大地との遭遇

第20回

卒園生たちのいま

2023.12.01更新

 「大地の卒園生の話が聞きたい」とふと思い立った。長野が黄金の秋に包まれたある日、僕は大地のお迎えのあと、子どもたちと小布施牧場に立ち寄った。この日は偶然にも、牛のお産が終わった直後だった。まだ身体中に粘膜をまとった子牛が、お母さん牛に舐められている。小布施牧場を経営する木下荒野くんは、大地が開園したときの第1期生であり、現在も娘たち3人を大地に通わせている。荒野くんは僕と同い年ということもあって、気のおけない父親仲間でもある。牧場には、荒野くんの三人娘ゆづきちゃん、はるちゃん、さわちゃんたちが、息子たちを歓迎してくれ、早速牧舎で一緒に遊び始めた。牧場からは小布施の雁田山をはじめ、信州の山々が見渡せて、山々は夕焼けで朱色に染め上がっていた。僕と荒野くんは、干し草を丸めたうえに腰を下ろして話をはじめた。子牛は生まれたばかりというのに、早くも立ち上がろうとしているところだった。

 荒野くんは同世代の僕から見て、興味が尽きない人物だ。大地でのお迎えや、催しでは一緒だし、小布施牧場のミルグリーンにアイスを食べに行く時には、牧場で働く姿もよく見てきた。まず「牧場を起業した」というのが、僕にとっては新鮮だった。東京を中心に、起業する友人は少なくない。しかし、その多くがITを活用したベンチャー企業や、塾などの教育に関係する会社だ。ところが、荒野くんは「牧場起業」だ。小布施で使われていなかった牛舎を再活用し、森を切り開いて、乳を加工する小屋と店舗を建てた。牛を育てながら、食物をつくり、それを売って、町にお客さんを集めている。牛を軽トラックに乗せるために誘導するときの荒野くんの身体の俊敏性には、いつも惚れ惚れする。「躍動する身体をもって、起業する姿」は大いにかっこいい。

 そして、大地で遊ぶ彼の姿もすごい。さすが一期生とでも言おうか。大地の地形や遊び方を知り尽くしている。クロスカントリーで雪の中を一緒に旅した時は、クロカンの板をはいたまま、崖からジャンプして木の枝にぶら下がって子どもたちの歓声を浴びた。運動会のスロープでのリレーでは、妻の葵さんと大爆走して、やはり大歓声を浴びる。子どもたちにとっても、「こうやどうふ」というあだ名で身近な大先輩として親しまれている。

 荒野くんは小布施町の出身で、動物が大好きな少年だった。北海道や長野で酪農を学ぶと、世界の酪農を見にニュージーランドへ。一年間過ごしたのち、イタリアとスイスの牧場を巡り、ジェラートづくりを学んだ。帰国すると、「コクのあるミルクで知られるジャージー牛を飼育し、高品質のジェラートやチーズをつくろう。6次産業型の酪農は、新しい雇用や定住促進にもつながるはず」と志を立てた。

 荒野くんがお兄さんの真風さんと小布施牧場を起業したのは、2018年。ジャージー牛を手厚く育てた乳で、ジェラートやチーズなどを生産し、今や小布施町の主要な観光スポットに成長した。小布施千年の森にある店舗では、川のせせらぎ、鳥たちの声を聞きながら、ジェラートや、チーズホットドッグを味わうことができる。そのジェラートの味は国内外でも評判になり、2023年の軽井沢G7外相会議の晩餐会では、外相たちが舌鼓を打った。

 大地での幼少期を振り返ると、とにかく「遊んだ」日々だったという。特に荒野くんが大好きだったのは、冬の日々。雪の日のスロープや急な斜面でのそりすべり、あおちゃんのバスに乗って飯綱スキー場でのアルペンスキー。あおちゃんの大きな背中を見て存在感を感じながら、遊びつくした楽しい日々だった。

 卒園後も、何回か大地に行く機会はあったが、本格的に再び通い出したのは、荒野くんが親になってからだ。長女のゆづきちゃんが町内の子ども園に通っていたが、少しも楽しそうではない。荒野くんがお迎えに行くと、やっと笑顔で「ただいま!」という様子に、「ひょっとして今日はじめてしゃべったんじゃないだろうか」と思わせるほどだった。

 そこで、荒野くんたちは、大地のことを思い出してひさしぶりに再訪する。大地を訪ねた日、ちょうどあおちゃんと子どもたちは田んぼで「チェーン除草」の真っ最中だった。あおちゃんは荒野くんを歓迎した。

「荒野の通ってたころと、やってること変わってないわ!」と相好を崩すあおちゃんに、自分のホームに帰ってきた気がした。大地の子どもたちは、自分が通っていたときと変わらず、明らかに楽しそうだ。ゆづきちゃんも田んぼの用水路で楽しそうに遊んでいる様子を見て、大地への転園を決めたという。予想は的中し、ゆづきちゃんはみるみる大地が大好きに。あっという間に元気印がトレードマークの存在になって、大地を駆け回るようになった。

 荒野くんが大地に親として関わるなか、一番印象に残ってるシーンについて語ってくれた。それは子どもたちの誕生日会だ。大地の誕生日会は、誕生月の子どもとその親を、囲んで開かれる。ノンタン母さんとスタッフの方達が人形劇を演じる。子どもたちが生まれる前に、天使と一緒に宇宙の惑星を巡って月に到着する。月から、自分が生まれるお母さんのことを見つけ、そのお母さんのもとへ旅立っていく物語だ。子どもが旅立っていく後ろ姿に、天使は呼びかける。

