第40回
声を聞く耳、話し合う身体
2025.06.26更新
かなり不完全ではあるけれど、小さな地域では悪くない試みなのかもしれないと思った。「誰もが地域の参加者だ」という目線。子どもだけでなく、さまざまな立場の人、地域に棲むさまざなま生き物や非生物の声を聞く。想像力を広げる。その姿勢をとる、足掛かりになるのでは。(「声がやってくるところ」中村明珍)
ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」の最新号(2024年・特集「三十年後」)に、僕はこのように書いていた。
僕が住んでいる集落の自治会総会で「0歳児から1票を持っていること」について感じたことだった。
今年2025年春、このことが問題になった。
自治会総会の議案といえば、その年の事業計画----小さな川の掃除や海岸の掃除、盆踊りや節分、敬老会などの行事予定----について自治会員に報告し、承認を受けたり、それに対応した年間の予算を組むこと。また、前年度の決算の報告や承認などがある。そして、この自治会は現在100人弱の住民で構成されており、その1人1人全員に投票の権利があるのだった。
今年の総会では、定例のものにプラスして議案が増えていた。「規約の改正」にまつわる2つの議題と、話し合いの最中にも新たに「追加議案」までも登場。この「規約の改正」というのがネックとなった。
いつもの他の議案では「承認の方は挙手を」と議長がいうが早いか、手が上がってすぐ承認という流れ。なので、会議全体の終わりの時間なども大体予想できてしまう。
ところがこの改正のくだりではかなりの意見が飛び交った。今後の自治会のあり方を変えてしまう議題なのだ。時間がどんどん延びていき、「どこに向かうかわからない」「いつ終わるかわからない」いら立ちのような気配も漂う。会場には80、90代の高齢者の方も大勢いる。
レベルは全然違うけれど、国でいったら「憲法を改正する」ことに近いのかなと感じた。「規約」をそう簡単には変更できないように、改正のプロセス自体に他の議案とは違う慎重さが埋め込まれている。有効投票数の3/4の賛成が必要なのだった。
反対意見などもたくさん出て、採決となったところで問題が起きた。90票あまりのうち、委任状が30名分ほどあって、その中には高齢者やうちの子どもも含む子どもたちの分が入っていた。その重たさのなかに、本当に0歳児からの1票が含まれていたのだ。
意見が出る。
「規約改正って大変なことですよ。そもそも0歳児から1票を持っているなんて、ちょっとおかしくないですかね。委任状って誰に委任しているんですか。子どもたちにわかるわけないじゃないですか」
地域の将来を左右する1票。採決となり、委任状が何枚あるか、手が何名挙がっているか、何度も確認することになった。時間がどんどん過ぎていく。
そして改正案2つのうち1つは、ついに否決になった。あとで聞いたところ、
「自治会総会で否決になったことってこれまで一度もないよ」
と近所のおじさんが教えてくれた。異例中の異例だったようだ。結局総会はお昼近くまでかかり、感情的にならざるを得ない意見の交換もあって、会場は今までになくざわついていた。
その日総会が終わって、集落を歩いていると何人かと立ち話になった。その中にはやっぱり「全会員1票」についての疑義や、「話し合い」が持たれることの大事さ、「そこまで感情的にならなくてもいいのに」など、いろいろな意見が出ていた。
そういえば、旧公民館についての経緯とも少し似ていた。
僕は個人的には存続したいと思ったものの、解体がいったん決まったのは6年半前の自治会の臨時総会。そこでも、解体・移転についてさまざまな意見が出て議論になりつつ、否決ではなく解体の方針が可決。
その後存続の可能性へと話が変わっていったのは、僕の感触では道端での「立ち話」の積み重ねによってだった。なぜだかそうだった。そうして今年、その建物を僕が引き継ぐことになった。この立ち話の積み重ねが、何かを示しているように感じる。
今回の総会で「否決」になった案は、新しく出来た公民館の規約のうち、以下の文言が関係していた。公民館使用料について、
