第39回
人生の時間こそが宝物
2025.07.01更新
野中ともよさんが、大地にやってきた。野中さんは、NPOガイアイニシアティブの代表として、世界中を駆けまわって活動している。元々、テレビキャスターとしてお茶の間の人気者だった野中さんは、その後、経営者として活躍。三洋電機の社長として、時代に先駆け「シンクガイア」をビジョンに掲げ、充電可能な電池「エネループ」など画期的な製品を開発した。僕が野中さんに出会ったのは、学生時代だ。相棒の三好大助君と様々な事業に挑戦していた時に、相談にのってくれたのが野中さんだった。僕や、同世代の仲間たちは、野中さんのことを敬愛をこめて「ともよおかん」と呼んでいる。その後、僕の親友の二人である宮川卓也君と鈴木翔太君が主宰した『ワールドシフト大阪』でも、ともよおかんとご一緒した。ともよおかんは、僕の人生の要所要所で、大事な言葉をくれる人だ。
今回は、僕がゼロカーボン推進員を務める小布施町役場が主宰する「小布施環境フォーラム」の基調講演のために、ともよおかんを長野にお招きした。僕が新幹線を降りたおかんを真っ先に車で連れて行ったのが、大地だった。ともよおかんは、大地の丘に吹く風の気持ちよさに、早速感動していた。園舎では、あおちゃんが、おかんを出迎えた。テレビキャスターで活躍していたころから、あおちゃんは、おかんを知っていたので、歓迎してくれる。大地を案内しながら、あおちゃんと、ともよおかんは意気投合しているようだ。その後、ののはな文庫のテラスに、ちゃぶだいを出して、お茶の時間となった。テラスからは、限りなく青い5月の空が広がり、信州の山々がそびえているのを展望できる。そこで飲むお茶は格別だった。スロープには、大地5月の名物「巨大鯉のぼり」が、何匹も空を泳いでいる。大地の「鯉のぼり」は、中に入ったり、くるまって遊ぶことができるのが特徴だ。テラスから眺めていると、妻のゆかこが、子どもたちと一緒に、鯉のぼりにくるまって遊んでいるのが見えた。ともよおかんは、僕にしみじみ言った。
「あつ。時間こそが、あなたの人生で最大の財産なのよ。だから、仕事なんてどうでもいいから、子どもたちと、家族との時間をとにかくたいせつにしなさい」
これは、常日頃から、あおちゃんから言われていたメッセージと一致していた。二人が意気投合するわけだ。思えば、僕が2年間の大地での生活で味わったのは、この言葉を腑に落とすための体験だった。東京から長野にやってきて、保育園は子どもを預かってもらうところから、一緒に遊ぶための場所に変わった。これは、税所家にとって「革命」とも言える出来事だった。大地では、子どもたちと、丘を歩き、木に登り、雪上を滑り、星空の下で眠った。料理をして、みんなで食べて、火を囲み、物語を語った。お祭りでは歌い、踊り、山頂で刀を抜き、朝6時の日の出をみんなで迎えた。もし、「時間」こそが人生で最大の財産であるならば、この2年間は、僕たちはそれを謳歌したと言えるだろう。東京で仕事と育児のワークライフバランスに悩んだ経験を経たからこそ、この大地での生活の、まぶしさ、鮮やかは際立ったのかもしれない。
「人生の時間こそが宝物」。これが僕が大地から受け取った一番大きなメッセージだった。このことを、物語を通して書き続けた作家がドイツのミヒャエル・エンデだ。代表作の『モモ』は、灰色のおとこたちに、人々の時間が吸い取られていく世界を、主人公のモモが仲間と一緒に突破していく物語だ。会社員時代に、上司のスケジューラを見て、15分から20分刻みで、一週間の時間が埋め尽くされているのを見て、ぎょっとしたのを今でも覚えている。なんで僕たちの「人生」が、テトリスのような四角いコマに征服されなければいけないのだろう。
『モモ』を読んだとき、僕のモヤモヤは打ち破られた。そうか、あれは「灰色のおとこたち」の仕業だったのだ! そして、あおちゃんが、はじめての星空キャンプで連れて行ってくれたとっておきの場所が、大地がある飯綱町のお隣、信濃町の黒姫童話館だった。正確には、あおちゃんが連れて行ってくれたのは、黒姫童話館の前に広がる広大な丘陵地帯だった。黒姫山と妙高山に抱かれたその丘は、どこまでも見晴らしがよく、子どもたちは見るなりに駆けだした。ここにある「黒姫童話館」は、世界でも有数のミヒャエル・エンデの貴重な資料を保管・展示していることで有名だ。エンデの日本の盟友ともいえる独文学者の子安美知子さんがご縁を結び、エンデは資料をごっそり童話館に預けたのだという。エンデが、シュタイナー教育の創始者であるルドルフシュタイナーに影響を受けていたというのは、知る人ぞ知ることだ。この童話館に行けば、エンデの自筆の手紙に、自身がシュタイナーからいかに影響を受けたかを告白している文章に出会える。
「人生の時間こそが宝物」と教えてくれた大地が飯綱町にあり、その隣の信濃町には、そのことを世界中の読者に届けたミヒャエル・エンデの世界的なミュージアム「黒姫童話館」がある。そして、僕が住む小布施、飯綱、信濃町の北長野・北信地域には、「人生の時間こそが宝物」を体現する人たちが多くいる。北長野は、実に不思議なところだと、僕は感じざるを得ない。
こうして、僕たち家族は、三人の男の子を育てるのに、これ以上ない環境に出会い、素晴らしい友人たちに囲まれた。僕たちは、息子たちの黄金の幼少時代を、この長野で幸せに暮らしたのだった。
と、この物語を終わらせてもよかったのだ。しかし、これで終わらないのが、税所一家の運命のようだ。次回、最終回を迎える。僕たちは、この最も幸せな地域を出て、どこに向かおうというのだろうか。