ダンス・イン・ザ・ファーム2

第34回

山が動いた ―私有共有新築修繕― その2

2024.11.29更新

 19歳のころに、初めてピアスを開けた。耳たぶだと「痛くない」らしいので、それだとおもしろくないと思ってしまい、耳の中盤あたりの軟骨のところと、後日鼻にも開けた。最終的には、その二カ所を鎖で結んだら、さぞかしおもしろいだろうと想像していた19歳の冬。

 耳に穴を開けてピアスを刺して、いつものように実家に帰った。そうしたら、普段は比較的温厚な父親が、玄関先で震えていた。激怒していたのだ。

 「親にもらった体を。そんなことをしやがって」

 あとで「このとき殴ろうとしていた」と父親から聞いた。僕は、そんなことで怒るのかと意外に思ったのを憶えている。

 当時の僕は大学とバイトに通いながら、毎日のようにパンクバンドをやっては観に行く、という日々を過ごしていた。このとき「あなたの職業はバンドになりますよ」という未来へのお告げは、全く聞いていない。

 父は、タトゥーだったら本当に殴っていた、ということもいっていた。ただ、僕もタトゥーを入れる勇気はなかった。基本的には後戻りできないし、それだからこそ覚悟を示せるものだともいえる。多くの民族のなかでも普通に入れられているものだろう。現代の僕にはその覚悟はなくて、キャラ的にも合っていないだろうと思っていた。一方のピアスは、ずっと入れていなければそのうち穴が塞がるよ、と教わっていた。後戻りできる、それぐらいがちょうどいい。しょせんビビっていたのだ。

 バンドが職業になった立場からみたら、ピアスもタトゥーも反転して、むしろスーツや制服に近い意味合いになる。こちらからみて、父親がスーツを着ていたら、殴っていいのか? 「なんでそんなものを着ているんだ!?」と。「着替えられるからよい」ということなのかな。

 今、地域のお葬式にいくときに困ってしまう事態がしょっちゅうある。「お坊さんとしてふさわしい姿は、衣なのかスーツなのか」。昔はスーツがなかったわけだし、正式には衣なのだろう。でも、一般席に衣を着ていくと地域では浮いてしまうのだ。一体どっちなんだ!

 僕は、のちにバンドのボーカルから「なんで普通の人と同じ生活しているんだ」と怒られ、殴られたことがある。「よい」とされることが平気で反転する、人の世なのだ。

 19歳のときに戻る。玄関で父親が激怒していた主張に、僕はピンときていなかった。このときは、心の中でこんなことを思っていた。

 「僕の体は僕のものでしょ」

 親に、自分のことをとやかくいわれる筋合いはない。でも、今考えると、それもちょっと違うのかもしれないと思う。

 「僕の体は誰のものなのだろうか」

 「僕の体という言い方は、成り立っているのだろうか」

 19歳の僕は、自分の皮膚が弱いことを忘れていた。鼻はそのうちに化膿してしまい、ピアスは刺さない方が身のためだと思い知った。そのうちピアス自体がおもしろいとは思えなくなり、いつの間にかやめてしまった。

 その間に、穴は塞がっていった。僕の体が、修復していったのだ。

***

 前回のこの連載で、

 「今の時点で、まだ入札の日を迎えていないので結果がどうなるかわからない」

 と書いた。その物件の顛末を報告したい――。

 先月の記事がアップされた直後に、問題の公民館で「現地説明会」が行われた。そこにいたのは役場職員、そして自治会役員の方々だった。それぞれが「土地の持ち主」、「建物の持ち主」ということになる。

 加えて、会場には今まで見たことがないご夫婦がいた。

 「やっぱりいたんだ!」

 と思った。この建物を希望する人が他にいたのだ。一体誰なんだろう。僕よりは年齢が上に見える。島の外の人ではないのか?  島の人?

 物件内部を見回っている。職員の方に質問をしている。このご夫婦も参加するのかもしれない。「競争入札」、オークションになってしまうのか。

 そもそもの出発点はこうだった。「解体」が決まった建物について「壊さないでほしい」「保存・維持して、活用していきたい」という思いと、その方法を探ること。ちょっとずつ話していくことから始まり、いろいろあってようやく「解体が撤回する手前」までたどり着いた。ついこの一カ月前までは、「解体」案がまだ生きていて並走していたくらいだ。

 当時の資料を見直したら、2018年の10月14日にこの公民館は移転して新築することが決まっていた。今回、売却・入札の広報が出たのは2024年10月15日だから、たまたまちょうど、6年前のこと。この年月の間に、話が、ひっくり返ってくれた。

 ここで原点に立ち戻って考えると、どうしても解せない気持ちになる。「所有したいゲーム」ではなかったのに、それがいつの間にか「所有者決定ゲーム」、さらに「お金が多い方が勝ちゲーム」になっていた。ただ保存したかっただけなのに。いつから、どうして変わってしまったんだろう。

