ダンス・イン・ザ・ファーム2

第27回

お祭りと地域

2024.04.30更新

 周防大島に、地家室(じかむろ)という山と海に囲まれた地域がある。島出身の民俗学者、宮本常一の本によれば、藩主・毛利氏の参勤交代での立ち寄り場所でもあったことから「帆船時代にはにぎやかな船着き場であった」そう(「瀬戸内海Ⅲ・周防大島」より)。

 そのお隣、外入(とのにゅう)という地域に、木村庄吉さんという方がいる。地元出身で、有志の皆さんと「夕日の丘」「アサギマダラ園」「木々の植樹」と次々に地域の環境整備を行っている。パワーあふれる先輩たちの旗振り役だ。

 わが家のヤギ「こむぎ」との出会いも、もともと木村さんがヤギたちを飼っていることからはじまっている。こむぎは木村さんのヤギのいとこにあたるのだった。

 その木村さんが先日、自身のSNSにこんな旨の投稿をされていた。

 久々に、地家室の山あいにある「畑(はた)地区」という場所の観音堂に足を運んだら、仏像が4体無くなっていたことに気づいた。

 現在、畑地区には住民がおらず、その「畑観音様」には昔から地元の方や周辺の住民の方がお祭りにはお参りしていて、親しまれていた。失われた仏像のうちの二体は、資料によると「観世音菩薩坐像」と「薬師如来坐像」だということがわかった。

 木村さんはこのことについて、文章をこう締めくくっていた。

「元に戻ることは難しそうと思い、残念・・・こうした観音像など、地元の方々が大切にして継承しなければならない、宝を守っていくにはどうしたらよいかと、関係者で話し合っているが、良策はない。どなたか、妙案があれば教えて下さい」

 じつは僕、このこととちょっと関係する出来事に、同じタイミングで遭遇していたのだった。

***

 周防大島の中央部から西部にかけて、600m級の山々が連なっている。そのひとつに「文珠山」という山があって、その山頂手前には「文珠堂」という小さなお堂が鎮座している。お堂の周囲には見事な磐座があって、そのうちの一つの磐座からは水が流れだしている。

 文珠堂の創建は西暦806年、つまり平安時代なのだとか。今はふもとの地域の方々で、そのお堂を守っていて、近くの古くからあるお寺が、法要で読経しに来られるそうだ。

 ちなみに、「智慧の仏」ともいわれる「文殊菩薩」は、一般的には殊勝の殊の字が使われているのだけど、周防大島のこの場所はなぜか珠(たま)の字が充てられている。どうしてなのかは今のところ聞けていない。

 この文珠堂で、4年前から中止していたお祭りが復活するという知らせを聞いたのだった。僕はわくわくした。高齢化や参拝者の減少で、このまま廃止となってしまってもおかしくない状況での「復活」。それってすごいなと思った。

 僕もお寺を引き継ごうとしている最中だけれども、現時点では参拝の方はもう指で数えられるほどなので、お祭りが「幕を閉じる」という方向は想像するのが簡単だ。実際、「この機に、お祭りをやめましょう」という事態は、ほかの地域でも見聞きしている。

 加えて、ここは地域で守っているタイプのお堂だということで、住職がいるわけではない。つまり「主宰者がいない」ともいえる場所だ。ライブハウスの店長、本屋の店長、劇団の座長・・・のような存在がいなくて、地域の総意をもとに運営する。そこでお祭りが復活するというのはきっとパワーがいることで、それにも驚いた。

 僕には、前から気になっていたことがある。各地でお祭りやイベントなど大小さまざま行われているけれども、ときおり、それらの動機の順番が逆だったり、ごちゃごちゃになっていることだ。たとえば、

〈地域を活性化するために、何かやろう → イベントだ → 経済的に見合うか?〉

 こんな順番。でも、この文珠堂のお祭りは、その考えを立ち止まらせてくれる気がした。

〈前から続いてきたお堂のお祭りを復活させよう〉

 以上。こんな感じにみえた。そのお祭りを行う動機としては、見返りとか経済効果とかは求められていない。僕もイベントをよく開く方なので、「どうして行うのか」という点など、気をつけるようにしている。

 そういうこともあって、このお祭りの復活の様子を観に行きたいと思った。そしてなにより、僕はこの場所のファンなのだった。

 お祭り当日はあいにくの雨。細い山道を車で上がっていくと、あちこちでカッパ姿や傘を差した地域の方々が車を誘導している。雨の中ご苦労さまです。

 途中で、友人のうどん屋さん「一心うどん」の車とすれ違った。窓を開けて会話すると、

 「うどんが売り切れちゃって。茹でて戻ってきます」

 となんだか弾んだ様子で教えてくれた。思ったよりも人が来ているみたい。

 山頂手前まで車で上がり、駐車して、お堂まで歩いていく。あいにくの雨と書いたけれども、こういう場所は雨が似合うなと思った。木々の若葉が水の光沢をまとっている。あたりは霧がかって、岩も樹の幹もおごそかな色合い。

 

 歩くうちにお堂が見えてきた。あらまあ賑やか! そんなに広くない境内では音楽が流れていて、お寺に合わせた音楽というよりは、流行りのJ-POPが聞こえてくる。地域の年配の方々もいれば、若い親子、知った移住者の方たちもいる。うどん屋さんのテントと、クレープ屋さんのキッチンカーもいる。子どもたちもお堂を行ったり来たり。