「この世界でいっぱい遊んでおいで!」

 荒野くんは毎回、そのセリフを聞きながら、自分はこの生を「遊んでいるだろうか」と胸に問うという。偶然にも、僕もそのシーンが大好きだった。

 あおちゃんは荒野くんに、「子どもたちとの時間はいましかないよ」と声をかけてくれるという。「小布施牧場の創業期で仕事が忙しいのはわかる。それでも、子どもたちの小さいときは今しかないから、大事に過ごすんだぞ」というあおちゃんのメッセージは、同じ経営者の道を歩むからこそ響いたという。

 荒野くんが大地で幼少期に過ごすことで、培ったものはあるのだろうか。

「生きるための足腰の強さ、そして火事場の底力のようなものが大地で身についたかもしれないですね」と語ってくれた。それはきっと「自分の人生を遊び尽くす礎になってくれてる」。そして、「人生って冒険するってことなのかな」「フツーじゃないことをやるっておもしろいよな」という感覚も、荒野くんが大地で得たことだという。

 その日、帰宅してからもう一人の大地の卒園生に話を聞いた。長崎で新聞記者として働く寺島笑花さんだ。大地のある飯綱町出身。学生時代はカナダ・バンクーバーに留学したあとに、世界中をバックパックで回り、アフリカの縦断も敢行した。当初は映像を作ることに興味があったが、大学のゼミで福島に通って、様々な人に出会ったことがジャーナリストに興味を持つ、大きなきっかけになった。自分が生み出せるフィクションは小さいが、自分がジャーナリストとして、出会った人たちのことを全国に伝えることはできるかもしれない。そして、笑花さんは記者を志した。

 笑花さんは、大地で子どものころに思いっきり遊んだ原体験をよく覚えていた。お母さんと一緒に、アップルミュージアムのリンゴの木々のあいだを散策しながら、大地へ通った日々。いつも色んな種類のリンゴを拾ったり、四つ葉のクローバーを探した。田植えや、かかしをつくって置いたこと。軽トラの荷台の後ろに、子どもたちと犬のモグと乗り込んで丘から畑に降りて行ったこと。軽トラの荷台から、森の木漏れ日に目を細め、葉っぱの後ろの裏の虫の卵(ルビー)を見つけて宝物にしていたこと。秋の「あけび」探し、冬のクロカンではキラキラ輝く雪原で、ハートのチョコを探し回ったこと。冷たいチョコの味。お泊まり保育で泣きはらしたこと。笑花さんからは当時の楽しかった思い出が途切れることなく湧いてくるようだった。

 もうひとつ、笑花さんの大地の思い出が「お話」の世界との出会いだ。ノンタン母さんや、笑花さんのお母さんである寺島さんは卓越した語り手だった。絵本の読み聞かせはもちろん、小さいときから、浴びるようにお話を聞いて大好きになって育った。「大地で育ててもらった感性」は、社会人になり、新聞記者という激務に取り組む中で、仕事でつまずいたり、人間関係で悩むことも少なくない笑花さんを何度も救ってくれた。うまくいかないことや、失敗があっても、根本で自分を好きでいることができる。根っこの部分で自分を愛せるのは、大地の自然でたくさん遊び、お話の世界にどっぷり浸かったことが大きい。

 だから、笑花さんは元気が欲しいときは森や川など自然の中を散歩する。昔から大好きなお話に触れる。そうすると、自分の原点に帰ってきた実感がして、エネルギーが湧いてくるのだという。

 笑花さんにとって大地の幼少期のころの体験、そして記憶は、「山の上の火」というお話のようなものかもしれないと言った。「山の上の火」は、エチオピアに伝わるお話だ。むかし、アジスアベバの町にアルハという若者が住んでいた。アルハは、ひょんなことから、スルタ山の頂上で寒さに一晩耐えるという試練に挑戦する。アルハは無事に一晩を耐え忍ぶ。一晩中、アルハを励ましたのは、隣の山の頂上に焚かれていた火だった。その火はアルハの知り合いが、アルハを励ますために燃やし続けていたものだった。笑花さんにとっては、大人になった今も、あのころの経験が「山の上の火」のように、いまの自分の「生きる」を励まし続けているのだ。

 この話を聞いて、石井桃子さんが言った言葉を思い出した。

「子どもたちよ 子ども時代を しっかりと 楽しんでください。 おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の「あなた」です。」

 さて、二人の大地の子と話して、二人に通じているなと思うことがあった。彼らの「屈託のなさ」だ。肩の力は抜けていて自然体なのに、地に足がついて根っこは張られている感じ。人の話をよく聞いて、カラカラと楽しそうに笑う。語るまなざしは強く、表情が生き生きしている。友達に一人は欲しいこのタイプ。快活が服を着て歩いているようだ。きっと幼い頃に大地の丘で遊びつくした体験が、いまのふたりにつながっているのだろう。

税所篤快

税所篤快
(さいしょ・あつよし)

19歳のとき、失恋と一冊の本をきっかけにバングラデシュへ。同国初の映像授業プログラムe-Educationを立ち上げ、最貧の村ハムチャーから国内最高峰ダッカ大学への合格者を10年以上輩出する。その後、中東のパレスチナ難民キャンプやガザ、アフリカのルワンダやソマリランドなどでプロジェクトを展開。2016年、人生に迷い、リクルート入社。売上ゼロのまま木更津で消息をたち、エチオピアで発見される「税所アフリカ脱走事件」など数々の逸話を残す。2021年、地域おこし協力隊ゼロカーボン推進員として、長野県小布施町へ。著書に、『前へ!前へ!前へ!』『最高の授業を世界の果てまで届けよう』『突破力と無力』の青春三部作。『若者が社会を動かすために』『未来の学校のつくりかた』『僕、育休いただきたいっす!』の社会人三部作などがある。

写真:五味貴志

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