雨宿りの木

第30回

救急隊が実践するユマニチュード

2023.12.26更新

 こんにちは。2012年に初めてユマニチュードを日本のケアの現場に紹介する機会を持って以来、多くの方に興味を寄せていただいています。病院や介護施設で働いている方々はもちろんのこと、発達障害のお子さんを育てていらっしゃる親御さんやその学校、盲学校の先生方にお伝えしたり、医学部や看護学部などの専門職教育機関などでユマニチュードをお教えする機会を持つことができ、本当に嬉しく思っています。また、自治体としてユマニチュードに取り組んでくださるところも少しずつ増えてきました。以前お伝えした福岡市はその筆頭で、1年間にわたって市政だよりでコラムを連載したり、市民向けの講演や講習会を開催したり、福岡市が設置した「認知症フレンドリーセンター」でユマニチュードについて学べる場が常設されたりと、高島市長、荒瀬副市長がさまざまな取り組みを行ってくださっています。福岡市の方々といろいろな新しい計画の相談ができることが、いつもとても楽しみです。

 そのような福岡市の取り組みの中でも私が大変感謝しているのは、救急隊の隊員や消防学校の方々にユマニチュードを学び、実践していただく機会を2018年から作っていただいていることです。そのいきさつについては、もう少し遡った出来事がありました。ユマニチュードの講習会を私の職場の東京医療センターで毎月開催していたころ(コロナウイルスの蔓延で、中止となっていましたが、今月から少しずつ再開いたしました)、札幌市の救急隊の隊員の方がご参加くださったことがありました。私は「どうして救急隊の方がいらっしゃったのか」と思い、お話をお伺いしました。その方は、「高齢者の搬送がとても増えてきていて、仕事で戸惑うことがあり、その解決策のひとつになるのではないか、と思って来ました」と教えてくださり、私はその時にユマニチュードが活用できる場がここにもあることを知りました。

 2016年ごろから福岡市との仕事が始まったときに、どのようなプロジェクトが良いだろうか、とお尋ねをいただいた際に、この札幌市救急隊の隊員の方のことを思い出し、救急隊の方々にユマニチュードを学んでいただくのはどうだろうかと提案しました。その後、福岡市の南消防署に1日お世話になり、出動する救急車に同乗させていただき、どのような内容にすれば毎日の業務に役立てていただけるかについて検討しました。実際のところ、福岡市の救急隊は昨年度は9万件を超える出動があり、その半数以上が高齢者です。身体的にも脆弱で、認知機能も低下している高齢者の方々からの救急要請を受けたとき、現場では「今このかたに何が起きているのか」「どのような治療が必要になりそうか」「適切な医療機関を選択して、受け入れを依頼する」といったとても重要な情報の収集とその正確な評価が求められます。また、忙しい出動の合間を縫って、隊員の方々が消防署でシミュレーション訓練を日常的に行なっていらっしゃることも知りました。

 これらを踏まえて、救急の現場で相手から適切な情報を得て、その方の健康を守るための適切な対応ができるようになるためのひとつの手段として、救急隊の隊員の方々にユマニチュードを学んで実践していただく計画が始まりました。

 2017年に初めてトレーニングを行った時には、ユマニチュードの考案者イヴ・ジネスト先生もご参加になりました。また、コミュニケーション技術を客観的に評価するための技術を岡山大学の中澤篤志先生、九州大学の倉爪亮先生が開発してくださり、トレーニングの効果についての科学的な検討も行いました。

図1.jpgHonda et al. Alzheimer's Association International Conference Satellite Symposium 2021.5. 12

 この研究ではグラフで示しているように、トレーニングを受けた前後を比較すると、隊員の方々が模擬患者に対応する際に、より相手との距離を近く、アイコンタクトを長く取れるようになったことが明らかになりました。

 それだけでなく、隊員の方々が「最初、傷病者に初めて近づく時に『救急隊でーす。助けに来ましたよ』と手を大きく振ってください、とジネスト先生から言われた時、『いや、遊びに行ってるんじゃないんだよ!』と思ったのですが、これをやると本当に仕事がスムーズになることを経験して、躊躇なくできるようになったんですよ」とお話しになるなど、実際の業務に具体的に役立ててくださっています。

 この研修は今でも毎年開催されていて、さらに今年は空き時間を使って学べる映像教材を救急隊のみなさまと一緒に作ることができました。福岡市消防局のみなさまとこれからもいろいろな取り組みを進めていくことをとても楽しみにしています。2020年の日本ユマニチュード学会では、基調講演も行なってくださいました。YouTubeで公開しておりますので、ぜひご覧ください。

福岡市が開設した認知症フレンドリーセンター

図2.jpg


ユマニチュードの技術をインストラクターから直接学べる対面技術研修

図3.jpg

福岡市消防局のユマニチュードの取り組みに関する基調講演

図4.jpg

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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