕たち夫婦は、いかに保育園に合格するかの重要性は身にしみてわかっていたが、ユニークな保育施設を選択肢に持つという経験はしたことがなかった。僕はワクワクを抑えきれずに、その「ユニークな園」の名前を大宮くんに聞いた。
「大地だよ」
それが、僕がその後、自分の世界観を大きく揺るがすこととなる保育園との邂逅だった。
自作の園舎
大宮くんから「大地」の名前を聞き出した僕は、さっそく園に電話して見学を申し込んだ。園長の青山さんは見学を快諾してくれ、僕たちはさっそく、小布施から車を走らせた。小布施の隣町、飯綱町のまっすぐに伸びる気持ちのいい道を突っ切り、リンゴ畑の丘を登ったところに大地の入り口はあった。
入り口には、登山口のように木の道標がささっていて、「認定こども園 大地」とある。丘の上からは、信州の山々が大パノラマで広がっている。さすが、長野! こんな自然に囲まれた園があるのか。道標から緩やかな下り道が延びている丘を歩いていく。道の両側は、リンゴの木々に囲まれていて、奥のほうに緑の大きな園舎が見えてきた。園舎というか、スキー場にあるロッジといったほうが近いかもしれない。まぶしい緑の木漏れ日のなか、大地の園舎は堂々と僕たちを迎えてくれた。
それにしてもなんてロケーションだろう。園舎の前には広大なスロープが丘の下まで続き、芝生が広がっている。木々には様々な遊具がぶら下がっていて、子どもたちに遊び慣らされているようだ。いくつかの場所に焚き火場のような火を囲めるスペースがある。丘の中腹に位置するこの園は、平らなところがとても少ない。ガンガーと呼ばれるガレージには、ショベルカーなどの重機や、スキーの板などが並んでいる。と思えば、キッチンも併設されているし、すごい量の薪が積み上がっている。ガンガーのはす向かいにはなぜか五右衛門風呂のようなものまで。
「一体ここはなんなんだ・・・」
僕にとって長男と過ごした東京の保育園は、本郷通り沿いにある雑居ビルの1階で、園庭すらなかった。そこに僕は2年間息子と通った。この豊かな環境に比べれば、まるでミニチュアではないか・・・。
青山園長(あおちゃん)がにこやかに園内を案内してくれた。スキー場のロッジのような園舎は、なんと青山園長が、幼児教室を立ち上げた約30年前に大工さんたちに教わって自作したという。当時、今の僕と大体同い年だった青山園長は、東京、長野で保育士経験を積んで、郷里の飯綱に帰ってきた。実家のリンゴ畑を切り拓いて建てたのが、大地だ。当時、建築計画を渡して大工に見積もりを依頼したところ、「1億円かかる」と返答があったそうだ。「材料費はどのくらい?」と青山園長が聞くと、「3千万円」という。「それであれば、自分たちで建てたほうがいいじゃん」と3年間の月日を使い、時に大工さんに指導を仰ぎ、難しい施工場所を手伝ってもらいながら、大部分を自分の手で建ててしまったのがこの園舎だという。僕が何より驚いたのが、青山園長のこの言葉だった。
「自分で建てるプロセスが一番、勉強になった」
かっこよすぎるではないか。僕は、この人は「とてつもなく面白い人なんじゃないか」と直観した。聞いてみると、大地にあるもの、建物から様々な遊具まで、その大部分は青山園長らの自作であるという。別館で、大地の図書館的な役割の「ののはな文庫」ものぞかせてもらった。そこには、青山夫妻が、東京子ども図書館で松岡享子さんらに学び、その学びの実践が積み重ねられた、読み聞かせと物語・ファンタジーがいっぱいにつまった空間だった。5000冊の蔵書がどれも魅力的に並んでいる。2階には園のゲストが宿泊できる部屋もあり、松岡先生も宿泊され五右衛門風呂楽しんだという逸話も教えてもらった。
ちなみに青山園長が好きな作家はアラスカで活動された星野道夫さんで、ののはな文庫には特別な場所に「星野道夫コレクション」が鎮座している。僕にとっても星野道夫さんは大好きな作家だ。僕は、星野道夫が好きだという共通点だけで、青山園長はきっと「信頼できる人だ!」という気がしてしまった。
春夏秋冬、山に抱かれ、山に遊ぶ。水田、畑、果樹園に囲まれ、大地で定期的に出される給食は、減農薬で気を遣って育てられた米や野菜、果物だ(通常はお弁当)。子どもたちにこそ、最高に豊かな体験をしてもらいたいという青山夫妻の思いが、てんこ盛りになったこの空間・・・僕は渡辺京二さんが『逝きし世の面影』で、江戸のころは子どもの楽園だったことが書かれた章を思い出した。
「子どもの楽園はここにあったや」
編集部からのお知らせ
税所篤快さん『僕、育休いただきたいっす!』
(こぶな書店)のご紹介
小布施に引っ越す前、長男のたかちゃんが生まれてからの1年間、育児休業を取得した日々をつづった『僕、育休いただきたいっす!』は、2021年のこぶな書店から出版されています(元の連載はスタジオジブリ「熱風」)!