ダンス・イン・ザ・ファーム2

第14回

墓と現実と私

2023.04.03更新

 埼玉に住んでいる父が、周防大島のわが家に泊まりに来た。一度だけ島には来たことがあったけど、そのときは近隣のホテルに泊まっていたので、家に滞在するのは初めてのことだ。翌朝起きてくるなり、

「しっかし、鳥の声で目覚めるなんてなあ~」

 と驚いていた。3月初旬のことだ。
 近頃は鳥たちがいっそう元気。つい先日も、珍しく霜が降りる日があってまだ朝は冷えるものの、日中はポカポカしてきた。道路には誰かが食べた柑橘の皮があちこち落ちている。くちばしの先にオレンジの球がついている鳥をよく見かけるので、人間ではなくて、彼らの仕業だ。この冬に採りきらなかった柑橘がまだ樹についているから、それがきっとご馳走だ。

 雨上がり、快晴の朝。梅畑に行って作業を始めるとともにくしゃみを連発していた。鼻がむずむず、ズルズルダラダラ。周囲のスギの葉をガサガサっと揺らすとモワ~ンと、例のアレが漂った。南高梅の樹の下でただただ目がかゆくて、全く作業が進まずに悲しく佇んでいたら、頭皮に水がぽたぽたっと垂れてきた。「雨!?」と見上げたら鳥の動きが見えて、雨粒のついた枝が揺れていた。

 満開をやや通り過ぎた今も、メジロたちが梅の花の蜜を吸いにやってきているのだった。軽やかに鳴きながら、入れ替わり立ち替わりたくさんやってきて、樹上でくるくるくるくる、せわしなく動き回っている。今までどこにいたの? 先日、巣を見守るメジロの親を息子が見つけた。

 虫たちの出番はまだ早いのかな? と思っていたけど、数日前にミツバチの羽音がたくさん聞こえたので「もう出てきたのか」と思った。だけど、花粉症全開のこの日はなぜか聞こえなかった。気温で? 場所で? 時間帯で? 一日中そこにいないので、まだわかっていない。不思議だ。

***

 父親がなぜ島に来たのかというと、以前の回に書いた中村家の「墓石」の移動を実施するためだった。広島県福山市から山口県周防大島町の今住んでいる集落まで、車で片道3時間の距離だ。これを遠いと考えるか、近いと考えるか。

 石材屋さんに相談していくと「実際に墓石を運ぶのは現実的ではない」という結論に至ったり、お坊さんの先輩方に聞くと「そもそもは動かさないほうがいい」という前提の話から、そのなかでも移動するとしたらどうするといいか、などの考え方や方法を教えていただいた。

 そこで、わが家の墓は「いったん墓じまいをして、引っ越し先で新たに墓石を建立して、中身だけ移す」ということにした。考え方とも併せて、意外にも費用面でも一番いいという結論になった。墓石を移すのは、かなりの費用と、物理的な大変さを伴うこともわかったのだった。

 こうして僕たち家族が周防大島に移住したのち、数年前に今度は祖母が祀っていたお地蔵さん達が移住し、ついには祖父母や先祖代々の「骨」が移住することになった。

 永代供養とか墓じまいとか、この頃は身の回りでもたくさん見聞きする。ちょうど最近も畑で農作業していたら、横の農道を小高い墓地に向かって石材屋さん達の車列と、知り合いのお坊さんの運転する車が上がっていった。あとで聞いたらやはり「墓じまい」。島外に住む、島出身の家族のお墓のケースで、これはけっこう多いだろう。

 このたび、島で生まれ育った妻の家族や親戚から、墓にまつわることでこんなことを聞いた。昔、といっても数十年前くらいのこと。この地域では今とは順番が逆で、「葬式の前」に火葬をしていたそうだ。

 祖父が亡くなった場面のことを話してくれた。集落の人たちは家に集まり、女の人たちは各々で蓮の花のようなものを造花として作ったりする。葬式の会場は集落の公民館である。亡き祖父の妻である祖母は、しきたりで「葬式には参列できない」のだそうだ。夫の見送りの儀式に行けずに家にいなければならない、ということに驚いた。どうしてなのかは、この話からはわからなかった。祖母はどういう気持ちで家にいたのだろう。

 山の上にある地域の火葬場に向けて、集落の全員で行列して遺体を運んでいく。行列の人々は遺体とつながった長く白い布を各々が持ち、あるいは先ほどの造花を持ち、山の上を厳かに上がっていく。

「藁がないか?」

 とみんなが口々に言っていたと義父が教えてくれた。焚きつけになるものを探していたのではとのこと。地域の火葬場にて、住民みんなで代わる代わる番をしながら、一晩中火の面倒をみるのだそうだ。