〈自治会員が社会的活動のために使用する場合は無料とする〉
この「社会的活動」とは一体なにか、これを明確にして使用料をとった方がいいのではないか、という提案が関係していた。人口的にこれから縮んでいく集落の収入を考えての案。そして、この提案が要因の一つとなって、合意が得られなかったのだった。
その頃読んでいた本に、こんなことが書かれていた。
西洋では、「仲裁」という方法によって必ず紛争解決の結論が得られるようにする条項を設けているのである。しかし、それは西洋的な考え方である。
日本的な法意識からすれば、そういう不安はない。むしろ、逆であって、あらかじめ権利義務が固定的・確定的にきめられていて、当事者間に懇願したり、恩恵を与えたり、融通をきかせたりする余地がないことのほうが、不安なのであることは、前述したとおりである。だから、契約に詳しい規定をおいたとしても、あまり意味はなく、したがって当事者もそれを注意して読んで深刻に考えたりはしない。
むしろ問題が起こった時に「誠意をもって協議し」、円満な解決をして「争を水に流す」ほうが、はるかに重要である。(「日本人の法意識」川島武宜著)※太字は著者傍点
これは契約についての記述だけれども、なんだかなるほどと思わされてしまった。確定してはっきりさせることよりも、「あえて」余白を持たせることに重きがあった可能性。
こうしたことを背景として、日本では「仲裁」ではなく、
「調停」が愛好され、国家法上の制度として確定され、それが大いに利用されるにいたっているのである。(同上)
という。この点が、もしかしたら今までもあちこちで顔を出していたのかもしれない。総会で否決になったこと、「あそこまで感情的にならなくても」という声があとで聞かれたこと。
そこからさらに思い出した。移住して間もなく、最初に住み始めた借家の持ち主から突然「出てほしい」といわれたこと。これは遠い親戚だったこともあって、口約束したことと契約書を交わさなかったこととの合わせ技だった。当時割とよくあったケースで、これも後日話し合いで解決となった。
そして前著(『ダンス・イン・ザ・ファーム』)で書いた、橋の事故からの断水のこと。ラジオで「ドイツの船会社との賠償金」の有無の話をしたところ、生放送中のリスナーメールで、
「さっき賠償の話をされてたけど、その話あんまりしてほしくありません」
「優しい大島の島民に戻ってほしいです」
という意見が届いたこと。その後日、島での立ち話で他の方から、
「被害について訴える、ということよりも、たとえばこのこと(橋の事故)をドイツの人にも知ってもらって、それをきっかけに島に足を運んでもらったり、友好関係を築いたり、そういうふうになったらいいんじゃないか」
という声を聞いたこと。他方、一部では船会社を訴える方たちもいたこと。
これらの出来事を貫いているものに、僕たちの傾向が現れていると思えてきた。
さきほどの「日本人の法意識」には『調停読本』なる書物からの引用でこうあった。
「云うまでもなく調停の基本理念は和であって、聖徳太子が今から千三百五十年前制定された十七条憲法の第一条に『以和為貴』(和を以て貴しと為す)と示されているとおり、和を尊ぶのがわが国民性であるから、わが国において調停制度が発達するのも当然であろう」というふうに、調停の基本精神を述べており、
そんな昔からの影響があるなんて。僕が今、10年以上毎月お勤めの手伝いに行っているお寺の初代住職は慧慈(えじ)和尚。朝鮮半島の高句麗から渡ってきた、聖徳太子のお師匠さんなのだった。この当時から今現在にお寺や教えが実際に伝わっているという意味でも、こういった精神は遠い話ではなくて地続きなのだと感じる。そして、
同書の中にある、調停の際心がけるべき要点を示す「調停いろはかるた」には、「論よりは義理と人情の話し合い」とか、「権利義務などと四角にもの言わず」とか、「なまなかの法律論はぬきにして」とか、「白黒をきめぬところに味がある」というような、「我国古来の涼風美俗」の精神がもられているのである。
