ダンス・イン・ザ・ファーム2

第32回

海坊主の徒然

2024.09.27更新

 まだまだ暑い日が続く9月初頭。いつも一緒に遊んでいる子どもたち3人と僕で、海に入った。振り替えで8月からはみ出した、夏休み最後の日だ。3人とも宿題が終わった「打ち上げ」で、山へのサイクリングへ。それで汗をかいたから「海に入りたい」となったのだった。

 なので、夕方5時近くになってからの海。日はすでにだいぶ傾いていた。

 3人のうちの1人であるうちの息子は、夏休みの間に泳ぎすぎて、「およぐのもうあきた」といっていたぐらいだった。そして、毎日のように年上のいとこと泳いでいるうちに、波止(はと)から海への飛び込みができるようになっていた。その波止とは、家の近くにある、大き目の石垣の上にコンクリートが張ってある突堤。だいぶ昔に作られたであろうもので、ひび割れて崩れかかっている。

 息子は飛び込みに興味がありつつも、ほんの少し前まで

「こわい」

 といってビビッていたのに、この日は、

「飛び込みしたい」

 というな否や、いつの間にか波止から飛び込んでいた。ちゃっかり自分でライフジャケットも着用済みで。ほかの2人は年上の女の子と、年下の男の子の姉弟で、この子達は飛び込み未経験の様子だ。じつは僕も海には慣れていないので、ビビっている。

 すると、びしょびしょで海から上がってきた息子が開口一番、

「飛び込んだらイカおった!」

 と叫んだ。続けて、

「飛び込んだらイカがスミ吐いた!」

 と。うわ、いいなと思った。何匹いたの? と聞くと、

「海の中に4匹おってね、その中の1匹がスミ吐いてきた」

 と教えてくれた。海の中って、そんなことが起こるんだ。僕も子どものころから釣りの番組をみていた影響か、頭の中にイメージとしてはあるけれど、実際の海の中で味わえたことはない。その瞬間の当事者になった息子がうらやましく思えた。イカもびっくりしただろうし気の毒だけど。

 その様子をみていて、2人もだんだん飛び込みをしたくなってきている。じゃあ、僕が水中で待ち構えていてあげるから、一緒に飛び込んでみな。大丈夫、水の底は岩じゃなくて、砂浜だよ。カキもいないから安心して。

 そう伝えると、おっかなびっくりしながらお姉ちゃんが飛び込み始めた。ジャポーン。

「楽しい!!」

 彼女は叫んだ。それを見た弟も、だんだんやりたくなってくる。でも、できるかどうかまだ自信がなさそうで、できそうかどうかを慎重に見定めている。

 そしてついに、勇気を振り絞って飛び込んだ。ジャポーン。

「チンさん、もういっかい!」

 それから、3人が代わる代わる飛び込むようになった。気づいたら日も沈んでいて、夕焼けの最後の余韻が残っているだけ。その薄暗くなった海で「あともういっかい!」が終わらない。できなかったことが、できるようになった夏。

***

 

「じじがハチに刺された」

 朝、妻から連絡があった。義理の父がミカンの消毒をしていた際に襲われて、10か所くらい刺されたらしい。びっくりしてハチの種類を尋ねると「スズメバチではないみたい」、そして「アシナガバチか何か」だそうで、大事には至っておらず、まずは自宅で安静にしているとのこと。

 昼に様子を見に行くと、頭や手などを刺されて、腫れている。

 今から親戚が近くの診療所に連れて行ってくれることになった。「何か異常があったら来てください」と先生にいわれていたそうだ。

 この診療所の先生には、僕たち家族もしょっちゅうお世話になっている。なんでも相談に乗ってくれるのだ。以前、僕がお世話になっていた「おっちゃん」の自宅での異常も察知してくれて、入院へとつながったこともあった。

 翌日になって、診療所に付き添ってくれた親戚(おっちゃんの娘)から写真が送られてきた。刺された現場に確認しにいってみたという。メールを開けてみて、たまげた。

「スズメバチの巣じゃん」

 農業倉庫の屋根の下に、どでかい巣ができていたのだった。キイロスズメバチだという。

 さらに翌日。父はもう普通の生活に戻っていた。点滴も打ったしもう痛くないし大丈夫だと。そして、

「黒い服はアカンわ。あれら、ほんとに黒いところ狙ってきよる」「黒い手袋しとったから頭と手が刺された。痛かったわ。黒い服はアカン」

 と教訓を伝授された。

 この日、近所のイノシシ猟師の指導のもと、日没を待って巣を落としにいくことになった。黒い服はアカンので、ありったけの白い服を隙間なく着こみ、そして現場へ赴く。

 暗がりの中、白装束で指定の時間にたどり着くと、

「スプレーが足りなかったので、今日は中止!」

 と伝達された。

***

 「お米が足りない」と話題になることが急増した。8月中頃からそんな様子が実際に見聞きされ、スーパーで「お米ありますか?」聞くと「完売です」といわれもした。昨年の時点で「来夏、米が品薄になる」という見込みを何かの記事で読んでいた。

 僕は毎年9月に入ると、島内で米の「運び屋」になる。友人の米農家による新米を島内で配達する仕事だ。やはり、酷暑や梅雨時期の極端な降雨から、夏の日照りと年々栽培も難しくなっている状況がある。

 例年とは違うラインナップになってしまいながらも、今年も島内で配達ができる状況が整って、運び屋を再開した。

 毎年買ってくれるお宅の一軒は、「仕事があるので夕方以降」での配達の希望だ。日が暮れてから、米袋をいくつも積んだ台車をゴロゴロ押しながら路地を進む。出荷用の大きな米袋は、ギターアンプのヘッドの重さと似ている。だからちょっと馴染みの重さなのだ。

 目的の家についてピンポンを押し、無事にお届けすると、声をかけられた。

「本、読みましたよ」

 ええっ! 僕の本を。

「図書館で借りました」

 おおっ!