 また義母はあるときの火葬場の印象で「匂いがすごかったのよ」と教えてくれた。おそらく、そこでの火葬は火力が弱かったのではという話になった。当時、全部の骨を拾わなかったのであたりには骨がたくさん落ちていた、とも。
 どれも今、想像するのがなかなか難しいことだ。

 そして、話題は親戚の墓に移った。もともとは、同じく山の中にあった墓を、もう少し通いやすい場所、といってもこれも山の中腹にあるのだけど、その墓所へ移した。さらに時が経つにつれて、お参りする家族が高齢になっていくこともあって、もっと通いやすい海辺の墓所へ移そうとした。

 しかしその頃、当の平地にある墓所は「満室」だった。通いやすい場所だったからか、空いた区画がなかった。人気のマンションさながらだ。
 なので、「空き部屋」ならぬ「空き区画」が出るのを待って、満を持して墓を移したそうだ。
 今回、中村の墓を移すときには数カ所空いていたので、時代がさらに変わってきていることを思った。

「だからうちの墓はここで3回、移っているのよ~」

 と親戚が笑いながら教えてくれた。僕はその親戚のお父さんに梅畑を貸してもらい、また今回移す墓のことをも相談していた。そのおっちゃんのおかげで、墓所の区画を得ることができて、無事にこのたび建立することができたのだ。そんなおっちゃんは昨年、向こうに旅立ってしまった。

***

 わが家の父は、自他ともに認めるほど「信心がない」という、いまどきの人だ。

 「でも否定はしないし、言っていることを聞く耳はあるよ」といわれたので、そこはすごいなと素直に尊敬する。
 一方の母は独自の信念をもっている人であり、墓には入らずに散骨や樹木葬などが希望だと聞いた。それもまあたしかにと、うなずける。

 墓って。石って、何なんだろう。墓に入るって、一体どんな意味が。

***

 石のことで思い出したことがある。僕が移住して間もないときのことだ。
 妻とそのころまだ3、4歳だった娘とで、あるマーケットでの出店のためにかなり早朝に車で出かけて行った。するとほどなくして、

「事故起こした」

 とスマホに連絡があった。すぐさま20分ほど走らせて軽トラで駆けつけると、海沿いの見通しのよい国道で、海側ではなく陸地側の路肩に乗り上げ、車は壊れて止まっていた。
 妻は気が動転していたけれど、娘はシートベルトを首にこすっただけ、妻も奇跡的に無傷で二人とも大事には至らなかった。車だけはあとで「全壊」と判定された。

 事故の相手は、「石」だった。
 もし仮に海に向かっていたとしたら、対向車とぶつかるか、あるいは海の護岸にぶつかったか。だけど実際にはそうならずに、幸いにも陸側に乗り上げたために、誰にもぶつからず、車や人、家などを傷めることなく済んだ。
 そこにあってぶつかったのは、路肩にあった大きな「石」だった。それが、車の衝撃で180度ほど回転して、土からはがれてゴロンと移動した。事故ののちに、

「原状回復してください」

 と警察から連絡があった。現場は国道の敷地であるため、その原状回復とは「転がった石をもとに戻せ」ということだった。現場はたまたま、道路以外に人工物のない場所。そしてその石は、人の力では全く動かせないサイズと重量だった。

 このとき、転がった石を戻すことを本当に求めているのは一体誰なんだろう、という疑問が湧いた。このままにしておいても、実際誰も困らないのでは? という状況だった。

 僕はこの一連の流れをみて、「石が誰かに動かしてほしかったんじゃない?」と思った。勝手にでっち上げた物語ともいえるけれど、そう考えたっていいとも思えた。妻はその前日、マーケットに行くために「早起きしなきゃ」と思って、先ほど出てきた祖母の睡眠薬をたまたま飲んでいて、それが効きすぎてしまっていたようだ。

 墓のこと、石のこと。目に見えない世界のことが含まれているから、あるいは怪しい話にも近づいてしまう。
 だけど、もともと音楽をやってきた身なので、いつも対象は「目に見えないもの」であって、農業も、仏道もそれは同じだった。だから懸命に向き合うほかないし、それが楽しいし、それが次の何かを生んでいくことに、なんとなくなっている。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

編集部からのお知らせ

『ちゃぶ台10』に中村明珍さんの寄稿
「ボゴ・ダンス ーー日本語の話者としての」掲載!

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12/10(土)発刊『ちゃぶ台10 特集:母語ボゴボゴ、土っ!』に中村明珍さんによるエッセー「ボゴ・ダンス――日本語の話者としての」が掲載されています! ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。

『ちゃぶ台10』詳細

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