橋の事故を通した島とドイツの船会社関係とのあり方と、この文章との対比に、どきっとした。
***
このあと集落で、別の話し合いがもたれた。その際にも、総会のときと同様にちょっとざわついた。そんな中、ある男性からは、
「集落の将来を考える、っていったって、なるようにしかならんのじゃないの。話し合いをするようなことじゃないでしょう」
と。またある女性からはこんな意見があった。
「将来を考えるといっても、経済とか少子高齢化の問題の話ばかりではなくて、これまで集落を存続させてきてくれた高齢者のおばあちゃんやおじいちゃんが、これからも喜んで楽しく生活できるのはどうしたらいいのかを、考えるべきではないでしょうか。感謝をもって」
と。この意見を聞いてその通りだと思ったと同時に、僕自身課題解決の方に頭がいっていたことに恥ずかしくなった。
そういえば最近立て続けに、集落のおばあちゃんの声を聞いていた。
引き取った旧公民館=和佐星舎をこの春から月に一回「縁日」と称して開けていて、飲み物やお菓子や本などを売っている。3回目の日の朝、近くのおばあちゃんから、
「こんな田舎はなんもせんとさみしくなる一方じゃけえね」
とエールを伝えてくれて、そのまま原付で山の方へ去っていった。もう一人、別のおばあちゃんは手押し車で来て、
「月に1度とはいわず2回開けてくれたらいいのに」
と。
「農協も回数が減ってしまったし」
農協から巡回している移動販売車の回数が、今年に入って月に3度から2度に減った。車で買いに遠くまでいくわけにもいかず、楽しみも減ったという。
「日用品とかを売ってほしい。やわらかい食パンとかも」
リクエストもいただいた。何歳ですか、と聞いたら、
「恥ずかしいけぇ歳は聞かんのよ」
と笑いながらたしなめられて、
「昭和8年」
といわれた。ということは90越えか! 90代に見えない。「口だけは元気なのよ」と笑っていた。また近所の他の方からは、
「日ごろの感謝を仏様に伝えて毎日拝んでて、さっき数珠が切れたんですが。どうしたらいいでしょう?」
と連絡が入った。いろいろ話をしてみて、「お焚き上げしましょうか?」といったら、
「まあ、うれしい! 困っていたんです。ありがとうございます」
と思いのほか喜ばれてしまった。このおばあちゃんは今年93歳だと教えてくれた。80代くらいかと思っていた。みんな元気だ。
2024年、日本の出生数は68万人あまりで過去最少、合計特殊出生率は1.15で過去最低、高齢化率は29.3%(9月15日現在)で過去最高。少子高齢化の進行を示す硬い数字たちが、ときどきスマホに飛び込んでくる。そいういうとき、「これから社会はどうなってしまうのだろう」と一瞬不安になる。だけど、何をどこから考えればいいのかわからないので、目の前の生活に没頭することにして、結局忘れてしまうのがいつもの繰り返しだった。(2025年6月18日 朝日新聞デジタル「社会から過去と未来が消える 少子高齢化が奪う想像力」東畑開人)
と臨床心理士の東畑さん。
縮む社会。それは人口が縮む社会でもあるし、経済が縮む社会でもある。少子高齢化という未来には、私たちの考える力そのものを奪ってしまう力がある。そのとき、共感できる他者の範囲は狭まり、憎しみが芽生えやすくなる。その予兆はすでに日本社会の現在にも現れているはずだ。
さっきの「ちゃぶ台」で書いた2023年時点での周防大島の高齢化率は、55.7%だ。今ではもう少し数字も増えているだろう。
「一緒に考えよう、と言ってくれる誰かがいるかもしれないと思ったから」、この原稿を書いたと東畑さんは記している。
全国平均を大幅に上回っている周防大島。その「硬い数字」のなかで、この集落ではそれぞれが楽しく生きている、生きようとしている。
「全員が1票持っている」件はまだ解決はしていない。前回の連載で唐突に出会った宮本常一の本には「話し合う」というフレーズが何回も出てきていた。
あちこちで立ち話をしながら、なにかヒントがありそうだと感じて心のなかでうーんとうなっている。そして、一緒に考えたいと思っている人がこの島にもいるよ、と思った。