雨宿りの木

第43回

「好きなものリスト」がケアの役に立つ

2025.07.03更新

 ご家族の介護をしていらっしゃる方から、よくいただく質問に「同じことを何度も尋ねられたときにどうすれば良いですか?」ということがあります。同様に「すぐどこかに行ってしまおうとするので、とても心配です」というご質問もいただきます。

「今日は何曜日?」という質問に、「今日は木曜日ですよ」と答えた後で、すぐにまた同じことを何度も尋ねられると、4回目くらいまでは「木曜日です」と言えても、それ以上になると「さっき言ったでしょう!」と自分の語気も上がってしまいます。

 同じように「仕事に行かなくちゃ」と家から出て行こうとする家族を引き止めようとして、諍いのようになってしまうことでお困りのかたもいらっしゃいます。

 ここで私たちが知っておかなければいけないことは、ご本人が必ずしも「時間が知りたい」「(私たちにとって現実的でない)目的の行動をとりたい」わけではない可能性があるということです。同じことを何度も尋ねたり、どこかへ行ってしまおうとするときには、ご本人は、本当は何かを聞きたかったり、行きたかったりするのではなく、「今、不安を感じている」ことをこのような質問や行動で表現している可能性がとても高いのです。そんなときに必要なのは、質問や行動に対応するのではなく、「今ご本人が感じている不安な気持ちを取り除く」ことです。不安な気持ちをとりのぞくことができれば、ご本人は安心して、時間のことは気にならなくなるし、今いる場所で落ち着いて過ごせるようになります。

 不安な気持ちを取り除くためには、「ご本人が安心できる話題」に関心を向けてもらうことが役に立ちます。認知症をお持ちの方は、一度にたくさんのことを考えたり、実行したりすることが難しくなります。この特徴を逆手にとって、「楽しく安心できることを話題にすることで、ご本人の気持ちを別の方に切り替える」のです。

「ご本人が安心できる話題」とは、ご本人の「良い思い出」です。

 ご本人が持っていらっしゃる良い思い出は、私たちがケアをする時にとても頼りにできる宝物です。とくに、何度も同じことを尋ねられたときなど、「困ったな」と思うことが起きたときには、その思い出の出番です。

 とはいえ、好きなものをどのように集めたら良いか、について、ちょっと困ったなと思う方もいらっしゃるかもしれません。そんなときには、次のような会話が役に立つかもしれません。

・好きな食べ物/好きなこと/趣味/などを尋ねていく

 まずは

「お母さん、お献立を考えているんだけど、何か食べたいものはない?」

「お母さん、今度のお休みに何かやりたいことはない?」

と尋ねてみます。ご本人が答えるのが難しそうだったら、こちらから尋ねたことにYesかNoかの返事をもらいます

「お母さん、肉じゃがが好きだったよね」

 ここで、「肉じゃがと、天ぷらと、唐揚げと、炊き込みご飯のどれが好き?」とたくさんの選択肢を挙げてしまうと、ご本人にとって情報量が多すぎてしまうので、選ぶことができません。ひとつずつ尋ねることが重要です。

 ここで大切なことは、尋ねたら、ゆっくり返事を待つことです。記憶を取り出すためには、15回目でお伝えした脳の記憶の仕組みが働いていますが、認知症のかたはこの仕組みの働きがゆっくりになるので、質問を理解して、返事をするまでに時間がかかります。このため、こちらが「返事を待つ」ことがとても大切で、待つことも「ケアの技術」のひとつです。

・場所の思い出(暮らした場所・旅行先など)を尋ねていく

「お母さん、子供の頃はどんなところで遊んでいたの?」

 思い出の場所は、町の名前でも、幼稚園や学校などの場所の名前でも、家の中の部屋でも何でも構いません。場所と共にある思い出も一緒に聞いてみると良いと思います。

 旅は、非日常の経験であることから、いろいろな思い出をお持ちであるかもしれません。

「お母さん、旅行に行ったことある? その時のことを教えて」などと尋ねてみます。

 覚えている出来事は、きっと感情記憶(楽しかった、美味しかった)とつながっています。こうして「好きな場所」のリストを作ります。

 ご本人が不安になっていらっしゃるときが、ご本人に教えていただいた内容をまとめた「好きなものリスト」の出番です。ご本人が好きなことを話題にして、それにまつわることを提案してみてください。

 一方で、聞き取りをする中では、「嫌だったことや苦手なこと」も出てくると思います。また、ご家族として、ご存知のこともあると思います。これもまた、大切な情報です。嫌いなことや苦手なことを言われることによって、ご本人が不快になったり、落ち着かなくなる可能性があります。このような「引き金」となる可能性のある言葉は、「避けるべき言葉のリスト」として、覚えておくと良いです。

 「好きなものリスト」を作るにあたっては、相手とどんどん話を進めると良いのですが、「嫌だったことや苦手なこと」については、聞かれることでご本人が悲しくなってしまうので、この話題を深く掘り下げる必要はありません。普段の会話の中で、「この人のことが嫌いなんだな」「この出来事が辛かったんだな」と思われることが出てきたときには、ケアで困ったときに「絶対使わない言葉」として書き留めておくことで、ご本人の不安を惹起するようなことを私たちが不用意に口にすることを防ぐことができます。

 ケアで重要なことは、私たちが「不安を」を払拭し「安心」を届けることです。そのために「好きなものリスト」の活用は役に立ちます。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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