雨宿りの木

第32回

働く人の体を守るために生まれた技術

2024.02.28更新

 こんにちは。ユマニチュードについてどなたかに説明するときに、いつも何から話せば良いのか迷います。この連載で紹介してきましたように、「あなたのことを大切に思っていることを、相手が理解できるように伝える技術です」とお伝えしたり、「見る・話す・触れる・立つ の4つの柱を同時に組み合わせて行うケアの技法です」と説明したり、「ケアをひとつの物語として行うように、5つのステップに分けて実践するケアの方法です」と申し上げたりしています。そのような紹介フレーズのひとつに「フランスの体育学の専門家が、病院や施設で働く人々の体を守るために招聘されたことから誕生したケアの技術です」という表現があります。これではなんとなく歴史的経緯を説明するだけになってしまうような気もしますが、そうではなく、これこそがそもそもユマニチュードの原点だな、と改めて感じることがありましたので、今日はそのことについてご紹介したいと思います。

 昨年の末に、私たちは大変ありがたい提案をいただきました。闘病の末に亡くなった方とそのご家族が、ご本人のご遺志に基づき「大変お世話になったケアの専門職の方々が仕事に活かせる技術を学ぶ機会に使ってほしい」と日本財団に遺贈してくださり、ユマニチュードのケア技術を学ぶ技術研修が実現しました。

 この貴重な機会をどのように活用するか考え、ユマニチュードケアを施設全体に導入することを目指し、そのひとつの到達点としてユマニチュード施設認証制度に取り組んでいらっしゃる全国の30の病院・施設に声をかけ、それぞれの施設から2名ずつご参加いただく集合型のユマニチュード技術研修を東京医療センターで実施しました。ちょうど来日中のユマニチュードの考案者イヴ・ジネスト先生が直接指導を行う2日間の集中技術研修です。 

 ジネスト先生と相談しながら2日間のプログラムを作りました。ユマニチュードは、大切にしている価値観とそれを実現する技術の二つによって構成されています。大切にしている価値観とは、自由であること、自律があること、市民権を有すること、可能であれば自立すること、助けが必要な時には安心して任せられること(つまり、幸せな依存が実現すること)、優しくあること、愛情を受け取り、与えること・・・などです。そして、その価値観を実現するために、さまざまな技術が生まれてきました。これまでご紹介してきた「4つの柱」や「5つのステップ」は『相手との良好な関係を結ぶ技術』のなかの重要な要素ですし、そのひとが持っている能力を客観的に評価するユマニチュード独自の方法『評価保清』は質の高いケアを実施するためには不可欠です。そしてそこには『ケアにおいて必ず守るべき原則』があります。

 今回の研修は『相手との良好な関係を結ぶ技術』、『評価保清』、『ケアにおいて必ず守るべき原則』について集中的に学ぶ機会となりました。なぜこのような技術や原則が誕生したのかについてのジネスト先生の講義はとても体系立ったものでした。

 「何よりもまず、わたしたちは自分の体を守ることから始めなければ、相手との良好な関係を結ぶことは不可欠です」とジネスト先生は話し始めました。「なぜなら、相手を大切にするときに、自分も大切にしていなければ、その状況を継続することが不可能になるからです」「献身的な活動が単に一方的に『自分の身を捨てて与え続ける』ものになってしまっては、いつかその行動は破綻します」「『ケアを受ける人』と同様に『ケアをする人』も尊重される状況をつくることが、相手との良好な関係を結ぶためには絶対に必要です」

 このようなメッセージから始まった2日間の研修は、まず「なぜ私たちは腰痛を起こすのか」という話から始まりました。発生学の教科書で昔見たことのある、ひとの受精卵から脊椎が発生するときの写真を皮切りに、私たちの背骨がどのような構造になっているのか、背骨の間にある椎間板の解剖学的な成り立ちとその役割などを、私たちの実際の体の動きと関連づけて展開された講義は、背骨のもつ4つの運動機能を学び直す、とても良いものでした。さらに私たちが物を持つときにはどのような動きが合理的であるか、どのような動きが体の解剖構造に害を与えてしまうか、害を与える動きをどのように回避するか、など講義はどんどん具体的になっていきました。さらに、法制度として、フランスでは女性が一人で運搬できる重さは25kgまでに制限されていること(男性の場合は55kgだそうです。だいぶ差がありますね)の紹介があり、だからこそ、人の体を移動させるためには正しい評価と技術がなければいけないのだ、とジネスト先生は教えてくださいました。

「病院や施設で働くひとびとが腰痛を起こすのは、無理な体の使い方をしてしまうからです。それがおこる原因は次の3つです」「まず、『技術がない』、つぎに『適切な道具がない』、そして『職場のシステムが悪い』。腰痛が起こる理由はこの3つに集約されます」「今回はこの3つのうちのひとつ『技術がない』ことから脱却するために、技術の基本原則について勉強します」「そして、みなさんは職場に戻ったら『適切な道具がない』、『職場のシステムが悪い』ことが解消するように、ご自分で取り組んでください」

 今回の研修では、働く人の体を守るために必要な技術について2日間にわたってジネスト先生から直接指導を受けました。全国から参加したケアの専門職は技術だけでなく、なぜ技術が必要なのかについて考え、職場で何を変えていく必要があるかについての計画を胸にそれぞれの職場にお戻りになりました。今後、どのような変化が誕生するのか、とても楽しみです。ユマニチュードとは働く人の体を守る技術でもあるのです。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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