 といっても、土地が「町有地」である性質上、広く告知して競争入札になるのも仕方がないこともわかる。公のもの、みんなのものなのだから(「みんなのもの」であり「町有地」というのもおかしな感じがするけど、ここでは深く立ち入らない)。

 でも例えば、売るのではなくて貸すことだとか、競争にならないような条件をつけるとか、もっと方法はなかったのだろうか。役場OBの方に相談したら、やはり「貸借にするとか、もっとやり方があったんじゃないか」と助言があった。でも、広報に出たあとだから、手遅れだともいわれた。ガガガガーン。

 町に「答えを出すまで待ってください」といわれて3年が経ち、その間地域の話合いでは「どうなっているんだ」と紛糾し、建物は経年劣化していく。その辺はどう勘定されるのか。いろいろ、はてなが浮かんでは沈んでいく。

 まずは本当にオークションになるのかを、どうしても確かめたかった。説明会に来た人が本当に入札しようとしているのかどうか。この一件に「競争」の要素があるのかないのか。できれば事前に知りたかった。

 本当はそんなことできない。だけど、だけど。

 僕はその方たちが誰なのか知りたかった。そして、周囲に聞いてまわったら、その方たちは「島の人」で、共通の知人が多くいることがわかった。知り合いの知り合いだったのだ。

 そこで、そのうちの1人にかくかくしかじか、こういう事情で聞いてみてはもらえませんかと相談すると、「いいですよ」と快諾。ありがたすぎる。間に入ってくれることになったのだ。

 そして翌日、間に入ってくれた友人から折り返しの電話があり、

「入札には参加しないそうです」

 と教えてもらった。うわあ、よかった!  この話を聞いたのは、新幹線のデッキだった。友人、ありがとう。デッキよ、ありがとう。

 ただそのあと補足があって、どうして説明会に参加したことを知っているのか、不審に思われたそうだ。

 これは不本意な事態を起こしてしまった。たしかに逆の立場になったら、いやな気持だろう。僕が直接お話できればよかったのだと思う。友人にも、その方にも、申し訳ない気持ちがこみ上げた。

 民間同士、島民同士で心のこすれ合いを起こしてしまった。一方、入札の主宰者である行政は、このことについて全く痛くも痒くもない。町民サービス側は無傷で、町民は痛みを感じるこの仕組みのアンバランスさに、ちょっと疑問を感じてしまった。お金の痛さと心の痛さ。この痛みをどうにかすることは、制度的に、原理的に難しいのだろうか。

 今回の入札では、事業内容と運営についての条件が設けられており、その審査をクリアしたら入札資格が得られる形になっている。このことについて、事前に何人かに聞いてみると「よほど変な計画の書類でない限り、申し込み者はクリアできる性質の審査」だと教えられた。つまり、競争の要素を取り除いてくれる審査ではないことがわかった。

てっきり、誰か一人に選び切っていくのかと思っていた。先ほどのご夫婦のほかにも、もしかしたら入札希望者がいるかもしれない。実際に妻はその姿を見ていたわけだし。もやもやした気持ちに一層雲がかかる。

 ともかく、審査のための書類を準備しなければ。この公民館ついて、これまで行ってきたライブや落語会、ワークショップの延長線上で、地域に配慮しながら行っていく計画だ。そういった事業内容を書くにあたり、書類提出の当日朝にふと、もう一つ思いついた。

 そうだ 葬式、しよう。

 なぜ今までこの選択肢を思いつかなかったのか。この建物で行われてきたものの一つが、冠婚葬祭だった。とくにお葬式については立派な祭壇もあり、以前はよく行われていた。  

 この地域では今も住民みんなで送り出す風習があるので、まだまだ「自宅での葬儀」も日常だ。だけど、斎場での葬儀も増加傾向だし、公民館では数年前に行われたっきり、途絶えた。地域の方からは「祭壇、メルカリで出す?」という話も出ていたところだった。

 ネットで1万円で売れた例があったらしい。でも、メルカリで出すくらいなら、これまで通りお葬式の受け皿にもなればいいのでは。僕は僧侶だった。島の友だちの一人は「音楽好きなみかん農家」から数年前に「音楽好きな葬儀屋さん」に変わったところだ。周りに相談しながらいろいろできるのではないか。灯台下暗し。

 そうして、直前に追加で「葬儀」も事業に盛り込み、書類を提出した。

 数日後、「入札参加決定書」が送られてきて、審査をパスしたことがわかった。それと同時に「ほかの入札者は、いない」という公式の情報も得た。よ、よ、よかった!

 あとは、入札当日を迎えるのみとなった。(「山が動いた ―私有共有新築修繕― その3」へつづく)

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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