第42回
ケアをする人の定義
2025.05.28更新
こんにちは。
生活に手助けが必要な方に対して、「あなたのことを大切に思っている」、ということを相手が理解できる形で表現して届ける手段のひとつとして、この連載ではみなさまに「優しさを届けるケア技法・ユマニチュード」についてお伝えしています。
ユマニチュードはフランスの病院や施設で働く職員が、身体的・心理的な負担なく仕事ができることを目的として開発されたケアの技法です。具体的な技術を次々に作り出して現場で実践する中で、ケアとは単に「業務」として行う活動ではなく、ケアの仕事をするために最も大切なことは、「ケアをする人とはどういう存在か」という自己に対する認識と、「人間とはどういう存在か」という他者への理解である、と考案者であるイヴ・ジネスト先生は考えました。
「ケアをする人とはどういう存在か」という問いについて、それぞれの人がそれぞれの考えを持って仕事をしています。たとえば、「ご本人に必要なことを全部やって差し上げる」ことがケア、とお考えの人もいるでしょうし、「常に相手に寄り添うことがケアである」とお考えの人もいるでしょう。また「相手がいつも清潔な状態であるようにお世話をする」ことや、「1日3回確実に食事をとってもらうこと」がケアでありその実現のために心を砕いている方もいらっしゃると思います。つまり、100人のケアをする人がいれば、その解釈も100通りありうるというわけです。
一方で、病院や施設ではチームで働きます。「ケアをする人とはどういう存在か」という問いについての職員の共通の認識がなければ、行われるケアはバラバラになり、一貫性を欠くものとなってしまいます。具体的には「何でもして差し上げることが良いケアだ」と考えている方は、移動するときには車椅子で目的の場所までご本人をお連れします。しかし、「この方の歩く力を保つことが良いケアだ」と考えている職員は、途中まで車椅子でお連れして、最後の数メートルは歩行介助を行なって自分で歩いていただくことを日常的に行なっているでしょう。
チームで行うケアで大切なことは、「ケアをする人とはどういう存在か」という問いについての職員の共通の認識を持つことによって、ケアの内容を一致させることであり、ユマニチュードではこれをケアの哲学として次のように定義することにしました。
<ケアをする人とは、健康に問題がある人に対して、① 健康の回復を目指す ②健康の維持を行う ③最期まで寄り添う のいずれかを行う職業人である。>
そうなると、次に生まれるのは、① 健康の回復を目指す ②健康の維持を行う ③最期まで寄り添う の区別はどうやってつけるのか?という疑問です。
先ほどの車椅子で移動する方を例にとって考えてみます。
車椅子で目的の場所までご本人をお連れすることは、ご本人の歩く力の有無にかかわらず、ご本人の筋肉を使う機会を逸して移動するケアをしていることになります。これは、「何でもして差し上げるケア」に当たります。ご本人が全く歩けない場合には、もちろんこれは適切な選択です。先ほどのケアをする人の定義の③ に当たります。
しかし、ご本人が数メートル歩くことができる力がある場合には、目的地までご本人を連れて行ってしまっては「その方の歩く能力を、ケアをする人が奪ってしまっている」ことになってしまいます。
つまり、歩ける人の場合には、「昨日と同じ距離を今日も歩く」(その人の歩く力を維持する:②健康を維持する)もしくは、「昨日よりも歩く距離を伸ばす」(昨日よりも長く歩く:①健康の回復を目指す)のいずれかが適切なケアである、と定めることができます。
これは、別の言い方をすると「ケアをする人」とは「その人に合った"正しいレベルのケア"を実践する人であり、その人にとって害となることを行ってはならない」と言えます。
「害となる」とは少々大袈裟ですが、本来歩く能力があるのに、ケアによってその能力を奪われることは、ご本人にとって「害となっている」のだという認識をケアの場で共有することはとても重要だと考えます。
<ケアをする人とは、健康に問題がある人に対して、① 健康の回復を目指す ②健康の維持を行う ③最期まで寄り添う のいずれかを行う職業人である。>
この定義を常に基準におくと、私たちが行うケアの内容は自然と定まります。これは施設や病院で担当者が変わっても、どの職員もこれに沿ってケアを行うことによってケアの一貫性が生まれます。ユマニチュードが哲学と技術の二つから構成される、という理由はここにあります。
「ユマニチュードを職場で導入したいけれど、どうすればよいでしょうか。」というご質問をよくいただきます。ユマニチュードの技術としてこれまでお伝えしてきたような、「4つの柱」「5つのステップ」などが具体的な技術として大切なことは間違いありませんが、施設で導入するにあたって最も重要なことは、個々の技術というよりも、職場全体で「ケアをする人とはどういう存在か?」ということについて話し合い、定義を共有することだと思います。