雨宿りの木

第22回

ケアの実践・返事がなく意思の疎通がとれないと感じる相手とのコミュニケーション 1

2023.04.27更新

 こんにちは。

 前回は介護をしている相手の様子の変化に対して、まず「ともかく何か不安な状態にあるんだな」と考えて、ご本人の不安を取り除くために安心を届ける方法についてご紹介いたしました。これは言葉でのやり取りができ、動くことができる方に対してお役に立つ方法だと思いますので、ぜひお試しいただけたらと思います。

 一方、自宅で介護をしていらっしゃる方の中には、「ずっと寝たきりで、言葉をかけても返事がない。反応がないのでこちらも黙々とお世話をする毎日です」とお話しくださる方も少なくありません。寝たきりになっていらっしゃる方へのケアは、たとえば着替えや食事の介助、胃瘻がある場合には栄養剤をつなぐこと、おむつの交換や体を拭くことなど、身体的な接触がたくさんある一方で、声をかけてもお返事がないので、次第に言葉によるやりとりが減って、黙々と作業をすることになってしまいがちです。介護をする方にとっては、体を動かすことが多いので体力的にも疲れてしまいます。こんなとき、もしよろしければ考えてみていただければということがあります。

 反応がない方だからこそ、「あなたのことを大切に思っています」ということを、相手に受け取ってもらえるように表現することが大切で、そのための技術もあります。

 まず、人間の体のしくみを考えてみます。人の体は二足歩行ができるように進化していて、両足の上に胴体があり、その上に頭がある、という姿勢で最も脳の機能が発揮できるようになっています。また、体のバランスをうまくコントロールするためのしくみもあり、私たちは①視覚の情報、②耳の奥にある、平衡を感じる前庭器官からの情報、③体性感覚という自分の体の部位から送られてくる位置の情報の3つを脳で判断しています。

 内耳といわれる前庭器官は重力を感じることで、どうすれば体が倒れずにいられるか、バランスについての情報を脳に伝えるのですが、これを垂直知覚と呼んでいます。この垂直知覚というのは、立っているときにもっとも鋭敏になり、寝ているとその知覚の精度が低くなることがわかっています(1)。また、手や足の位置などの自分の体の各部位が今どんな状態にあるのかを知らせる体性感覚は末梢神経から脳に届く情報ですが、これも寝ているとその届く量が少なくなってしまいます(2)

 ベッドで寝たきりになると、

①視覚の情報:見えているのは天井だけ。情報量が不足する。
②前庭器官からの情報:脳が最も機能する「両足の上に胴体があり、その上に頭がある」という姿勢での重力を得ることができなくなり、体の平衡感覚を失う。
③体性感覚:自分の体の部位の位置情報が脳に届けられなくなり、うまく体を制御できなくなる。

 という、「横になっている」ことで、さまざまな活動する人間にとって必要な情報が脳に届かなくなります。それと同時に横になった姿勢では立っている時よりも注意力や記憶に関する認知力が劣ることも知られています。

 ですから、体を横にしたままでいると、それだけで私たちの脳の働きが低下してしまうのです。それと同時に、寝ていることによって筋力が落ちることもよく知られています。重力がかからない状態でいると立てなくなるのは、宇宙でのミッションを終えて地上に帰還した宇宙飛行士が、車椅子で移動するのと同じです。

 寝たきりの方とうまくコミュニケーションがとれないと思う時、私たちはまずその人がご自分の力を発揮できる状況になっているかどうかを考える必要があります。そのときにまず考えると良いことは、その人の姿勢です。ベッドの中で体を起こすことで、胴体の上に頭がある状態にすると、

 これによって

①視覚情報:奥行きのある視界が得られます 
②前庭からの情報:頭と胴体に地球の重力を感じてもらうことができます 
③体性感覚:体を起こすことで関節(たとえば首や背骨や腕など)の位置が変わり、筋肉も動きます。その情報が体性感覚として脳に届けられます

 というように、寝ていたときには得られていななかったさまざまな情報がご本人の脳に届きます。これが、ご本人を覚醒させるためにとても大切な役割を果たします。反応がない、と思われていた方も、それは情報をうまく受け取れる環境が整っていなかった、と考えることもできます。まずは、コミュニケーションのための準備を十分に用意します。

 お世話をしても反応がなくてさみしい、と思っていらっしゃる方は、ぜひ体を起こすことを試してみてください。脳のスイッチを入れるための、とても大切なステップです。


参考文献
1:Lopez C. How body position changes visual vertical perception after unilateral vestibular loss. Neuropsychologia. 2008;46(9):2435-40.
2: Lopez C. How body position influences the perception and conscious experience of corporeal and extrapersonal space , Revue de neuropsychologie, 2010;2(3):195-202.

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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