 今と昔が合わさったようなお祭りの様子が広がっていた。そしてここが、喜びの場所になっているように感じた。お話した地域の方々が、なんとなく嬉しそうだったから。 

 お堂のなかに入ると、いつもは開いていない扉が開いていて、奥に進めるようになっていた。普段は見られない、仏様のご開帳だ。手を合わせて、深く呼吸をした。

 そして見上げてみるとあることに気づいた。真ん中の本尊と向かって左側の仏像が、新しいのだ。

 さきほどの畑観音と同じく、この文珠堂も二体の仏像が失われていたのだった。

 約20年前に文殊菩薩と薬師如来の仏像2体が盗難の被害に遭ったが、2018年に地元出身者が2体を寄進した経緯がある。(中国新聞 朝刊2024年3月21日

 どおりで。この記事はあとから読んで納得した。

 

 僕はこの温かい雰囲気のお祭りが来年も、そのまた次も続くといいなと思った。そのたびに僕も行きたい。この場所とお祭りが地域を作っているような感覚。この光景が何かカギを握っているように思える。

***

 

 翌日、外入の木村さんのところへ行ってみると、仲間の皆さんが集まって話していた。木村さんいわく「ちょうど無くなった観音様の話をしとったところだったんよ」と。

 

 木村さんの仲間たちが集う、大人の"秘密基地"で、コーヒーを入れてもらいながら話を聞く。新しく猫も飼い始めたのが分かったのと同時に、白いからだで赤いトサカを持つニワトリがトコトコとやってきた。

 「ああ、この子はね、人がにぎやかにしていると来るんよ。人がたくさんいるのが好きなんよね」

 

 といいながら突然そのニワトリを抱っこして膝に座らせた。トサカをなでなでしながら木村さんは話を続ける。ニワトリってこんなになつくの?  びっくりしてしばし話が頭に入らなかった。

「わしも文珠のお祭り行きたかったんですよね。文珠堂は寄進があったから仏像が戻ったけど、地家室の観音様は、畑地区に住んでいる人もおらんし、難しかろうね」

 先ほどの新聞記事も、木村さんに教えてもらったのだった。偶然なのかどうなのか、ずいぶん離れている、仏像が失われた二つの地域がともに「畑地区」なのも奇遇だ。

 宮本常一によれば、港町として栄えていた地家室は、明治になると帆船の形が変わったことも作用して、次第に寄港が減っていった。それと前後して、この地では「瓦」を作る産業が栄えたという。いい土が採れたからだそうだ。しかしその仕事も今となっては途絶えている。

 地家室の畑観音様は、栄えていた時期から続く、信仰や習俗の場所なのだろう。当時からお参りしていた木村さんにとっては、思い入れがあるものなのだ。

 話をしていたら、つい最近この地域に関東から移住したという若いご夫婦が立ち寄った。木村さんたちに「まあ、コーヒーでも」と誘われて、僕と同じくこの秘密基地に吸い込まれる。そして一緒に話を聞く。

 僕もこの目でみた、先ほどの文珠堂の光景を話しつつ、何かヒントがないかなあと探っていた。

 そして思い出したかのように、「そういえば、僕は今度お寺を継いで住職になるんですよ」と報告した。すると、今まで静かだった木村さんのお仲間の一人が、突然熱く僕に語りかけてきた。

 「あのさあ! お寺っつうもんはさあ! 死んでる人に対してじゃなくてよお! 生きている人に対してあるんじゃないのかよ! 生きている人のものであるべきだと思うんだよ俺は!」

 

 圧倒。ずっと抱えていた思いの丈を放出されているかのようだ。

 この方は周防大島ではなく、東京の武蔵小金井にいた、という方だった。僕が住んでいた地域に近い。なじみのある口調、これは僕のふるさとのしゃべり方だ、となんだか懐かしくなってしまった。

 「そうだそうだ! 僕もそう思います」

 と思わず反応してしまった。

 一方、その横にいたお仲間のもう一人、島出身の方がこんな話をしてくれた。

「大島にはの、7万人いた時期が2回あるっちゅうて。おったらしいんよ、この島に7万人。へてからの、江戸時代に飢饉があって、ほいで半分に減ったちゅうて。飢えでの」

「でもの、芋よ。そのあと芋があったけえ、食えるようになったんよ」

「そのあとはあれじゃの、戦争から帰還して。復員よ。満州やら台湾やら、東南アジアから帰ってきて。それでまた7万人じゃ」

 と、僕の知らなかったことを教えてくれた。こちらも今ではもうなじみの話し方だ。7万人いたときもあれば、今は1万3千人台。知らなかった島の過去と現在。

言葉を聞きながら、僕のふるさとはもう、この島になっているとも感じた。

 たまたま、この秘密基地でもいろいろな人が集っていた。人だけでなく、動物もいる。ココココッ、メェー。それぞれの声。植物にも川山海にも囲まれている。暮らすってどういうことなんだろう。皆さんと話しながら、地域というものの動きを感じていた。

 帰りに、4頭に増えていた木村さんのヤギたちが、与えられた葉を食べていた。近くで採ってきた木々の葉っぱだ。

 わが家にヤギがやってきたときに、近所のおばちゃんから「あんたんとこ、剣道でも始めたのかと思ったよ」といわれたのを思い出した。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月、『ダンス・イン・ザ・ファーム』をミシマ社より上梓。

「ダンス・イン・ザ・ファーム」の過去の連載は、書籍『ダンス・イン・ザ・ファーム』にてお読みいただけます!

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