ダンス・イン・ザ・ファーム2

第25回

善業、悪業、賽銭泥棒

2024.02.26更新

 福山にいる母方の祖母が亡くなった。東京でのトークイベントを準備していて、さあ出発しようかというさなかの一報だった。

「章宏くんに葬儀をお願いしようと思うとるけえ」

 と叔父から。章宏くんとは僕のもともとの名前だ。「身内が導師をしたら本人も喜ぶだろう」と。病気を早くに患いながらも90歳代後半までよく生きて、旅立った。大往生だ。 

 それにしてもこのタイミングなので、日程などの調整をしてもらって、その通りに事が運ぶことになった。

 思い出したことがある。僕が小学生だったときに、祖母の夫である祖父に、石鎚山という愛媛県の山に連れて行かれたことがある。たしか雨の日だった。遊びかと思いきや、装束を身にまとった大人たちが大きなバスに次々と乗り込んで、それまで見たことのない雰囲気。大人たちの熱気で道中ずっと窓ガラスが曇っていた。寒暖差とバスの揺れで、僕は乗り物酔いになった。

 石鎚山は修行をする霊山だったのだ。登っていくと「鎖場」と呼ばれる場所が立ちはだかる。岩に打ちこまれている大きな鎖が上から垂れていて、それを使って絶壁をよじ登っていく。僕は大人になってからも行ったのだけど、これを小学生が登るとはなかなかすごいなと思った。まあ、でも逆に小学生の方がスルスルといけるのかもしれない。とにかく忘れられない光景だ。

 無事山頂まで登れたあと、なんとなく祖父に褒められた気がする。そして帰ってからも、祖母たちに何か褒められたように思う。これは記憶が定かではなく、褒められたらしいことが「やり遂げた」という感触にくっついている。

 また葬儀の前にわかったのが、祖父と一緒に祖母も生きている間に「戒名」を授かっていたこと。これらのことから、祖父母ともに信仰があったことがうかがえた。

 ちなみに、僕の父方の祖母も山伏になってしまったくらいだから、僕が僧侶になったことは自分にわからない、自然な流れだったのかもしれない。僧侶になって10年。事後でしかわからないこともある。

 ちなみにこれまで僕は誰の葬式も担当したことがない。内心、どきどきだった。

 引導を渡す準備をして、トークイベントのある東京に向かい、山梨のお師匠さんに葬儀の肝要を尋ね、そのまま福山での本番へ向かった。

 祖母の旅立ちに際し、「なんのためにこの儀式をするのだろう」「この作法はどんな意味があるのだろう」と、一つ一つ確かめる。見えない世界のことだから、怖さというか、畏れがかつてないほどあった。

 やっていることが果たして正解なのか、間違っているのか。それもきっと後でわかる。

 身内であることも作用して、儀式中もやはり緊張した。一連の作法が終わって、参列していた従兄弟に感想を伝えられた。

「章宏くんの葬式、けっこうよかったよ。初めの方は緊張しとったようだけど。最後の方だんだん良くなっていった感じやったね」

 まるで音楽ライブが終わったときみたい。驚きながらも、ほっとした。

***

 葬式が終わって周防大島に帰り、翌月島で行うライブイベントの準備に取り掛かっていた。自宅の外に出ると、見知らぬ人が車を停めて近くをうろうろしている。そして声をかけられた。

「このあたりでサルの目撃情報があったんですよ。見かけたら教えてください」

 役場の職員だった。イノシシの猟師が見かけたそうで、そのあとほかにもサルの目撃者がいることがわかった。サルが入ってくると、ミカンをはじめとした農作物があちこちからやられるので、被害多発中のイノシシよりもさらに厄介なことになる。

 調べてみると、たしかに入ってきたようだ。

「サルが大島大橋渡り海越える 対岸の柳井市から周防大島へ 作業員が目撃」(中国新聞2024年1月12日) 

 僕が知っている限りではこれは2度目の騒動だ。今回は橋を渡ってきた写真も掲載されていた。やっぱり、人間の道で入ってくるのか。

 話は戻って、葬儀後。いわゆる「初七日」などの七日ごとの法要や四十九日へと続いていくのだけれど、これって一体どんな意味があるのだろうとあらためて思った。納得して挑みたいものだ。

 さて、仏教の考え方においては、有情が輪廻において幾度も転生し続けているのは、有情が煩悩にもとづいて善業・悪業を積み続けているからである。煩悩にもとづいて善業を積んだものは善趣へ転生し、煩悩にもとづいて悪業を積んだ者は悪趣へ転生する。(大竹晋「悟りと葬式」)

 ううむ、なるほど。「有情」とは生きとし生けるもののこと。僕はこの用語について、小学生のころ読んだマンガ「北斗の拳」で目にしていた。主人公の2番目の兄であるトキが敵との戦いで使う「有情拳」は、相手に痛みを感じさせず、むしろ天国のような快感に包みながら死を与えるという、子ども心に衝撃的な技。直接の意味は関係ないけれど、雰囲気は似ている。

 それはさておき、こうした輪廻や転生の世界観がベースとなって、人が死んだあとどうなるか、という見方が展開していくのだった。

 仏教においては、布施を与えても来世に善趣への転生はないというような、唯物論的な考えかたは邪見として退けられている。(同上)