「職場に図書館があって。生徒がリクエストを出していて、図書館に入ったんですよ」

 読んでくれたんですか。あら学校の職員さんだったのですね。生徒さんが僕の本を。うわあ、うれしい。お米の注文、ありがとうございます。

 お米の配達、情報量がいっぱいだ。島の高校生が、図書館にリクエストを出してくれていたのか。

***

「そういえばこの前の件で、思い出したんじゃけどね」

 今度はわが家の玄関、僕の家への配達の場面だ。いつもお世話になっているネコの宅配の方からこう切り出された。じつは、前日の配達時に僕からこのような質問をしたからだった。

「『お盆になったら海に入ったらいけない』というような言い伝えって、聞いたことありました?」

 これは前回のコラムに関係している質問だった。このときの答えは、

「たしかに、あったねえ。クラゲが出るからとかいろいろ理由はあるような気がするけど。どうじゃったかねえ」

 ということだった。この方に質問したのは、島のお遍路でこれまでご一緒してきたご縁があって、島育ちの方であり、何かしらご存知ではないかと思ったからだ。今、この続きを教えてくれようとしている。

 「そういえば、思い出したんよ。小さいころから『エンコ』が出るけえ、っていわれとった。エンコ、エンコって。じいさんばあさん達からよういわれとった気がする。エンコが出るけえ、入るなって」

 おお、そんな言い伝えがあったんですね。エンコって何だろう。なんか見覚えがあるような。

 そんな折、調べものをしていてついに見つけた。宮本常一氏がほぼ一人で書いたという、分厚い郷土史「東和町誌」にはこうあった。

 このあたりでは海にエンコがいると信じられていた。エンコというのは他地方でいう河童のことである。このあたりの河童は川にいるのではなくて海にいる。そのエンコが時々子供を海に引き入れて溺れさせると考えられていた。そこでエンコにひかれないようにと皆おそれていたものだが、十七夜の晩には宮島様へ参るので、付近の海にはエンコがいないから海へはいってもエンコにひかれることがないと信じられていた。

 エンコ。河童。 この本によると、旧暦の6月17日の晩には付近からエンコがいなくなるそうだ。さらに、旧歴の6月30日には、牛を飼っている家では牛を海へ引き入れて泳がせる習慣があって、

 この日はエンコが、牛のダニを食いにきているので、子どもたちは一日中海へはいってはならないとされていた。

 牛が潮あびをして帰ると、牛に小豆餡をつけた団子をたべさせた。

 とも記されている。これらは今の新暦でいうと、7月下旬から8月初旬の様子になるので、お盆については詳しくはわからない。だけど、見えない存在をこうして感じとっていたらしいことが、声と文章から伝わってきた。

 このあと、他の方からも「エンコ」の言い伝えを聞いたことがある、と教えてもらった。

***

 集落で最高齢だった方が、またひとり旅立った。僕の妻のおばあちゃんの同級生だったそう。この地域では、親族でなくても住民それぞれが「お悔やみ」といって自宅の棺に線香をあげに行き、葬儀に向かう前に「出棺」として住民総出でお見送りをする。

 これまで集落で生きてきてくれてありがとう、という気持ちがこみ上げる。落語会、観に来てくれていたかな。

 出棺を待っているときに、近くのおじいちゃんから声をかけられた。

「わしもいつ頃になるかのう」

 いやいや、まだまだですよ、と会話する。そして、昔の出棺はどうだったんですかと尋ねると、

「ちょうどここからの、山の火葬場に向けて行列していくんよ」

 と教えてくれた。

「火葬するときはの、薪をこう周りに組んで、藁も同じように組んで。それで火が弱かったりするじゃろ。そがなときはの、松の葉を周りにこう敷いて燃やすんよ」

 夜にも火の番をしにいっていた、とのことだった。

 そんな話をしていたら、今度はまた別のおばちゃんから声をかけられた。

「あんた今年も米の配達やっとる?  5 キロお願いしたいんじゃけど。あと藁もあったら。お願いしますね」

 棺を待つ間、米の注文を承ってしまった。人の死が、社交場を生んでいた。

 さらに、今度は前の自治会役員さんから話しかけられた。

「旧公民館の件、聞いてる? そろそろ動きそうよ。よかったね。ようやく、じゃね」

 これまでかたくなに、なかなか動かなかったこの一件。よりによってこのタイミングで。

 何人もの方が抱えてゆっくり進む棺が、霊柩車に乗せられる。喪主である、よく知るおじさんがみんなに向かって感謝の挨拶をする。

 ファーーーンと長い警笛が鳴る。集落の人たちが合掌をする。その中で、棺を乗せた車が、かつての行列の道を進んでいった。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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