・・・唯識派の『瑜伽師地論』には次のようにある。

 さらに、この中有は、受生のための縁を得ることがない場合、七日間存続する。さらに縁を得ることがある場合は、定まっていない。さらに、得ることがない場合、〔一回〕没してのち、さらに七日間存続する。受生のための縁を得ることがない者は、しまいには、七日の七倍(四十九日間)存続する。その後は、かならず受生のための縁を得る。(同上)

 中有とは「死の直後から次の生の直前まで」の、"中間の生存"。インドではこの中有という状態を、「認めない」考え方と「認める」考え方の両方があるようだ。さらにさかのぼって紐解けば、

いまだどこへも転生していない亡者を儀式によって善趣へ転送させることはブッダにすらできないと考えられていた(同上)。

 と、"いまだどこへも転生していない亡者" という設定があることがわかる。中間の生存? これが国境を越えて、

 中国においては、在家者は、いまだどこへも転生していない亡者のために聖者である出家者に布施を与えた場合、その福徳を亡者に追加して大きな果/報酬を得させ、亡者はそれを受けて四十九日のうちに善趣へ転生すると考えられているのである。(同上)

 と中国でさらに変化していく。そして、考え方と方法が日本にたどり着いていることになる。

 生きている間に善業を積むのか、それとも、生きている人が亡者に追加して、善い場所に転生せしめるか。

 このように、書き記された多くの経典から考え方が導かれてきていると同時に、これまでの無数の人たちによる、個々の感得や体験も積み重なって、現在の儀式や習慣に至っているだろうことも想像しておきたいと思った。

 ともあれ、インドー中国―日本と距離と時間を隔てながらも、意外なほど「転生する」という世界観が共通して、今も貫いていることに驚いてしまった。そう考えない地域も世界中にたくさんあるのに。

***

 ちなみに、僕はサル騒動の直後にインフルエンザにかかった。娘が受験を控えていることもあって、家の中での隔離生活に突入。その間に前述の七日ごとの勤めがやってくるので、隔離部屋の机にとても小さな祭壇を設けて行った。40度までいって、初七日は熱を出しながら、

「死んだおばあちゃんも、もしかしたらあの世で同じような状態かもしれない」

 とフラフラの頭で想像してしまった。

 同じころ、じつは息子も隔離生活だった。彼はインフルエンザではなく胃腸炎に罹っていて、初日は真夜中に泣きながら「きもちわるくてどうしたらいい?」と訴え、何時間もどうすることもできない状況で慌てた。あまりに辛そうなので「山口県小児救急医療電話相談」という24時間窓口に電話相談。救急での対応をした方がいいかをと尋ねると、

「医師に今聞いてみますね・・・症状が重いので、救急の病院にかかっていただいた方がいいと思います、とのことです」

 そこで2つの病院を紹介された。「小児」で「内科」で「夜間の救急」という条件だと、移動に1時間を超える島外の病院しかなかった。仕方がない、辛そうな息子に「今から病院に行ける?」と聞いたら、「そんなにくるまにのれない」とまた泣いた。電話では、救急車だと今回はかえって時間がかかってしまうともいわれた。

 親子ともにどうしたらいいかわからない状況が1時間ほど続いて、最終的に息子は力尽きて寝て、ひとまず事なきを得た。島と子育てについて考えさせられる一夜だった。

***

 その後2週ほどかけて、来月のイベントに向けての準備の大詰めに突入。会場となる旧公民館には様々な備品がないので、あちこちから軽トラックで借りてくる。プロジェクター、黒板、照明、スリッパ・・・そしてイス。

 毎回集落の真ん中にある八幡宮から借りている。会員ともいえる「氏子」は僕たち集落全員だ。お昼、神社のカギを借りようと総代さんに電話すると、なんだか様子が変。

「ああ、ええよ。でも、あと1時間後くらいでもええ? また連絡するよ」

「わかりました。どうしたんですか?」

「宮に賽銭泥棒が入っとったんよ。今から現場検証じゃけえ、ちーと待ちおうての」

 ええっ?  現場検証。今から。ここに賽銭泥棒が入ったのは2回目だそうだ。前回はいつの誰だか、今回はどこの誰だか。まだこの神社からしか被害届けが出ていないらしい。サルもここで目撃情報。今度は賽銭泥棒。どれも橋なのか。

 結局あたりが暗くなってきた夕方に、ようやく総代さん達が通りかかった。

 

「はあ、えらい目にあった。こがあに時間がかかるたあ思わんかった」

「鑑識の人が来てから、指紋取って、こっちにも部屋があるいうてこっちでも指紋取ってって」

「はあ、気づいたら夕方よ。こがなことになるなら、昼メシを食ぅちょってから電話すりゃあえかったよ」

「中村君もまだイス取らんでよかったの。イス取ってからだったら、あんたも指紋取ったりなんだりで現場検証立ち会うことになっとったかものお。この忙しいのにのお」

「はあ、今から昼メシよ」

 と大変な半日だったようだ。僕もこれから住職ともなると、こういうことにも気をつけなければいけないのか。

 じつは、その総代さんが、イベント当日にピンチを救ってくれることになる。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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